▼2006年度 早稲田大学前期義転載レポート
バッファロー・スプリングフィールド「折れた矢」について(谷田部 歩)
【解題】
僕はバッファロー・スプリングフィールドの「折れた矢」は、ロック史最重要の曲のひとつだとおもっているが、下の谷田部歩さんの曲考察はすごく緻密だった。歌詞は脚韻も視野に置きながら分解され、全体文脈を吟味される。「君は見たのか?」と列挙される一群の人々には、自分の意志に反して去らざるを得なかった事情が共通している、と谷田部さんは指摘する。そこにネイティヴ・アメリカンの姿が切断的に混入してくる。変拍子に注目するなど、谷田部さんの楽曲の分析も細かい。そしてアコギストロークがこれほど効果的な曲も少ない。
谷田部さんのレポートのなかには、僕の知らないエピソードがあった。演奏音に、付け足された観衆の拍手喝采が、ロサンゼルスでのビートルズ公演で採取されたものだったというのだ。この指摘によって「ミスター・ソウル」を演奏するバンドがロック史の波のなかで、自らを見失おうとしているという全体文脈がさらに明らかになるとおもう。
そうだった、谷田部さんの書くように、ニール・ヤングは霊柩車に乗ってカナダからアメリカに入り込んだのだったな。それと第四スタンザのイメージもリンクしていた。これは僕も講義で指摘すべきだった。
講義で僕のいったことも、ここで付け加えておこうか。「折れた矢」は、当時勃興していたフラワームーヴメントの渦中で、その終焉を先取りし、仮定的近未来から現状に遡って「(フラワームーヴメントを去った)彼らを見たか?」と問いかけをすることで、多幸症的現状に楔を打ちこむ歌だった(むろん、題名「ブロークン・アロウ」にはニールの映画体験が化合している)。そんな政治性をもっているのに、ニール・ヤングの曲としてはビートルズ的なコラージュ性を最大限に付与されてもいる。そしてそこに、ニールだけのもつ優しく孤独な声の存在感が割り込みだす。喝采ののち「ライト・ハズ・ターンド・・」と唄いだしされる構成がその点で圧倒的だった。その声は欠性の声。みながそこで、ロックの美しい変化を予感した。清新で永遠不変のインパクトがあった。
(阿部)
バッファロー・スプリングフィールド「折れた矢」について(谷田部 歩)
「折れた矢」について
――バッファロー・スプリングフィールド
第二文学部 表現・芸術系専修 谷田部 歩
私はバッファロー・スプリングフィールドの「BROKEN ARROW」を取り上げたいと思う。
●曲と、曲に至るまで
バッファロー・スプリングフィールドは1966年に結成された。有名なエピソードとして高速道路での出会いがある。黒い霊柩車に乗ってカナダからロサンゼルスにやってきたニール・ヤングとブルース・パーマーはサンフランシスコへと向かうところだった。サンセット大通りを北上しかけたところで、彼らは事故による交通渋滞に巻き込まれる。その時スティーブン・スティルスとリッチー・フューレイはサンセット大通りを南下していたが、やはり同じく渋滞に巻き込まれてしまった。両者がすれ違うその時、反対車線を見たリッチー・フューレイは、ニール・ヤングが乗り回していると聞いていた黒い霊柩車をみつけ、無理やり車線変更して声をかけたのが始まりだった。半年後すっかり意気投合した四人は、ドラムスのデューイ・マーティンを加え、バッファロー・スプリングフィールドを結成することになる。
「Broken Arrow」が収録された「AGAIN」というアルバムは、1967年12月にセカンドアルバムとして発売された。「Broken Arrow」自体は1967年 9月にレコーディングされた。ニール・ヤングの版権を管理する会社の名前も「BROKEN ARROW」であり、ニール・ヤングにとって重要な曲であると思われる。
なお「Broken Arrow」は、カナダのハイ・スクール以来の友人で、スクワイヤーズのベーシストだったケン・コブランに捧げられている。
●拙訳
やあ、ソウルさん
ちょっと立ち寄ったのは ワケを知るためなんだ
僕の頭ん中が あの季節の出来事に
囚われちゃったんじゃないかって考えてね
灯りがともされ 幕が閉じたその時
まるで夢心地だったんだ
楽屋出入り口に立ってた彼ら
叫び出そうとしてた
エージェントがもう 金を払っていたから
黒塗りリムジンは 雨の中 外で待っていた
彼らを見たかな
彼らを見たかな
大きな流れの中にいいる 彼らを見たかな
彼らはそこから 君に 手を振り合図した
話してくれるかい 空っぽの矢筒のこと
土手の上で集まっている
茶色い肌したインディアンたちは
折れた矢を握っていたと
18年のアメリカンドリーム
彼は見た 彼の兄弟が壁の上で誓ったのを
彼は目を開き ホールに駆け降りた
彼の母は彼に言っていた 熱中は馬鹿げたことと
だから 赤ん坊について何も言わなかった
彼らを見たかな
彼らを見たかな
大きな流れの中にいる 彼らを見たかな
彼はそこから 君に 手を振り合図した
話してくれるかい 空っぽの矢筒のこと
土手の上で集まっている
茶色い肌したインディアンたちは
折れた矢を握っていたと
成婚パレードを見物するため 道に沿って人々は並んでた
女王は白い手袋をはめている 国歌が流れる
黒く覆われた箱を 彼女の馬は引いた
降りそそぐ日光から 王を護っていた箱を
彼らは平和のために結婚し 去ってしまった
彼らを見たかな
彼らを見たかな
大きな流れの中にいる 彼らを見たかな
彼らはそこから 君に 手を振り合図した
話してくれるかい 空っぽの矢筒のこと
土手の上で集まっている
茶色い肌したインディアンたちは
折れた矢を握っていたと
●考察
まず、韻がところどころに見られることを指摘したい。第三連の二行目から五行目にかけての「wall」「hall」「ball」「all」と二、三、四連の最後「narrow」と[arrow」に脚韻が見られる。
また、第二連の「down」「dream」「scream」「limousine」「rain」、第四連の「drawn」「dawn」「gone」は韻と呼ぶには弱いが、近い音で終わらせるように並べられている。
わざわざすべての連の同じような位置に韻を配置した理由は何だろうか。それぞれの連で描かれる人々の姿や状況はまったく異なっている。しかし、彼らが同時に一つの詩に描かれている理由を、韻によって示そうとしたのではないか。つまり、彼らは異なる状況にある人間でありながら、ある意味同じ状況下にいるということを示し、また、それぞれの状況をこの詩では並べて見せた、ということを示しているのではないだろうか。
では、詩の中に出てくる人々は一体どのような共通の状況下にあるのだろうか。私は「自分の意思ではどうしようもない状態に身を任せている」という状況が共通していると読み解いた。
タイトルは上記の状態の人々を描いた詩である可能性を示している。「Broken Arrow」はネイティブアメリカンにとっての平和の象徴である。しかし同時に、戦いに敗れた敗者のことをも意味している。詞で前触れもなく出てくる「インディアン」という言葉は、当然この意味を意識して使用されたのだろう。
具体的に詩と曲を読んでいきたいと思う。冒頭で流れる「Mr. Soul」と第二連と第三連、第三連と第四連の間に入る曲や音は、後ろの連の歌詞を示している。ライブ盤の「Mr. Soul」が一番初めに出てきていることから、第二連の何がしかの"舞台"は、音楽のライブであると言っていいだろう。また、デューイ・マーチンがリード・ボーカルをつとめるライブ音源と、ビートルズのロサンゼルス公演のテープからもってきた聴衆の叫び声をわざわざ一緒にして曲に組み込んだのも、音楽のライブという状況を描いていると示すため、という理由があるのだろう。
第三連の前は「Take me out to the ballgame」が入る。メジャーリーグを連想させるこの曲は、アメリカにおいて作られている、アメリカンドリームを描いた歌詞の前に挿入されるのにふさわしい。第四連の前にはスネアドラムの音が入る。これは成婚披露のパレードを表している。
タイトルや挿入曲によって、別の状況下にある人々が実は同じ状況下にある、と暗に示された。しかし、あくまでも「暗に」示した程度である。場合によっては単なる深読みにもなりかねない。そこで全ての連に共通したフレーズ「Did you see them」について触れてみたい。「Did you see them」の「them」とは誰であろうか。そして、彼らがいる共通の状況とは何であろうか。
第二連では音楽のライブが終わり、熱狂した観客と、そこから逃げるように消えていくアーティスト。第三連は夢を抱く少年(特に歌詞カードには記述がないが、第三連において「them」ではなく、「him」と歌われていることから、少年の母親は含めない)。第四連は平和のために結婚した国王(皇太子?)夫婦。彼らが「Did you see them」の「them」の具体的に示された姿である。
アーティストのファンはライブの興奮という逆らいがたい心に突き動かされ。アーティストは、追いかけてくるファンという、どうにもならない潮流の真中にいる。アーティストは。昔夢見たアーティストの姿とは異なり、ファンから逃げるようにして去っていく。少年は夢を追う気持ちに逆らえず、飛び出していく。国王もしくは皇太子夫婦は、自分たちの気持ちとは関係なく、平和のためだけのために結婚をする。
どの人物も、普段の自分の行動や、自分自身が抱いていた夢、自分自身の心とかけ離れた選択をせざるを得ない状況と、自分自身の中にある心とは異なる行動をとる。しかしどんなに望みと違っていても、その流れに彼らは逆らうことが出来ない。出来なくなってしまっている。彼らが今渦中にいる流れは、とても大きく力強いものであるためだ。
自分の意思で動いているはずが、何がしかの大きな流れに巻き込まれ、逆らうことの出来なくなった彼らは、いつか命の海へと辿り着く生命の川の流れに身を任せ、「Broken Arrow」の聴衆に向かって手を振る。その姿は教訓めいているが、実のところ聴衆自身である。
こう読み解くと、曲の冒頭で引用される「Mr.Soul」が、何故「Mr.Soul」でなければならなかったのかが見えてくる。「妙な考えに頭が支配されている」理由を知りたいのは、大きな流れに巻き込まれた人々自身だ。
冒頭の「Mr. Soul」だけ「Did you see them」の「them」自身の言葉である。激しい調子で語る巻き込まれた人々の言葉は、曲調が変わると同時にまだ大きな流れに巻き込まれていない、もしくはそれに気付いていない人々の視点へと変わるのである。
日本のバンドフリッパーズ・ギターの「DOLPHIN SONG」という曲の元ネタでもある、第二連からのメロディはスローテンポでありながら、三拍子と四拍子が入り乱れる。しかし変拍子がもつ嫌らしさがない。このゆったりとしたメロディの流れは、大きな流れに組み込まれていない人間の視点に移ったことを示すだけでなく、わざわざ三拍子と四拍子が入り乱れさせることによって、川の波がゆらゆら揺れながら下流へ流れていく様を音で表現したのではないか。つまり、大きな流れに流されている人々を遠くから見ている聴衆自身もやはり、大きな流れに流されているのである。
流れに流され身動きがとれなくなってしまった人たちは、確かに考えることも減り気持ちは平穏かもしれない。しかし彼らは、人生における様々な戦いに負け、自ら流れを作り出すこともかなわず、どこかからやってきた流れに流されていくのである。この姿は正に「Broken Arrow」というタイトルがよく示している。
流されていく人たちは、世の中とても多い。自ら流れを作れる人間はほんの一部に過ぎない。しかし、流されていくことはとても寂しい。自分が、自分でなくても何ら問題はないのだ。代わりはいくらでもいるのだ。その寂しさ、即ち欠性を歌ったものが「Broken Arrow」なのではないか。自分がただ一人の自分として生きるのにはもはや世界は複雑になりすぎていて、無理なのかもしれないが。せめてどうか今自らのいる場所を確かめてほしい。このような、内向性が強く、しかし同時に外向性も併せ持つメッセージがこめられているのではないかと、私はこの曲を聴きながら感じ、考えた。
●参考資料
バッファロー・スプリングフィールド「AGAIN」 「Broken Arrow」及びライナーノーツ
フリッパーズ・ギター「ヘッド博士の世界塔」 「DOLPHIN SONG」
CARRY ON http://www2u.biglobe.ne.jp/~shugo/index.html
ザ・スーパー・ポップ宣言 http://plaza.rakuten.co.jp/zouky/
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