▼2006年度 早稲田大学前期義転載レポート
はじめてのザッパ・体験談(中舘淳一郎)
【解題】
中舘淳一郎君のレポートは、「はじめてのおつかい」ならぬ「はじめてのザッパ」。大体ひとは、はじめてザッパを聴いたときのことは、よーく憶えているものだ。なぜなら自分の耳から異質な世界構造が入ってきて、身体が変調し、俺って、私って何だ!? とビビりまくったりするものだからだ(そう、「はじめてのグランド・ファンク・レイルロード」という命題なら成立しない)。
で、中舘君、すごいや。よく「はじめて」でこれだけイケた。すでに熟れていて、感度良好だったんだね。ザッパ聴取の脱臼感というのは、のべつまくなしに音形のパーツが並んで、その構造の歪みに遠近感が狂ってしまったりすることだったりするのだが、音のおいしさやらルーツやらをちゃんと味わっている気配が窺われる。そしてその内部分断性に囚われなかったから、ザッパの歌モノでは屈指のアルバム、『ウィ・アー・イン・イット・オンリー・フォー・ザ・マネー』、そのメッセージの整合的連関をレポートで展開しえた。フラワー・チルドレンに放たれた多元ポップな毒球、アメリカン「虚飾」性生活への黄色い唾棄でもあるこのアルバムでは、たとえばジミ・ヘン(フォロワー)への当てこすりといった近親憎悪に近い至近爆撃の綱渡りも演じられている。
「68年」を語るとき、このアルバムは、ビートルズ『サージェント・ペパー』への「カウンター」として必須アイテムとなるだろう。フラワー・チルドレン/ヒッピーは、体制補完のため利用されるだろうというザッパの隠れたメッセージがあるが、これは「意識産業」「情報管理型体制」のディストピアを早くから考えていたザッパならではの達成だった。中舘君はアルバムラストのほうで、ザッパに肉体謳歌の主題が現れるとしているが、僕は「フラワー・パンク」でジョン・レノン的なインド経由の身体観(「トゥモロー・ネヴァ・ノウズ」に顕著だ)が皮肉られたかぎりは、「ダンスに服はいらない」も、ヌーディストたちの能天気にたいする揶揄だとおもう。
中舘くんの手柄は、最後に収録されているミュージック・コンクリート曲を聴くに際しては、カフカ「流刑地にて」を読め、と何段階かに分け、ザッパ自身がアルバム本体に注記している事実を抽出している点。「流刑地にて」の処刑機械はカルージュの掲げる「独身者の機械」の代表例だが、実は全体で管理恐怖と「理由なき状況の自動的進行性」が描かれるとはいえ、その細部は破壊的漫才のような「かけあい」の笑いを帯びていた。ザッパは自分の音楽がそのような黒いユーモア、独身者の機械性(日本でならそれは松本人志につうじる)を帯びているとこの時点から自覚している。それで、『アンクル・ミート』や『バーント・ウィーニー・サンドイッチ』やらの、機械廃墟をちりばめたアートなジャケデザインもあったのだ。
ということで中舘君、次はこのあたりのアルバムに赴き、そこから「演奏ザッパ」の演奏に内在されるコラージュ/編集感覚に耳を向けてみるといい。あれらには演奏の白熱のほか、機械的な冷却が同時に出現している。
(阿部)
はじめてのザッパ・体験談(中舘淳一郎)
はじめてのザッパ・体験談
第二文学部 表現・芸術系専修1年 中舘淳一郎
【1、ロックの魔法より、大きな男。】
フランク・ザッパは男前だろうか。いやいや。鼻がでか過ぎるし、毛むくじゃらで、身だしなみに気を遣っているとも思えない(彼なりのこだわりとかはありそうだが)。つまり、いわゆるイケメンでは絶対にない。だが、イケメンでない人間がかっこよくロックをやれば、マジックがおきて非イケメンはイケメンなんてものを飛び越えてかっこよくなれる。
もしロックンロールを知らずに育ってしまっていたなら、ミック・ジャガーは? ニール・ヤングは? ポールは? 浅井健一は? みんなロックから切り離してしまえば、全然かっこよくない。ただのおじさんだ。
しかし、ザッパにはそのマジックがかかっていない。だが彼はたとえロックから全く切り離したとしても、絶対にただのおじさんにはならない。彼自身が私に抱かせるイメージがロックという大きなもののイメージを凌駕し、ロックを手玉に取っている。彼の、従来のマナーを無視した「ロック」を聴いているとそんなことを思ってしまうのだ。
【2、天才/鬼才】
ザッパを良いと言うのは常に玄人っぽい人たちで(当然中には玄人気取りなだけの人もいると思うが――というか、そっちのほうが多い気さえする)、私は最初かなり身構えていたのだが、『We're only in it for the money』を聴いてみると確かに突然変拍子になったり、さまざまな音や声がコラージュされていたりして、なるほどマニアックな匂いが漂っていて「変人」「鬼才」とよく音楽雑誌や評論家が言っているのも納得できる。しかし感触としてはとてもポップで聴きやすく、私のようなザッパ初心者にはかなりいい入門盤であった。なにも考えずにただ音が流れているのを聴いていても気持ちいいし、かなり素晴らしいアルバムであると思う。
カオスのレベルをずっと高いままキープして緊張感を最後まで聴き手に持たせ続け、脳に直接音楽の情報がなだれ込んでくる感じを私は味わった。この感覚はビートルズの『ホワイト・アルバム』を聴いたときに感じたものと似ていた。このアルバムはビートルズをおもいっきり切り刻み、再構築したらこうなるのではないかと私は思う。
内ジャケットも、誰が見ても一目瞭然に『サージェント・ペパーズ』のパロディだし、『俺たちは金のためだけにやっているんだぜ』というアルバムタイトルも、ビートルズを筆頭とするヒッピー・ムーヴメントなんてだれかの金儲けの手段でしかないんだ、という皮肉をこめたタイトルであるといわれている。
これらのことから、ザッパは間違いなくビートルズを意識していただろうが、彼がわざわざ皮肉るためだけにビートルズの「マネ」をしているとは思えない。近い時期に発表されていた『absolutely free』というアルバムを聴いても感触はあまり変わらないということからもわかる。なによりそんなくだらないこと、ザッパはしなさそうだ。ビートルズ、というよりもジョン・レノンとフランク・ザッパの感性は実はかなり近いところにあったのではないだろうか。
だが、『We're~』にはビートルズやジョンの作品に感じることのできないアナーキーさと凶暴さがある。かたやジョンはザッパが絶対にやらないような、大衆への大きく、ストレートなメッセージを乗せることを厭わなかった。それがミュージシャンとして地球史上最大の支持を得ることになったジョンと、評価は高いもののやはり一部の人間にしか受け入れられないザッパの運命を分けたもののひとつだろう。まあザッパは全世界に受け入れられることなど望んでいなかったのだが。
ザッパが『absolutely free』の歌詞カードとあわせてリスナーに届けた「フリーク・マップ」という小冊子の序文はこうだ。
《マザーズ・オブ・インヴェンションの音楽は非常な少数派とでも呼べるべき、すべての事の辺縁にいる人たちの感情を表現している。(中略)自分自身のうちに、社会の変化を起こしたり促したりする力を持っているが、何かの理由でその力を使ったことのない人たち、そういう人たちのために演奏したい。》
(『absolutely free』ライナーノーツから抜粋)
これは確かにひねくれたメッセージではあるが、ジョンをはじめ数多くのロック・ミュージシャンがやろうとしたことではないか。実にロック的な発想である。彼がロックという文脈を超えた人間であるにもかかわらず、いまだにロックとして語られるのは、彼の活動がこういったアティチュードに支えられていたことにもよるだろう。
【3、『We're only in it for the money』は何を刻むのか。】
では彼のそういった姿勢は歌詞に、音源にどう反映されているだろうか。『We're~』だが、いきなりタイトルからして皮肉だ。先ほども述べたようにこれはヒッピーたちの活動は誰かの金儲けのために仕組まれたものの一部に過ぎない、と皮肉り、批判している。では『We're』の内容は?
まず1曲目の「Are you hung up?」ではフランク・ザッパのマスター・テープを消去してしまおうという陰謀を語るモノローグから始まる。一転、不気味なベースの音にギターが重なり、張り詰めていたテンションが急にふくれ上がる。そこで突然、音は不気味な男のうめき声に変わり、オープニングはクライマックスを迎え、また別の男のモノローグとなり、アルバムが幕を開ける(最後のモノローグ〈俺はジミー・カール・ブラック。俺が、このグループのインディアンだ〉はジミヘンを連想させる)。
そして2曲目の「Who needs the peace corps?」へとつながってゆくのだが、これはアメリカから発展途上国に派遣される平和部隊peace corpsに行くことを拒否した若者がハヤリに乗ってヒッピーを気取り、サンフランシスコへ行くという内容だ(この曲のモノローグを聞くとやはり先ほどのカール・ブラックはジミヘンに憧れるバカな若者だろう)。で、曲が若者の〈バンドの連中と一緒に住んで、シラミを貰うんだ。でも俺はそんなの気にしない。だって・・・〉といった台詞が終わったところで突如オルガンの音が全てをさえぎる。
気付いたらカールは3曲目「強制収容所の月」の世界の中、自分のもといた場所を懐かしがっている。中盤の歌詞では〈国を挙げての病気を 泣くなよ おさらばなんだよ いきなり死ぬんだよ オマワリがイカレたやつを殺す!〉とアメリカの体質を批判し、またのこのこ捕まる奴らのことも〈creep/ヘンタイ野郎〉とバカにしている。
そして4曲目「Mom and dad」でそんな社会に疑問を感じず〈モイスチャー・クリームを塗り ヴェルヴェット・フェイシャル・ローションを塗る(=SEXしている?)〉合間にも子供をほったらかしにしていると、国に殺されちまうぞ。と警告を発している。私はここまでのつながりがアルバム全体を暗示するストーリーとなっており、この4曲は組曲方式の1曲として機能している。
そこから、各曲ではさまざまな“悪”というべきものが断罪される。「Bow tie daddy」、「hurry, you are a beast」、「Flower punk」、がそれにあたるだろう。醜くゆがんだアメリカのそこかしこに広がっているであろう情景が、オムニバス形式の映画のように目の前を通りすぎる。そのなかにもところどころに挿入されるモノローグはアルバム全体を通して不穏な陰謀の空気をかもし出す。
そして、13曲目の「Let's make the water turn black」から15曲目の「Lonely little girl」でまたあるストーリーが描かれる。13曲目の登場人物、ロニーとケニーは悪ガキで、〈この水を真っ黒にしちまおうぜ〉とゲームをし、〈放課後の彼らは自分たちだけの世界へ入り込む〉。次の曲で彼らは子供を育て、大きくなった子供は〈嘘つきと詐欺師とあんたのようなやつらばかりの世界へ〉飛び込んでゆく。そして15曲目では、〈あんたの子どもたちはみんな あんたが信じ込んでいる嘘の 不運で哀れな犠牲者だ・・・〉と結ばれる。つまり、最初の少年二人はフランク・ザッパ自身のことであろう。彼が育てた子ども(若者)たちは〈自ら絵の具を混ぜ合わせてはそれを使いつぶしてゆく〉。
〈俺たち〉は〈耳を傾ける〉。そして、普通の親たちが育てた子どもたちは〈卑しい人生に対するあんたの灰色の絶望と、あんたの無知にへばりついた疫病の犠牲者〉となるのだ。それを救うのは、9曲目、「Absolutely free」と16曲目「ダンスに服はいらない」にあるポジティブなメッセージであると私は思う。〈心を解き放つんだ〉〈あんたは完全に自由になれるんだ そうなりたいと願いさえすれば〉(M9より)〈やがて時が来るだろう すべての寂しい人びとが自由となり・・・ 歌い踊り愛し合える時が〉(M16より)という、このアルバムの中では浮いてしまうようなメッセージは、だからこそ逆に、つよい説得力を持つ。
とはいえ、忘れてはならないのが残りの曲だ。二回もはさまれる「What’s the ugliest part of your body?」の〈あんたの体の中で、いちばん卑しいところはどこ?(中略)それはあんたの心なんだよ〉ここで聞き手ははっと気付かされる。自分もその社会に、世界の醜い側に加担しているのでは?突き放すように17曲目、「Mother people」では〈俺たちは別の人間〉〈俺があんたを・・・ アホみたいに愛してるとでも思ったのか?〉とザッパは歌う。
最後の曲「クロム・メッキのメガホン」では注意書きに「カフカの『流刑地にて』を読んでから聴け」と書いてある。カフカの『流刑地にて』は12時間をかけて囚人の背中にその罪名を刻み込み、処刑する機械の話だ。その罪名は、刻まれて体で理解するまで本人にはわからない。自分の罪名も、ザッパの音楽を体験して初めて理解し、思い知る。自分もこの腐った世界の住人には変わりなくて、だから連れてってほしい。ザッパのいる世界へ。
『We're only in it for the money』は愛や平和を訴えるのもいいが、お前にその資格はあるのかと聴き手に問う、実に重い作品である。
正直、英語の苦手な私には洋楽の歌詞がダイレクトに伝わることはほとんどない。それが今回は、悔しかった。
【4、おわりに・言い訳。】
ここまで書いてきたことは、まだほんの表面を掬い取っただけでしかないと思う。一筋縄ではいかないアーティストであることはわかっている。私の耳はまだザッパに認められていない。ただただ音の快感に揺れるだけだ。それでも、ザッパはかっこいい。ザッパには膨大な量の作品があるし、一枚や二枚聴いただけでいいはずがない。長い夏休みに、ザッパをもっと聴けたらいいなと思う。
なんだか、髭を伸ばしたくなってきた。
●参考文献(音源)
『We‘re only in it for the money』Frank Zappa & The Mothers Of Invention 1968 再発 1995 Rykodisc
『Absolutely free』 Frank Zappa & The Mothers Of Invention 1967 再発 1995 Rykodisc
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