▼2006年度 立教大学前期義転載レポート

詩篇「黒い鋳型」(牧 千尋)

【解題】
06年度前期、牧千尋さんの期末提出課題は一篇の詩だった。題名がなかったので、暫定的に僕がつけた。
 読まれるとおり、サラリーマンやOLたちが履いている靴を、彼らを無個性化する鋳型と捉え、そこに「硝子の靴」の合致=愛の成就をめぐるシンデレラの童話を重ね、硝子の靴が真の透明化=脱鋳型化と即応するように、人それぞれが水の流動性を得ることが希求されている。そしてこの流動性と真の性愛に相関がある ――そんな図式だった。
 簡潔な修辞は、かなりの熟成を経ている。第2聯《中には甘い汁が流れているんだろう》でハッとし、以後も新鮮な驚愕が続いた。全体の構成が見事で、とくに分かち書きの詩行が散文に転化する際の「息」の詰め方・出し方が素晴らしい。同時に「アッ」とおもった。これは僕が講義で扱った小池昌代さんの詩の流儀なのだった。牧さんは小池さんの主題ではなく、その呼吸法を剽窃したのだった。「まなび」が「まねび」を出発点にするとはよくいわれる常識だが、快盗の活躍を見たような気がした。
 堅い言葉と柔らかい言葉の出し入れや衝突、その意味形成と音楽性賦与も天性のものではないか。《 小さな気泡に蝕まれて、/思いがけない波紋に翻弄されて、/荒れ狂う高波に打ちひしがれて、》という、この年齢にありがちな詩語の展開が、律動を生じているために、まったく罪障から離れている。それでいて、この世代特有の、自分の不自由にたいしては自己懲罰を、の叫びもそこに混入してくる。《この足をちょん切ってください、狩人さん》。これで一遍に彼女の詩が通りのいいものとなる。この感触も小池さんと似ている。
  ただし、小池さんはそういう部分では「罠」を張り巡らせているのだとおもう。その罠すら自身の詩想の清潔さと弁別不能になっているのが小池詩の特徴だ。牧さんは今後、この機微をもっと学ぶべきかもしれない。
(阿部)

詩篇「黒い鋳型」(牧 千尋)



詩篇「黒い鋳型」

文学部 文学科 文芸思想専修1年 牧 千尋


 ぱたん、ぽとん、ぱたとん、

 電車にゆられながら、わたしの思うことは、
  同じ足元をした人たちについて
 革靴でかたく守られている
 中には甘い汁が溢れているんだろう
 逃げ場もなく

 誰でもいいように、
  誰にもいいように、
 誰もがいいように、
 真っ黒な鋳型にはめ込まれて

 ぱたん、ぱたん、ぽたたん、

 電車にゆられながら、わたしの思うことは、
  同じ足元をした人たちについて
 きっと誰もが違和感を感じている

 「こんなはずではなかった」

 小さな気泡に蝕まれて、
  思いがけない波紋に翻弄されて、
 荒れ狂う高波に打ちひしがれて、

 わたしたちは液体ではないのに

 なみだがこぼれた

 男たちはいつも
  窮屈なガラスの靴を差し出しては、しあわせそうに笑う
 誇らしげな顔をしながら、まるであなたが運命のひとだとでも言うふうに 

 女たちはいつも
  窮屈なガラスの靴に足をねじ込めては、しあわせそうに笑う
 満たされたような顔をしながら、まるであなたが運命のひとよとでも言うふうに

 裸の足にそっと唇をよせて、まるで手のひらをそうするように、足の裏同士を触れ合わせながら、ふたつの足のかたちの違いに心を奮わせることを、誰もしようとしない。
  王子さまはふさわしい足の女を探すことばかりに躍起になっていて、拾い上げた瞬間からそれがかたちを変えてしまったことに気付いていないのだ。
 あまりにも透明なガラスの靴は、もはや輪郭すら見えなくなってしまって、ふたりが頭の中で描くものは、すでに全く異なるものになってしまっていた。魔法は解けてしまったのだ。差し出されたガラスの靴につま先を添えた瞬間、女の顔はサッと青くなった。男はそれに気付かない。あるいは、気付いていながら、あえて目をそらしたのだ。やさしいこいびとのように。

 この足をちょん切ってください、狩人さん

 わたしはシンデレラにはなれないのよ

 血だらけのガラス片の、なんていとおしい
  相容れない者同士がぶつかり合い、成れの果てが、これだ
 わたしたちは個体であり、固体だから、
 きれいなだけでは生きてゆけない
 水のようにしたたかになれない

 皮を削り合い、
  肉を砕き合い、
 内臓を溶かし合い、
 火打ち石のようにわが身を打ち付けては、ほんのささやかな火花にもうっとりと瞼を垂らし、甘やかな悪臭の中で、わたしはようやくあなたという固体を肌で感じる。必ずしも一致しない凹凸をもどかしく思いながらも、それすら快楽に昇華して。
 ふと我に返ったとき、わたしは血溜まりの中でただの肉隗に成り果てた。その中でわたしは、わたしの体の中にこんなにもあたたかな液体が流れていたことに気づく。

 あぁ、わたしたちは、
  こんなにうすっぺらい皮に隔たれて、
 こんなにもろい肉に阻まれて、
 ひとつになれないことに苦しんでいるんだ

 ぱたん、ぽとん、ぱたとん、

 電車にゆられながら、わたしの思うことは、
  液体になりたい、どこまでも固体でしかない人たちについて
 液体のつまった、どこまでも固体でしかない人たちについて

 人間の体の6割は、水分でできています

 耳をふさいで、聞こえないふりをしている

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