▼2006年度 立教大学前期義転載レポート

小説「暗闇の女」(東 隆介)

【解題】
東隆介君は、06年度前期「入門演習」の期末課題に小説を出した。題名がなかったので、最も中庸とおもわれるものを僕が付けた。
  ご覧のとおり、時代小説の文体が選ばれている。エロチックなものを、という当方の要請も守られている。ただし、その内実は、坂口安吾「白痴」や、川端康成『眠れる美女』、クロソフスキー『ロペルトは今夜』のような、性愛認知哲学の奥行を孕んでいる。
  真の暗闇のなかでしかその躯を味わうことのできない女。それに虜になる男。その女との愉しみを得るカネを算段してくれる男の婚約者。しかもその婚約者の正体は・・というサスペンスフルな筋の運び。
 性愛関係の本質的な演劇性や対象交換可能性が一方の主題だ。しかも男の性的快楽にとっては、視覚によって生ずる対象の定位性よりも、触覚によって生ずる対象の非定位性のほうが上位にある、という、東君の認知が語られるのだが、そこでは女性支配における定位=蒐集よりも、好色特有の、自己の脱定位という付帯主題もからんでくるのだった。一見1アイデアのような小説だが、このテーマはさらに拡大と深化が可能だとおもう。
 東君の弁明によると、これが彼が最初に書いた小説らしい。だとすれば、大したものだ。自分で一回書くと、今後の小説の読み方も変わってゆくだろう。幾多の小説で、「肉づけ」がどうなされているか。この点に注視したとき彼自身の創作行為にもフィードバックが起こるとおもう。その段階の小説をまた見てみたい。
(阿部)

小説「暗闇の女」(東 隆介)



小説「暗闇の女」

文学部 文学科 文芸思想専修1年 東 隆介


 清助は暗闇の中で女の身体を荒々しく組み伏せると、女の身につけていた着物を剥ぎ取り、その身体へと自らの舌を這わせていった。あたりを包み込んだ暗闇のために清助は女の顔を見ることができなかったが、清助の全身に力強く吸い付いてくる女の肌の、今まで味わったことの無いような感触だけは、思うがままに楽しむことができた。

(こいつは一両出しただけの甲斐はありそうだ。)

 初秋の夜というのにまるで夏に戻ったのかと思わせるような暑さに、閉め切った部屋の中で清助は汗みずくになりながら女との行為へと没頭していった。女の肌は飽きることが無いかのように清助に吸い付いてきた

 翌日、清助は女を抱いた船宿で杯を傾けていた。女は清助が目覚める前に既に帰ってしまっているが、清助は一人昨晩の余韻に浸っていた。

 と、部屋の襖が開いた。

 「旦那、昨日の女はよろしかったでしょう。一両分はお楽しみいただけたかと思いますがねぇ。」

 慣れ慣れしげに話しかけながら部屋へと入ってきた老人に清助は返事をせず、わずかに口許に笑みを浮かべるのみで返事に替えた。老人はそれを肯定と受け取ったらしく、清助の向かいに座り込むと、尋ねてもいないのに口早に女について話し続けてきた。

 「そりゃ、生娘という訳には参りませんがね、その分、並みの女には無えものを持っているというわけですよ。ええ、あの肌は生まれつきのものでございましょう。男に抱かれるのは旦那で五人目ですけど、皆さんあの肌には驚かれるようで。吉原にだってあんな女はそうはいないんじゃないでしょうかねぇ。あれで素人女だっていうんだから女は底が知れないってもんですよ。」

 牢人の身である清助にとって一両と言う額は決して安いものではなかったが、それでも清助が一両工面してまで女を抱こうと思ったのは、女を紹介した人物が目の前で話し続けているこの老人であったからだ。

 清助がこの老人とであったのは、松平伊豆守の中間部屋で開かれた賭場でのことであった。未だにこの老人の名を知らぬが、それ以来何とはなしに付き合いが続いている。老人は女の斡旋を生業としており、清助はこれまでに女を四人ほど紹介してもらっていた。いずれも普段は岡場所で客を取っている玄人女であったが、それぞれ念入りに清助をもてなし、また女と出会う場所も趣向が凝らされており、清助は大いに喜んだものだ。

 その老人が始めて素人女の斡旋を持ち込んだのが三日前のことで、すぐさま清助は話に飛びつき、一両を工面して女を抱いたのが昨晩のことである。

 清助は目の前に置かれた杯に手を伸ばし、その中身を飲み干しながら老人へと昨晩のことについて問いかけた。

 「それにしても、暗闇の中で女を抱くとは恐れ入ったな。なにかい、あれは爺さんが思いついた趣向なのかい。」

 「いえ、そういう訳ではございませんので。素人女ってのはなかなか面倒なものでして、自分の身元を知られるのを妙に恐れるものなのでございますよ。特に、旦那が昨夜お抱きになった女なぞはひどいもので、顔すら見られたくないと申しておりまして、客と会うときはいつもあの通り部屋を暗くしてから相手をするのでございます。まぁ、それでも客が付くところがあの女の肌の恐ろしさなのでございましょうがねぇ。」

 そういうと老人は清助の空になった杯へと酌をしながら、にやり、と笑いかけた。

 「そりゃそうだ。確かにあれは魔物の身体だ。あれで一両なら何度だって抱きたいというやつだよ。それにしてもあの暗闇が女の希望だったとはな。俺はてっきり女の顔が見れたものじゃないから、爺さんが仕組んだとものだとばかり思ってたよ。」

 「旦那、そりゃあんまりで。手前はもちろん顔を見たことがございますが、そっちの方もなかなかのものでして。顔さえ見せりゃぁ、五両でも商売になるのではと手前なぞは常々思っているのでございますよ。」

 老人のその言葉を聞いた瞬間、清助は傾けていた杯を止めると、老人の目を覗き込んで、言葉を投げかけた。

 「すると五両出せば、あの女を明るい中で抱くことができるのかい?」

 「それが、そうもいかないので。手前とて女に顔を出させた方が商売はしやすいのでございますが、あの女はどうしても首を縦振らなのでございますよ。それにしても旦那、あの女がそんなによろしかったのでございますか。こういっちゃあ何ですが、旦那にとっちゃあ五両ってのは、大金でございましょう。どこかに借りるあてでもあったのですかい?」

 「こいつ、はっきりと言いやがる。なにちょいと気になっただけさ。」

 清助は老人に対してそのように言ったが、実のところ女を五両で抱けるものなら抱くつもりであったし、金の工面のあても存在していた。

 清助の住む深川の長屋の大家がそれであった。この大家の一人娘の千代が清助に惚れているとかで、清助のもとに足繁く通ってくるのだ。清助にしても、何かと身の回りの世話を焼いてくれる千代には悪い感情は持っておらず、いずれは夫婦になる心積もりでいた。大家もそのことを承知しているので、何かと面倒を見てくれるし、金も用立ててくれる。昨晩、女を抱くために使った一両も、千代を経て大家から借り受けたものであった。

 清助は老人が酌をした酒を喉へと流し込みながら、昨夜の女の体と千代のそれとを心のなかで比べていた。

 清助はこれまでにいくどか千代を抱いている。千代の体は、娘らしい若々しさが全身から満ち溢れ、とても瑞々しいものであったが、昨晩、清助が抱いた女と比べられるものではなかった。その事実が、清助に昨晩の女の体をひときわ素晴らしいものであるかのように思わせていた。

 「旦那、顔が緩んでおりますよ。まだ女のことをお考えで。」

 気がつくと、清助は老人に声をかけられていた。どうやら無意識に笑みがこぼれていたようだ。

 「なに少しな。先ほど五両で抱きたいと言ったが、案外と、ああいう女は顔を見ないほうが具合も良いというものかもしれねぇ、と考えていたのだ。」

 老人の質問を肯定するのにも抵抗があり、清助は適当に嘘をついた。

 「旦那、手前の言葉をお信じになっていないので?あの女の顔は十分なものでございますよ。そりゃぁ、旦那は実際に女をご覧になっていないのでお疑いになるのも仕方ねぇのかもしれませんが、少しは手前を信じたってよろしいじゃぁございませんか。」

 老人は清助のこの嘘に、いくぶん気分を害したようで多少声を荒げながら、清助の杯へと乱暴に酒を注いだ。

 清助は老人の勢いと、自分の嘘がもたらした思わぬ反応に、いささか苦笑しながら、老人が酌をした杯をいったん置くと口を開いた。

 「そうではねえよ、爺さん。ああいう体を持った女っていうのは、体だけを味わうのが一番いいかもしれねえってことだよ。なまじ顔なんぞを見ちまったら、そっちの方に気がいっちまって、体だけを味わうって訳にはいくめぇのじゃねぇか。結局、女を抱くときなんぞは体さえ良けりゃぁ、後はどうでもいいのさ。男と女なんてもんも突き詰めれば獣とおんなじだ。女なんてものは体の出来が一番重要なのさ。」

「そういうものでございますかねぇ?」

 老人は納得がいかないのか、訝しげな表情で清助に尋ね返してきた。

 「ああ、そういうもじゃねぇのかね。まぁ、このことばかりは俺にもよくは分からねぇのさ。どうにも奥が深すぎる。」

 そう言うや、清助は目の前の杯に注がれた酒を一気に飲み干す。気がつけば清助の前には空になった徳利が無数に置かれていた。

 「で、爺さん、結局あの女は何者なんだい。どこかの後家かとも思ったが、それにしちゃ若すぎる。どうにも気になってならないのだがね。」

 清助が訪ねるや、途端に老人はぃやな顔をした。

 「旦那、それだけはご勘弁くださいよ。旦那だってこの商売の掟を知らねぇわけではないでしょう。」

 老人のように女を世話するものにとって、女の素性がばれることは死活問題だ。万が一、素性がもれるようなことがあればそれは信用の喪失を意味し、女達は誰も老人に仲介を頼まなくなってしまう。

 清助もそのことは当然承知していたが、にも関わらずこのような問いを発したのは清助の女への強い関心と体中に回った酒のためであったのだろう。

 「そいつは知っているがね。どうにも気になって、仕方がねぇのさ。なに、女の家に押しかけようってつもりじゃねぇんだ。ただああいう女がいってぇどういう暮らしをしているのかちょいと気になったのでね。別に居場所を聞き出そうっていうのじゃ無い。爺さん教えてくれないかい。」

 「旦那、ですから、そいつだけはどうにもなりませんので」

 老人は頑なに清助の問いに答えようとしなかったが、清助はそれでもしつこく食い下がってきた。

 「爺さん、あんただって俺との付き合いは長いんだ。女のことを多少漏らしたからといって問題無えことは、わかるだろ。」

 いつもの老人であったならこの程度のことでは、決して女のことを漏らしたりはしなかったであろう。しかし、その日の老人は久方ぶりに、しこたま飲んだ酒のために少々饒舌になっていた。目の前に座っているのが気心の知れた相手だということもあり、女の素性についてとうとう話し出してしまった。

 「いえ、何でもどこぞの、確か深川かでございました、そこの長屋の大家の娘だとかで。惚れた男のために入用だとかいう話ですが、まあどこにでも転がっているような話でございますよ。それにしても旦那には本当に・・・」

 清助には老人の話はもはや耳には入ってこなかった。彼の頭の中には先ほどの老人の話を聞いて以来、一つの可能性をひたすら考えていた。

 (昨夜の女は千代ではないのか?)

 清助は今までも幾度か大家から金を借りて来たが、その時にはいつも千代が間に入っていた。果たしてあの金は本当に大家の金だったのだろうか。清助は金の入用を伝えた時の千代のどこか沈んだような顔を思い出していた。

 昨夜の女が男に抱かれたのが五度、清助が金の無心を行ったのも五度、全てが清助の中で昨夜の女と千代を一つに結びつけていた。

 (あの金を払っていたのは千代に違いあるまい。)

 清助は千代が己のために男に抱かれていたことには、それほど衝撃を受けてはいなかった。先ほどから彼を捉えて放さ事柄は、昨夜の女の体と千代の体が同じものであるということであった。この二つを清助は明らかに異なったものと認識していたし、今になっても、どうしても一つにならない。

 ふと、清助は先ほど自らがしゃべった内容を思い出した。

(「女なんてものは体の出来が一番重要なのさ」)

 何気なく口に出した言葉が、こうも自分に返ってくるとは清助は思っても見なかった。

 清助は千代のことを憎からず思っていたはずであるのに、千代と知って抱いた時の千代より、体のみの女として抱いた時の千代に、惹かれているのである。

 清助は自分の中で、なにやら得体のしれない生き物が這いずり回っているような感覚に襲われた。果たして次に千代に会った時、清助は千代の体ではなく彼女自身を愛することができるのであろうか。

 どこからか季節はずれの妙に甲高い蝉の鳴き声が聞こえてくる。

 目の前では完全に酔いが回ったらしい老人が未だに話を続けていた。

 清助は目前の杯を手に取ると、乱暴に中身を飲み干した。

 酒は昨晩抱いた千代の肌の味がして、そのことがさらに清助の気分を重くした。

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