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久保真美・石川淳『修羅』について

久保真美・石川淳『修羅』について







【解題】
2010年度、立教文学部文芸思想の講読演習のうち、小説は石川淳の『紫苑物語』をあつかった。和歌と矢とユートピア希求と鬼がからまった日本最高の説話小説。景のダイナミズムと文が分離できないかたちで進展してゆくそのさまに、石川淳的な革命論が伏在しながら、娯楽小説とは何か、という骨法も秘められていた。これは、とうぜん石川淳『修羅』にも受け継がれていった要素で、だからその演習の中間提出課題では、受講者に『修羅』論をつのった。うち、最も見事なできばえをしめした、久保さんのレポートを以下に転載する。

 久保さんのレポートの手柄は、『修羅』に内在する神話素のからまりを手際よくほぐしながら、ヒロイン胡摩=駒の美と武の躍動をよくつたえ、世情にある被差別要素をふくんだ階層を把握、乱世=転形期こそが革命の好機で、そのためには「旧記」(記紀などを意味する――国の既定部分を文で縛り、確定する本史にして偽史)の焼却が不可欠とし、そうした「文字」の奇怪さと、その対蹠に現れる、自然発生し対話する歌(連歌=連句=付合)の位置を、見事にさだめている点だろう。

この結果、諸要素が混淆して沸騰してゆく、この時代の石川淳的小説の組成が、レポートそのものにも転写されている。よってこのレポートが、「石川淳の小説のように」おもしろい。

むろん混乱こそが変化を生む、という視座は、震災後の現在では、「災害資本主義」の主張するところのものだから、石川淳『紫苑物語』『修羅』はとりわけ現在的な小説、と呼ぶこともできる。この点もふくみおいて、以下、久保さんの優秀な『修羅』論を呼んでいただければ――

(阿部)







石川淳「修羅」の運動する歴史観と精神について
久保真美






 「修羅」において時は戦国、足利義政とその正室日野富子が権勢をふるっていた時代、山名・畠山一族の対立という極めて史実をなぞるに近しいところを背景に、その深層にうごめく「力」、いのち、そしてその渦を巻く運動を鮮やかにえがきだしている。

乱世をいのちのかぎり破壊と略奪に駆け回る足軽という勢力。彼らは世を我がものと略奪するためには敵も味方も道理もなく、ただ頼むものは我が腕のみ。しかしそのさらに高次の破壊を、古き秩序と歴史の破壊を試みて胡摩に導かれ暗躍する古市のものたちも加わる。

物語は死屍累々の戦場、そして略奪にはしる足軽ども、まさに地獄絵図から幕が上がる。

加茂川の河原には無数の死体が転がっているが、もはやそれは人間とは呼べない肉の塊と化している。判別できるのはその風態から生きた人間であった時に足軽という身分であったということだけであり、「飢えて死ぬるも斬られて死ぬるも」等しく足軽の亡者である。

このような、生命というものの価値が限りなく軽薄である場面の中で、その死骸の塊の中から、胡摩は立ち上がる。のちに胡摩は「足軽どものなきがらの下からうまれ出ました。」と一休に語るが、まさにこれは詩的な誕生であり、また、黄泉がえりである。

貴種である山名の姫が死の世界にいったん下り、穢れのなかから立ち上がるという描写は、メソポタミア神話の女神イシュタルの地獄下りを思わせる。イシュタルは美と性愛の女神であると同時に戦の神、またトラブルメーカーとしての側面も持つが、この地獄下りを思わせる登場の場面を持って彼女は戦女神、人びとを魅了し惑わしながら破壊へと煽動するファム・ファタールとして象徴づけられているといえよう。

胡摩という存在の背後には一種の異類婚姻譚がある。馬と胡摩の母の霊的な婚姻。その懐胎が父の精に因るものであったとしても、少なくとも霊的には胡摩は名馬・月魄を父としていると云って良いだろう。馬娘婚姻譚と云えば私の故郷である岩手県にも「オシラサマ」という民間信仰がある。


ある農家に娘がおり、家の飼い馬と仲が良く、ついには夫婦になってしまった。娘の父親は怒り、馬を殺して木に吊り下げた。娘は馬の死を知り、すがりついて泣いた。すると父はさらに怒り、馬の首をはねた。すかさず娘が馬の首に飛び乗ると、そのまま空へ昇り、おしら様となったのだという。


この中に、石川淳が胡摩に語らせた自らの誕生の次第と、類似点を多く見ることができる。

また、ギリシア神話においてもミノタウロスの挿話にその類型をみることができる。ミノス王が約束を違えたため、ポセイドンの呪いにより王の妻パシパエは美しい白牛に恋をして身ごもり、月満ちて生まれ落ちたのが、半人半牛の怪物ミノタウロスである。

こういった異類婚姻はある種の「呪い」によって為されると考えることができ、つまり、胡摩はミノタウロス、呪われし怪物として生を享けているのだ。

さらにこの姫は胡摩といううつくしい名によって呪いを受けている。

『紫苑物語』において強調された、言葉が、歌が、生殺与奪の力をもつこと、と同様に、名付けるという行為は一種の呪いである。その存在を縛り付ける強力な呪いであり祝福である。稀代の名馬をその霊的な父とし名づけにより魂を馬に縛りつけられ、かくしてその身に魔を孕んだ女は生まれた。


 胡摩は恋を知らない。胡摩は古市の里に至り弾正父子のどちらが自分の夫となるにふさわしいか、力比べをさせるが、このとき胡摩自身がどちらかを夫としたいと望んでいる描写は一切ない。どちらでも良いのだ。ただ、自らの旧記の破壊という目的の為により力強き者を求めるのみである。

 しかし、彼女はあくまでも「女」である。彼女は自らが女であるということを知っている。美しさを持ち合わせていることを知っている。そして、そのうつくしさが人を魅了する強力な武器に成り得ることも十分知っているであろう。

古市の里に彼女が初めて降り立ったとき、聖地である柳の木の陰にやすやすと踏み入った彼女のうつくしさの描写はまさに幽玄美というべきもの、見る者全てを幻惑させる大きな力を湛えている。彼女の美しさの前に古市のものたちは一族の掟をも投げ捨てる。彼女を得るために弾正父子は親子の殺し合いすら厭わず、まわりの男どもも、「みな酔ったように顔をほてらせた」。

これは、古市のものたちの元来の気性もあろうが、胡摩のうつくしさと妖気に魅入られているということが見て取れる。父弾正の「きょうはいかなる吉日か」という歓喜の言葉と、「きょうはいかなる悪日か」という呪いの言葉が対句のようになり、その落差が妖気の強さを物語っている。

柳の下は古来鬼の出る場所である。しかし胡摩は元来鬼ではなく、あくまでも人、死すべき人間であった。父弾正はやなぎの影においてはいかなる魔も正体をあらわすはずという。しかし胡摩は鬼が女に化けたのでなく、あくまで人間の女が「つめたい憤怒の色」をひそめ妖気をもった姿であるので、動じることはない。鬼として永遠に生きるというよりも、あくまで元来の属性では人間として現世を精根のかぎり生き抜く存在であるということに、ひとのいのちの運動が感じられる。

こうして、胡摩はまず古市の者たちに、古い因習、掟を投げ捨てさせる。


古市の者たちとは、「峰を超えたかなたの地」に住み、「軒ごとに血なまぐさく、牛馬を屠って皮を剥ぎ、…女こどもまでおそれを知らず、男はなおさら荒くれて、…」という、足軽どもですら近づくことを憚るまさに慮外もの、アウトローの集団であるが、実は「血筋ただしい身」のものたちが不当に貶められ、被差別民としての生活を送っている一族であるということが父弾正の死ぬ間際の言葉で分かる。

古市の者たちを不当に貶めたもの、それはまさに古き世の旧記である。ここにおいて胡摩姫と古市の者たちにシンパシーが生まれる。一族を貶められた怨みと怒りをただ殺戮、略奪にぶつけていた古市の者たちに、胡摩が旧記の破壊という目的を与えてやるのだ。

姫は桃華文庫の討ち入りに際して一同を奮い立たせて云う、「このほしいままの筆の跡をさかのぼって、みだりに国のみなもとをさぐり、家の来歴をきめつけて、…いつわりの毒のながれるところ、ついに古市ものの血筋を犯して、これをばけがした。」このほしいままに書き散らされ真実を歪めた旧記、これこそが古市ものの血筋を賭けてたたかうべき、古き世の掟、悪鬼であると。
 

この物語の登場人物はいずれも「無道人」という点で共通している。『紫苑物語』でも宗頼、弓麻呂、藤内、などの人物をもって語られた理非を問わぬ無道人の精神が、『修羅』においてもまた発揮されている。妖気を持って鬼と化した胡摩、敵味方、理非を問わず暴れまわる大九郎たち足軽、足軽たちを利用し権謀をめぐらす公卿豊原季秋、人々に差別され世の中の底から掟を覆そうとする古市のものたち。

そして、一休宗純もまた「大徳」と呼ばれ世に名の轟く尊い上人ではあるが、彼もまた無道人といえる存在であろう。一休宗純は師弟関係にあった蜷川智蘊と同様実在の人物である。皇胤説すらあるこの高僧について伝わる人物像というのは、奇行が多く、禅僧でありながら飲酒、肉食、女犯を行い、大徳寺の住持となるも即日退庵、また彼自身由緒ある文書・証書を火中に投じたという逸話もある。つまり、一休もまた権威化・形骸化していく仏教のありかたに一石を投じようとしていた「革命者」である。

 一休は一筋縄ではいかない人物として描かれている。一休は主に蜷川智蘊、つまり新左衛門との会話をもって物語に現れるのだが、新左衛門は常にのらりくらりとこの老僧にはぐらかされている。北面の武士である新左衛門がたかが足軽に負けはすまいな、と問われ、新左衛門が、たかが足軽のひとりふたり、といきり立つならば、一休に阿呆め、つけあがるなと頭から抑えられ、文事にへりくだってはからかわれ、会話の核心ではぐらかされる。まさしく一休は新左衛門のいう「くそ坊主」である。

一休の精神は「目のつけどころに依って、褒めもしよう、くさしもしよう。直その中にありとおもえ。」という台詞に象徴されている。これは将軍足利義政が造営した東山の第、銀閣について一度は持ち上げておきながら、後に手のひらを返したようにあげつらうことを新左衛門に問われての一休の応えだが、これも実に精神は「動きまわるもの」だということを表している。全てはその時自分の精神をどの位置におくか、それによって事物への評価は変化するものだ、ということである。
 
一休は生きる標を求めてすがる胡摩のふところに手を差し入れながら、言う。


この乳房、このわかやぐ身をば、生きながらに、この世の炎の中に投げ入れよ。春のうたげ。燃えるうたげの中に、のぞみは絶える。のぞみの絶えたところに、そなたは生きることをはじめよ。…死者のけむりの中をつらぬいて、あわれ、そなたの身はこの世に生きよ。


 この言葉は、胡摩の身体といのちに対してあたえられた祝福である。胡摩は来世を願わない。この時代、仏教思想で末法の世に入ったとされる戦乱の世に、親鸞が唱えた悪人正機の教義により、女人でも往生することができるとされ、「女人はおおかたかの上人の教え頼むならい」であったが、胡摩は神仏への信仰はもたず、したがって来世や往生は望まない。

これは物語の核となる「無道人」達にしても同じであり、この乱世においてはニーチェの「神は死んだ」という言葉がふさわしい。神も仏も不在、ひとの理性の崩壊した乱世の中、胡摩はただこの人生を命の限りに生きたいと願うのみであり、その胡摩の現世のみを生き抜く意志に一休が祝福をあたえる。

一休は、大徳と伝わる僧ではあるが、しかし乱世において神仏を頼み来世の功徳を願う虚しさを最もよく知っていたのもまた一休であっただろう。いわば、胡摩の生を肯定し導きを与えたのは一休上人でもあった。

しかし、一休は言う。「ひとは死ぬるということをわすれたやつが鬼じゃ」と。胡摩は現世を生きるあまりに死すべき存在でありながらそれを忘れてしまった。将軍の第にて、将軍の命を取らんがため現れた胡摩に、一休は大喝する。「東も西も露の道なり」。その身を現世の炎の中に投げ入れたはずの胡摩であったが、その行く先にはどちらへ行こうと露、哀しみに満ちているというのだ。

 胡摩は恋を知らず、その恋に割り振られるべき情熱が方向を違えて胡摩を破壊へと向かわせているのではないか、よって恋の情、恋歌によって調伏することができるのではないかという蜷川新左衛門の試みは失敗に終わる。将軍の第から立ち去ろうとする胡摩に向けて、これはいつわりなき、真実の恋心が歌にもれ、

つれなくも照葉は照らで散り行くか

これに応えようとした胡摩に代わっての古市弾正の返歌がまた見事である。

妻は霜にはあてぬ弾正

もちろん、駄歌である。しかし妻に向けられた恋歌を撥ねつけるに十分な力強い歌である。 

胡摩は弾正と夫婦の契りを交わすが、その場面は古市郷の入り口の柳の木のもと、「影の中に、ふたり一つに溶け入れば、風しずまって、日あたたかく、やなぎの堅い芽の、たちまちはじけて、色も濃く萌え出るようであった。」という描写で表される。胡摩は、弾正の肩の傷口から流れる血の色をいのちの色だという。「木の芽がはじけ、色濃く萌える」という植物の生命の躍動を象徴とし、血を流しながら、まさにいのちの契約を交わす。

後に胡摩は大九郎の願いを聞き入れ、契りを交わすことを許すが、それには大九郎の、いのちを賭けての恋という言葉があってこそではないだろうか。命を賭けるからこそ、命のやり取りが生まれる。これもまた桜の木の下、葉桜の葉のにおいの中火の粉が降りしきることも忘れ、大九郎は想いを叶えるが、命を賭けた願いの代償として、当然死なねばならない。胡摩にとっては性愛というものさえ、いのちの運動の一部であり結果なのだ。


この物語において場面の転換は軽快である。登場人物は互いにすれ違いながらそれぞれの視点へと文章は移り変わってゆく。主に胡摩率いる古市のもの、大九郎など足軽たち、豊原の季秋とその一党、そして蜷川智蘊、一休宗純などの視点が、ぐるぐると渦巻いていくのだ。非常に映画的であり、動的である。

例えば四章では、足軽の彦六は桃華房にて豊原の季秋と討ち入りの密談をするが、その塀外には大九郎が待ち構えている。二人声をひそめて語り合っているところに、遠くから小唄が流れてきたと思うと、声の主、蜷川新左衛門が通りかかるが、お互いを強者と認め、引き下がる。そして新左衛門は、木陰にただならぬ気配を見いだし、そして歌のやり取りと共に胡摩があらわれる。

全てが順を追うように連続している。そして、三つ巴の桃華房討ち入りというクライマックスに至る以前に人物同士がすれ違うように「出会っている」。演劇のような一種の「都合の良さ」、予定調和性を持ちながら物語が転がっていく。


桃華房の討ち入りという場面では、公卿方と足軽が入り乱れ、そこに胡摩率いる古市勢が加わって三つ巴の渦を巻く。と、そこに、新たな火の手が上がる。山名、畠山というこの応仁の乱の主力の交戦が桃華房に迫る。すれ違いながら物語を運動させてきたものたちが一挙に場面の中に雪崩れ込んでくるのだ。

『紫苑物語』のラストで石川淳は、宗頼が岩のほとけを射て、魔王として世界を我がものとした瞬間、全てが滅び去り、怒濤の如く無に還っていくという歴史の無常観を描いたが、『修羅』のこの大詰めの場面においては、それぞれのいのちの運動が渦を巻き、ここで頂点に達するのだ。「無常」と「いのちの運動」、一見正反対であるそれぞれの歴史観を石川淳は同じく怒濤のスピード感をもって描く。石川淳にとっては、「崩壊」も「蔓延る命」も、どちらも同じく「運動する歴史精神」の一環なのだ。

また、作中人物の動的な関係を介在するものとして、「歌」がある。人物同士はしばしば歌の附け合いを以って出会い、別れ、対話する。四章で、大九郎らすれ違うように場面に現れた新左衛門は、木陰に見て取った気配に向かい、


無ともいえぬ花かげの鬼


と即吟する。すると、


 見わたせば人のこころもおぼろにて


の歌がまずあり、それを追うように木陰より胡摩が現れる。物語の終局、将軍の第で一休、新左衛門の前に胡摩が姿を現すが、その際にも、まず茂みの中より

 牡丹むなしき袖のうつり香

と歌があり、そこに胡摩のすがたが浮き出てくる。まず声があり、歌があり、それから実体があらわれる。つまり、歌は魂の前駆として人物同士の関係を仲立ちし、物語の運動の原動力となっているのだ。


石川は、この物語において、袖や壬生の小猿などの「小さきもの」、「力弱きもの」こそが精神の運動を、ひいては世の中の最も底の底から「歴史を紡ぎ出す力」を内包しているという歴史観をこそ提示しているのではないだろうか。

小猿はその軽業で足軽のふところから物を掠め取る。彼はえらそうな顔をしたおとなが知らぬうちに、ふところのものを抜き取って、あっといわせてやるほどのことは雑作もない、と嘯く。遊び女である袖は、自分の運命を嘆くこともなく、後ろ盾となる男達の間を自在に行き来し、取り入っては裏で操り、それはまるで乱世を楽しんでいるようにすら見える。

乱世においては彼ら弱きものたちほど暗躍し、動き回り、生を謳歌し、却って強き者を鼻であしらって生き延びている。そして、動き回る彼らは、作中で主要な人物たちの点と点を線で結び、物語に動的なエネルギーをもたらす役割も果たしているのだ。

弱きものは「動く」。動かなければ滅ぼされるのみである。その「動き」こそが歴史を生み出す。だからこそ、石川は本来蹂躙され翻弄されるべき存在である女をこそ破壊者のかしらに置いたのではないか。胡摩はその身にそなわった速さを以て乱世を疾走し、留まることはない。その速さこそが彼女の力の源であり、彼女が鬼たる所以である。

世をも掟をも覆す破壊の先に、彼女は立ち止まり自らの権威を、自らに利を為す掟を構築するであろうか? 答は否、である。彼女が動くことを止めた瞬間に彼女の魂は滅びるだろう。彼女は何度でもその時代の権威に戦いを挑む。将軍足利義政は風雅を愛し、政務を顧みず猿楽や歌会に勤しむ人物であったが、にもかかわらず胡摩は言う。「義政どのがいかなるおひとにもあれ、将軍職をこそほろぼそうとのこころざしをさとりたまわぬか。」こう高らかに宣言する。

そして彼女は何度でも失敗し、同じ生き物に生まれ変わり、永劫回帰の中で生を強く肯定し、歴史を破壊すると同時に生みだしながら疾走し続ける。歴史は史実に表れない多くの胡摩のような存在によってこそ展開し続けるのだ。

物語は一休宗純が観世音阿弥の能に背を向け、門より踏み出してゆく場面で締めくくられる。「一休宗純、笠かたむけて、門より踏み出し、ここはいくさのまんなかに立てば、行くところの林泉は杖のさきにあり、人間はすなわち目のうちにあった。」物語を俯瞰的に見渡しながら、はぐらかし続けてきた「菩薩」一休の、また自らもいのちの運動の中に身を投げいれるという意思の表れであろう。彼もまた本質的には権威に背を向ける「革命者」として、生の中で歴史を運動させてゆく存在として描かれているのである。







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