▼2006年度 立教大学前期義転載レポート

戯曲『標本』(日紫喜 友香)

【解題】
06年度「入門演習」の期末課題で、日紫喜友香さんが提出してくれたのは演劇台本だった。一見、実験的だが輪郭は明瞭。二人の女が舞台左右にいて、そのあいだを「心のない」男が行き来するうちに惨劇が起こる(暗示される)という構造だった。
女たちはこの中間的な男の介在によって、自らに定位性がなくなる危機を感じている。戯曲タイトル「標本」は、その危機を回避するため、女のうちのひとり「玲奈」が自らを蝶のように標本にする営みにかかわっていたのだった。むろん、少女愛と標本には『コレクター』以来の伝統もある。
日紫喜さんの創意は、彼女が提出物の巻末にしるしてくれた舞台装置に最もはっきりと現れている。舞台は必ず、片方が暗転なら片方が溶明というように「点滅」を繰り返す。ここでは舞台構造が、ないしは照明の設定が、そのままに機械的な陰謀装置なのだった。片方への照明の投下は、その片方への注視を促がす。しかし照明の当たらないほうの息づきへの皮膚感覚的注意をも助長するだろう。この気配が動物的=性的なのだった。しかも舞台は左右対称であることで、あらかじめ左右の等質性を告げてしまっているし、同時に、シンメトリーが死だという点も明かしてしまっている。あらかじめ終わっているものに生の擬制を与えているものが、ここでは「愛してくれ」の繰言であり、「雨音」なのだった。この認知がすごく冷酷だとおもう。
ともあれ、性愛の相手によってこそ自己の定位性が損なわれるという大学生世代の自己認知には、たしかに悲哀がつきまとっている。この戯曲は付帯的にその生態観察ともなりうる。次段階は、他者のないままに自己定位がおこなわれるとき、それが惨状となるか充実になるかの観察だろう。期待している。
(阿部)

戯曲『標本』(日紫喜 友香)



戯曲『標本』

文学部 文学科 文芸思想専修1年 日紫喜 友香


【登場人物】

達也
玲奈
麻美子

(舞台真ん中には黒い幕 向かって右側に玲奈 左側に麻美子 ベッドが1つずつある) 
(達也 真ん中の幕から入場)
玲奈の部屋 明転(麻美子の部屋は暗転)

(麻美子は人を待っている様子)
玲奈 「あぁ、達也。今日は来てくれたんだね。私、嬉しい。」
達也 「どうしたんだ、玲奈?」
玲奈 「だって…昨日も一昨日も来てくれないんだもの。メールだって返ってこないし。」
達也 「ごめん。ちょっと忙しくてさ。でも、今日はちゃんとこうして来ただろう?」
玲奈 (背を向けて)「…うん、そうだね。ちゃんと、来たね。」
達也 「何だよ? 何か言いたいことでもあるのか?」
玲奈 「いや…うん、どうして最近私のとこに来ないのかなって。」
達也 「それは、忙しいからだ。」
玲奈 「忙しい? 何をしていて、忙しいの?」
達也 「…勉強。学生なんだから勉強で忙しいのは当たり前だろ?」
玲奈 「本当に? 勉強で?」
達也 「なんだよ。俺を疑うのか?」
玲奈 「そんなことないよ。達也のこと、私は好きだもの。」
達也 「そう。」(背を向けて座る)
玲奈 「達也は、私のこと好き?」
達也 「…ん。」
玲奈 (達也を背後から抱く)「ねぇ、抱いてよ。久しぶりなんだから。おなかの底で疼いてる。ずぅっと、ずーっとあなたを待ってたんだから。ね、達也。」
達也 「今日は、帰らなきゃいけないんだ。」
玲奈 (声を荒げずに)「…なんで?今日は忙しくないから来たんじゃないの?」
達也 (腕を外す)「でも、用事があるんだ。結構前から決めてたことで。」
玲奈 「用事、ね。『私』よりも大事なんだ。」
達也 「ごめん。また、来るから。」
玲奈 「また、って何時? 明日なの? 明後日? それとも、1年とか、ずっと後?」
達也 「…メールするから。」
玲奈 「ふふ、そのメールも明日、明後日、1年後。あなたからのお知らせは、いつくるんでしょ?」
達也 「わかったよ」
玲奈 (立ち上がる)「雨の日。」
達也 「へ?」
玲奈 「雨の日。次雨が降ったら、その時は私の所へ来てよ。」
達也 「何で?」
玲奈 「私は雨が好き。家の中で聞く雨音が好きなの。好きな時間に会いたい人が来る。ね、いいでしょ?」
達也 「雨ね。わかったよ。雨が降ったら、お前のとこに行く。」
玲奈 「来るのよ、約束なんだから。絶対に。」
達也 (返事をせずに中央の黒幕へ)
(玲奈 外を眺めた後ベッドへ入り寝る)

   暗転

    麻美子の部屋 溶明
(達也 麻美子の部屋に入る)
麻美子(抱きつく)「たっちゃん! やっと来てくれたぁ。麻美子ずぅっと待ってたんだよ?」
達也 「ごめん麻美子。でも、こうして帰ってきたんだから、な?」
麻美子「寂しかったんだよぉ。たった一時間だけでも、たっちゃんと離れちゃうと、こう、胸がきゅーって痛くなるんだから。」
達也 「ごめんってば。今夜は一緒に居られるから。」
麻美子「本当? 今夜はずっと一緒に居られるの?」
達也 「もちろんだよ。」
麻美子「麻美子、今すっごい幸せ。」
達也 「なんで?」
麻美子「たっちゃんと一緒にいるから。世界中の誰よりも幸せだよ。」
達也 「そうだな。俺も幸せだよ。」
麻美子「ずぅっと傍にいてよ? ね?」
達也 「…ああ。」
麻美子「やったぁ。大好きだから、私が愛してるのはたっちゃんだけだよ。」
達也 「俺もだ。愛してる。」
(もつれ合いながらベッドへと倒れこむ)

暗転
(雨の音)
麻美子の部屋 溶明

(玲奈 窓の外をずっと眺めている)
(達也 上半身を起こす つけているのは下着だけ 麻美子は寝ている)
達也 (外を見て)「…雨?」
(達也 麻美子が寝ているのを確認しベッドから出ようとする 麻美子 腰に抱きつきそれを止める)
麻美子「雨は嫌い。」
達也 「麻美子、起きたのか?」
麻美子「雨は嫌い。寒いし、暗いし、冷たいし。外にはいけない、テンションは落ちる。何日も降り続くと、太陽なんてもう二度と現れないんじゃないかって思うくらい。雨なんて大嫌い。」
達也 「ちょっと着替えていいか?」
麻美子「一人は嫌。寒いのも嫌。いかないでよ、約束したじゃない!」
達也 「麻美子…」
麻美子「雨の日は嫌なのぉっ。一緒に、一緒にいてっ!」
達也 「ごめん、ちょっとだけ、ちょっとだけだから。」
麻美子「だめ! そう言って、今度こそ帰ってこない!」
達也 「絶対に帰ってくるから。離せって。」
麻美子「やんっ」
達也 「寝てろって。もう夜なんだから。」
(達也 麻美子の手を振りほどいて床に落ちている服を着る 中央の黒幕へ)
(麻美子 寝ている そのうち起きてシーツを巻いたまま起き上がり、床に落ちている服を拾って退場)

   麻美子の部屋 暗転

   玲奈の部屋  溶明
(達也 玲奈の部屋に入る)
玲奈 「…やっと来てくれた。ちゃんと約束は守ってくれたね。」
達也 「何の用だ?」
玲奈 「何? 用なんてとくにないよ。何もなくても、こうして一緒に居るものでしょ? 恋人って。(達也の手をとる)」
達也 「(手を払う)そうか? 俺は、別にそうとは思わないけどな。」
玲奈 「…冷たいのね。」
(達也 ベッドに座る)
玲奈 (背を向けて)「じゃあ、どうして来たの?」
達也 「それは、雨が降ったからだろ? お前が来いって言ったんじゃないか。」
玲奈 「私に会いに来たの? 会いに来てくれたの?」
達也 「だから! お前が来いって言ったんだろ!」
玲奈 (振り向く)「あなたが来たのは私に会うためでしょう?!」
達也 (乱暴に玲奈を引き寄せベッドに押し付ける)「ああ、そうだ! お前に会うためだ!」
玲奈 (首に手を回し、足も絡ませる)「私に会いに来てくれたのね。嬉しい。」
達也 (足を解いて開いて押さえつけ首に回された手を解き押さえつける)「何もないなら帰るぞ!」
玲奈 「ふふっ…ふふふ」
達也 「なんだ? 何がおかしい。」
玲奈 「私、蝶々なの。」
達也 「蝶々?」
玲奈 「そう。麦藁帽子をかぶった男の子に真っ白な網で捕まって、胸を親指と人差し指で左右からきつく締めつけられて、からだの一部を切られて内蔵を取り除かれて、綿をつめてはり合わせられて乾燥標本になっちゃった蝶々みたい。」
達也 「何気味の悪いこと言ってるんだ。」
玲奈 「標本になった蝶は幸せだと思わない?」
達也 「は?」
玲奈 「普通は鳥や動物に食べられたり、寿命で衰えて、道端で泥んこになりながら死んで逝くじゃない? でも、標本は死んでもなおその美しさを保っていられるし、人に見られる。幸せよね、死んだ後も求められるのだから。」
達也 「なんだ。お前は標本になりたいのか?」
玲奈 「…うん、それもいいかも。」
達也 (玲奈を離す)「本当に気味が悪い。人間の標本なんて気持ち悪いだろう。そんなもの手元に置くやつなんていると思うか?」
玲奈 (起き上がる)「さぁ。どうだろ?」
(達也の携帯がなる 誰からか確認してポケットに戻す)
玲奈 「いいの? 出なくて。」
達也 「…標本ってさぁ、どうやって作るんだっけ?」
玲奈 「蝶はね、こう、左右から胸をきつく締めて殺すの。(自分の胸でやる)」
達也 「こう、か。(玲奈をベッドに押し倒し いちゃつけ)」
玲奈 「ふふっ、そう、そうやるのっ、んっ…」
(携帯の音と雨の音)
(シーンの間で麻美子はしばらくしたら服を着て出てくる)

   暗転
(達也 中央の幕へ)
(玲奈は上手を向いてベッドに座っている)

麻美子の部屋 溶明
(達也 中央の幕から麻美子の部屋へ)
麻美子「たっちゃん!! どうして? どうして行っちゃったのっ!! ずっと一緒に居るって約束したじゃない! 約束破るなんて最低だよ。男の人は約束破っちゃいけないんだよ!」
達也 「悪かったよ、麻美子。」
麻美子「一緒に居てくれる?」
達也 「ああ。」
麻美子「晴れの日も?」
達也 「ああ。」
麻美子「じゃあ、雨の日も?」
達也 「……。」
麻美子「嫌だ! 雨が降ったらまたどっかに行っちゃうの?雨の日は一緒に居て!怖かったんだから、たっちゃんが居なくなっちゃって、私1人になって…」
(雷の音 続いて雨の音)
麻美子(雷の音を聞いて)「きゃぁぁーっ!!」
達也 (窓の外を見る)「…雨」
(達也 中央の幕へ行こうとする 麻美子抱きついて止める)
麻美子「行かないで!行かないで!!絶対行っちゃ嫌だ!!」
達也 「麻美子…」
麻美子「私付き合い始めたころから知ってるんだからね! たっちゃんが何処に行ってるか。女でしょ! 女なんでしょ!!」
達也 「それは」
麻美子「雨の日に会うなんて、何かの物語の娼婦みたいだわ。そんな女のどこがいいのよ! 私が一番たっちゃんのこと愛してる。私以外の女なんかっ!(麻美子 ベッドへ達也を押し倒す)
麻美子(脱ぎながら)「私以外の女なんて許さないから! 私がっ、一番たっちゃんのこと愛してるのっ!!」
達也 (麻美子を押しのける)「ごめん!」
(達也 中央の黒幕へ )
麻美子「たっちゃん! たっちゃん!! 嫌ぁっ! 嫌あぁぁっ!!」
(麻美子 ベッドに伏せる しばらくしたら下手を向いて座って待つ)

   玲奈の部屋  溶明
(雨が降り始めたら窓のところへ移動する)
玲奈 「…達也、今日は早いね。びしょ濡れじゃない。傘差してこなかったの?」
達也 「お前が、雨が降ったら来いって言ったからだ。」
玲奈 「ついさっき別れたばっかりなのに、私に会うために来てくれたんだ。嬉しい。」
達也 「これで満足か? 俺は帰るぞ。(背を向ける)」
玲奈 「ねぇ、達也。私は蝶々なの。」
達也 「は? お前、何言って…」
玲奈 「だから標本になるわ。そうすれば、私は美しい姿のまま…」
達也 「おい、お前は人間だ!あんな、蝶みたいな標本になんてなれないし、人間の標本にだってなれない!」
玲奈 「まずは首を絞めるのよ。そしてお腹を切り裂いて、内臓を取り出すの。綿をつめたらはり合わせて…」
達也 「おい、玲奈! 玲奈!! どうしちゃったんだよ!! 俺を見ろ、俺の顔を見ろよ!!」
玲奈 「出来上がったら、あなたの傍にずっと置いておくの。」
達也 「…玲奈?」
玲奈 「ずっとあなたの傍に。他の誰よりも長い時間一緒に居るのよ。他の女よりも、ね。」
達也 「……」
玲奈 「付き合い始めて1年と何ヶ月か経ってから、急に冷たくなったわ。私のところにもあんまり来なくなった。他に女を作ったんだ、っ   て思った。もう今では雨の日にしか、会いに来てくれない。」
達也 「…玲」
玲奈 「あなたの傍にいたい、だから標本になる。あなたが私の首を絞めて、お腹を切り開いて、内臓を取り出して綿をつめるのよ。」
達也 「やめろ!」
玲奈 「切り口をはり合わせて、大の字にからだを開いて腕と足をピンで止めるのよ。」
達也 「いいかげんにしろっ!」
玲奈 「それがあなたの仕事。」
達也 「意味わからないことを言うな!誰がそんなことしてやるか!」
玲奈 「達也は私を愛していて?」
達也 「誰がお前みたいな気味の悪い女、愛せるかっ!」
(雨の音)
(達也 中央の幕へ退場)
(玲奈 中央の幕の傍に立っている)

(達也 麻美子の部屋へ入場)
達也 「麻美子、ただいま。」
麻美子「(顔だけ達也に向ける)…おかえり。」
達也 「どうした? 元気無いな。大丈夫か?」
麻美子(首を横に振る)「大丈夫じゃないよぉ。雨が身も心も犯してゆくの。」
達也 「麻美子。(近寄り、肩に手を置く)」
麻美子(顔を背け)「ねぇ、私たちセックスするだけの仲じゃないよね。恋人どうしになれるかな?」
達也 「ああ。」
麻美子「ずうっと一緒に居てくれる?」
達也 「…ああ。」

(玲奈 紙に言葉を書き、ベッドの上に置く 上手へ退場)

麻美子「…うそだ。」
達也 「へ?」
麻美子(枕で達也を殴りながら)「たっちゃんのうそつき! 一緒に居るって言って、またどっかに行っちゃうんだ! 雨の日に変な女のところに行っちゃうんだ! 私なんかどうでもいいんだ! 出てけっ! 出て行けっ! 嫌い! 大っ嫌い!」
(達也 麻美子に追い立てられて中央の黒幕へ 麻美子 ベッドの中へ)

(雨の音)
(舞台 半分ほど暗くする)

(達也 玲奈の部屋へ入場)

達也 「玲奈、玲奈! さっきは俺が(紙に気づく)…ひょう、ほん?」

   暗転

                                                          完

舞台図



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