▼未公開原稿

貞久秀紀・江代充

貞久秀紀・江代充





【解題】

2011年度前期、
立教文学部文芸専修の三、四年次演習では
詩を書いてもらっている。

ただし「しばり」を設けた。
阿部が「○○○○傑作詩篇選」のプリントを配布、
それを眺めてもらい、
その「○○○○のように」詩を書いてください、
と課題に限定を課しているのだった。

エランヴィタルとフランヴィタルの譬えどおり、
その足枷がかえって受講生の詩作を自由にする。
今後、このサイトに発表することになるが、
毎回毎回、おかげで傑作が噴出している。

五月二十七日は「江代充のように」、
六月三日は「貞久秀紀のように」が
それぞれ生徒に依頼した課題だった。

ただし、「再帰性が時間をまたぐことで
極薄の喩がつくられる」という
江代=貞久型の詩の秘密の説明は難しい。

なので受講生の理解のため
2010年九月二十日、善福寺公園の葉月ホールハウスのイベントで
阿部が来場者に配布したプリントを
以下にペーストすることにする

(当日のプリントには高貝弘也さんへの言及もあったのだが、
ここでは錯綜を避け、割愛する)。









貞久秀紀/江代充


【貞久秀紀『明示と暗示』10にしめされたエピグラフ】

 ある文によって暗示されることがらがすでにその文に明示されて
いる――そのような文があるだろうか。ゆれている枝によってよび
おこされるものが、ほかでもないそのゆれている枝であるように。



【「明示と「暗示」にかかわる熾烈な例題】

「三十七文字で書かれているこの括弧内の文には何が書かれているか、それを説明せよ。」

・通常、貞久が作成したこの例題の不可思議ならば、発語者の事情をメタ的に忖度することで哲学的に説かれる。それらは矛盾命法と呼ばれる。
「私の言うことをきくな」
これはさらに発展する。当然、
「あらゆるクレタ人は嘘つきだとクレタ人が言った」

・貞久秀紀がこの問題の圏域にかかわるとき、まず生じるのがユーモアではないか。この書法はすでに貞久の既存詩集のなかにも見受けられた。

石が九つ
ならべられてある
と感じられたところに
石がおかれていた
(「写生」より、『昼のふくらみ』99所収)
   *
あるきながら考えていると
考えながらあるいてもいた
(「体育」より、同上)
   *
朝夕
顔をあらうたびどこかを洗顔していた
(「道草」より、『石はどこから人であるか』01所収)

・これらは修辞ミス、あるいは冗語法と呼ぶべきものか。ちがうとすると、ほぼ同一の記述(たとえば「あるくこと」と「考えること」の複合)が「囲い地」(「埒」)をつくりながら、「あるく」「考える」に濃淡と遠近をつくり、そこから時空がしずかに湧出してくるととらえるべきだろう。

・この修辞の型は、江代充の修辞の、ある部分にも適合する。

きれいに切られた木の上に立つとすこし傾き
自分の体を支えているものを屈んで見て
これは確かに一つの切株だとわたしはおもった。
(「語調のために」より、「現代詩手帖」10年8月号)

・「切株」のイデア的浮上(貞久の場合なら「石」「洗顔行為」のイデア的浮上)

・石にかかわる「九」という数字は、存在がつくりあげる曖昧な集合性で、しかしそのなかにこそ、存在の本質(世界-内-性)がある。

・正岡子規「写生」:《鶏頭の十四五本もありぬべし》 〔→ 後段へ〕



【江代充における「数の認知」】

鳥  となりの空地を見ると
  枝を拡げた松の近くに在るもののうち
  茎にかくれた土の上の雑草や
  とくに柔らかく寝静まった草のたぐいから
  時折いっせいに燃え広がる炎のような音がこの辺りにも認められた
  なぜそこで地が燃えているのかとおもい
  とおくに見える窓際の枝の上から
  おなじ音色を送り付ける一つの房に眼を遣り
  一羽の鳥のまわりに葉の群れた
  それらの数の内側だけみつめていた
(「隅角」全篇、『隅角 ものかくひと』05所収)

・『梢にて』00、『隅角 ものかくひと』における「鳥詩篇」の系譜。鳥の視界、鳥の発語が詩集空間に混入してくることで、世界内に伏在している任意的視界が、多元的に明示=暗示される。→ ベルクソン?

・数は曖昧であることで内側(「埒」)をつくりそこに入った世界も垣間みられる。

・もう一方で「枝」への偏愛もこの詩篇などではっきりする。枝とは存在とかたちが一致する「世界の部位」であって、世界の明視性を保証するもの



【「数の命題」は貞久秀紀にあっては、さらに明示=暗示のくきやかな圏域を形成する】

 道のべにあり、ゆきすぎてもなお思いかえされる二、三本の木は、
二本とも三本ともなく、二、三本として思いかえされる。
 べつの日におなじ道をゆけば、二本か三本かのいずれかがあり、
いずれもこの二、三本であるのにほかならない。
(「数のよろこび」全篇、『明示と暗示』所収)

・ここで「べつの日」が召喚される。世界の持続の均質性というあらたな視座がでてくる。同じ作法が江代充にもみられる(そのほか、「向こう」という指示語により空間が豊饒化すること、さらには「かがむ」という動詞にも注意)。

ひとつの倉庫に至りつく前
道でみた空地に生え出た草が
その空地にだけ存在したかのように
以前その前を行き来したことのある倉庫の柱が
遠くからわたしに向けて立っているのが見える
あのよるも行き着いた所で
たったいまその前を立去ってきた向こうの樹木が
流れる水の上に映りはじめていることを
溝にわたした板の上からかがみ
背を低くしてそれとなく知ることができた
(「溝と二人で」、『梢にて』所収)
 



     
【一文詩と二文詩 / 指示語と反復同語】

・江代充には驚異的な一文構造の詩がある。「現代詩手帖」10年8月号所載の「生」も素晴らしいが、以下を引こう――

おもてには木の枝の頂に
二つの鷺をのせてかさなる木の葉がしげり
かれらは道のうえの白いコサギを
いわば単一に低められたものとしてながめたが
板塀のある
わたり廊下の途中から梢のおくに色付き
それまで口にすることのなかった木箱の印象をいただけるのは
そこから道へ出た
ほかならぬわたしに於てしかありえない
(「梢にて」、『梢にて』所収)

・句点が打てるのは文末でしかないという点でむろん一文の詩だが、内実は主語ふたつの複文で、そこにさまざまな副詞節、形容節が付随、全体は複雑な「枝状」を呈している。読み手はそうした文構造を腑分けしながらすすみ(そこに時間体験が得られる)、構文全体が「埒」となるなかで、細部の遠近/濃淡を把握してゆき、そこで詩篇のもつ明澄性と静謐につかまれることになる。そして知る、全体を読みとおしたとき、時間が決定的にすすんだと。「かれら」から「わたし」が分離され、そこから空間の真相が生じたのだった。

・貞久秀紀にも一文詩がある。引こう(引用詩中の「石」「空気」などが貞久詩の特権的な物質である点、「ながめる」という動詞が先の江代詩とおなじくつかわれている点に注意)。

 空気をながめているときのものの感じられ方は、石ころがちでは
あるが草がところどころあかるく開き示された道にしゃがみ、ある
とき空気をながめていて、それを外からながめているとも、内から
ながめているとも感じられる。
(「空気をながめて」全篇、『明示と暗示』所収)

・複雑な構文からくる錯綜感(しかし息の持続が素晴らしい)、明示=暗示の基礎にある反復同語による錯綜感(そこから律動が生じている)があって、実際は「踏み越え」が生じ、読者はその詩的化合力に唖然となる。「内」と「外」が同位化されたのだった(おなじことは、自己身体を媒介にしてだが、傑作詩篇「夢」〔『昼のふくらみ』〕にも見受けられた)。

・引用した江代の一文詩では、「描写」だけがなされている。つまり詩的言語のもつ、隠喩をはじめとしたメタモルフォシスが遮断されている。この「描写」の由来は、端的には「写生」だろう。『隅角 ものかくひと』に収められた「庭」では《ふたりはそれを/〔…〕/ものかくひとによって描かれた物のように捉えはじめ》というくだりがあり、そこにも「写生の心」が反映されている。

・貞久詩でも描写はもちいられているということができるが、哲学的直感によって、世界を鷲づかみにするような危急性が、静謐さをたもったまま「文」に滲んでもいる。

・「文」――冒頭に引用した貞久のエピグラフでは、詩を語るときに親和的な「フレーズ」の語がもちいられず、原理的な「文」の語がつかわれていた。なぜか。詩が「情」「手際」など、詩的粉飾をもちやすい点が警戒されているからだろう。その意識は江代の詩にも貫通していて、だから彼らの詩篇中の措辞には、厳しい清潔感が一定していることになる。

・そういえば彼らの詩にえらばれる語彙は、すべて原理的=単純物質的なものばかりで(江代には若干、聖書からの語彙もあるが)、局所的な文学体験に由来して自己事情を展覧させる物欲しげな語彙、ならびにそれをつかえば読者に抒情性を反射させる詩語、くわえて、いかめしさを自己演出する難解語もない。文法的にも透明性が一定していて、その透明性と「明示=暗示」という方向設定が同根だといえる。


・つぎに、江代、貞久の二文構造の詩をみてみよう。江代については、さきに「写生」ということにともなって部分引用した詩篇を全篇引用する――

以前と同じ小屋の中から
雨の上がった庭のほうへ出掛けるとき
以前からそこにあった一本の低木が庭のちかくに立ち
かつて木陰から
樹木の内部を見上げたときのように
上下に渡る小流れのような枝の途上の一部には
もとより細かく分かれた日の光が直かに当たっていた
ふたりはそれを
在り来たりな板の上に
ものかくひとによって描かれた物のように捉えはじめ
蕾のつもりで膨らませた両の手をない合わせると
戸口を過ぎて
ともに木の立つ庭のなかへ這入っていった
(「庭」全篇、『隅角 ものかくひと』所収)

・一文めは、七行め最後の「当たっていた」で切れる。問題はつぎの八行めにある「それ」が何を指示するのか一瞬踏み迷うことだろう。解答は「それ=一本の低木」なのだが、ここに誤読される危険を予感しながらなおも「それ」をもちいるとき、江代は同語反復より指示語を採択する個性だとかんじられる。幼年期の自分と同齢の童女を回顧した詩篇だろうか。むろん描写に徹したきびしい書かれ方によって、「回顧」にありがちな湿潤が一切遮断されている。もちいられる「文」の構造そのものに、すでに峻厳さがあるといっていい。

・貞久の二文構造の詩篇はどうか。

 ここにある薄は、道にそいながらふれてくるほど親しくつづき、
ここではゆれているとみえず、遠くあのあたりではゆれている。

 しばらくここにいて、ゆれずにいるとみえるこの薄は、このまま
おなじ道をあるけば身近にいたりつくあの薄が、いまも目にみえて

遠くそこかぎりでゆれているように、ながめていればゆれており、
ここからは、おしなべてこの薄とあの薄でゆれる。
(「薄にそいながら」全篇、『明示と暗示』所収)

・「薄」「ゆれ」の語が同語反復されるなかで、薄の原に「そって」主体があるいていて、実際はどの「薄」も「ゆれ」もおなじではなく、遠近と濃淡のあるそれぞれが「それでも」ひとしくながめられて、世界がそのようにひろがっていることが「ただ」示唆されている。催眠性をもつほどにうつくしい詩篇だが、「差異と同一性」にかかわる思考は峻厳だ。薄をそのようにながめやるのもまた、主体に装填された「差異と同一性」にほかならないからだ。ともあれ同一性に差異を仕込むべく、ここでは必然的に同語が反復される。

・『明示と暗示』冒頭のエピグラフを拝借して変更をくわえ、抜きだせばこうなる――
《ゆれている薄によってよびおこされるものが、ほかでもないそのゆれている薄》。





 

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