▼2006年度 早稲田大学前期義転載レポート

『静かなるビートル ジョージ・ハリスン』に同情する(第二文学部 表現・芸術系2年 河田 誠)

【解題】
提出期限に遅れ、僕のところにメールされてきた早稲田二文06年前期のロックレポートのうち、優秀なものをここに紹介する。河田誠の「タックス・マン」論だ。
 これは一曲の詳細な分析としては理想形だろう。まず、河田君自らが「僕にはそう聴こえた」としるしている、意訳たっぷりの歌詞対訳が素晴らしい。そのうえで、曲の分析が、痒いところに手が届くように細やかで、結果的にはこの曲での、ジョージの才能開花ではなく、ポールの貢献度、という意外なところへと結論が導かれる。だから論旨の全体がスリリングでもあった。
 消極的なビートル、ジョージには、僕が高校生の頃、同級生女子からの支持が集まったことがあった。弱い者を掬す、という文学少女にありがちなそんな趣味を、僕は「強者」ジョンの圧倒感を対比させ笑った。ただ、いまではジョージが癌死した事実もあり、そんな「蛮行」をしない。彼の音楽の一貫性については遥かな思いで振り返るほうが、いまの僕の柄にも合っている。
 ジョージの音楽は「構造の不思議」と触れ合ったとき、たぶん最高の魅力を発した。それは彼が最も尊敬したビートル、ジョンのもつ音楽性を、ジョージの身体変圧器を経過して出されたものだったとおもう。となると、ジョージの音楽の可能性も、ビートルズ的な範疇のなかに内在化されるはずだった。ところが、ジョージはビートルズ解散後、『オール・シングス・マスト・パス』での圧倒的な才能開花ののち、
「構造の不思議」からゆるやかに離れてゆく。その代わりに独自性の刻印をもつマニエリスムを獲得してゆく。ビートルズ再現をそののち目論んでも、すれすらどこか印象がマニエリスティックだった。その「弱さ」にふと立ち止まってしまう。これは何か。むしろ、スタジオミュージシャンもやる特殊シンガー&ソングライターのほうが、彼には合った音楽的立場だったのではないかとおもう。ビートルだったのに、ビートルズにマニエリスティックに憧れたその立場の不可解。わかるかな、立場に小さな「歪み」があるんだ。それが解散後も時にビートルズを迷いなく演じようとしたジョンやポールとの差異になっている。
 ということでいうと、「タックス・マン」はジョージの60年代中期当時の可能性に貫かれた「小さいながらも」「一大」と形容していい佳曲だった。そうだな、ビートルズには「小さな佳曲」も数多いが、たえず「小ささ」を再生産したのがジョージだったという見切りもできるだろう。その場合、「サムシング」だけが例外となる。
  河田君、今度は総合的なジョージ論も書いてよ。
(阿部)

『静かなるビートル ジョージ・ハリスン』に同情する(第二文学部 表現・芸術系2年 河田 誠)



『静かなるビートル ジョージ・ハリスン』に同情する
       ――あるいは「Tax Man」について

第二文学部 表現・芸術系2年 河田 誠

 今回私が取り上げる楽曲は「Taxman / the Beatles」である。この曲は1966年8月5日にイギリスで発売された、the Beatlesにとって7枚目のアルバムである『REVOLVER』に収録されている曲である。
  『REVOLVER』は数ある彼らの作品の中でも私が一番初めに手に入れたアルバムであり、そのオープニングを飾る「Taxman」は私が意識的にthe Beatlesを体験した思い出深い曲である。そのような理由から私はこの楽曲を選んだ。

 この曲を作ったのはジョージ・ハリスンでリードボーカルもジョージである。1アルバムにつき2、3曲しか収録されない彼の曲の中では有名であるかもしれない。The Beatles中期の最高傑作と名高い『REVOLVER』の一曲目であること、その歌詞の斬新さ、緻密に計算された曲構成や楽器のアレンジなどがこの曲の人気の秘密であると考える。

 それではまずこの曲がどのようなことを歌っているのかを歌詞の分析によって明らかにする。

1)それがどのようにして行われるか教えましょう
1があなたで19が私
なぜなら私はtaxmanだから そうです私は誇り高きtaxmanなのです

2)5%じゃ少ないでしょうか
貰えるだけでもありがたいでしょう
なぜなら私はtaxmanだから そうです私はあのtaxmanなのです

3)あなたが車を走らせるなら 道路に税金をかけましょう♪
あなたが腰を下ろすなら その椅子に税金をかけましょう♪
あなたが風邪をひいたなら その熱に税金をかけましょう♪
お前が歩くなら その足に重い税金の鎖をかけてやろう……
ん~、taxman!

4)なぜなら私がtaxmanだから そうです私がtaxmanです。

5)それをどうしたいかなんて俺に聞くな (ハハ ミスター・ウィルソン)
これ以上搾られたくなかったらな (ハハ ミスター・ヒース)
なぜなら俺はtaxmanだからだ そうさ、俺はtaxmanさ

6)野垂死んでいく奴らに忠告してやる
瞼の上の1ペニーも残さず申告するように
俺はtaxman。 俺はtaxman。

7)詰まるところ、お前たちは
他の何者でもなく“ 俺 ”のために 働いているのさ。
 あぁ、taxman….

 以上が私独自の解釈で訳した詞である。少しはしゃぎ過ぎた感があるが、、私にはこう聞こえているのだから仕方ない、これに基づいて分析を行う。

 当時のイギリスは富裕層に対して税金が異常に高く、その最高税率は歌詞にもあるように本人の手元には5%しか残らない仕組みになっているほどであった。そのためイギリスのミュージシャンやアーティストなどの人材が海外流出してしまうことにも繋がったようだ。

 歌詞の中の一人称はtaxmanであるから、ジョージはtaxmanの目線からこの曲を歌っていることになる。訳詞を見れば分かるように、この taxmanは金に汚く性格も最低な人物として描かれていて、ジョージはそんな人物になりきって歌うことによって痛烈なまでに当時の税金の制度を皮肉っている。

 この曲の中盤、コーラスの中で出てくる『ミスター・ウィルソン』とは当時の労働党党首であり、引き合いに出される『ミスター・ヒース』は保守党党首である。1991年にジョージがソロで来日公演を行った際、この曲もセットリストに入っていたのだが、ジョージはこの部分をメージャー元英国首相とブッシュ(父)元米国大統領に変えて歌ったそうだ。この名指しという行為は講義の中で用いているメディア的有効性という要素を狙ったものとも言えるだろう。

 何故ジョージがこのような内容を歌ったのか、メンバーの中で最もビジネス意識が旺盛だったとしか推測できないが、歌詞カードを見ると『ジョンが作詞の一部を手伝った』とあるので、もしかしたらジョンがジョージにこういう政治批判的な歌を作れと唆したのかもしれない、と勘繰りたくなる。

 私の訳詞は、英語では全く同じフレーズを歌っていても(例えばサビのCause I’m the taxman. Yeah, I’m the taxman.)回を増すごとにtaxmanのテンションが下がるように訳してある。これはジョージの歌い方や歌詞の行間から読み取った結果である。順を追って細かく説明すると、1)、2)でジョージは甘ったるく英語を発音し、いかにも嫌味っぽい歌い方をする。そのため訳は少し上から物を見ているような居丈高なものにしてある。 

 3)ではジョン、ポールのコーラスの「If you ~」の形に対しジョージの「I’ll tax ~」の掛け合いになっているが、このverseからポールのギターソロまでがこの曲中で最も盛り上がる部分である。そのため訳は♪を入れてtaxmanの気分の昂揚を強調した。最後の「I’ll tax your feet.」にはtaxman目線であるはずのジョージ自身の怒りのようなものを感じたのであえて脅迫的な訳にした。

 その後5)からはtaxmanの本性がよりはっきりと現れるように、自らの呼称も“私”から“俺”にした。
 そして最後の7)では仄かに哀愁が漂うような訳にした。このverseはジョージがtaxmanになりきって歌っているのではなく、taxmanがジョージの気持ちを汲み取って歌っている、立場が逆転したような箇所だ。どんなに音楽で金を稼いでも結局は国に税金として大半を搾り取られてしまうんだ、という虚しさが溜息をつくような歌声に込められている。「And you’re working for no-one but me」の「me」は、実はジョージのことではないだろうか。私にはジョージが「俺は俺自身のために働いているんだ」と宣言しているように聞こえる。
 

 次に音楽的な分析を行う。

 この曲のイントロは「1、2、3、4、1、2」の掛け声で始まる。これは1stアルバム『Please Please Me』のオープニングと似ている。これは当時コンサートを行っても観客の歓声で自分たちの演奏が聞こえないことへの苛立ちからコンサートに対する情熱を失ってしまったので、これからはスタジオワークに没頭して最先端の音楽を作っていくぞという決意表明だと言える。

 そしてイントロはたったの2小節でAメロへ進む。イントロの2小節目の4拍目が曲の歌い出しだということが重要なので、これをポイント【1】とする。

 Aメロの楽器編成はシンプルなリズムのドラム、休符の使い方に特徴のあるベース、左チャンネルのタイトな裏打ちのカッティング(2、4拍目)のギターである。8小節あるAメロのうち3・7小節目、ギターはD7に9度の音を加え、1拍目にアクセントを置いた「ジャッジャーン」というインパクトのある和音を奏でる。この3・7小節というのがまた重要なので、これをポイント【2】とする。

 そして8小節目にドラムが16分のスネアを刻んで早くもサビに入る。講義の中で扱った「I saw her standing there / the Beatles」のように、この曲も「A→B→A→B→C~」というロックのスタンダートともいえる曲構成を無視している。この点には早くサビに行きたいという衝動性が感じられるが、「I saw her~」が女の子とヤリたいという若さ故の衝動であるのに対し、この曲はあくまで水面下で渦巻いているような静かな衝動が感じられる。それはジョージ自身が寡黙な男であることや、この曲はそういった感情を抑えた方がより皮肉の効果が強まることを知っていたからであろう。

 この曲最大のポイントはサビと次のAメロとの間に余分な1小節が挟まれていることである。これはポイント【1】の、Aメロが前の小節の4拍目から始まることが原因だが、サビが5小節ある(ように聴こえる)ことによってその後の曲全体が1小節分だけ遅れているような錯覚に陥るのである。そしてポイント【2】の、Aメロの3・7小節目の位置に不自然なインパクトがあることによってその錯覚は益々大きなものとなり、さらにそのまま聴いていると曲の構成上すぐさま2度目のサビがやって来るので、曲が速いのか遅いのか分からなくなるのである。

 その次の、私の訳詞でいうと3)の部分のコード進行は「D7(3小節)→C7(1小節)→D7(3小節)→C7(2小節)」と3+1+3+2=9小節あるので、小節の総合計が偶数になり一旦気分が落ち着く。と思いきや間奏の部分、8小節あるうちの2小節目から突然「一拍三連」や「二拍三連」を駆使した荒々しいギターソロが、それまで静かだった右チャンネルから聞こえてくるので再び似たような錯覚の世界に引き戻される。本来8小節でゆったり弾けばいいギターソロを7小節で弾いているため、聴いている側は戸惑うばかりである。

 その後はまたサビで1小節ずれて終わりまで進む。最後のサビは4小節しかなく、そのまま訳の7)の部分(2小節)に差し掛かり、アウトロの8小節では間奏と同じように2小節目からポールのギターソロが入り込んできて、フェイドアウトして曲は終わる。

 曲全体を通して聴くと、「えっ、何これ?!勝手に始まって勝手に終わっちゃったよ」と思うほどぐちゃぐちゃな作りになっている。政府に対しての先制パンチというか猫騙しの連打というか、特に名指しをされたミスター・ウィルソンやミスター・ヒースにとっては後味の悪い作品に仕上がっている。時代も違えば環境も異なる私のような人間にとってはメンバーのユーモアがたっぷり詰まったおいしい曲となっている。

 ただしこの曲を作ったジョージにとっては、ある意味では聴衆の同情を買う作品であるかもしれない。というのもメンバー間でこの曲を練り上げ完成させていく段階で、明らかにこの曲をより秀逸なものに至らしめた功労者がいるからである。そう、ポール・マッカートニーである。

 ポールはこの曲のベースだけでなくリードギターも弾いている。リードギターは先述の通り間奏で素晴らしいギターソロを披露している。このギターソロについて『Beatlesの音 もっと知りたい / 高木宏真著』の中に次のようなことが記されている。

 ――すると突然今までタンバリンしか鳴っていなかった右チャンネルに火花を散らすようなギターの下降フレーズが飛び込んでくる。このようなフレーズは後にも先にもジョージには弾けたことがなかった。(中略)この7小節の蛮行が。

 本来リードギターのパートであるジョージよりも、その曲に適切かつ大胆なギターテクニックを見せるポールにジョージは少なからず嫉妬しただろう。私も以前バンドを組んでいて似たような状況に出くわしたことがあるのでジョージの気持ちが何となく想像できる。

 またポールは本来の自分のパートであるベースでも斬新なプレイを打ち出している。ポールはこの曲で今まであまり見られなかった16分音符の細かく素早いフレーズを披露している。それまでの録音技術ではそのような早いフレーズは音の一つ一つの粒がクリアに聴こえ難く(特にベースは低音の楽器であるため)、複雑に弾くことは出来るのだがあえて避けてきたのである。しかし当時新しく購入したリッケンバッカーのベースと向上し始めた録音技術のおかげでこのような実験的なベースプレイが可能となり、ポールは今まで溜まっていた鬱憤を晴らすかのように、縦横無尽にうねる低音を操っている。特にverse3)の弦跳びフレーズは圧巻である。
 

 以上のように曲を分析してみて、誉めるべき要素の大半がポールにあるという事実は否めない。The Beatlesを分析する場合、通常ならジョンかポールの曲を選ぶだろうという大衆的な発想から離れた角度から分析を試みたのだが、結局the Beatlesを語る上でジョンとポールは外すことのできない存在なのである。やはりthe Beatlesは四人揃ってthe Beatlesなのだ。これがこのレポートにおける私の結論である。リンゴの名前が一度たりとも挙がっていないことに目を伏せて頂ければ幸いである。。

●参考文献
『ビートルズと60年代』 / イアン・マクドナルド著・奥田祐士訳 キネマ旬報社
『Beatlesの音 もっと知りたい』 / 高木宏真著 ジャズ批評ブックス
『ザ・ビートルズ(文藝別冊)』 / 河出書房
『バンド・スコア ビートルズ リボルバー』 / シンコーミュージックエンターテインメント

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