▼2004年度 立教大学前期講義転載レポート

「キモポップ」のすすめ(小森真樹)

【解題】
 史学科四年、小森真樹くんの提出課題は、先の大伴さん同様、高密度の音楽コラム。全体は婦女子ごのみのアイドル型ギターポップではなく、もっとキモいポップを聴け! という主張に基づいたものとなっていて、引いてしまいそうなほど「濃い」。けれども、こういう音楽コラムが僕は大好き。

 ふーん、と感心したのは、まずキンクスとシュルレアリスムを結びつけた点。昔、グレイル・マーカスが、ランディ・ニューマンのアルバムは売れない、諷刺性が音楽として「暗い」からだ、ところがもっとセールスの見込めないのが「薄暗い」音楽で、その代表格がキンクス、70年代に入ると、ビートルズばりの嬌声に包まれたステージングを誇っていた彼らのアルバムセールスも全UKで9,000枚程度に落ち込んでしまった、と面白おかしそうに書いていたことがあった。で、僕はその薄暗さを、諷刺性と脱力性の混交から生まれると考えていたのだった。キンクスの歌全体には日向ぼっこのみに耽る老人たちの無為のイメージが連綿とある。

 先の大伴さんの原稿(それとそこにつけた僕の解題)も考えると、「エレ6」系とキンクスの共通土壌がみえてくるとおもう。キンクスのリーダー、レイ・デイヴィスの作曲能力自体は僕はポール・マッカートニー並だとおもうんだけど(「サム・マザーズ・サン」「プリンセス・マリーナ」「レイジー・オールド・サン」「アルコール」「クリケット」などには、不思議で得がたい、アメリカン=ブリティッシュな翳りがある)、その場合のグッドオールドすら、「セールスの見込めなさ」に裏打ちされているだけに、攻撃性と考えるべきなのかもしれない(ここに「エレ6」系との共通性があるのではないか)。僕はキンクスにかんしては高校のころ、ずっと輸入盤で聴いてしまっていて、耳に自然に入ってくる程度しかその歌詞を考えたことがない。たぶんそこに小森くんのいう、「シュルレアリスム」の感触が隠されているのかもしれない、とおもった。

 第四回で扱われている「エレ6」系、ニュートラル・ミルク・ホテルは興味をもったので、ぜひ聴いてみます。そうそう、音楽コラムの要諦のひとつは、既知のミュージシャンの隙間に未知のミュージシャンの名が挟まれていて、それで「聴いてみたい」という作用力の生じる点。小森くんの原稿にもそういう力が着実にあるとおもいます。

 小森くんのいうキモ・ポップはほか、ヴェルヴェッツとクラフトワークで、これはかなり穏当な選択ではないか。ギターポップで来た冒頭を活かすならクラフトワークよりも初期カンのほうがもっと面白い流れがつくれたともおもうけど。あと、ギターフィーチャーのキモいポップということでは、やっぱりキャプテン・ビーフハートなどを考えてしまう。そのビーフハートのオクラになっていた『ダスト・サッカー』というアルバムを先ごろJANISで借りた。『トラウト・マスク・レプリカ』につづくザッパ・プロデュース盤だったが、ザッパとのケンカで陽の目をみなかったという。これは『シャイニー・ビースト(ピカピカ獣)』以後のビーフハート・アルバムの元ネタ集といえるアイデア満載盤で、しかもたとえばコードのちゃんとあるポップ曲「ハリー・アイリーン」が入ってくる衝撃が『シャイニー・ビースト』より全然高いという代物だった。超名盤。

 最後に小森くんについて。彼はカラオケでオヤジ泣かせの楽曲を、ヘンなこなれて唄う個性がある。難曲「アイアム・ザ・ウォルラス」を完璧に唄ったのが、記憶に妙にのこっています。
(阿部)

「キモポップ」のすすめ(小森真樹)



「キモポップ」のすすめ


第一回:ギターポップ少女撲滅の回


『Velvet Underground & Nico』(1967)

 皆さんの周りにもいませんか?「ギターポップ好き」少女が。聴く音楽はギターポップだけだと言いはる。白地に水色か緑色の横文字のロゴT。細身のジーンズ、白いスニーカー。ライブではステージを観ても何故だか笑顔一つない。

 最前列噛り付きでキノコみたいにヨコノリで踊るな! 差別的な視線で他人を見るな! あたしお洒落なんですって無言で主張するな!

 今回の要点はですね、皆様に誤解を与えたあいつらを絶滅させましょうと。ギターポップってもっと素晴らしいよと。アイドルだけでないんだよと。いいたいわけです。

 そこで僕は「キモポップ」を提唱しようと思います。「キモ」い要素と共存した、または「キモ」い中にあるポップさが最も染み入る。それこそが最も洗練されたポップさだと思うわけであります。

 あえて今回改めて紹介したいのは、全てのNYパンク、オルタナ界のバンドに影響を与えた、言わずと知れた名盤中の名盤、『Velvet Underground & Nico』。彼らがウォーホルの秘蔵っ子であったということや、そのバンド名の由来は道端に転がっていた三文(SM)小説のタイトルだということは承知のとおりであるが、これが正に「キモ」くて「ポップ」! 鼓膜を裂開させるジョン・ケイルのヴィオラ+ルー・リードのカントリー直系コードに乗ったNY的饒舌ヴォーカル、この不均衡が体の中に浸透した瞬間、昇天。

 そういう二面性を象徴するかの如くウォーホルによって描かれたバナナのジャケットも、皮を剥く(=シールを剥す)ことができるってのは、やはり「キモ」+「ポップ」を感じて欲しいっていうウォーホルの意図。美学的に見れば、皮と実で二層性を持つ果物ってのは性の象徴。しかもバナナですからね…(笑)。皮の黄色さ(=ポップ)に魅かれ、実の甘味を当然予想して皮を剥くと、中身はなんとピンク色(=キモ)! 中ジャケに剥いたバナナの絵が載ってるだけのCD盤は、「キ」と「ポップ」が分離してるはずだから、高くてもLPを買いましょうね。

 ハイライトは、ドラッグ頽廃ソング「ヘロイン」。「Heroin, It's my wife and It's my life~」ってくだりで彼、笑ってます。完全あっちの世界の住人(笑)。スタジオ録音時にこのテンションになれるなら、ライブを想像したら恐ろしくなってきたぞ…。それ聴いてもまだ「キモ」さを求める人には2nd『white light/white heat』を、「ポップ」を求めるなら『Ⅲ』をお勧めする。でもキーワードは「違和感」! VUから「キモポップ」を感じてみてほしい。そして少女殲滅へ…。

第二回:モッド=シュルレアリスムの回

The kinks『アーサー、もしくは大英帝国の衰退ならびに滅亡/Arthur(or the decline and fall of the British empire)』(1969)

 キンクスはとてつもなく「キモポップ」なバンドであると思えてきた。ここで取り上げるのにどれが一番かなって考えてたら、(リリースで『St.Pepper's~』に先こされたけど)世界初のコンセプトアルバム『Face to Face』も捨てがたいし、イングランド田園での牧歌的生活を歌った『(kinks are)the Village Green Preservation Society』もいいし、イギリスの階級性なんかの伝統的な慣習をアメリカンカントリーにのせた『Muswell Hillbillies』も正にって感じ、通勤中のサラリーマンに聴かせたら涙ものの『Soap Opera』…ってどれでも「キモポップ」!って気がしてきた。

 ほんとどの盤を選ぼうか迷ったけど結局パイ時代に出た本作にした。やっぱり一般的に名盤と言われるだけあって、レイのソングライティングは秀逸だし、歌ってる内容はひたすら大英帝国時代の植民地のことやら西洋人のオリエンタルな夢…。でも何が一番素晴らしいかってこのジャケ! 王と皇女らしき人物が描かれているカップ、メンバーの写真、スワン、ポット、手、などが水面上に配置されている。そして裏ジャケはボクサーらしき犬(カンガルー?)が小便の雨を降らそうとしているのか、恥部下の湖から傘を待ち構えている手が出没。このようなデペイズマン的手法が最高に「キモポップ」。というかシュルレアリスム。

 常々僕は考えていたのだけれど、レイとデイブは何故シュルレアリストとして認められないのかが理解に苦しむ。歌詞・ジャケやポスターなどのカヴァーアートの中に見られるデペイズマン・ユーモア・風刺、どれをとってもダリ、エルンストに勝るとも劣らない気がする。うーん、なんというか、カリントンの持つ「幼児性」みたいなものを感じる。ただ、完全にデペイズマンから派生したシュルレアリストであって、自動記述的な流れは感じないけど。誰か2004年版『シュルレアリスム宣言』を書くなら、是非彼等を評価してあげて!実は解散もせず本国では細々とライブ活動してるから。


第三回:「お約束」で大丈夫の回

kraftwerk『Trans Europe Express』(1977)

 これは、聴いたことある人もない人も「キモ」いのはわかる。なぜってジャケがキモい。四人がそれぞれカメラ目線じゃなく何処かに視線を投げている。バックは真っ黒。変なサイズのスーツ。結び目細すぎの太めのタイ。本気なのか冗談なのか解釈不能。

 ご存知の通り、Afrika bambaataaが『Planet rock』でそのトラックを使ったことで、結果としてHip Hopの礎を築いたことになった名盤『Autobahn』の次の作品であるのが本作。前作は単純に「高速道路の音の模倣」がテーマ、今作は…単純に「列車の音の模倣」…まんまじゃん!

 って何が違うかっていうと、音の使い方。シンプルなシーケンスとビートのサウンド、基本的に後のテクノ、ハウスのコンセプトに通じてとても「ポップ」。おまけにそれに加え、ヴォコーダーを通したコーラスに、やる気ない呟きのような歌(語り??)…「キモ」い。はい、「キモポップ」完成、なわけだ。

 しかし本当に「キモ」いのはそこではない。3曲目「showroom dummies」は一言で言うと「マネキン人形賛歌」なんだけど、ひたすら「we're showroom dummies(俺らマネキン人形)…」とループし、人形が少しづつ少しづつ動き出す様が音と詩で時折挿入される。コワイのよ。その反復が。まさにマネキンが喋ってるよう。模造有機性無機物が真の有機性を手に入れる過程が見える。そしてマネキンがKraftwerkの四人に見えてくるんだ、どう見ても(聴いても)。当然同時にKraftwerkの四人がマネキンと化してくる。無機物と有機物は、そこに有機性/無機性を与えられ、音による契機をもってしてその境界は融解してゆく。ジャケ写真の謎が解ける。

 いくら時代が下ってもテーマの視角は、「コンピュータの世界」「電卓」「ネオン」「人造人間」…となんにも変わることなく同じことをやり続けている。いいのかそれで…。良いらしい。それで良いということがこの度公的に証明されてしまった。2003年全フランス競輪大会であるツール・ド・フランスのテーマソングを彼らが勝手に製作したところ、オフィシャルに主催者から依頼があり、『Tour de France 2003』としてリリースされてしまった…もう何してもいいから勝手にして(笑)!。それでこそkraftwerk。ちなみに初期のメンバーKarl Bartos(Johnney MarrらとElectoronicというバンドにも在籍)は、昨年リリースのソロ作品で、ほとんど70sのkraftwerkと同じことをしていた…。やはり「お約束」で良いらしい。


第四回:「キモ・ポップ」現在形

Neutral Milk Hotel『In The Airplane Over The Sea』(1997)

 前3回なんだか古いものばかり取り上げてしまっていたので、最終回である今回は「キモポップ」現在形という題で書こうと思う。ここ10年ほどのシーンを振り返ってみて、「キモポップ」なシーンはなかなかないな~という中、Georgia州Athensを中心にした仲良し表象コミュニティとでもいうのだろうか“elephant 6”はまさにピッタリですね(C-86あたりからのScotlandのGlasgowシーンも捨てがたいんだけど、あっちは少し洗練され過ぎてるかなと思って)。そのなかでも一際目立っているのは、鬼才ジェフ・マンガムによる一人ユニットNeutral Milk Hotel。1stフルアルバムが本作。プロデュース、ギターにアップルズインステレオのロバート・シュナイダ―、エルフ・パワーのローラ・カーターも参加。突き抜けるポップさはないけれど(前回までの3作も別にないか)、フォーク・タッチの切ないメロディが、決して上手くはない荒削りなギターを柱に「謡」われる。本当に「歌」ではなく、(楽器演奏にのせない声一本という意味での)「謡」といった感じだ。

 それに加えて、バンジョー、アコーディオン、ホルンの響きも手伝って、何処かの隊商について回る音楽隊や軍楽隊をどこか彷彿させる。「ガチャガチャ」した感じ、という印象だ。全曲が一曲につながっており、無論それはコンセプト・アルバム的な製作がなされている証拠である。

 どこが「キモ」いか。オリエンタリズム的な勘違い異国情緒がとても「キモ」い。そしてまたまたになるが、やはりジャケが「キモ」い。今回はまんまシュルレアリスム。色あいといい空気といい、エルンスト、マグリットの初期作のような雰囲気をもっている。右手を挙げる女性の顔はタンバリン。彼女の背後には関節の角度が不思議な方向に曲がった少年が笑顔で女性の顔を見つめる。何隻かの船、海、緑色の空。裏ジャケにはこびとの軍楽隊のような集団が舞台の脇で演奏中、彼らの足は通常の人間の10倍近く伸びている。聴覚的イメージと視覚的イメージが一致するのだ。音のみからは「違和感」を感じるのだが、ジャケットは音にピッタリの「調和感」。もう一つのレヴェルで、以上二つの「違和」と「調和」のメタ「違和感」。このような総合的な表現は、みんなで何でもこなしちゃうelephant6周辺の人たちならではのもの。

 その他周辺では、ガムランやヴィブラフォンを駆使した個性的なサウンドに「しょうゆ」「ラーメンフーフー」などと記されるジャケが印象的なAthensのバンドMacha(=「抹茶」!)。40分全編ほとんどが、「Revolution No.9」のような、音のコラージュで散りばめられたMusic Tapesの『1st』はジャケットが紙細工で、自作のコミック付。

 全4回見てきたように、整合性ある不整合、この「キモポップ」の潮流は、(シュルレアリスムなどの)表現方法・ポジショニングを通じて音楽シーンを脈々と流れている。今後期待されるのはwebなどの新たなメディアを利用した表現。まさに「キモポップ」に適した媒体だと思うんだけどな~。

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