▼2006年度 早稲田大学前期義転載レポート
Bob Dylanの故郷(高野倫亮)
【解題】
高野倫亮君のディラン「廃墟の街」論は、間然とするところがない。完璧だ。読んでもらえば済む。ってだけ書くと、やはり責任放棄か。ならば高野君とはちがうことを書こう。
ディランの歌詞世界は、絵巻物の鳥獣戯画のようなものだ。鳥瞰され、時間軸に沿って進展し(それは巻きを解かれて「開かれる」)、そこでは対象の出入りも自在。そのなかでとくにこの「廃墟の街」では贋(欠性)の歴史(文学)的人物が、いかがわしいストーリーの背後をも任わさせて、短時間、視界のなかを跳梁し消えてゆく。「心臓麻痺機械」など、物騒な「独身者の機械」も瞬時、像を結ぶ。そして各スタンザの最後、前置詞のあとで、必ず「Desolation Row=廃墟の街」が繰り返され、それで「絵巻物」の全体が「廃墟の街」の空間性(高野君はそれがダラスだと立証する)に昇華してゆく。
単調な繰り返しのメロにそのような歌詞が乗ると確かに退屈が生じない。視覚的な出入りへと音楽性が転化されるからで、これはバラッドの民俗的基本ともいえる。また、高野君のいうとおり、反復特有の慰撫にも聴き手が包まれる。しかも聴き手はその廃墟の街の住人にディラン自身を見出すのではないかというスリルを味わいつづけたのち、ついにそこに自らの姿も錯視するだろう。
そうした世界提示の稠密な感触、これが『追憶のハイウェイ61』の美点だった。ハイウェイ61はブルースの発祥地を横切っているのだから、それは「ルーツ」に向けた旅程とも二重化される。これも高野君の見事な指摘どおり。
ところが、高野君の指摘には盲点もある。「廃墟の街」が退屈をあたえないのは他の要因があるのではないか。歌唱、がそれ。歌唱が張り詰めているからそうなるということは、『ブロンド・オン・ブロンド』でイメージの出入りの多い、しかも反復の歌メロをもつ「ローランドの哀しい眼の女」が意外や退屈に聴え、逆に歌詞が罵倒に近く、しかもカラフルでないこれまた反復メロの歌、「淋しき4番街」が聴き手を終始引き込んでしまう例外を挙げればそれで済む。
もう一個の課題。たとえばエイゼンシュテインは「絵巻物」を、映画的編集を内在している時間芸術、映画の近似物と見た。また花田清輝は『日本のルネッサンス』で絵巻物の空間性が体制転覆の意志を孕んでいると喝破していたような記憶がある。つまり、「絵巻物」に似た表現は、人間の歴史的な感覚・世界観の変調にこそ突き刺さっている――そういうことになる。
優秀な高野君に、時間があったらという留保つきでの宿題。同一メロの反復でイカせてしまうもう一人の逸材にニール・ヤングがいる。「タルサへの最後の旅」「ハーヴェスト」「アンビュランス・ブルース」などがその代表例か。このニールが、ディランと同等の、場合によってはそれ以上の映画性を音楽に内包していると僕は何回か喋り、書いている。ではニールとディランの差から、音楽に内在する映画性がどう組織されたときに享受者の身体を直撃するだろうか。ハイ、これが宿題です(ヒントをいうとニールのほうが視界が微視的で、かつ、各聯の立脚に統合性がなく、よって非連続ということになります)。最初は解答をある程度準備して、僕のいる後期の教室に来てください。本当に期待して待ってますよ。
(阿部)
Bob Dylanの故郷(高野倫亮)
Desolation Rowについての考察
――Bob Dylanの故郷
第二文学部 文学・言語系専修2年 高野倫亮
【廃墟の街と列車】
Bob Dylanの名盤の一つにHighway 61 Revistedが挙げられる。Highway 61とはルート61のことで、アメリカのほぼ中央、ニューオリンズ州からミネソタ州までを南北に貫く道であり、ブルースが発祥しこの道沿いに広がっていったので、ブルースの道とも呼ばれる。ブルースの影響を強く受けるBob Dylanもこの道沿いの、ミネソタ州ダラスで生まれた。1965年にリリースされたこのアルバムにはLike a Rolling StoneやBallad of a Thin Manなど多くの名曲が含まれ、そしてその最後のトラックに収録されているのがDesolation Rowである。
Desolation Rowを聞くと誰もがものすごく単調な印象を受けるが、それは当然だろう。というのもこの曲は3コードの曲なのだが、本当に3つのコードしかつかわれておらず(E、A、B)、さらに同じメロディのスタンザをなんと12回、しかも11分以上にわたって繰り返すのである。しかしながら、ぜひ聴いてみてもらいたいのだが、単調な曲という印象はあっても、退屈な印象は受けないだろう。そればかりか、この絶妙なくり返しが作り出す単調さによって、安心感を得る人もいるのではないだろうか。
かく言う私も、この曲を聞いてリラックスする人間の一人なのだが、ではその安心感はどこから来るのだろうか。
人間は胎児のとき母親の中にいた記憶により、心臓の音に近い規則的なリズムを聞いたり、血液の流れに近いノイズを聞いたりするとリラックスする傾向がある。同じ理由で規則的なゆれにも安心感を得ることが出来る(ロッキンチェアーや電車の座席に座ると眠くなるのはこのためである)。私は列車の音を聞くと非常にリラックスできるのだが、それも先に述べたことが理由だろう。
これはBob Dylanについても例外ではなく、彼は「子供のころは列車を見たり、列車の走る音を聞いたりして育ったんだ。その光景と音はいつでも僕を安心させてくれたよ。」(Chronicles. p.31より)と語っている。つまり、何が言いたいのかというと、この曲の単調なくり返しが出す音楽の雰囲気は、列車が線路を走るときに出る音(厳密に言えばレールの継ぎ目を通過するときの、規則的なガタンゴトンという音)に似ているのではないかということである。
ブルースにおける列車をテーマにした曲を聞いたり、Bob Dylanが作った列車に関する曲(The Freewheelin'のBob Dylan's Dreamなど)を聞くと、やはり同じような曲調でくり返しが多いことに気づく。Desolation Rowに限って言えばザクザクと規則的に刻む彼のギターの音が、機関車の回転する車輪の音を連想させる(MTV Unpluggedのライブでは、より列車の音に近づいているような感じがする)。ただ安直に「Desolation RowはBob Dylanが列車をイメージして作った曲である。」というつもりはないのだが、Bob Dylanがそれを意識して作ったにせよ、意識していないにせよ、このメロディとリズム、そして単調でゆったりとした雰囲気は、彼が子供のころに親しんだ列車が持つ雰囲気、あるいは子供のころ育ったダラスの街の雰囲気とかなり近いものがあるのではないだろうか。
【廃墟の街の様子と人間性の欠落した住人】
Dylanといえばその作詞の才能で有名である。Desolation Rowの詩はローリング・ストーン誌のインタヴューによれば、ニューヨークのタクシーの中で書かれたとされる。ところで、YouTubeというサイトで彼の映像を見たのだがその中に興味深いものがあった(下にURLを載せておくが、YouTubeの性質上、削除されているかもしれない)。その映像で Dylanは街の中の"WE WILL COLLECT CLIP BATH & RETURN YOUR DOG-KNI 7727-CIGARETTES & TOBACCO"という看板とその隣の看板の文字を記憶し、それをリズムに合わせて口ずさみ始めるのである。リズムは速く、軽やかになっていき最終的には “...Return Your Dog! Cigarettes & Tobacco! Yeah!”というような感じになる。
Desolation Rowの歌詩が無韻詩(Blank Verse)であり、YouTubeの映像に写っていたようなやり方で作詞されたのであれば、ニューヨークのタクシーの中という非常に短い時間で書かれたというのも納得できる(もちろん基礎の部分を書いて後で修正したのだろうが)。
さて、歌詞の内容というのは、自分自身のことや、誰か特定の人物のこと、多くても二人くらいの人物について語っていくのが普通である。しかし、 Desolation Rowの歌詞では、シンデレラやロミオ、アインシュタインと10人を越える人物が登場する。しかも、誰かを主人公に、例えばアインシュタインを中心に物語が進んでいくというのではなく、その10人を超える人物が全員、等価値に存在するのである。
具体的に言うと、スタンザごとに登場人物がちがい、さらに物語りもちがう。 第2スタンザはシンデレラとロミオの話、第5スタンザはアインシュタインの話、そして第6スタンザはドクターと彼の周りの人間の話という具合である。さらに、そのスタンザごとの話が非常に濃厚なので、その1つの話を広げただけで1曲分の歌詞が出来てしまいそうなほどだ。
つまり、この曲は10のスタンザから(ハーモニカの部分も入れれば12のスタンザから)構成されている曲だが、その歌詞は10曲分の情報を1曲に圧縮したようなものなのである。この情報の圧縮性はDylanの曲では珍しくはなく、このアルバムの中でもLike a Rolling StoneやHighway 61 Revistedなどでそれが見られる。Like a Rolling Stoneでは転がる石のように生きる人々の情報が、Highway 61 Revistedではルート61にまつわる情報が、Desolation Rowでは廃墟の街に関する情報が、それぞれ圧縮されているのである。
この情報の圧縮性が、Dylanの音楽の小気味よいリズムに乗って私達の耳に入ってくるとき、私たちは何かわけのわからない感覚に捕らえられるだろう。 だが、このわけのわからない感覚こそ、Bob Dylanの魅力なのではないだろうか。
ここで、いくつかのスタンザを通して廃墟の町に住む住人の姿を見ていこうと思う。
まず、第2スタンザのシンデレラだが、彼女はグリム童話に出てくるシンデレラとは程遠い。彼女は、ポケットに両手を突っ込んではベット・デービススタイルとかやっている気楽な人間として描かれている。そこへ突然ロミオがやってきて、ジュリエットではなくシンデレラに愛を叫ぶ。すると言う相手が違うと誰かに注意され、ロミオは帰ってしまい、救急車が過ぎ去るその廃墟の街を、シンデレラはいつものように掃き続けるのである。
第4スタンザではオーフィリアという、22歳にしてすでに老いている女性が登場する(ハムレットのことで悩んだ結果、老けたのだろうか)。死と親密な彼女は、鉄のベストを着て、宗教関係の仕事を持ち、生気のない目で廃墟の街を覗き見している。
第5スタンザのアインシュタインと旅をする修道僧は、有名なエレクトリック・バイオリン奏者として登場する(ノーベル賞物理学者のアインシュタインも、6歳のころから生涯にかけてバイオリンを弾いていた)。アインシュタインはロビンフットに変装して、記憶を詰めたトランクを持ち、廃墟の街を通る1 本の道から出て行く。
上記に述べた人々を含め、廃墟の街に住む住人はどこか人間として欠落している感じがする。気楽なシンデレラや、場ちがいなロミオ、年老いた22歳のオーフィリア、アインシュタインとエレクトリック・バイオリンを弾く修道僧。彼らは皆、普通の人間とはどこかズレていないだろうか、それも何か人間性の一部のようなものが欠落することによって。
例えば、シンデレラは気楽すぎてチャンスを逃してしまっている。というのは、もしあの時、ロミオについていったなら、恐らく掃除を続ける生活とは別れることが出来たからだ。また、ロミオはシンデレラの所に来てしまう時点で少し抜けているし、ジュリエットの元へ帰れば、それはそれで悲劇的な結末が待っている。オーフィリアもアインシュタインも、多かれ少なかれ不幸を漂わせながら詩の中に登場する。やはり彼らを含め、この詩の中の登場人物は、普通の人間と比べ変わっているといえるだろう。
ところで、最近ロボットに関する映画やマンガが増えているような気がする。詳しく言うと、「人間に非常に近い存在のもの(人工知能を持ったロボットとか)が、『自分は人間ではないが人間に近い、自分のアイデンティティとはいったい何なのか?』という問題提起をするストーリー」が流行っているのではないかと思う。具体的に言えば、スピルバーグ監督の『A.I.』やアニメの『功殻機動隊』などがそうであるが、これらの中に出てくる人間に近い存在の登場人(?)物は、完全な人間ではないため、逆にとても人間らしく感じられ、そして、ほぼ例外なく彼らは魅力的に写るのである。つまり、廃墟の街の住人達も、人間性が欠落することによって、逆に人間らしく感じられ、そして魅力的に感じられるのではないかということだ。
【廃墟の街=ダラス】
「ばらばらにされ、混沌の中にあった世界は、すでに次に来る世界の顔に拳を突きつけていたんだ。 もし君がこの時代に生きていたら、古い時代が去り、新しい時代が来たことを感じてたと思うよ。」(Chronicles. p.28より)と彼が語るように、Dylanが子供時代を過ごした1940年代は、第2次世界大戦が終わり大戦前の古い時代と大戦後の新しい時代が入り混じった混沌の時代であった(The Times They Are A-Changin'はこの時代の影響か)。もちろん彼の育ったダラスも例外なく、この混沌の時代に巻き込まれていったであろう。そしてその街の混沌とした雰囲気は、廃墟の街が持つものに似ているのではないだろうか。
先に廃墟の街の住人が、ある欠落性を持つことを述べたが、これはDylan自身についても言える。 比較的平坦なメロディの曲を多く作ったり、それを淡々と、まるで口から言葉がベルトコンベアーに乗って出てくるように歌ったり。極めつけはライブ映像であるが、ギターを弾いて何か遠い場所を見つめながら歌っている彼は、やはり廃墟の街の住人と同じように人間としてどこか欠落していることを思わせる、いや、ある場面においては彼がまるでロボットであるかのようにも見えるのである(もちろんそれが彼の魅力のひとつでもあるのだが) 。ここで、あらためて廃墟の街の住人を並べてみると、シンデレラ、ロミオ、オーフィリア、アインシュタイン・・・と、この中にBob Dylanが混ざっていてもまったく違和感がない。
実際にDesolation Rowの歌詞を見てみると、一人称の"I"が何度か登場する。以上のことからも、Bob Dylanが廃墟の街の住人ひとりであると言うことが出来るだろう。
以上のようなことを考えていると、廃墟の街=Bob Dylanの故郷ダラスなのではないかということが頭に浮かぶ。かなり極端に考えれば、彼は子供のころのダラスを廃墟の街にたとえ、ダラスに住む人々をシンデレラやロミオにたとえ、ダラスを通る列車の音を曲調に表現してこのDesolation Rowという曲を作ったのではないだろうか。そうでないにしても、もしこの曲のような街が現実に存在するとしたら、それは40年代初めのダラスのような街なのだろう。
ルート61はニューオリンズ州から始まり、いろいろな人々の中を通り抜けてミネソタ州のダラス付近で終わる。そして、このアルバム追憶のハイウェイ61も、転がる石のように生活する人々や、やせっぽっちの男の横を通り過ぎて、最終トラックに収録されている廃墟の街、つまりダラスで終わるのである。
【Desolation Row 和訳】
絞首刑のはがきが売られ
パスポートは茶色に塗られている
美容院は船乗りで賑わい
サーカスが街に来ている
盲目のコミッショナーがやってきたが
皆が彼をトランスさせた
サーカスの綱渡り士に片手を縛られ
もう片方はポケットの中に入れられた
それで暴徒の連中は落ち着きがなくなって
どこかへ行ってしまいたくなっている
今夜僕はそんな光景を彼女と一緒に見るんだ
この廃墟の街から
シンデレラはとても気楽に過ごしてた
「何かを知るには同じくらいの価値のものが必要だわ」と笑ったり
両手をポケットに突っ込んで
ベット・デービススタイルとかやってはしゃいでる
そこへロミオがやってきて
「あなたは僕のものだ」と叫ぶ
すると誰かが「あんたは来る場所を間違えてるよ」
「いるべき場所に帰った方がいい」と言う
そして救急車が走り去った後には
いつもの音だけが残った
その音はシンデレラが掃除する音
この廃墟の街を
今や月はほとんど隠れ
星々も隠れようとしてる
占い師の女性でさえ
占い道具を片付けた
カインとアベル
それにあのノートルダムのせむし男を除いては
みんなヤッてるんだ
そうでないやつは雨が降るんじゃないかと思ってる
あの人のよいサマリア人の彼は綺麗な服に着替え
ショーの準備をしていた
というのも今夜はカーニバルが行われるから
この廃墟の街で
オーフィリアは窓のそばにいる
僕はとても心配なんだけど
ていうのは彼女は22歳の誕生日のに
もうすでに負け犬女の雰囲気だったから
彼女にとって死はとてもロマンチック
鉄でできたベストを着て
仕事は宗教関係
悪いところは生気がないところ
彼女の目は
ノアの偉大な虹を見つめているけど
毎日覗き見してるんだ
この廃墟の街を
アインシュタインはロビン・フッドの格好で
記憶を詰めたトランクを持ち
この道を一時間前に通った
旅のともには妬み深い修道僧
彼は本当に恐ろしい顔になって
タバコを欲しがった
でもそのうち配水管のにおいをかいで
アルファベットを唱えながらどっかへ行ってしまったよ
もう誰も彼を見たいとは思わないだろう
でも彼はずっと昔は有名だったんだ
というのはエレクトリック・バイオリンを弾いたから
この廃墟の街で
ドクター・フィルスは自分自身の世界を
革のコップに入れておく
でも彼のセックスレスな患者たちは
それを破壊しようとするんだ
病院の看護婦は街でも有名な負け犬で
彼女は青酸カリを管理している
また保管されているカードには
「彼の魂に慈悲を」と書いてある
みんな1セントで買える笛を鳴らしてるから
もしその音を聞こうと思ったら
ちょっと無理して首を伸ばせばいいよ
この廃墟の街から
道の向こう側ではカーテンを打ち付け
みんな祭りの用意をしてる
それはオペラ座の怪人とか
僧侶の完璧なイメージ
彼らはカサノバにスプーンで食べさせ
彼女に自信をつけさせようとしてる
それから彼らはカサノバを自信過剰にして殺すんだ
言葉によって彼女に毒を盛った後で
それで幽霊達はそのやせこけた少女に叫ぶ
「知らないならば出て行け」と
カサノバは罰せられたのはただ訪れたから
この廃墟の街を
真夜中にすべての諜報員と
人間離れした乗組員が
やってきて連れ去っていく
知りすぎてしまった人々を
彼らは工場に連れて行かれ
心臓停止装置を
肩から掛けさせられるんだ
そしてそれから石油が
城から運ばれてくる
保険会社の人間によって
それで彼は誰も逃げないかとチェックする
この廃墟の街へと
たたえあれネロのネプチューン
タイタニックが夜明けに航海をすると
誰もが叫んでいる
「あんたはどっち側にいるのか?」と
エズラ・パウンドとT・S・エリオットが
船長の塔で喧嘩してるとき
カリプソの歌い手たちはそれを見て笑ってた
猟師たちが花を飾る
海の見える窓の間に
そこでは美しい人魚が泳ぎ
誰も考えたりはしない
この廃墟の街のことなんか
はい昨日手紙を受け取りました
(ちょうどドアノブが壊れたときに)
「いかがお過ごしですか?」
とは何かの冗談でしょうか
あなたが手紙で話していた人たち
ええ知っています彼らはみんな足が不自由だ
僕は彼らの顔を並べ替えなきゃいけないし
彼らすべてに次の名前をつけなくてはいけない
だから今は手紙をよく読んでいる時間はないのです
なのでもう手紙は送らないでください
ただあなたがあの場所から手紙を出すなら話は別です
あの廃墟の街から
●参考資料
<CD>
Bob Dylan: "Highway 61 Revisited". Sony Music 1996 [(初)1965]
<文献>
Bob Dylan: "Chronicles". Simon & Schuster 2005
<ウェブサイト>
YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=3eiASBBuFso&search=bob%20dylan
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