▼講義草稿

「流謫(るたく)」前後の岡井隆の短歌について(立教講義草稿:05/11/14/、21)

【解題】
05年度後期の立教講義では、《諸分野で「私」がどう表現されているか》を考察している(密かに「自叙の構造研究」と呼んでいるが、「自叙」にしてもそうで《「私」が「私」自身を表現すること》に現在、熟した用語がない――「セルフ・ドキュメンタリー」では限定的にすぎるし)。
その講義で前衛短歌の「歌の王」、同時にドラマチックなセルフ・ドキュメンタリストでもある岡井隆を2回にわたり扱った。以下はその際の配付プリントと草稿だ。
 これをサイトに載せるのは、ひとつは学生たちの期末レポートの水準に「指針」をつくるため(僕は毎回の講義でサイトをそのように利用させてもらってきた)。もうひとつは草稿が圧縮形で、講義ではとても全貌が語れないという危惧があり、学生にその全体を開示する必要があると考えたため。
 ならびに、草稿をつくってみておもったことがあった。つまり映画などの分析より、もしかすると詩や短詩型文学の分析のほうが向きなのではないかという僕の自覚があって、その是非を、サイト読者のみなさんに判断してもらいたいということだ(僕も下に分析した時期の岡井と同様、「晩年」を考えはじめている)。「岡井隆論」としては名首採取をしてそれに逐一的解説を施すという偏奇な手法がとられているが(だが往時の塚本邦雄の歌論にはこの方法が多かった)、吾妻ひでおや荒木経惟を講義で解読したように、現代サブカル論の文脈で岡井も独自に分析できた達成感がある。誰か、岡井の知人がこのサイト内文章に気づいて彼自身に注進してくれればいいのだが。
 05年度講義はこの11月現在が佳境(早稲田二文も)。疲れているが充実している。だがぜんぜん映画が観られない。感慨は複雑だ。

「流謫(るたく)」前後の岡井隆の短歌について(立教講義草稿:05/11/14/、21)

数かぎりなくわれに連れそふ

【配付プリント】


●『天河庭園集』(78、初出=『岡井隆歌集』72)

1 曙の星を言葉にさしかえて唱(うた)うも今日をかぎりとやせむ

2 ひむがしに雷(らい)はきこえて愛さるるには濃すぎるか髯もこころも

3 幻の性愛奏(かな)でらるるまで彫りふかき手に光差したり

4 おのれさえ更にふかぶかと抉(えぐ)られて皮膚一枚の比類なき旗

5 〈話す〉とは即ち〈担う〉重たさの柘榴(ざくろ)を置きぬその手のひらに

6 さやぎ合う人のあいだに澄みゆきてやがてくぐもる天の川われは

7 飛ぶ雪の碓氷(うすい)をすぎて昏みゆくいま紛れなき男の心

8 そのあした女(ひと)とありたり沸点を過ぎたる愛に〈佐世保〉が泛(うか)ぶ

9 それをしも暴力と呼びうるならば月射せよふかき水の底まで

10 一箇の運命としてあらわれし新樹を避くる手段(てだて)ありしや

11 苦しみつつ坐れるものを捨て置きておのれ飯(いい)食(は)む飽き足らうまで

12 飯(めし)食いて寝れば戦(いくさ)はどこにある俺というこのこごれる脂(あぶら)

13 あぶら耀(て)る肉塊をぼうとしてみているアナーキストの阿呆

14 恐怖してそれでも眠るまひるまの情のうごきの斑(はだら)なるかな

15 家はなお彼方に在るをあじさいの駅過ぎてより愛は暴(あ)れ初(そ)む

16 唇をあてつつかぎりなきこころかぎりある刻(とき)の縁(ふち)にあふれつ

17 別るるはまことふたたび逢わむため碾(ひ)くごとくまた轢(ひ)かるるごと

18 曇り日の秋田を発(た)ちて雨迅き酒田をすぎつこころわななき

19 政治的集団の居る北口を愛にみだれて過ぐと知らゆな

20 しかすがに遙かなる駅馬群れて汗ばむころの拠点思えば

21 泥ふたたび水のおもてに和(な)ぐころを迷うなよわが特急あずさ

22 以上簡潔に手ばやく叙し終りうすむらさきを祀(まつ)る夕ぐれ

●『鵞卵亭』(75、『天河庭園集』と収録歌の部分重複あり)

23 雨は全東北を降り覆ふとき霧ながら越ゆこころの峠

24 深追ひをして迷ふのを常として言ひがたく濃くみどりの一生(ひとよ)

25 北方へひろがる枝のこころみをあはれみし後(のち)こころ流らふ

26 集団の汚点となりて生くるのも生牡蠣に酸(さん)しぼるも現(うつつ)

27 鏡像のわれの蒼さよ筑前(ちくぜん)へ来て蓄髯と誰かが言ひき

28 泣き喚(さけ)ぶ手紙を読みてのぼり来(こ)し屋上は闇さなぎだに闇

29 荒海を見る十幾組のことごとく愛ありて来し 沖はとどろく

30 生きがたき此の生(よ)のはてに桃植(う)ゑて死も明(あ)かうせむそのはなざかり

31 原子炉の火ともしごろを魔女ひとり膝に抑へてたのしむわれは

32 零落(おちぶ)れし王と思へどそれもよし黄金(きん)の記憶を抱きて眠らな

33 藻類(さうるい)のあはきかげりもかなしかるさびしき丘を陰阜とぞ呼ぶ

34 夜半(よは)ふりて朝消(け)ぬ雪のあはれさの唇(くち)にはさめばうすしその耳

35 薔薇抱いて湯に沈むときあふれたるかなしき音を人知るなゆめ

36 花から葉葉(は)からふたたび花へゆく眼(め)の遊びこそ寂しかりけれ

37 あぢさゐの濃きは淡きにたぐへつつ死へ一すぢの過密花あはれ

38 ひぐらしはいつとしもなく絶えぬれば四五日は〈躁〉やがて暗澹(あんたん)

39 歌はただ此の世の外の五位の声端的にいま結語を言へば

●『歳月の贈物』(78)

40 男とは斯(か)くするものかよごれつつまぎれつつ居て不意に涙来(く)

41 悲喜劇のさなかにすする葬(はふ)り粥(がゆ)その塩は浸(し)み魂(たま)におよばむ

42 うたた寝ののちおそき湯に居たりけり股間に遊ぶかぎりなき黒

43 あやとりのやうにこころをからませて一組のこの男女は沈む

44 夕ぐれは海上の道かへりくる藍の男のはためくころも

45 蝉の絵をあまたあつめて冬の夜のつややけきまで視る人われは

46 さんごじゆの実のなる垣にかこまれてあはれわたくし専(もは)ら私(わたくし)

47 陥穽の待ちうけてゐる一日とおもふもたのし 南から雨

48 くらがりになほ闇(やみ)と呼ぶぬばたまの生きものが居て芝の上(へ)うごく

49 枝(えだ)はひねもす空にあそべる枯園(かれその)やきはめてうすき縁(えにし)ともおもふ

50 歳月はさぶしき乳(ちち)を頒(わか)てども復(ま)た春は来ぬ花をかかげて

51 日月は此処(ここ)にも照りて平安のたへがたきまで異境とおもふ

52 ここという選(えら)びをつねにあやまちて夢のごとくにたのしかりける

53 女率(ゐ)て寒(かん)ごもりせる阿蘇の湯の栄耀(えいやう)のなきしづけさあはれ

54 大小の精神の傷(きづ)さはあれど雨に房(ふさ)振る花さへあれば

55 目に見えぬたたかひをせむとりかこむ物象はみな女なれば

56 淡粧(たんしよう)の瞼見えをり少年のときから今に苦(にが)し女は

57 幹に倚(よ)り仰ぐこころは昏みゆく転生をして樹にならばなれ

58 日本弧は今し北から昏れむとす此の湖岸(うみぎし)の四時の宵闇

59 あぢさゐのあめのまどひの稚なくてさぶしき退転をかさねたるかな

60 ひねもすを乾かざる枝さしかはし組みかはしつつ春の木われは

61 性愛のまにまに頽れゆきにしや岡井隆といふ青年は

●『マニエリスムの旅』(80)

62 抱擁のはつかためらふ転瞬にうしなはれたる言葉ありけり

63 からたちの実の黄(き)の照りに花を憶(おも)ふへだつればこそ匂へ九州

64 鳥羽へゆくフェリーの底にはかなみし一生(ひとよ)といへど波にまぎれつ

65 水牢のごとき世界に浸(つか)れども死に灼(や)かるれば悲しかるらむ

66 〈私(わたくし)〉の上に斜めに線(すぢ)引きていざ還りなむ水のむかうへ

67 生きゆくは死よりも淡く思ほゆる水の朝(あした)の晴また曇

68 荒(すさ)みつつ深まるものを愛としてさしあたり今日岬(みさき)潮騒

69 幻影の愛餐の肉冷やすべく春の霰は芝生にたまる

70 人体をつぶさに観つつ思考泳ぐ埒の外まで泳ぐしばしば

71 チューリップの花芽を覗き込む男齢(よはひ)知命をきのふや過ぎし

72 春あさき日の斑(ふ)のみだれわが佇(た)つはユーラシアまで昔(むかし)海底

73 人の生(よ)の秋は翅(はね)ある生きものの数かぎりなくわれに連れそふ

74 手にふれて花のつぼみの弾力のさびしかれどもすぐに忘れぬ

75 甘美とふことばのそとに吊るされてふたたび人を愛しはじめぬ

●『人生の視える場所』(82)

76 日に日を継ぎ此のうたかたの飛ぶさまをあやふく端(はし)に立ちて見てゐる

77 小さなる無数の悪のはだら縞 ふかく生きむとすれば纏ふも

78 女(をみな)とは幾重(いくへ)にも線条(すぢ)あつまりてまたしろがねの繭と思はむ

79 子を連れてあゆむけもののはかなさや縞けざやかに夕べを行きぬ

80 かにかくに一昔(ひとむかし)かも逃げのびてメロンをすすりあふぞさびしき

81 わが家をふかく見おろす窓ありて趨(はし)る家族の髪蒼く見ゆ

82 婚(まぐあひ)にいたらぬ愛を濃緑のブロッコリイにたぐへてぞ恋ふ

83 晩年をつね昏めたるわれと思ふしかもしづかに生きのびて来ぬ

84 すこしづつサラドの華の冷えて行くかかる時代(ときよ)に詩に繋がりつ

85 むらさきの古代の人はおとろへていかにあゆみしこの山越(やまごえ)を

86 うしみつにちかきころほひひつそりと柚子湯をいでて来しを抱き寄せ

87 海峡をわたりか来(く)らむわにざめの鰭(ひれ)のさびしさは愛のさびしさ

88 蒼穹(おほぞら)は蜜(みつ)かたむけてゐたりけり時こそはわがしづけき伴侶

89 むらさきの代案ひとつ葬らむとす乱れ咲く寒の水仙

90 能登鰤(ぶり)の身をほぐしつつ思ふかな晒刑(さらし)に遭ひて斬(ざん)にあはぬを

91 かなしさは一つ毛布にくるまりて筑前の国(くに)秋の百夜(ももよ)を

92 あぢさゐは道をせばめていつよりか庭の眼(め)なれや時(とき)を視(み)つめて

93 曇り日の関八州を疾(はし)りたる馬(むま)こそ見ゆれ餉(け)の夕まぐれ

94 近づきて刺すまでの距離測りつつ詩型の柄(つか)をひき寄せにけり

95 あやふくも手が交差してふかきより毛ぶかき桃をつかみ出したり

96 陰茎のあをき色素はなに故(ゆゑ)ぞ梅雨(つゆ)ふかきころ湯殿(ゆどの)に洗ふ

97 汗したたる家族のなかにしろがねの凹地(くぼち)となりてかなしゑわれは

98 たへがたく鬱(うつ)たへがたく極彩の積木崩れてゐたりけるかも

●『禁忌と好色』(82)

99 歌といふ傘(かさ)をかかげてはなやかに今わたりゆく橋のかずかず

100 夜露さへ歌ふあかつき晩年に酢(す)を垂らしたるわれと思はむ

101 はろばろとやまとに向きて弓を引くわれもももろともに叛(そむ)きて居(を)らむ

102 南(みんなみ)へくだる電車にビールのみて愉(たぬ)し人の生(よ)の先の視えたる

103 あをあをと馬群がりて夏の夜のやさしき耳を噛みあひにけり

104 眸(まみ)といひ眼(め)と呼ぶ孔(あな)ゆかくまでにすがしき蜜は吾(あ)に注がれつ

105 大いなる虚(うつろ)にむかふ日常はこのまま銀の秋に続かむ

106 しづかなる旋回ののち倒れたる大つごもりの独楽(こま)を見て立つ

107 独楽は今軸かたむけてまはりをり逆らひてこそ父であること

108 またふかく夜(よる)に刺さりてわが生はくらきみどりの葉ずれに満ちて

109 だばだばと汗をこぼして終りたる老のひるげを惨(さん)と思はず

110 頭髪の茫たる童子ふたり居て火の匂ひする父をよろこぶ

111 根菜の或る種或る日のかがやきの不思議にふかく視えてもの思(も)ふ

112 学生の昔のごとく髪たれて瓜(うり)をしぞ食む半裸のわれは

113 乳房のあひだのたにとたれかいふ奈落もはるの香にみちながら

114 髪の根をわけゆくあせのひかりつつみえたるころのあはれなる愛

115 すみずみに現実(うつつ)の乳は満ちながらしかもはつかに現実(うつつ)超えたる

116 様式の水をくぐりて詩は生(あ)るる着流しのわれ胡座(あぐら)のわれに

117 生くるとは他者(ひと)を撓(たわ)めて生くるとや天は雲雀(ひばり)をちりばめたれど

118 いくたびか死後の世界を直(ぢ)かに視る真水(まみづ)を詰めし魔法瓶あはれ

119 くらがりに夏柑(なつかん)の実(み)と在るわれはさびしきわれは政治を嫌ふ

120 中空に禁忌の解けてゆく音を雨かも降ると思(も)ひて仰ぎつ

121 リラに降る雨のさなかを裾ぬれて行きゆくわれは 讃美してをり

122 あぢさゐに大かたつむりみどりごにはじめての歯のあはきよろこび

123 朝々を薬草園に沿ひて行く沈鬱にしてあたらしき青

124 花束を抱きてリフトにのるわれは二昔来(ふたむかしらい)錯誤にみちて

125 交易は麦のさびしさ運つよく生きのこりたるのちに想へば

126 あたらしき禁忌の生(あ)るる気配していろとりどりの遠き雨傘


【本論】

 1950年代半ば過ぎから、日本の「前衛短歌運動」を実作・理論形成、その双方で牽引してきたのが塚本邦雄と岡井隆だった。

 もともと短歌は戦後に入り、旗色が悪かった。五・七・五・七・七の短くいびつな定型詩型ではもはや激動する世界にあって個人が疎外を受け、行動を問われる状況を盛れない――「一人称文学」の詠嘆を昔ながらに繰り返すだけなら一見罪がないようにもみえるが、実は個を無自覚ながら中心化してしまうその特有の詩型が、戦時ファッショの下支えにもなっていたのだから(周知のように勅撰和歌集はすべて天皇に捧げられてきた経緯をもつ)、短歌はもう不要、廃絶すべきだとでもいうべき議論すら巻きあがっていたのだった(『第二芸術論』など)。そうした趨勢にたいし目覚ましい作品行為で叛旗を翻したのがまずは塚本、そして彼の立論に刺激を受けた岡井隆だった。

 塚本は戦前モダニズムを詩想の出発点にしている。そしてのちに短歌的「喩」と総称されることになる独特の言葉の配列効果を最初から駆使していた(これは並んでいる語がそのまま複雑なスパークを起こし、語本来の意味のうえにとりどりの陰翳なり匂いなりを渡らせる方法だったと現在では総括できるのではないか)。

 《水に卵うむ蜉蝣(かげろふ)よわれにまだ悪なさむための半生がある》(『装飾楽句』)。ここでは「水に卵うむ」行為と「悪をなさむ」行為が照りあう。同時に「蜉蝣」の生の儚さと、「歌の主体」=「われ」が「もう人生の半分を終えてしまった」儚さが匂いあう。「悪をなす」という後生への誓いはたしかに不穏だが、その不穏さが儚さで微妙に減殺された効果がこの一首の中心を走っていて、だからこそこの悪は鈍く輝きながら抒情性となって読者を甘やかに包むことになる。名歌だとおもう。このときの「意味読解」のため用語同士に点線を引きうるような関係性こそを短歌的「喩」というべきだろう(吉本隆明や磯田光一はもっと複雑な立論を展開したが)。

 もう一首――《金婚は死後めぐり来む朴(ほほ)の花絶唱のごと蘂そそりたち》(『緑色研究』)。朴の白い花に睫毛状の黄金の雄蘂がまっすぐ長く伸びているのは植物学上のリアリズムだが、風媒によって生殖・世代更新してゆく植物の営みに呪いがもちこまれている。つまりこの朴の花の観察者の感性が単独死を予定された独身者の側にあるということだ。「金婚」――妻帯が50年の長きにわたることはどんな場合であれ実人生上の慶事だとおもうが、作者・塚本はそういう平穏な指向には与しない。だから「金婚」は「死後」の言葉によって消され、消されつつ「金婚」を祝うべき伴侶は「死後」の言葉の不可思議な作用によって、現実的な垢をもたぬもの――たとえば「詩神」となりかわるような感触がある。

 塚本は、言葉の細心な計測者だった。ここでは「金婚」(雄蘂の色の黄金)-「死後」-「朴の花」(「死後」と白でつながる)-「絶唱」-「そそりたち」の語連鎖によって言葉の余韻がどのように拡大してゆくかが厳密に測られている。こうした言葉の魔術が当時、三島由紀夫など象徴派文学を出自にした才能によって「天才」ともてはやされたのだった。

 もう少し塚本邦雄の話を――。具体的な評論の例示は省くが、塚本は短歌の陥穽が「自らの描写・自らの心情の述懐」に落ち着いてしまう点にあると終始直感していた。述部があって主部が省かれれば、述部の主体が「私」になってしまう日本語の魔術。それに加えて31音しかない詩型(ところが17音の俳句では「私性」が掻き消され、世界の構造把握を直感的に綴ってしまう逆転を獲得する)。そこに安住するから、短歌は他の分野から鬼子扱いされる―― そう信じた塚本は、たとえば可憐な女歌を駆使する才能が髭ぼうぼうのむくつけき男であって何で悪いと嘯き、短歌的主体のロマネスク化(つまり嘘と物語を積極的に唄うということ)を推進していった。

 たとえば《象牙のカスタネットに彫りし花文字の 父の名 マリオ ゆきさき知れず》(『水葬物語』)。遥かな思いへと読み手を導くモダニスム的な着眼に乗った抒情歌のようにみえるが(「物語」もある)、そのロマネスクには虚無的な構造が貫かれている。つまりこの一首は「不在」「取り残された者の余情」をしめす「ゆきさき知れず」七音が結句にあって、それ以前の「五・七・五・七」はこの「ゆきさき知れず」を装飾する長い枕詞にすぎないのだった。この枕詞的な上句+七音を「あしびきの山鳥の尾のしだり尾の…」的に和歌伝来のものと見るか、実質を欠いた虚辞とするか。

 ともあれ塚本がそのような作風にいたったのは、実人生での彼が、商社に平穏に勤務するサラリーマンだった点が単純作用していた――この点を否めないだろう。彼は歌づくりと会社勤務の二重生活をしいられた。つまり彼には唄うべき「実人生」などなかった―― 「肉体」などなかった。「虚構」は彼の「命」だったのだった。塚本は古典をふくめ短歌読解の超人だしその書斎派的教養も博物学的レベルに達するほどの面目があるが、キツい言い方をするなら塚本の実作が現代短歌を真に領導したのは三島由紀夫の「生」と彼の歌が平行した 70年頃までのことだったのではないか。

 語の連関を「喩」としてその機能拡大を図りつづける――塚本の短歌上の営みは、事実、あまたのフォロワーを生んだのだから破産したとはいわないが(無論その後も彼は圧倒的、「極北」といえるほどの歌作に邁進した)、 70年代以後その弱点が次第に露わにされていった嫌いもある。三島由紀夫的なものの「虚偽」(書割美学とでもいうべきもの)に目覚めた筆者をふくむ文学ファンは、塚本の姿勢に限界をみはじめたのだった。どういうことか――。

 塚本の短歌美学では語の多様な連関が生命なのだから、名詞が31音のなかに高い頻度で重く導入され(その重さの消去のため彼は淡い語彙を探査する必要もあった)、「述部」をしめす動詞が稀薄化する傾向がある。それで「調べ」が流れださなくなる弊がもともとあった。言葉を換えれば「膠着的」。

 塚本はそうした作風をアクロバティックに支えうる用語を和歌の古典文法から密輸しつづける。たとえば悔いを表す「――ものを」。たとえば比喩を表す「――のごと」。そうしてたとえば上句と下句のスパークがギリギリの均衡で支えられる。ただそれでも「実人生」の匂いがしないと見抜かれれば、それは絵空事特有の「単調」を結果してしまう。

 筆者はそこで塚本のとった方策が錯誤だったとおもう。彼は「調べ」の複雑な陰翳のため「句跨がり」の頻度をより高めたのだった。例示した短歌にもある。《象牙のカスタネットに彫りし花文字の》は短歌的な分割性を意識すれば「象牙のカスタ/ネットに彫りし/花文字の」と読まれてしまうが、そのときの「カスタネット」の語のひび割れがノイジィに映ってしまうのだった(まあこれなどは単調なほうだが)。

 寺山修司的な愛誦性はナイーヴさの別名だ。寺山、それ以前の石川啄木、以後の俵万智のような作例ならポピュラリティを確かに獲得できるが(すぐに「記憶」される)、歌の奥行を誇れない。寺山と近似する資質のあった塚本は歌の調べも着想も複雑化する挙に出た。

 寺山の「問題」とは何だったか。岡井隆はたしか、夭折といっていい寺山の死にたいして書いた追悼文(雑誌「短歌研究」に掲載されたとおもう)で、激烈な指摘をした。斎藤茂吉読解の刻印がなかった――それで寺山は短歌を多作できず、自分の表現ジャンルを次々に変化させざるをえなかった――そう書いたのだった。斎藤茂吉という明治以来の短歌的巨星――その影響圏に常にあった近代短歌史から自らの立地をたえず確認すること。短歌のもつ「愚直」「どうしようもない一人称述志」「生活雑記」を受けとること―― それらは短歌作者にしいられる「宿命」ではないのか。その宿命を逆転するのがやはりその古代からの叡知の盛られた伝統的詩型であり、「調べ」だった。

 塚本に話を戻せば、彼には唄うべき実人生がなかった。そして「句跨がり」の多用によってその調べにはアクロバティックな傷が入り、歌は独自に美しいが短歌以外の複雑さを帯びることになった。塚本が斎藤茂吉のこれ以上いないほどの読み手であり、その詩法にも誰よりも茂吉の恩恵が入っているのに、方法の錯誤が否めなかったとおもう。

 その意味でいうと現代短歌の三星とは、世評のように、塚本・岡井・寺山ではない。「反世界的着眼」「塚本以上の自己の虚構化」を短期間推進して普遍的な人気を得た寺山は、歌の調べにたいしての才能を本当のところ発揮できなかった。彼がなしえたのは愛誦性・記憶の容易性だが、読んだすぐにはかなく消えてゆくような調べこそ絶品というべき短歌の世界にあって、それはむしろ不要な俗悪ではないか。その意味では「三星」の座から寺山を放逐し、やはり茂吉の読解体験を歌作の中心に置き、しかも自らの幻視者的資質を昂然と打ち出した葛原妙子を代置すべきだろう。そして「茂吉」の影響を独自に培養した葛原・塚本が死に、岡井だけが孤軍奮闘する現在より以後は、茂吉にどれだけ足を下ろすかにジャンルの命運がかかっている(水原紫苑など、意志的な若い表現者もいる)。

 短歌は「調べ」であり(岡井『朝狩』自序参照)、「情」(短歌的主体の「情」が主体消去の魔術によって読者・愛誦者に転位される)であり、そして――普遍的な生活凝視からもたらされる「小さな」世界像の変貌をこそ旨とすべきではないか。虚構性に則ったロマネスクな短歌は、「短歌以外」として別に置かれるべきものなのだという思いが現在の筆者にはつよい(とくに「調べ」を欠いたそれならば)。このとき31音しかないという表現のコンパクト性によって、短歌は誰彼となくその脳裡や口唇を美しく移動・転戦してゆくことになる。そうしてジャンルが時を越え延命する。岡井隆は若いころ塚本の喩法にふかく影響を受けながらも、そうした「短歌特有」「短歌だけにしかない」文芸ジャンルの可能性を熟知していたのではないか(現在の彼は「ライトヴァース」的なものを短歌に転位しようとするもうひとつの野心ももっている―― 相変わらず詩型をゆるがす執着がつづいている)。

 そこには岡井の出自がふかく関わっている。岡井の父そのものが、斎藤茂吉の結社的牙城「アララギ」の同人だったのだった。岡井は父の指導のもとで歌作を開始した、その意味では日本的伝統のサラブレットだった。しかし時代への鋭敏な感受性をもっていた岡井は、「アララギ」の方法を完全に体現できる才能を発揮したのち、そこからの離反を企てはじめる。その方向性を示唆したのが、前述したように塚本とのあいだに開始された交友だった。

 ところで塚本の外国文学の教養は一応フランス文学に集中している(とくに初期)。隣接ジャンル・現代詩にもとうぜん目を配ってはいたが、彼には純血主義の傾きもあった。岡井の西洋文学の教養の基本は、よりゴツゴツしたドイツ文学が中心(医学生だったからそうなる)。それと現代詩にたいしてはもっと雑食的な興味を一貫させていた。単純にいうと、天性の「調べ」の感覚、茂吉=アララギの伝統の器に、ドイツ文学的な「非・美的な」思弁性、ゴツゴツした現代詩の措辞の外部性を無理やりに叩きこんで、調べを保ちながら短歌詩型を凌辱しきり、それで塚本以上の高電圧で「狂言綺語」化が達成されたのが岡井短歌だった。

 「政治の季節」の若者特有の喘ぎ、政治や民衆の構造をも見据えた61年刊行の岡井『土地よ、痛みを負え』は模倣不能の苦い沸騰に達しているという点で、今後千年、短詩型文学の金字塔となるだろう(ちなみにいうと筆者が大学生のころは、岡井独特のゴツゴツ感は塚本の夢幻的な陶酔性にたいして分が悪かった ――これには政治認識的脆弱と「おフランス」に傾倒していた教養の偏奇が悪く作用していただろう)。

 『土地よ、痛みを負え』から無前提で「革命的」秀吟を書き抜く。
《その前夜アジアは霏々と緋の雪積むユーラシア以後かつてなき迄》
《列島のすべての井戸は凍らんとして歌いおりふかき地下から》
《よろこびの母のまなこに群れきたり魚産卵のはためく尾鰭》
《どの論理も〈戦後〉を生きて肉厚き故しずかなる党をあなどる》
《父よその背後はるかにあらわれてはげしく葡萄を踏む父祖の群れ》
《われ聞けり 沙よりあつきもの揚げてアラブを昨夜発つ風ありきと》
《装甲車芦原なかを迷い居(お)り 風の革命を鎮めんと来て》。

 塚本の「女歌」的な抒情性にたいし(彼は短歌実作のうえでは非・存在だから、自分の外観に見合った「声」を歌に組織しなかった――どこかで自分の存在が「嫌い」だったはずで、その嫌悪から塚本短歌が導きだされている点を見誤るべきではない)、岡井の歌にはたえず野太いバリトンの「声」があった。どんなに「狂言綺語」に達しても、岡井が自分の「人生」と「肉体」を歌に盛り込み、それで31音に挟まれた自分の躯がきしんで悲鳴を漏らしていたというに等しい。

 岡井の人生とは何だったか。彼は父と同じく医師を生業にした。そして「アララギ」短歌の若き俊英だった。そうした好条件を彼はのち幾重にも裏切ってゆくことになる。まず、彼は「アララギ」的規範に背き、塚本邦雄に接近した。次には共産党員となり(たぶん六全協時点で彼は離党する)、順風満帆をねがう父を不安にさせる。結婚をした岡井は医師として多忙のさなか歌作への熱中も捨てず、しかも党を離れての革命運動への参加もつづけた(当時は「看護婦闘争」などがあったはずで職場も細胞化を極めていた)。彼は医師仲間ではほぼ同調者がいない(当たり前だ――それほど過激な人間などいない)。

 それと(塚本とちがって)岡井の男臭い精悍な外貌は「女好き」がするようで、彼の「男歌」は「男振り」、そのナルシスティックな証明でもあった。むろん時代から採取された「不安」がその歌に滲んでいる。それが抜群の歌の調べのなかから不穏な匕首となって突き付けられ(彼の歌では結句にゾッとするようなものが盛られることが多い)、岡井はとくに政治的感性をもつ短歌青年の偶像ともなっていった。勁い――手がつけられないほど勁い。塚本は、その文名の向上は別にして人生それ自体は平穏だった。岡井を傍らに置くと塚本の人生には惻隠の情を覚えるほどだ。

 ところが――ここが重要だが――岡井は当たり前の意味での人生の勝者ではないのだった。あまりにも波瀾万丈。たぶん「女にモテる」点と彼の持ち前の「好色」とがセットになった点が災いしているだろう。父に気質的に背きつづけた岡井は、何と結局、70年代初頭に若い愛人と「蒸発」をしてしまう。医師としての社会的地位がそれですべてご破算となった。そして塚本と併称された歌人としての名声も基盤を失ってしまう。

 当時、岡井の歌は全学連の闘争を革命挫折先行者として傍観することでいよいよ沈鬱になっていた(大島渚の位置と少し似ている――『眼底紀行』67が大島の『東京〓争戦後秘話』70だとすると、『土地よ、痛みを負え』が大島『日本の夜と霧』60だろうか――いや、「短絡」すぎるかもしれない)。表現はもう自壊寸前の凄みを湛えている。その段階での出奔だったから、誰もが表現回路を灼き切った岡井の自死を考えた。塚本邦雄は『星餐図』『青き菊の主題』で、岡井に自殺諌止を真摯に呼びかけた―― 岡井の居場所も霧のなかだった状況で。

 結論をいえばこの岡井の蒸発は、たんに妻のエゴイスティックな放逐と、若い愛人との新たな愛の成就のためだった(そうして「善悪」が「彼岸」化する点に、岡井の「人生」が人を魅了する秘密がある)。死んでいるのか否か――そうした周囲の懸念をよそに、岡井は人知れず北九州――玄界灘を間近にする賑わいのない土地で愛人と最低限の新生活を開始する。前夫人との離婚が成立していなかったが子供も設けられる(つまり不倫関係のまま、ということだった)。生活の支えはやはり彼の医療技術だった。

 歌作は断ち切った。だが一切の所蔵本を置いてきた手許不如意の状態で、彼は新たに得た手持ちの資料のみで、塚本邦雄・斎藤茂吉についての私註ノートをつくりつづけた(このふたつはのち出版される――日録的エッセイ文体と分析文体が混在したこの融通無碍な二著はすごく魅力がある――これがのち岡井の歌と詞書の並列の方法に発展してゆく)。この雌伏のときを経て岡井はとりあえず自らの愚行を父母兄弟には許され、居場所を公けにすることができ、それで歌壇にも「生還」を果たす。そして彼は実家にちかい豊橋の病院勤務へと新しい家族とともに移った。

 もともと岡井は革命運動に参加したり、そこから脱落したりしていった自らを、医師としての自らとともに、喩を駆使して唄いつづけていた。現代サブカル文脈でいえば、彼は「政治描写」の歌人である以上に自写像の歌人だった。自分へのシャッターの切り方のうまさは大橋仁や平野勝之の遠い父祖のような感慨がある。つまり、それが「自己嫌悪者」塚本にはできなかったことだ(存在そのものに野蛮なつよさのもてなかった塚本は、書斎派的教養によって自分の歌作を韜晦した―― 彼の言葉が最も熱を帯びたのはむしろその旺盛な評論活動だっただろう――いまではだいぶ読者が減ったようだが)。

 岡井は当時の政治青年中、先鋭な認知力をもち、またエリート医師の立場にもあったが、彼は認識装置として自分の歌作をはりめぐらしたのではなかった。それならば歌は塚本のように形容詞か、名詞のスパークが中心になる。彼は、やはり現在のセルフ・ドキュメンタリスト同様、自己から自分の「行動」を分離した(その意味で彼の歌には動詞が満ちあふれる――それが彼の歌から膠着性を消し、逆に動勢をあたえ、しかもその動勢が調べと区別を失くす)。

 同時に彼は「存在」が記号化してもその存在性を失わないとも知っている。だから塚本邦雄にはありえない、こんな歌を書きつけて恬然としていた―― 《通用門いでて岡井隆氏がおもむろにわれにもどる身ぶるい》(『土地よ、痛みを負え』)。

 こうした実験的といってもいい真に現代的な「自写ショット」性が存在するから、彼が唄う「性愛」にもまた彼自身の日常との具体的な接続性を感知される(これが恋愛呪詛者の塚本にはできないことだった)。たとえば――《匂いにも光沢(つや)あることをかなしみし一夜(ひとよ)につづく万(まん)の短夜(みじかよ)》(同前)。上句の唄いぶりは象徴性と抑制を帯びているが、それでも彼の具体的な性体験が短歌的修辞へと転位を遂げたものだと予想される。そこへ詠嘆に似たものが盛られる。躯を交わしたのはたった「一夜」だ。ただ余韻として「匂い」「光沢」が残り、万日もつづくとおもわれる夏の短夜がそれで満たされてゆく。

 むろんさらに成立する状況把握がある。再びの「会い」がなぜないのか。当時の彼=岡井隆の時間は、まず医師の勤務に割かれ、次には組織運動に費やされていた――それゆえではなかったか。そうして岡井の苦境もまた読者に印象されてゆく。「自分語り」が憎いほど達者だとおもう。



 さて、配布プリントに掲出した歌は、岡井が若い愛人と出奔して行方を失い、数年後ついに社会復帰を果たし、再婚が許されない状況ながら幸福な家庭を築き、同時に彼が「老い」の自覚に苛まれてゆく段階のものだ(ただしその流謫の時期の中心が岡井の歌作の空白期だった点は前述した)。実人生上、最もドラマチックな時期なのは確か。その時期の「自ら」に岡井がどのようにシャッターを切り、かつ彼がそれを往時より繊細な短歌表現へとどう昇華し、独自に「視る人」となっていったか――これを以下、微視的に検証してゆくことにしよう(プリントは一種の秀歌選ではあるが、彼の生活が透けるものを意図して選択している)。

 1《曙の星を言葉にさしかえて唱(うた)うも今日をかぎりとやせむ》。「歌人廃業」の不穏な響きがある。そして岡井の歌の営みが、「曙の星を言葉にさしかえる」超越的基盤から生じていたことも明かされる。これは『天河庭園集』にエピグラフ的に置かれた最初の歌。そして読者は、なぜ彼がそこまで思い詰めているのか、その計測へと促されてゆく。歌集名はロマンチックだ。岡井の現在の「庭」には天の川が走っているような感触になるから(6を参照)。

 2《ひむがしに雷(らい)はきこえて愛さるるには濃すぎるか髯もこころも》。東=「ひむがし」は遠雷の起きた具体的方向であるとともに、歌壇のある中心的な場所=「東京」をも暗示しているのだとおもう。歌壇は何かの要因で当時、激震状態にあったのだろうという読みが生じてくる。下句との配合で雷鳴が夜生じた感触があるが、その下句では岡井自身が女と相対している暗示がある。「愛さるる/には」が句跨がり。岡井の「濃さ」は(彼の美髯は知るひとぞ知るところだろう――職業の関係とかTV出演の関係で剃ったり剃らなかったりしているが)歌壇には疎んじられる要因となっているが、この眼前の恋人にはどうか。そんなおののきに彼自身が息を潜めている感触がある。自らの外貌がそうして歌に活用されている。

 3《幻の性愛奏(かな)でらるるまで彫りふかき手に光差したり》。恋人を愛撫している渦中に、自分の躯の一部を接写したショットととった。「奏で」の用語が不穏。つまり、性愛は「楽器としての」女に働きかけ、その喘鳴を引き出す演奏をすることだという「露悪」が感じられるのだった(岡井にはのち80年代末期に以下の秀吟がある―― 《ひさびさに男となりて見下ろせり梅雨荒れの夜の楽器しろたへ》=むろん、白妙の楽器に「女」の面影があり、すると歌の時制が性交「事後」のように錯視される)。「彫りふかき」で岡井が自分の肉体の加齢兆候に戦慄しているのも理解されるだろう。

 4《おのれさえ更にふかぶかと抉(えぐ)られて皮膚一枚の比類なき旗》。疲労と疎外によって、立体感・充実を失った躯の感触が唄われたとおぼしい。そして「皮膚一枚の」平面が旗にも擬される。ところがその「旗」はかつての「政治の季節」には運動者たちの熱情を煽り、彼らの立場を表明する象徴の位置に置かれ、振られてもいたのだった。ところが岡井は「いま」、「皮膚の恋」に自らを駆り立てている。「比類なき」の一語によって歌が生き、焦点をもった。「皮膚のみの」=「接触のみの」原型的性愛こそが「比類がない」――岡井は昂然とそう言い放つようにみえる。つまり、かつての「旗」が本気だったように、いま「旗」と化した自らにも、彼は本気なのだった。

 5《〈話す〉とは即ち〈担う〉重たさの柘榴(ざくろ)を置きぬその手のひらに》。性愛とは無縁な叙景のようにもみえる。ただ、重たい柘榴を手のひらに置いた(その女の)躯にも存在特有の重たさがある―― そのように連想が働くのではないか。性愛とは互いの肉体の重たさを互いが担うことだとして、そのとき「話す」こともまた、相互の「担い」となって性愛化してゆく。この段階で、もう岡井の恋愛が真実化しているような印象を受ける(彼は「責任」を負った)。

 6《さやぎ合う人のあいだに澄みゆきてやがてくぐもる天の川われは》。自らを「天の川」に擬するのは驕慢だろうか。ざわめいている他人のあいだに伍し、超然と澄んでいた岡井が、何かの琴線に触れて「くぐもる」運動――その悲惨がやはり同調に値するのだとおもう。そして「天の川」の把握そのものに二面性があったと気づかされる。つまりそれが「銀河」「銀漢」なら、金属的に澄んだ緊まった寂寥を感じさせるが、西洋的に“milky way”なら、それは生命的要素に濁った自己制御不能な奔流とも捉え返せる。精液の流れのようなもの。そして「性愛」に向かう岡井は、むろん後者のほうへ傾いている。「やがて」の語は塚本が震撼した38中の「やがて」を先取りしている。

 7《飛ぶ雪の碓氷(うすい)をすぎて昏みゆくいま紛れなき男の心》。車中歌としてとくに知られた名吟(同様系譜の歌に、18、21、23、102等がある)。下句「いま紛れなき男の心」を演歌的なベタさと捉えてはならない。「昏みゆく」は岡井がみた車窓の光景と自らの「心」、その双方に懸かっている。黄昏の時間のように次第に明度を失ってゆくから、それを「男の心」だと歌が述懐しているのだ。「昏(くら)む」は、黄昏という時刻設定のほか、「冥い」(塚本はこちらをよくつかう――冥府的な魔性がそこから滲む)、「暗い」(物理的な光量のほか、卑俗な感じがする)とは区別して選ばれた用字だろう。碓氷は碓氷峠、電車は車両のもちあげに辛苦しつつ前進している。「飛ぶ雪」の用語には風と淋しさが感じられる。しかも「碓氷」に密かに仕込まれた「薄い」がここでの岡井の自画像を淡彩にしている。その淡彩のなかから岡井の黄昏れた心が重く滲み、しかもそれが移動過程にある――動勢にみちた、そんな複雑な状況把握がここに伴うだろう。見事な自写ショット。岡井の汽車旅行がどんな所用によるものかは考える必要がない。講演か、研究会出席か(それも歌人としてか医師としてか)。「女」に会うためではないような気がする。というか「女」を背後にして家を出た――あるいは本妻を置いて旅立った――周辺の歌を探索すると心の「昏み」の理由についてはそのあたりに落ち着こうとする。

 8《そのあした女(ひと)とありたり沸点を過ぎたる愛に〈佐世保〉が泛(うか)ぶ》。「佐世保」は原子力空母エンタープライズを手短に形容したものだろう。 70年代初頭あたりまでは沸騰していた「政治」にたいし女といることで裏切りの位置にいる岡井自身が唄われている(19もみよ)。沸点を過ぎたのは岡井たちの愛で、もうデモ隊ではなかった。具体的に佐世保に一晩の宿がとられた読解も成立するが、そういうのが歌特有の詐術。

 9《それをしも暴力と呼びうるならば月射せよふかき水の底まで》。前歌の愛の宿がオーシャン・ヴューだったことから生じた連作だとおもう。「月光が水を悪くする」とは知られた民間信仰だろうが、岡井の熱情にあって月光は水底まで及ぶ。地底腐蝕。たぶんこの歌に、岡井不在に焦れていた塚本邦雄が反応した。歌と掌篇小説をバロックに織りあわせた『青き菊の主題』(周知のように「青い菊」は植物学上、存在しない)で塚本は次のような名吟を岡井に通信した――《青き菊の主題をおきて待つわれにかへり来よ海の底まで秋》。

 10《一箇の運命としてあらわれし新樹を避くる手段(てだて)ありしや》。散策する岡井と、愛人を「新樹」と見立てその眼前にいる岡井、それらの像が二重化されている。自ら行く道に鴉を常にみて歩行を不可能にしたカフカ(「カフカ」はチェコ語で「鴉」)をふとおもう。

 11《苦しみつつ坐れるものを捨て置きておのれ飯(いい)食(は)む飽き足らうまで》。「捨て置」いたものを岡井の本妻とのみ限定する必要はないだろう(たとえばそれは歌人や医師としての瑞々しい「初志」でさえあってもいい)。そして岡井はエゴイストとしての自らを、食事をしている場面においてよく写しだす。 12(結句が素晴らしい――「政治」からも離反している)、 13(破調が見事)もこの11からの連続性が意識されるが、ほか109、112も食事中の自虐的な映像だし、69、82、84にも「食」幻想がまつわりついている。食うことには動植物の「殺生」が裏打ちされている。ただそれが「生」の本源的な営みだ。「食」は「蝕」であり、同時に「性愛」とも共通する普遍にすぎない。岡井はそこに、表現派的につよい色彩・輪郭を施す。

 14《恐怖してそれでも眠るまひるまの情のうごきの斑(はだら)なるかな》。昼寝は夜勤ののちのことだろう。眠っていても「情のうごきが斑」になる(起きているときはなおさら) ――人間の哀れが泛びあがってくる。「恐怖して」の限定はつよい。ここから岡井の家庭破壊の惨状が察知されるだろう。ところが歌とは何と微妙な作用をするのだろう―― 下句《情のうごきの斑なるかな》が「かな」の詠嘆つきで唄われて、その美しさ・普遍性にこそ読者が主情化してゆくはずだ。岡井はどんな措辞によって歌が享受者の心を盗むか、それを知悉している。

 15《家はなお彼方に在るをあじさいの駅過ぎてより愛は暴(あ)れ初(そ)む》。旅程を終え家に帰るべきところを愛人の場所へ向かった――そんな暗示がある。具体的な駅名を飛ばし、咲き乱れる紫陽花をもって「あじさいの駅」とした語法が美しいが、以後、岡井は「あぢさゐ」をこの時代に間歇的ではあれ連鎖してゆくことになる(37-59-92-122)。岡井の紫陽花は、《ライターもて紫陽花の屍(し)に火を放つ一度も死んだことなききみら》(『緑色研究』)の塚本邦雄には似ていない。あるいはその茫漠たる球形の、硝子への反映を夢み、最終的にはそのなかに胎児すら幻視してしまった葛原妙子の紫陽花にも似ない。現代詩人・吉岡実のそれに似ているのだった――《まるで音楽のように/アジサイの花の色は変る》(「ピクニック」/『サフラン摘み』所収)。魅惑的な可変性の象徴としての紫陽花。それは「女性性」の別名だ。岡井はだから、愛人に紫陽花を連想したのだとおもう(そしてたぶん玄界灘に面した彼の寒居の庭にもその後の庭にも象徴的に紫陽花が咲いていたのではないか)。自分たちの恋愛・性愛を「暴れ初む」の修辞で一挙に括ってしまうのが岡井の個性。心変わりは、駅に爛漫と紫陽花が満ちていたのが発端だった――とすれば歌は運命論的な述懐に傾く。

 16《唇をあてつつかぎりなきこころかぎりある刻(とき)の縁(ふち)にあふれつ》。離人症者のように、自分たちの接吻をみている叙景歌。触れ合う「唇」=「刻の縁」の有限性にたいし、そのあいだに漂っている「こころ」=「愛」が無限という見立てで、赤面を覚えるが、どんな場合でも愛はその無限性を有限性に囲まれているという認知は、哀しいだけにそれ自体が正しい。そしてここでの問題は、岡井のショットの離人症者的な立ち位置のほうだ。

 関連で、34《夜半(よは)ふりて朝消(け)ぬ雪のあはれさの唇(くち)にはさめばうすしその耳》についてもここで言及しておく。錯綜が超越技巧で唄われている。岡井が愛人の薄く儚い耳をその唇に挟んだ、というのが骨子だが、「夜半の薄雪」(今朝はもう消えた)は文法上は岡井の唇に懸かりながら、唇に挟まれた耳の儚い薄さのほうに印象を移してしまう。ここで主体の逆転が錯覚されもする。つまり――むしろ岡井の女のほうが岡井の耳を唇に挟んだのではないかと。そう考えたとき、岡井-女に弁別不能性といったものまでが惹起されてゆく。

 17《別かるるはまことふたたび逢わむため碾(ひ)くごとくまた轢(ひ)かるるごとく》。いったん別れた相手が愛人なのか本妻なのかはぼかされている。別れは再会のための必要儀式というのは東西に共通する発想で、だから仏語でも別れが“adieu”“au revoir”の2段階を描く。「碾く」「轢く」の連鎖の手前に、「後ろ髪を引かれる」の「引く」が隠れている。しかし恋愛者にあって再会までの時間は「引く」どころの騒ぎではない。蕎麦の実が粉々に臼で碾かれるような破砕の感触を伴い、鉄路で内臓が飛び出すような轢死の苦痛すら伴うものだ(ところがこの苦痛は、本妻との一旦の別れと受け取っても成立してしまう――この点がこの歌の罠)。(見えない「引く」)-「碾く」-「轢く」、この用字の連鎖で歌が成立するから日本語の奥行は深い。

 20《しかすがに遙かなる駅馬群れて汗ばむころの拠点思えば》。「しかすがに」=「そうはいうものの」で、これは語調を整えるための虚辞にほとんど近いだろう。「拠点」の一語に岡井ファンは必然的に『朝狩』の書名の由来ともなった以下の名吟を想起するだろう―― 《朝狩りにいまたつらしも 拠点いくつかふかい朝から狩りいだすべく》。闘争「拠点」のことで、『朝狩』の刊行された64年ならまだ巷は政治的に「汗ばんで」いた。そうだ、だから「しかすがに」には、あの時点がもう無限遠点のようにみえるという感慨が潜んでもいる。その『朝狩』には《〈あゆみ寄る余地〉眼前にみえながら蒼白の馬そこに充ち来よ》もあった。その馬は喩的だが、ここで岡井が見聞した馬は散文的な感触がある。というか、先の「あじさいの駅」同様にここでも「馬の駅」が召喚されたとすれば、問題はたぶん「駅」のほうなのだった。人生には終着がない――途中下車や通過があるだけ。一瞬一瞬は素早く通りすぎるが、そうして展けた視界に無限の広がりがある――たぶん岡井はそんな認知に達している。すると駅を通過してゆく「特急あずさ」(21)のような岡井は、刻々と愛の表情を変化させる女とまぐわう岡井とも、何の径庭もないのだった。「あじさい」同様、「馬」もこの時期の岡井に間歇的に反復されてゆく(93、103)。

 22《以上簡潔に手ばやく叙し終りうすむらさきを祀(まつ)る夕ぐれ》。『天河庭園集』の掉尾に置かれた歌。早急に言葉を投げつけて「紫に塗った墓」だけをのこしてゆく不穏な語調。塚本はそこから岡井の自死を予感したが、そういう破礼(バレ)ぶくみの歌は岡井にずっと連続しているものでもあった。岡井にとって紫の色は特別なものでもある。《一房の紫紺が置かるかかるもの産みたるのちの地(つち)いたましく》は歌集『土地よ、痛みを負え』の題名の由来になったものだった(「葡萄」の語がなぜか出てこない欠落に、この歌の不安が隠されている)。

 紫はたぶん生の濃さ・深さ・遙かさ(毒にも関連している)の色なのではないか。逆に岡井の生の普遍的淡さ・健康は緑系の色で形容される(24《深追いをして迷ふのを常として言ひがたく濃きみどりの一生(ひとよ)》。『眼底紀行』では少年時の自涜体験が次のように詩的な措辞で唄われた―― 《掌(て)のなかへ降(ふ)る精液の迅きかなアレクサンドリア種の曙に》。ここでも「アレクサンドリア種」(マスカット)の語があって実際の「葡萄」の語が消去されている。これは緑色(紫ではない)の大粒葡萄。むろん「アレクサンドリア種」は「曙」の外界の色と情感のために境界を越え駆り出された語だが、あたかも少年岡井の精液が瑞々しい葡萄へと発射されたような、不穏な錯視が走る。

 紫に話を戻そう。岡井の紫は配布プリントでは85(当然、折口信夫の絶唱がこの歌の裏に貼りついている)や 89の歌がのちに生ずるのだし、42、96の表現主義的というかエゴン・シーレ的自画像にも黒、青と表現された局部に「紫の気配」がある。

 25《北方へひろがる枝のこころみをあはれみし後(のち)こころ流らふ》。岡井短歌にあっては人物はたびたび植物へと「転位」する。そのとき互いに差し交わしているようにみえる木々の枝が、たぶん人間世界のはかない関係性を暗示するものとなる(例・49、60)。彼の処女歌集冒頭、人口に膾炙した一首もあった―― 《灰黄(かいこう)の枝をひろぐる林みゆ亡びんとする愛恋ひとつ》。「恋愛」を逆転した「愛恋」の語の余韻が素晴らしい。林=世界を眼前にする「みゆ」の語があって、自らもが「亡びんとする愛恋」に擬される。なお、25の「北方」とは人が何かを真摯に希求する際の普遍的な方向を表しているだろう。

 26《集団の汚点となりて生くるのも生牡蠣に酸(さん)しぼるも現(うつつ)》。上句からもう性愛に走った岡井の状況が四面楚歌に入ったのが窺われる。またも「食」=「蝕」の歌。そして100同様、酸=酢の鋭さによって逆境がかえって引き緊まった感触が生じてくる。「現」とは不思議な語だ。「夢/現」というのだから「夢」の対義語なのだが、「夢-現」の決定的な連鎖によって対義語「夢」の同義語のようになってしまう(ドイツ語の「ウンハイムリッヒ」に似る)。

 27《鏡像のわれの蒼さよ筑前(ちくぜん)へ来て蓄髯と誰かが言ひき》。この「蒼」にも「紫」を感じる。2同様、またも髯の外貌が唄われる。「筑前」-「蓄髯(ちくぜん)」同音のシャレだが、ルビが振られるべきは「蓄髯」のほうではないだろうか。「誰かが言ひき」は113《乳房(ちちふさ)の》の歌の「たれかいふ」の太宰治の暗示とはちがう。この「誰か」は自分なのだ。そうして自らが突き放される。

 28《泣き喚(さけ)ぶ手紙を読みてのぼり来(こ)し屋上は闇さなぎだに闇》。「さなぎだに」は「そうでなくてさえ」。もともと地上は闇なのに、悲憤を連ねた手紙(たぶん本妻か兄弟からの)をもって出た屋上はより闇になった、というふくみがある。人生の重大事の一瞬をセルフ・ドキュメントしてしまう岡井の資質に注意されたい。

 29《荒海を見る十幾組のことごとく愛ありて来し 沖はとどろく》。愛人との観光見物のスケッチ。「沖」(地上の彼岸にあるもの)の語が効いている。だから海岸を前に暗い風に吹かれている男女十数組の卑小・哀しさが染みだしてくる。

 30《生きがたき此の生(よ)のはてに桃植(う)ゑて死も明(あ)かうせむそのはなざかり》。末尾に「に」を補って考えるべきだろう。やがて来る死に際して、その死すら桃の花の花盛りによって明るくしよう――だから桃の木を植えるのだ―― この行動は人間の普遍に見事に届いていて、『鵞卵亭』のうちの絶唱のひとつだといえる。花明かりに反映して、その姿すら印象を変える人間(の生活)の根拠の危うさ、それが美しい。西行の《願はくば桜のしたに春死なむ》が意識されているだろうが、「桜の傲慢」は「桃の奥床しさ」に置換された。なお、この一首は自らの『朝狩』の歌を本歌どりしている―― 《胸水(きょうすい)のひとつかみほどのこれるをいずこの桃か花明りせる》。

 31《原子炉の火ともしごろを魔女ひとり膝に抑へてたのしむわれは》。性愛渦中の自らと伴侶を捉えた悪辣な自虐2ショット。「原子炉の火ともしごろを」という「ありえない」「無用」の限定が、「魔女」の用語とともに効いている。結果、ここでの性愛が原子力発電のような奇怪さを帯びてくる。

 33《藻類(さうるゐ)のあはきかげりもかなしかるさびしき丘を陰阜とぞ呼ぶ》。 35との連想によってともに風呂に入ったときの描写ではないか。愛人の陰毛描写、その域を出ないのだが、「あはき」「かなしかる」「さびしき」という意図的な形容詞の重畳によってプルーストの文の魔法のように(つまり印象主義的に)、対象の視覚性が減殺されてくる点が妙味。大橋仁の写真のようだ。「陰阜」は人体用語で、「阜」はもともと丘の意だろうが、筆者は音読みで読めない。「ゐんぷ」でいいのか。

 35《薔薇抱いて湯に沈むときあふれたるかなしき音を人知るなゆめ》。「ゆめ」はもともと「ゆめゆめ」という強い禁止のはずだが、「夢」と錯覚する。薔薇の花束を一旦視覚化したのち、その薔薇が女の擬人化として捉えかえされ、女と戯れて湯船に入ったが哀しさが唄われているという把握が起こるが、なおも「音を[…]知るな」という限定によって「音>視覚」の図式が生じ、この破礼絵の視覚性が瞬時にして崩れ去る。ロマンチックだが、すごく手の込んだ傑作だとおもった。

 36《花から葉葉(は)からふたたび花へゆく眼(め)の遊びこそ寂しかりけれ》。係り結びによって詠嘆がさらに強調されている。庭に眼をやる岡井隆、とみせて、花-葉が愛人の身体の細部を指しているような二重視覚性がある――「花=顔(もしくは性器)」「葉=手(もしくは陰毛)」というように。

 37《あぢさゐの濃きは淡きにたぐへつつ死へ一すぢの過密花あはれ》。ゆっくりと展開されてゆく紫陽花の色彩変化が前提にあり、「たぐへつつ」は、庭で様々、濃淡に差のある紫陽花に、その色の濃さが他の花の淡さによって際立ち、その逆も生じている事態を、端的な用語で導いたものだろう。名吟。「過密花」という語が植物用語として実際にあるのか岡井の造語なのかは知らない。ただそうした微差によって妍を競っている紫陽花の花群も総体としては「枯れ」へと向かっていて、それが「あはれ」なのだと岡井はいう。あらゆるものをかけがえのなさによって短期間輝かせながら、最終的には褪色に向かわせる「時間」の総体を岡井は視はじめているのだった。

 38《ひぐらしはいつとしもなく絶えぬれば四五日は〈躁〉やがて暗澹(あんたん)》。これも塚本邦雄を慄然とさせた歌だった。うるさいひぐらしの声が途絶えた解放感で躁状態が訪れるが、とつぜん不在の深さに改めて気づきゾッとする。もうそれは取り返しがつかない。ここで「躁」の対義語として「鬱」が召喚されるかとおもった読み手がより奈落へと突き落とされる―― そう、「暗澹」という強烈な語に向かわされたのだった。そしてひぐらしの消滅とともに、その消滅を知った岡井さえも消滅してしまった錯覚へと導かれる。明らかに自死の願望が透けてみえる。「ひぐらし」としてかつてあった喧噪は、たとえばリアリズム+評伝的理解で生じるだろう「本妻」の領域をとっくに超えている。岡井はこの歌ではもう「此の世」にいない。

 39《歌はただ此の世の外の五位の声端的にいま結語を言へば》。歌人の述懐として既述「1」と触れあいつつ22の捨て鉢調とも響きあう。不穏の極み。「此の世の外」は新古今なら夭折者・藤原良経の感覚だろう。「五位(ごゐ)」は「五位鷺」の略語として通じている。この厭な嗄れ声で鳴く鳥は、古来より歌の着想を運ぶと見なされてきたのではなかったか。そのような故事を知るとこの歌の絶対的な奥行がみえてくるだろう。下句《端的にいま結語をいえば》は評論語であって歌語ではない。それが意図的にキメラ合体されたことで、上句の象徴的・超越的な「歌語」の断言がさらに支えを受けて、その象徴的な哀しみを放散しはじめる。歌人の身分放棄をおもわせる名吟。ところが岡井はそれすら歌として発せられている逆説にもまた通じているだろう。
(11月14日)



 40《男とは斯(か)くするものかよごれつつまぎれつつ居て不意に涙来(く)》。 岡井隆が唄ったと考えなければ「ありえない」一首だろう。 「よごれつつまぎれつつ居て」が女と出奔した岡井の汚名を暗示する。 そんな自分が不意に涙ぐむ――それで「ああ男とはこんなものか」の述懐が来る(全体が倒叙法)。 意図的に「女々しさ」が狙われているが、それが読者の知る岡井の男臭さと「まぎれ」、 複雑な感慨も生まれる。その複雑さのなかで岡井の像もが視覚化する。

 41《悲喜劇のさなかにすする葬(はふ)り粥(がゆ)その塩は浸(し)み魂(たま)におよばむ》。「葬り粥」とは、死んだ誰かの喪に服し、自らを戒めるための精進食=白粥の意か。振られた塩は少量だろうが、「それでも」それは(弱っている)岡井の躯につよく浸透し、その魂までも領した(「染む」とせず「浸む」とした用字が一首の命)。塩はもともと殺菌性があり、魔を祓う。ならば魔の領域にこそこの岡井もいることになる。もしこの歌にロマネスクな想像が働くとするなら、粥をすすりながら岡井が誰の死をおもっているのかにかかるだろう。近親、友人…と可能性を考えてきて、岡井「自ら」もありうるのではないかとの思いが掠める。女と出奔した自分の境涯を「悲喜劇」の語で投げ捨てている点に注意。「食」の歌の多い岡井短歌のなかでもとりわけ好きな一首。

 43《あやとりのやうにこころをからませて一組のこの男女は沈む》。前の42《うたた寝ののちおそき湯に居たりけり股間に遊ぶかぎりなき黒》との連関で、これも浴室詠と考えた。岡井と女はともに風呂に入り、湯船に沈むなど「からんで」いる。つまり絡んでいるのは実際は躯なのに、「こころ」が絡んでいるというズラシがある。では躯は? ここで「あやとりのやうに」の(それ自体はナイーヴな)直喩が効いてくる。その語によってこの浴室の男女の裸身が「縮減」し網状化する気色となるのだった。それゆえこの歌は悲哀には辿りつくがエロスには行き会わない。

 44《夕ぐれは海上の道かへりくる藍の男のはためくころも》。「夕ぐれは」の「は」に注意。「に」ではない。清少納言の「春は曙」の「は」に似つつもっと不安定だ(この「は」の用法が73、91などに飛び火する――「一過性の限定(見立て)」という感触がある)。「藍の男」が一瞬、刺青を背負った漁師を幻視させる。叙景? ポイントは「海上の道」だ。南方、沖縄から日本に物資や文化・習俗がどう渡来したかを考察した柳田国男の著作名『海上の道』がそのまま使われているのだった。すなわち「海上の道」とは実際の風景のなかには存在せず、当時、その著作を読んでいた岡井の心のなかに存在したのではないか。ならば「藍の男」も岡井自身なのではないか。いずれにせよ、二重視覚の歌だ。当然、「海上の道」は九州を中継し本土に向かう。その意味では九州に流謫した「歌の王」岡井の、捲土重来の述志も仄見える。

 45《蝉の絵をあまたあつめて冬の夜のつややけきまで視る人われは》。倒叙して「われは」で全体を収める歌法は岡井の表現主義的自画像にこそ相応しい。彼はそれを知っている。読みすごされやすいが、「蝉の絵をあまたあつめて」に不自然・人工的な作為を感じるべきではないか。当時の岡井は愛人とその場しのぎでの共生に入ったばかりだったはず。手許不如意の陋屋暮らしから始まったと考えるのが妥当だろう。とすれば、「蝉の絵」を数多く蒐集し、その該当頁を開いて裸の壁に立て掛け並べているようなこの歌の視覚性も虚構の舞台装置とみるべきなのだ。むろん「蝉」が効果を発揮する。透明な翅、ずん胴、古代的な風貌……それは毛筆の日本画、それも流し描きが似合うだろう。だから幽玄の感触が出てくる。むろん蝉の幼虫は透明なまま地中に七年、雌伏して辛苦の生をしいられる(岡井の当時の状態とつながる)。岡井の(実際に開かれているかどうかわからない)蝉の絵への凝視もまた自らへの凝視なのではないか。そして読解に勇み足ふうな「逸脱」が伴う。つまり岡井が壁を凝視したらそこに「あまたの蝉の絵」が出現した――そこまで岡井の視力が鋭敏になった――と(「冬の夜が艶やかになるまで」凝視をしたという限定からは岡井の精神の充実がみえる)。岡井の幻視力は当初から抜群だった。《海こえてかなしき婚をあせりたる権力のやわらかき部分見ゆ》(『朝狩』)が日米癒着の陰謀を撃った政治詠でありながら岡井特有の「みゆ」の幻視詠になっている点にたとえば歴然としている。ただ洞察力でなく生身の視力で「生活範囲」をこの時点の岡井は視はじめた―― 愛人の裸身を、植物を、玄界灘を。それで岡井の視力はこの世の事象の氾濫と出会う。

 46《さんごじゆの実のなる垣にかこまれてあはれわたくし専(もは)ら私(わたくし)》。「珊瑚樹」は別段、珊瑚の形状とは似ていない。南国の庭木によく植えられるようだ。だから「九州」の匂いがある。むろん「珊瑚」が余響を放つ。だからのち65、67のように、自らの生活が水中にあるという喩を岡井が繰り出しはじめたのだろう。豪胆な詠み方。つまり上句では岡井の身体の周囲が単純な散文性で叙述され、以後は普通の読み方では「私=私」とでもいうような虚辞が14音もつかって唄われる感触となるためだ。ただこれも作者が岡井となれば感慨となる。下句を「私が私でしかないことがあはれ」と読み手は分解・補足して読むだろう(あるいは自分の歌がついに自叙でしかない限界を岡井は読み手に示唆する)。そうして磁力を発する岡井の濃い身体を一首の中心にイメージしつつ、それが珊瑚樹の垣根に沿って淡く拡散してゆく運動をも感知するのではないか。むろん下句には滲むようにロマン的な悔恨がある。

 47《陥穽の待ちうけてゐる一日とおもふもたのし 南から雨》。武士のような「不敵」が印象される。陥穽の予兆が雨で、それを「たのしい」と岡井が述懐している(52と発想が共通するが、52のほうが視座が深い)。問題は「南からの雨」と自分を取巻いている社会的状況とを即座につなげうる岡井の歌詠みとしての運動神経だろう。もうひとつ、この歌に感知されるべきは「生活のなかでの歌作の即興性(反・細工性とも)」。こんな歌にこそ塚本邦雄が眉を顰めたような気がする。

 48《くらがりになほ闇(やみ)と呼ぶぬばたまの生きものが居て芝の上(へ)うごく》=それ自体は抽象性であるべき「闇」がここではケダモノとなって芝生の上を動いている。暗がりから闇を掴みだす岡井の視力も印象に残るが、一首の骨子は、この「生物化された闇」にたいする岡井の感情描写が欠落している点だろう。ところがそれは唄われなくてもわかる――「愛着」なのだ。闇の枕詞「ぬばたま」が短歌の側にある語句で、岡井の営みが短歌だから、構造的にこの生物化された闇には岡井自身の愛着がつきまとうということ。歌の畸想に自ら開き直る豪胆さが味だろう。

 50《歳月はさぶしき乳(ちち)を頒(わか)てども復(ま)た春は来ぬ花をかかげて》。「歳月」は「さいげつ」か「としつき」か。「復(ま)た」の用字に漢文読み下しめいた痕跡があるので前者か。季節の循環・輪廻・世代継承がそのまま恩寵となる人界の真実が美しく唄われている(ただ「恩寵」は微妙だ――だから「さぶしき乳」と唄われた)。一首全体に完全な円満性がある。ところが岡井の作歌だ。「復」の字には「復帰」が――消されている述志には満願に向けての自己充実が滲んでいる。他の歌人がこう詠むと厭味に映るかもしれない。歌集中の代表歌。

 51《日月は此処(ここ)にも照りて平安のたへがたきまで異境とおもふ》。「此処」に流謫地の前提がある。だが歌は複雑な作用をする。「此処」が流謫地であるからではなく「耐え難く平安」だから「異境」だと唄われているのだった。その「平安」の実質が日光・月光の別け隔てない降り注ぎなのだが、人間にとって「世界」こそが平等分与されているというこの歌の視界はすごく角度が広い。

 53《女率(ゐ)て寒(かん)ごもりせる阿蘇の湯の栄耀(えいやう)のなきしづけさあはれ》。「女率て」の露悪。岡井は愛人と束の間の冬休みに阿蘇の温泉地に行き鋭気を養ったのだろう。「栄耀のなき」の反語的限定は、51を継いでいる。それで一首が成った。

 54《大小の精神の傷(きづ)さはあれど雨に房(ふさ)振る花さへあれば》。自らにしるされている数々の「精神の傷」を差異をもって感知する「歌の主体」が、花房を揺らしつつ豪雨を耐えている植物の姿に救われるという歌意だろう。その「救はる」が欠落している点が逆に一首を成立させた。つまり黙して表にしない言葉がある ――その倫理性が作歌には必要という確認をしいられるのだ。

 55《目に見えぬたたかひをせむとりかこむ物象はみな女なれば》。意図しての乱暴な修辞。岡井が当面闘う女は、家に残してきた本妻といま眼前にしている愛人、その双方だろう。それは生の個別性に属する事柄だから戦闘も「目に見えない」(ほぼ歌にできない)ものとなる ――それがリアリスティックな読解。ところが「物象はみな女」が妖しい。海が女性名詞なのは常識だが、それ以外に「ものみな」は「男」岡井を取り囲むことで「女」となる ――そんな含意もあるのではないか。慄然とさせる妄想。その妄想との闘いもほぼ記述化できない(目に見せられない)。

 56《淡粧(たんしよう)の瞼みえをり少年のときから今に苦(にが)し女は》。薄化粧を意味する「淡粧」の語が光る。モテる男の苦み走った(幾分厭味な)女性遍歴の述懐。ただ「少年」の語によって、岡井の女性思慕が母性思慕と通じあう脈絡がふと見えだす。 61《性愛のまにまに頽れてゆきにしや岡井隆といふ青年は》にも同様の露悪性がある(自らの名をこう詠みこんだ歌人など他に皆無だろう)。だが61の感情はよりつよい慚愧。息を飲ませる面がある。塚本はこの歌を嫌った。

 57《軒に倚(よ)り仰ぐこころは昏みゆく転生をして樹にならばなれ》。葉の繁った大木の下から上を仰いでいる岡井の像が視覚化される。「昏む」の用字から時刻は黄昏ではないか。外界も岡井の心も共に黄昏れていると読んだ。その時刻、やってみればわかるが、互いを差しかわし仄かに光る枝は意外にも根にみえる。地上から「根の国(死者の国)」への眺望はそんな逆転的視角で単純に得られる。憂鬱な眺めとなるはずだ。そして岡井はこの歌で自らを完全に樹木(植物)に擬した――願望の果てではあるが。それは岡井が自らの半面=「高貴な獣性」を自覚しているためでもある。この歌が60へと発展する。

 58《日本弧は今し北から昏れむとす此の湖岸(うみぎし)の四時の宵闇》。北方での旅行詠だろうか美しい。まだ四時なのにもう宵闇という慎ましい驚愕・絶望が岡井の現状と抵触するほか、「北から」の語に地球大の回転が察知され、それらが複合し美の印象が生ずる。弓なりを描く列島を「日本弧」と形容したのも手柄。ただしそれは「琉球弧」の対語だったのではないか。政治語を歌に乱入させた岡井の往時が僅かに透け、それもあって人生軸での現状判定「四時の宵闇」が重い。

 59《あぢさゐのあめのまどひの稚なくてさぶしき退転をかさねたるかな》。ひらがなを多用した語の並びで歌が幻惑化している。上句は「稚なくて」の「稚」だけが漢字。それが印象的だから開花直後、梅雨に濡れ艶やかさを増す紫陽花が自らの盛期に戸惑っているというような読みになるのではないか。下句の漢字は「退転」。最初、時制が跳び、紫陽花の枯れが詠まれていると考えたが、ちがう。雨に濡れ淡い光を放つ紫陽花はそれ自体が盛期を生きているが、紫陽花の種の全体では開花すら「退転」の相をしめしている――そう語られているのではないか。「退転」と「回転」の一音ちがい。それによってこれまた地球大の時間変転が感受される。名歌だろう。

 62《抱擁のはつかためらふ転瞬にうしなはれたる言葉ありけり》。「はつか」は「僅か」の古語。岡井短歌のなかでも格別に多い語彙のひとつだ。「転瞬」の語は手許の「広辞苑」にはなかった。だが意味はとれる。一瞬一瞬が閃くその隙間の短い時間を謂っている(ならば意味的には「数瞬」と同じようだが、数瞬が固まりを表す物質名詞なのにたいし転瞬は時間の複数形を表しているだろう)。ともあれ――捉えようによっては「いい気な」この歌は年甲斐もなく恋の細部を唄いつつ、「女」が時間軸にたいしてたえず可変的でその瞬間を捕捉できないという認識にも辿りついている。だから女性性がマージナルなのだった。こうした岡井の女性観はさらに歌集を追うごとに成熟してゆくだろう(例・78)。プルーストと似た視力の持ち主なのだった――岡井隆は。

 63《からたちの実の黄(き)の照りに花を憶ふへだつればこそ匂へ九州》。語調の男臭さが抜群。観念連合がしめされる。「陽光に照る枳殻の実が花にみえる――枳殻は九州の居宅の庭にあった―― その九州から現在は遥かに隔てられている――だが遠さのうちに感知されるものが真実だった」、読み筋はそうなる。「へだつれば」について散文的事実を施せば、岡井は愛人との出奔を親兄弟に許され、この時期豊橋の病院へ移ったのだった。

 64《鳥羽へゆくフェリーの底にはかなみし一生(ひとよ)といへど波にまぎれつ》。豊橋だから近隣地の鳥羽がくる。観光詠だろう。水-波にまぎれてゆくような沈潜・不定形のおのれの生。それと海底を見ることのできる窓の付されたフェリーに乗っている岡井(ともしくはその愛人)が二重に視覚化される。あるいはかつてこの二人は入水を試みようとした経緯があったのかもしれない。それにしても岡井は「まぎれる」の語を哀しく使う。

 65《水牢のごとき世界に浸(つか)れども死に灼(や)かるれば悲しかるらむ》。 64で出現した水が以下、連鎖してゆく。「水のなかの生」――沈潜・幽閉の生。「浸れ」には「疲れ」も潜んでいるだろう。その生に超越が訪れる。だが恩寵ではない。水のなかにあっても「我々」は燃え尽きるといっているのだ。この水のなかの炎のイメージが美しい(佐々木幹郎に『水中火災』という詩集があった)。最後の7音に茂吉からの余映が感じられる。

 66《〈私(わたくし)〉の上に斜めに線(すぢ)引きていざ還りなむ水のむかうへ》。単語の上に否定斜線を引くデリダ的標記はまだこの時点では人口に膾炙していなかったのではないか。とすればここでの岡井の修辞の独創性が高く評価されるべきだ。 46では結局、自分の歌が叙私でしかない哀しみを岡井が唄った(彼の生の振幅が大きくつよく魅力がありすぎるのだった)。ところがそうした自分にたいしここでは限界突破が図られている。「水のむかう」には何があるか――短歌の多様にして本来的な可能性ではないか。ところがこの歌には岡井自身が気づいているだろう逆説がある。そう唄うこの歌がまさに「自叙」の形式に貫かれているのだった。

 67《生きゆくは死よりも淡く思ほゆる水の朝(あした)の晴また曇》。死による稀薄化以前に生そのものが薄い。自分をふくめ人の姿は水に浸かっているように儚く揺れて切ない。だがそうして時は流れてゆく。ある朝があってその後が晴か曇かも覚束ないまま。美しい完全円のような歌だ。「水の朝」を「水際の朝」と意味翻訳しないこと。ここが岡井的狂言綺語の命なのだから。むろんこの語は65「水牢のごとき世界」と照りあっている。

 68《荒(すさ)みつつ深まるものを愛としてさしあたり今日岬(みさき)潮騒》。 64-67の「水」が轟いて岡井の眼前に迫っているような印象を受け、それで観光詠の範疇から歌がズレだす。「荒む」は「荒廃する」ではなく「荒ぶる」ととるべきではないか。愛は荒ぶりつつ必然的に深まる。「さしあたり」の副詞節が虚辞とみえてそうではない。助詞を抜いた結句「岬潮騒」の男臭い唄いぶりが岡井だろう。同様の韻律は以前に例示した「楽器しろたへ」にもあった。

 69《幻影の愛餐の肉冷やすべく春の霰は芝生にたまる》。「愛餐(アガペー)」はキリスト教用語。食べるのは原罪ではなく生や超越の本質だという含みがある。だからキリストはパンを自分の肉といい葡萄酒を自分の血といった。「餐」の字には「餉」の字よりも豪奢感がつきまとう。だからこの場合の「肉」は牛ステーキではないか。「硝子窓」が幻視される。居間の食卓のステーキは夜の帳の下りた硝子窓に映っている(それで「幻影の…」なのではないか)。ところが外界には霰が降りはじめていて、ステーキの窓への反映自体が冷やされはじめている。リアリズムならそんな解釈になるだろうが、幻影-愛餐-肉-冷-春-霰-芝生の語連鎖の幻惑感こそを賞玩しつくすべきかもしれない。秀歌。

 70《人体をつぶさに観つつ思考泳ぐ埒の外まで泳ぐしばしば》。「観つつ」が「診つつ」であれば医師・岡井としての述懐のみと映るはずだった。歌はそうなっていない。つまりここでの岡井が「観た」人体には愛人の裸身もふくまれているという解釈となるだろう。「埒」(場所限定の柵)というのは人体の医学的な把握のことを指している。なら「埒の外」が愛の領域を指すことになる。というか、たぶんもともと人体は人体にして人体を超えているのではないか。「泳ぐ」の語に、揺れ・行程の長さと不確かさ・遊戯性などが複雑に籠められている。見事な語の選択。それが二度反復されて歌が律動化してもいる。同時にこのような「埒」の用語例は筆者には未体験で、知的興奮にも導かれた。文句ない秀歌。

 71《チューリップの花芽を覗き込む男齢(よはひ)知命をきのふや過ぎし》。論語に因む「知命」は50歳の意。「花芽を覗き込む」には性的・不穏な響きがある。疑問(この年齢にして何故?の含みがある)の助詞「や」の挟まれる位置が危うくて美しい(歌謡調でもある)。だが岡井はこの歌で「視る人」に確実になっている。視ることに淫しつつ「世界把握」がどんどん深まるから視ることをやめられない―― 裏打ちされた歌意はそんなものだろう。「や」があっても岡井の生の充実のほうが歌の主軸を奪う。

 72《春あさき日の斑(ふ)のみだれわが佇(た)つはユーラシアまで昔(むかし)海底》。 64-68の「水」がここで蘇っている。「斑」一語で木漏れ陽を感じるが、木漏れ陽の下に立つと水中にいる錯覚に導かれるものだ。「立つ」ではなく「佇つ」が用いられて茫然・茫漠が印象される。また58・59にあった地球大への着想のズラシがこの歌では時空双方の軸に機能する。雄大、寂寥。この「海底」には、塚本「海の底まで秋」の無視を感じる。

 73《人の生(よ)の秋は翅(はね)ある生きものの数かぎりなくわれに連れそふ》。岡井の全歌業のうち一首をとれといわれたらこれを選ぶかもしれない。字を追う目が涙ぐむのを感じる。「翅」は蜉蝣のような「透翅」だろう。その透明性を先取りしようとして眼が涙で霞もうとするのではないか。岡井自身が描いた家族図。その「家族」には実際の成員のみならず、鳥獣・昆虫なども入り混じり、その背の全てに透明な翅が生えて、それが岡井の背後で長い系統図を描いているような気になる。エゴン・シーレの描いた下絵をグスタフ・クリムトに装飾してもらいたい――そんな気になる図柄だ。「連れそふ」の語のやさしさ。それが「数かぎりなく」で無限化する。岡井には晩年に入った自覚があるだろうが、彼はその晩年を自分の周囲にあるものだけで、銀色に荘厳しようとしている。そうしてこの歌の着想が105に連なってゆく。

 74《手にふれて花のつぼみの弾力のさびしかれどもすぐに忘れぬ》。性愛歌だろう。そして「忘却」が発見されている。それが時間について熟慮されたためなのはいうまでもない。時間は刻々の忘却を閃かせつつ進展する。その「時」の実相が「花のつぼみの弾力」同様、さみしい。なぜならあらゆるものが「時」でできているから――この解釈は穿ちすぎか。

 75《甘美とふことばのそとに吊るされてふたたび人を愛しはじめぬ》。「愛し直し」が主題。真実の愛は「甘美」(恋愛の陶酔)を取り払ってこそ開始される。だがそれで終われば託宣であって歌ではない。疎外をしめす「そとに吊るされて」がそれを救っている。これがあるから「終焉-再開」という人生の常こそ悲哀と映るのだった。ただ「愛しはじめむ」の語には春の潮のような充実もある。「とふ」は「という」。

 76《日に日を継ぎ此のうたかたの飛ぶさまをあやふく端(はし)に立ちて見てゐる》。時の懸崖に立ち、時の進展を眺めている。そこには泡沫のように現れては消える細部がある。それを見据えようとすると我身が危うくなる。そんな読解が生ずるが、岡井は時間の非情さを認定しつつ時間に親和的なのではないか。結句を「見てをり」ではなく口語体の「見てゐる」にしたのはそのためだろう。

 77《小さなる無数の悪のはだら縞 ふかく生きむとすれば纏ふも》。「はだら」は斑。人が真実に触れるため深く生きようとすると悪を付帯させてしまう―― その悪は体表にも斑・縞となって小さいながらも無数に彩られる。歌は、そんな生を意図的に選択しつつ僅かな悔恨に染まる心を押し出してくる。技巧が見事だ。そしてここでも「もともと人体は人体にして人体を超えている」。

 78《女(をみな)とは幾重(いくへ)にも線条(すぢ)あつまりてまたしろがねの繭と思はむ》。女体への二重視覚――それは一回、幾重にも集まった線条と捉えられ、もう一回は線条を失って自らを白銀に隠しつつその包み全体を「外部」として把握されるものへと変成する。プルースト『失われた時を求めて』では話者の愛人アルベルチーヌはその眠っている姿から多層の時を通過してきた証拠として「年輪」を幻視されたものだった。岡井の女性性への愛はこの歌のように常に深い。深いから、まず「二重」なのだった。

 79《子を連れてあゆむけもののはかなさや縞けざやかに夕べを行きぬ》。「けざやか」は「はっきりと」の意。子供を連れていった動物園で詠まれたものだろうか。ただ77の「縞」が前置されているから、この「子を連れてあゆむけもの」はむろん岡井自身ともなる。

 80《かにかくに一昔(ひとむかし)かも逃げのびてメロンをすすりあふぞさびしき》。「かにかくに」は「このように」。岡井と愛人の駆落ちから一昔(10年)を経過してメロンを切り分けてその汁にしゃぶりついている互いがやや自虐的に映像化されている。だが「食」が生の悲哀と結びつく岡井法則がここでも機能している。 75の歌の記憶があれば、「甘美」ののちにあるこのあられもなさこそが愛の実相という判断も生じるだろう。

 81《わが家をふかく見おろす窓ありて趨る家族の髪蒼く見ゆ》。岡井にあって「みゆ」は幻視の兆候と前言した。ここでは愉しげに走り回る家族(子供のみならず愛人も含まれている?)の、その髪が「蒼」にみえたと報告される。それで俗家族の卑近が聖家族の遥かさにズレる。家内を見下ろす窓はどこにあるのか。ともあれそれは岡井の居場所の微妙な孤絶をしめす。つまり岡井自身は「聖家族」の除外例だという構造も提示されている。

 82《婚(まぐあひ)にいたらぬ愛を濃緑のブロッコリイにたぐへてぞ恋ふ》。性交が「婚」の字で表された。ノンセックスの不如意、ノンセックスゆえの充実――このふたつに歌がブレている。そして後者が塩を入れた熱湯に放たれて鮮やかに色味を増した濃緑のブロッコリー、その生活実感にたとえられ、それを恋うる――という複雑な読み筋が歌に仕組まれている。75、80と響きあう一首。

 84《すこしづつサラドの華の冷えて行くかかる時代(ときよ)に詩に繋がりつ》。サラダの冷えは時代の洗練・装飾化を隠喩しているだろう。「食」から脱却できない業悪な岡井の自画像は、それでも歌人たる自覚によって救済されている。「繋がりつ」の語で自画像的な空間の閉じが淡くその輪郭を失う。

 85《むらさきの古代の人はおとろへていかにあゆみしこの山越(やまごえ)を》。折口信夫=釈超空の絶唱《葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道を 行きし人あり》と照応するような位置に歌が置かれている。それ自体も絶唱だが、天才岡井はこの歌を人工的な手つきでのみ導きだしたのかもしれない。 22に言及したとき岡井の特有色「紫」について指摘した。89も再度参照あれ。

 86《うしみつにちかきころほひひつそりと柚子湯をいでて来しを抱き寄せ》。抱き寄せた対象が明確化されていない――ゆえ対象は愛人だろう(丑三ツの時刻設定もその判断へと差し向ける)。対象から放たれる柚子の匂い。人体ではなくその匂いものものを抱く印象がある。愛人はなぜそんな深更に柚子湯に入っていたのか。遅くまで働いているのか。

 87《海峡をわたりか来(く)らむわにざめの鰭(ひれ)のさびしさは愛のさびしさ》。子供を連れていった水族館で発想されたのだろうか。ただし往年、愛人と逃避行をして関門海峡を渡ったのも岡井自身だった。だからこの鰐鮫もまた彼の自画像となる。その泳ぎきった鰭の淋しさには敗残以上に愛の誇らしさの痕がある。下句は歌謡曲的な砕けも感じさせる。

 88《蒼穹(おほぞら)は蜜(みつ)かたむけてゐたりけり時こそはわがしづけき伴侶》。 76に見られた時間への親和性がここでは宣言のように打ち出される。「大空」とするより「蒼穹」には具体的な視覚性があるが、逆に陽光は「蜜」の語で詩化・曖昧化されている。しかし時間が伴侶だとすると、岡井の愛人は伴侶ではないのか。彼女もまた朦朧化してしまうのか。その解答が104に現れる。

 90《能登鰤(ぶり)の身をほぐしつつ思ふかな晒刑(さらし)に遭ひて斬(ざん)にあはぬを》。またもや「食」の惨の自画像。しかも自ら箸で剖き捌く鰤に自身を重ねる、込み入った作りだ。晒し刑を「晒刑(さらし)」と表記し、「斬刑」を「斬(ざん)」と表記した。音の印象そのものも惨い。時代小説から採取されたのだろうか。そして磔で晒されてもまだ斬首のトドメをさされぬ未決の状態とは、世間から轟々たる道義上の批判を浴びつつ歌作によって否定されることをしのいだ岡井自身の状況説明でもあった。だがもう一切が過去形の向こうに霞んでいる。鰤を見下ろす視線にはその機微が感じられる。証拠が91。逃避行の最初は手許不如意で、一毛布に愛人とくるまって寝たと述懐されている。

 93《曇り日の関八州を疾(はし)りたる馬(むま)こそ見ゆれ餉(け)の夕まぐれ》。単純には歌の立脚点がわからない。夕食のときに突然岡井を襲った幻視光景なのだろうか。ただ実際はすごく散文的な作歌状況だったのではないか――夕食中、東京競馬場で開催された競馬中継をTVでみた、程度の(それにしても「関八州」の用語が詩的な飛躍に富む)。ここにも生活詠を不敵に「錬金」してしてしまう岡井自らの悪辣誇示があるとおもう。なお、馬の幻視は103が後続する。

 94《近づきて刺すまでの距離測りつつ詩型の束(つか)を引き寄せにけり》。 84での詩人の自負から、ここでは岡井の歌人の気合の質が具体化される。居合の達人というよりまさに辻斬りとして自らを擬制しているのではないか。束が詩型(31音の定型)なら、刃が言葉なのだろう。彼は対象を斬るように唄う。その「斬る」に「認識」「把握」が潜んでいる。

 95《あやふくも手が交差してふかきより毛ぶかき桃をつかみだしたり》。ふたつの手(岡井とその愛人だろうか)と、そのあいだの「毛ぶかい桃」しかフレームインしていない。だから不気味。果樹園で桃をもいだというリアリズム鑑賞とともに、ふたりが性的、かつ性を超える不穏な何かを性交そのものから抽出したような印象が二重に生ずる。「ふかきより」「毛ぶかき」と、「深い」の語が段階化されている錯覚もあたえる。「毛深い桃」は岡井が親炙した詩人、吉岡実の初期詩篇にあるような語彙の気がする。

 97《汗したたる家族のなかにしろがねの凹地(くぼち)となりてかなしゑわれは》。家事や遊びで動きまわる家族のなかで、岡井ひとりが床に胡座をかいて座っている――の図だろう。「しろがね」とあるが、岡井は最近になってようやくゴマ塩髪になった。だから「白銀」は精神か光の場所の形容となる。「汗したたる」は、まだ冷房装置が完備されていない暗示か。歌意は81とも関連。

 98《たへがたく鬱(うつ)たへがたく極彩の積木崩れてゐたりけるかも》。家庭への呪詛・結婚への呪詛といえば塚本邦雄の専売特許だが、ふと口をついて出た生活詠だろう。「たへがたく」の安直な反復がそうおもわせる。そしてこの「作りっ放し」の無頼が岡井だ。子供の遊びにここでの岡井は同調していない。皮肉な「極彩」の形容が効いている。

 99《歌といふ傘(かさ)をかかげてはなやかに今わたりゆく橋のかずかず》。この歌集、『禁忌と好色』には「雨」が多い(歌集名は坂口安吾の忘れ難いエッセイ「孤独と好色」をおもわせる)。時代に雨が降っているということだろう。そこから己れを守る(自己保存を図る)傘が歌作だ―― 岡井はそういっている。人が出無精になる雨降りの日に、傘をもつ者だけが行程を伸ばし、数々の橋を渡ることができる(橋を渡る=歌作の対象と出会う)。「はなやかに」は歩行そのものを修飾している。歌人の抽象的な述志のはずなのに、実際の歌では視覚的なシャッターが切られている。そこが岡井魔術。「橋」には保田與重郎も隠れている。これまた秀歌。

 100《夜露さへ歌ふあかつき晩年に酢(す)を垂らしたるわれと思はむ》。 83の晩年歌を継ぐ。最終7音は虚辞とみるべきだが、そうして獲得した歌意の稀薄な構造のなかで、露(真水)と酢が渉りあう。歌人の業は、人の眠る暁に起き出て夜露さえ唄う。業は残された自らの歳月に酢を垂らし、意図して凄惨を導くような振舞のなかにもみえる。だが結局その酢(業)は朝露によって希釈される――歌の裏ではそんな歌意複合が生じるだろう。

 101《はろばろとやまとに向きて弓を引くわれももろともに叛(そむ)きて居(を)らむ》。九州時代の岡井が回顧されている。何とたとえられたのはクマソびとだ。「やまと」は中央歌壇や医師会などをおもわせる。

 104《眸(まみ)といひ眼(め)と呼ぶ孔(あな)ゆかくまでにすがしき蜜は吾(あ)に注がれつ》。前言したように「蜜」の語は88にもあってそこでは陽光がイメージされたが、ここでは柔らかな眼光がイメージされる(そのふたつを同一とみているから岡井はともどもに「蜜」の語を用いる)。眼球は眼窩を填めているものにすぎない。それは「眸」「眼」「瞳」、いかように形容されども最終的には腐蝕消滅するものにすぎない。人の魅惑の中心はそんな儚さの上に乗っているのだ。だがその眼光の唯一性が美しいだけではなく、まるで自分(岡井)の存在を「洗う」(「すがしき」からそんな印象が生まれる)気もする。「ゆ」は「――から」をしめす古助詞。伴侶への愛を唄った一首だろう。

 105《大いなる虚(うつろ)にむかふ日常はこのまま銀の秋に続かむ》。奥行を認めた視界を唄っただけのようにみえる。手前から奥へ、日常――大いなる虚――銀の秋、の順。ただし岡井はみるだけではない。「歩いて」いる。「むかふ」「続かむ」の動詞連鎖によってそうなる。午後の光のなか薄の穂が鈍く反映しているような景色を偲ばせる「銀の秋」の端的な修辞が素晴らしい。そうして最終的には読者から遠景に消えようとする岡井自身も「銀」に包まれる。それが詩人=歌人として列聖された証のように映る。「秋」一語の共通性をもって73との連なりを感じる。

 106《しづかなる旋回ののち倒れたる大つごもりの独楽(こま)を見て立つ》。大つごもりは大みそか。単なる生活詠がまた複雑な響きの歌となった。最後の「立つ」に決起への意志が滲む。独楽の静かな旋回はそれ自体魔法のようで美しい(それは地軸を傾けつつ自転する地球にさえ通う)。それを安住して眺めるのもいい。だがそれはやがて停止転倒する。行動半径を限られているその束の間の独楽の姿には、塚本を頂上の雪に戴く「静かな」歌壇山脈の様子が暗示されていないか。

 107《独楽は今軸かたむけてまはりをり逆らひてこそ父であること》。独楽の見立て替え。回転が弱まって傾き倒れようとする寸前の独楽のあがき・悪戦苦闘に「父」としての自らを二重写しにする。「逆らひてこそ父」には、子が父に逆らう常態からの逆転が仕込まれている。 106の述志を即座に打ち消す自虐に、岡井特有のユーモア感覚が窺える。

 108《またふかく夜(よる)に刺さりてわが生はくらきみどりの葉ずれに満ちて》。自らを樹木に擬す主題系列の一歌。「刺さりて」の語はつよいが、刺さったことで運動感が停滞してもいる。岡井にもそんな夜がある。

 109《だばだばと汗をこぼして終りたる老のひるげを惨(さん)と思はず》。「食」の主題系列の一歌。「だばだばと」の擬音が露悪的。汗まみれになって昼食を終えた「われ」は無惨にみえようが、それが人の常ではないか。岡井はたぶん早飯喰いなのだろう。兄弟の多さ、戦中体験、医師生活、自己への歌作強制など、諸々がそこに関連しているはずだ。この自画像が112に連関してゆく。

 110《頭髪の茫たる童子ふたり居て火の匂ひする父をよろこぶ》。岡井の二人の息子。「頭髪の茫たる」に儚さを感じる。逆に「火の匂ひする父」には不敵な自負を感じる。むろん岡井はずっと危険分子でありつづけた。

 111《根菜の或る種或る日のかがやきの不思議にふかく視えてもの思(も)ふ》。根菜は大根、人参、蓮根、牛蒡のいずれか。具体化されなかった。それで「かがやきの不思議にふかく視えて」の措辞がそれ自体輝き、不思議におもえてくる。達者だとおもう。むろん歌には、地中にあったものこそ却って輝いてみえるという逆転を発見したときめきがある。一時、九州で沈潜の生を生きた岡井ならではの歌。「もの思ふ」は深い。文法破壊にちかい「或る種或る日の」の修辞が見事だ。

 113《乳房のあひだのたにとたれかいふ奈落もはるも香にみちながら》。太宰治は正確には二つの乳房のあいだを「涙の谷」と形容したのだった。「乳房」は「ちちふさ」と読むべきだろう。いずれにせよ、岡井と愛欲の床を過ごし、子供に授乳した岡井の伴侶、その乳房の谷は一面、「奈落」ではあった。しかしそこには「春の香」があふれているとも捉え返せる。連用形終止で余韻が拡がる。

 114《髪の根をわけゆくあせのひかりつつみえたるころのあはれなる愛》。正常位で性交をしていると、眼路に迷った男が女の髪の筋目の地肌をじっとみることがある。地肌の白には小さな黒点が密集しているようにおもう。バロックな感覚。そこから汗が滲みだし流れだすのは小さな恐慌に接した感覚にちかいのではないか。あのころの愛は必死だった。いまは平穏になった。伴侶との性愛を懐旧した、塚本にならありえない一首。

 115《すみずみに現実(うつつ)の乳は満ちながらしかもはつかに現実(うつつ)超えたる》。 55の《歳月の乳》と70の《埒の外の人体》の発想を併せたごとき一首。《線条/しろがねの繭》という女体への二重視覚を唄った78も一首の裏に貼りついている。ものすごく抽象的な唄いぶりだが、美しいとおもう。

 116《様式の水をくぐりて詩は生(あ)るる着流しのわれ胡座(あぐら)のわれに》。 65-67にしめされたように相変わらず岡井は水中の生を送っているがもう不如意感がない。歌作が充実している。「水」がもう歌作を呼び込む甘露となっていて、それは定型の恩恵とも捉え返されている。「着流しのわれ胡座のわれ」は「着流し/胡座」を同時に実現しているのではなく、別の姿を日々とる「われ」をしめす。その「着流し」からはやや厭味な文人趣味も透ける。それをどうとるか。

 117《生くるとは他者(ひと)を撓(たわ)めて生くるとや天は雲雀(ひばり)をちりばめたれど》。名歌。人の生は他者の生を撓め歪める付帯性を必ず伴う――上句にはそんな警告・絶望がある。それを受ける下句が美しい。ごらん――天は雲雀をちりばめているけれども、自由にさせ、彼らを何も撓めていないではないかと。塚本/寺山の決定的秀吟のあいだに自らを置こうとした歌ではないか。塚本は《馬を洗はば馬のたましひ冴ゆるまで人恋はば人あやむるこころ》(『感幻楽』)。冷やし馬は可能なのに人に向かえば恋が殺意に変ずる不如意と、岡井の「他者を撓めて」が響きあう。寺山は俳句で、《眼つむりてゐても吾(あ)を統(す)ぶ五月の鷹》。「空」にこそ鳥が棲むという着眼が似る。

 118《いくたびか死後の世界を直(ぢ)かに視る真水(まみづ)を詰めし魔法瓶あはれ》。実際に魔法瓶の内部を俯瞰するとゾッとする。岡井の歌もそんな生活実感から導きだされている。江戸川乱歩『鏡地獄』読解と同様の体験が得られるのだ。「真水」の限定が芯。 100、116の露、真水は歌作に関連していた。キリキリと冴えた歌作の「真水」が、球形鏡面内という乱歩的設定と出会っているのだ。かくて必然的に歌は「全ての死後」を唄う。

 119《くらがりに夏柑(なつかん)の実(み)と在るわれはさびしきわれは政治を嫌ふ》。視覚性を伴う自写像。岡井の読者はとうぜん最後の7音を「(いま趨勢となった)政治(語り)を嫌ふ」と補足して読むだろう。このころ雑誌(『ラ・メール』だったか)に掲載された誰かの句にこんなのがあったはず―― 《夏蜜柑ところどころに置きて鬱》。初読時に、発想を貰ったなと感じた記憶がある。語調が拗ねている。

 120《中空に禁忌の解けてゆく音を雨かも降ると思(も)ひて仰ぎつ》。禁忌の解除、それは岡井と女との出奔、岡井の本妻の放置が、時が経過して不問になるということだ。「禁忌の解ける音」などない。ただの雨だ。だが岡井はそう感じた。空を仰ぐ岡井の姿勢には祈りの兆候があり、ようやくの時の到来には「満願成就」「双六の上がり」の感覚もある。連句の祝言のような響きのある歌。その終結部で「雨の降り出し」を捉える鋭敏な感性がさらに駆使される。下句が茂吉調。

 121《リラに降る雨のさなかを裾ぬれて行きゆくわれは 讃美してをり》。前歌からの流れ。紫のリラは雨に濡れ、鮮らしくみえる。雨は禁忌解除ののちの地上の全てに平等に注ぐ慈雨。なら裾の濡れるのも歓びだ。初読時は道徳否定者岡井に同調していた。だから一字アキのあと呼吸を置いて強調された「讃美してをり」に涙ぐんだ。岡井の歩行がみえる。 123もこの連なりで「雨中歩行」と感じる。

 122《あぢさゐに大かたつむりみどりごにはじめての歯のあはきよろこび》。子供に乳歯の初めて生えた喜びを親が唄ったと考えれば「いい気」なものだが、ちがう。まずは59同様、紫陽花の「過密花」がひらがなで魔的にほぐされている。そして歌の構造はA「紫陽花を這う蝸牛」とB「乳歯の生えた嬰児」の対比でしかない。そのA-Bに微妙な照合が起こる。そのなかには生の原型とともに僅かに「何か」不気味なものが滲みだす。このA-B対比型は、塚本邦雄の短歌的喩の定式だ。だが塚本の場合は理に落ちてしまう。岡井の場合は接合が微妙に接合を外れる。だから先に「何か」という非限定を付したのだ。

 124《花束を抱きてリフトにのるわれは二昔来(ふたむかしらい)錯誤にみちて》。自写像。このリフトは冬のスキー場ではなく新緑の山の観光地にあったのではないか。「花束を抱きて」の限定には自虐がある。80の「一昔」が「二昔」に拡張した。 20年の幅で岡井の「錯誤」を考えれば、20年前は政治運動への参加、前衛への接近、10年前は女との出奔、と整理できる。

 125《交易は麦のさびしさ運つよく生きのこりたるのちに思へば》。岡井は道義的非難に耐え「運つよく」生きのこった。そのときに生まれた感慨が「交易は麦のさびしさ」。一読、意味が結像しない。だが美しい拡がりがある。交易の語に人びとの行き交いが印象され、その行き交いが収穫期の麦のそよぎ、その寂寥に通じるとの意だろうか。西脇順三郎的な詩語だとおもう。五・七と五・七・七(こちらの言葉の組成は緩い)は一種のキメラ合体だとおもうが捨て難い愛誦性がある。

 126《あたらしき禁忌の生(あ)るる気配していろとりどりの遠き雨傘》。『禁忌と好色』の最後に置かれた一首。99と120を混ぜて、歌集全体の反歌としたような感触がある(120の禁忌解除はここでは新たな禁忌生成の予感に変化する)。こういう意気地も岡井。ところが「いろとりどりの遠き雨傘」がそれ自体、視覚性として美しい。その雨傘がしずかに行き交っていればそれもまた「麦のさびしさ」に通う「交易」的光景なのではないか。はるけさの美しさ、余韻。

(11月21日)

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