▼コラボレーション

佐々木安美のように

佐々木安美のように






【解題】
「佐々木安美のように」、
履修者にはさらにむずかしい課題だったようだ。
単純ないいまわしに「奇異」を盛ることで
余白だらけの空間を豊饒化してゆく。
鍵は「おなじものの複数性」みたいなことかな。
それでも時間がずるり、とながれるのだ。

ただし佐々木さんは
『心のタカヒク』までと
その後の『新しい浮子 古い浮子』のあいだに
ほぼ20年、詩集上のブランクがあり、
現在は作風がより多彩になっている。
その「浮子」のほうを参照する学生は少なかった
(ぼくはむしろそちらに近づこうとした)。

『タカヒク』までに顕著だった
一行字数の少ない詩篇の
へんてこで、かつ抒情的な音韻に
みな惹かれたのだろう。

最高点は「おこめ」の斎田尚佳さん、
次点は「しゃこ」の大永歩さん。

大永さんの「しゃこ」は歯磨きの擬音だろうが、
歯ブラシの形状もくわわって
シャコ(蝦蛄)の幻想を喚起する。
これはえらく「気持悪い」のだが、
一旦生じたアナロジーが決して安定せずに
そのまま詩篇が終わってしまう。
この呼吸が佐々木安美だ。

あるいは、斎田さんの詩篇は
その最後の二行がウルトラC的に秀逸だ。
「省略」があることによって
文脈がねじれながら、
同時に言語化しにくい余韻が生じている。

ここで「省略」されているのが「感情」だということ。

ここがペーソスを超えた、佐々木安美の詩にある
「残酷」とも通じていて、
「ミメーシス」ということがなければ
一体どうやってこんな詩法を
わかいうちから獲得できるのか、とおもう。

佐々木さんの詩は格別に
食べ物語彙の多いほうじゃないとおもうのに、
食べ物語彙の詩篇の多いのも興味ぶかかった。

冒頭に佐々木さんの一篇を置いた。




佐々木安美のように

大永 歩/森田 直/森川光樹/川名佳比古/高橋奈緒美/斎田尚佳/
斎藤風花/長谷川 明/荻原永璃/山崎 翔/阿部嘉昭





【かみかみと言った】
佐々木安美



川の
水の上に
紙が
浮いてるんだよ
波にぴったり
はりついて
波の形に
浮いてるんだよ
妻を
抱き寄せ
ぶうやんと
言った
紙は
いつか
破れるんだろうな
ちぎれて
ばらばらになって
誰にもそれが
紙だっていうことが
わからなくなって
しまうんだろうな
ぶうやんと
言った
まだまだ
だいじょうぶだ
上になり
下になり
かみかみと
言った


(佐々木安美『さるやんまだ』〔87〕より)







【しゃこ】
大永 歩



くちのあなは
きれいにしなければね
しゃこしゃこ
しゃこが
長いあしをめぐらせ
すみからすみまで
ぼくによりそう
あかく
にじむ
なみだが
おぼれそうにぼんやりしている
息ひとつ
つけども
そよぐ雲にまみれ
かたちは
あるはずなのにはかるにはかれず
平均の逢瀬をはたとあやしむ
ぼくは
いきを
のむ
おえつが
しゃこしゃこ
かさなる







【ボニー】
森田 直



韓国産キムチを食って
ウメーというぼくに
君のにらみが
効く
クー
そんなの
信じられない。
冷蔵庫に入れたのは
君じゃないっけ?
どうして君は
そんな右まがり?
あさりのみそ汁なら
ゆるすの?

寝室では
まるい肩
まるい腰
なめらかな
流線型のかけぶとん
それをつまみに
つるつると
ぼくはとなりで
そうめんを
すすっている
一人前食べると
君が「ナー!」とさけぶ
ビックリ寝言だった
なんだか
遠くで
聞こえたみたいだ

ぼくの目は
いちだんと覚め
またちょっと
寒くなる

もう一人前食べた
夏の日の
君とぼくと
ボニー







【頭の中のどこか】
森川光樹



奇声をあげるとラジオが
かけられた
車の中に
かなしいことはひとにかくそうと
いうかなしい歌が流れた

外くらいですね
所沢はいい所だわ
所沢はいい所ざわ
ざわわわわわわ
ざわわわわわわわ
郊外はくらい

とても久しぶりの
「げんきずし」が
「すしおんど」になってた
乾いた蛍烏賊が流れてた

しばらくして家にかえった
家はあかるい
「げんきずし」を食べてた小学生のころを
思い出したことを
思い出してた







【午后】
川名佳比古



夏を呼んでいる
空に
ひつじの群れが
そろりそろりと
歩いている
父がそだてた
とねりこが
春のおもいでを
土にかえす
ひつじが
食べのこした
夢のあまりを
ていねいに
和紙につつむ
母はしごとを
やめてから
すこし
体重がふえた
いまは空に
うろこが
ぞろりと
生えている







【草原】
高橋奈緒美



草を食む
馬は
背に乗せた者を
見たことがない
どこまで
馬糞が示す道を
辿ればいいの
たてがみからは
夜の
においがする
あの丘の向こうの
家につくころ

ここでは
そんな慣習ないよ
ほしを
数えるなんて
誰がはじめたの
もっと
いるのに
夜空の話じゃなくて
わたしのことだよ
わたしらの

ああ
首がいたい







【おこめ】
斎田尚佳



ぼくはいつだって
空の大きさなんか
どうだっていいんだよ
きみの手が
ぼくのより大きくないか
それだけが心配で
爪の隙間に入り込んだ
おこめたちが
食べてと
せがんでいたから
おにぎりをにぎる
きみの手が
ぺとぺとのおこめを
ひとつにしてく
黒いのりが
ぴたりとはりついて
ひとくち食べて
しょっぱいと笑ったら
きみの膨れた頬におこめが笑った
頬張ったおこめが
一粒落ちた穴に
ぼくの手は大きくて入らない
それが嬉しいんだよ
寂しいんだよ







【くっちまえ】
斎藤風花



それでいい

それでいいのよ 午前四時

あ。
追いぬいた 奴が 
憎たらしくわらった

追い抜かされたわたしの
隠しきれない きもちのたまり場は

かすかではなく、おおきくもないが
大きくもなく、幽かでも、無い

あじさいを見にいった
江ノ電の窓は晴れ間を演出する
午前の太陽のやさしさにあまえる

ひかりのふもとで寒がってみせるあたしの
寒がりぬく、あたしの
ふもとで
奴は
しろいひかりの
くるしみも 未来も 
しかんさせて あげてるみたい

くろいTシャツで クールぶりながら
あったまってる奴の
こちらをみている奴の
にくたらしさたるや







【まど&ごはん】
長谷川 明



ぼく
ごはんが
くいたくないです
のまどの
そとから
いろんな
からだが
やってきて
ぼく
をよく
かんで
なんかいか
なめた
そんで
からだ
をかいたい
ばか
へんたい
いろんな
いっぱいを
でてきたのをたべます
まどれえぬ
とか
いかすみにとか
まどの
からだは
なんちゅーか
うろこ

ぺっとする







【気がする】
荻原永璃



登るのに適した木を
十三の年から探している
ゆりかごのガジュマルは
みな倒れてしまった
幻の街
そのスーパーの
階段に射しこむ光を
わたしは知っている
地図はわからない
かつて遊んだこどもがいた
気がするだけなのか
引き出しの中の手紙は
もうずいぶん以前のもので
あわい水色の紙に
あなたがすきだと
かいてあったこともあった
毛虫の文字は
羽化して飛んでいった
階段の光の中で
ガジュマルの気根の中で
はばたくもの
鱗粉のきらめき
気配だけが
耳元に感じられる
今朝
どんな夢をみたか
思い出せない
残り香
握りしめていたなにかが
あったように思う
手のしびれ
ずいぶん遠出したような
白い朝の
さえざえとした








【桃太郎】
山崎 翔



ここら辺の家だと
生活排水はとかげのすがたをしてて
ちょろちょろと音をたてながら
緑のいろの
コンクリの川に流れこむ
そうすると
今日あたりは
たくさんの泡ができて
痩せ細った月が
こなごなにやぶけてしまうだろうね
どんぶらこ
どんぶらこ
台所では
洗い忘れた空っぽの牛乳パックから
それはそれはまんまるにふとった腹を
でんでんと鳴らしながら
なまぐさくて
しめりけのある
ごつごつとしたほしが
ようやく
這いだしてきたんだなあ




 






【接線】
阿部嘉昭



じてんしゃにのって
ぎんいろになってゆくのは
やがて枇杷のみのりがながれつづける坂道
ななめにもてあますということが
じてんしゃのりの姿勢で
こんなふうに風景にすべりながらくっつくのは相当はずかしいと
ぬかるみの のりしろまでもを俯いてすぎるけど
おんなのりでは
風の尾っぽがぜんしんにつけられたようで
もっというなら 万人になってすすりながら
ところてんそのものを責めてもいるようで
かぞえられるものには とことん疲れてくる
だから ところてん式に枇杷など
そのすぎさりへとかぎりなく生る、生るだろう
銀輪をまわすひとのなかでぼくはじてんしゃをすべらせているはずだのに
じてんというもののけだるさからしまうまをおもい
さばんなで先遣隊の懐中時計をひろった命知らずはいるだろうか
と 発熱三日めのようにまぶたのうらをぎんいろにしてゆく
ぼくが返すと それはひかるよと
いろんなものにまなざしだってなげるけど
風景をすまきにする気合で
目をつむり 坂をじてんしゃでくだってゆけば
めだままで枇杷になっているのだから
エロ本をめくっているきぶんにだってなる
ひかりにうかぶおっぱいのしずか
身近にみえるものは身近ののりまきだ、なんて
かんがえのわきにもかんがえのあるのがもどかしい
きっとめくれているのはぼくのからださ
ともあれじてんしゃから車のとれたじてんで
線になりながらにおいだらけの午後を浴びて はしる








 

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