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    <title>阿部嘉昭ファンサイト</title>
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    <updated>2009-11-17T08:58:08Z</updated>
    <subtitle>「阿部嘉昭ファンサイト」では、阿部嘉昭氏自身から寄稿文がご覧いただけます。立教、早稲田で行われている講義内容も随時アップ。また、学生からの投稿原稿も転載しています。</subtitle>
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    <title>新詩集『みんなを、屋根に。』</title>
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    <id>tag:abecasio.s23.xrea.com,2009://1.437</id>
    
    <published>2009-09-02T09:41:57Z</published>
    <updated>2009-11-17T08:58:08Z</updated>
    
    <summary> ※０９年９月思潮社刊『頬杖のつきかた』の傍らと以後につくり、 自分で満足してい...</summary>
    <author>
        <name>管理者</name>
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            <category term="poem" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://abecasio.s23.xrea.com/">
        <![CDATA[<BR><BR><BR><BR><BR>
※０９年９月思潮社刊『頬杖のつきかた』の傍らと以後につくり、
自分で満足している詩篇をアップしておきます。
詩集としての編集ではなく暫定の並びです。
詩篇はネット発表後、随時足しこんでいます。
<BR><BR><BR><BR><BR>

【手】
<BR><BR>

手は 
手にあらざるものを 
通過して 
透明をつかんでゆく 
麦が透ける向こうに 
夕陽がみえ 
手は無為になろうと 
真夏を垂れる 
捕縛を待つ 
滝の手は 
やがて夜の流れにも挿す 
手がそうして殖える
<BR><BR><BR><BR><BR>




【丹頂】 
<BR><BR>

失地を回復しようとして 
田上に丹頂は降りる 
はためかす翼が背景におよび 
いまし田野も翔ぼうとした 

睛の周りに点じられた真紅が 
地上に変わらない千年を見据える 
あらゆるものが赤かった残欠 
補色から補色へ跳ぶ、記憶の正統 

さばえ、唸り上げるものに 
風景が近づける神を生じて 
眩暈とともに頭上も黄金ニ入ル 
鶴は翼をさばえなそうとして、 

その嘴からは蚯蚓をぽたぽた落とす 
災難だった――芹田に芹なくて 
翼の匂いから草が湧かないのは。 
空に棲むまえが湿地の一族だったのに 

空を飛んで全身は冷たく凝血した 
罅割れが空の罅割れを長く渡ったあと 
片脚立ちしたその全身、鱗の遠近法が 
風景を割って出る坂を密かに形づくる 

お聞き　空には坂があまたある 
わが姓は「空坂」　名は永代なし 
人語を超えた語も叫喚でしかなく 
遠くと遠くを結ぶ　のみどが血塗れ 

知るか　沼など空からは穴に過ぎぬ 
地軸の傾きを身にべったり帯びるために 
二羽で墜落を遊戯することもあるのだ 
季節を統べる驕りはこの地軸感知による 

あるとき地平に季節種が一斉に出て 
その一種にしかないことは、事後の何か 
翼の熾す孤独な電流に空が染みて 
その影のもとにしか人間も頭もない 

ささくれて天と謂えばいいのだろうか 
天に八岐もあると告げればいいのか 
翻意を洩らすまえに灰を帯びた双つ翼は 
あらかじめ今生の身に別れていて惨憺 

空に飛び出しわさわさする身に罅が入り 
その亀裂が　風の遊び入る浮力となる 
この姿が一個の懇情などと高を括られては 
やがて雷鳴ニ入ラントスル矜持がすたる 

こんもりした地上にいっとき留まって 
婆沙婆沙と騒ぎ　鳥骨の構造を自ら砕く 
骨は翔ばない、精神が浮力を得るのみ 
溶ける大らかさで空とともに悲遊する 

大悲と呼ぶにふさわしいこの恩寵は 
我が身と背景から切にもたらされる 
ただ種族の掟は「一過」にも満たない 
おまえの眼にただ傷をつけるだけの
<BR><BR><BR><BR><BR>




【腹筋】 
<BR><BR>

笑うためだった 
横隔膜は鍛えられないので 
腹筋を鍛えた 
不安な 
雲の峰のようになって 
性愛のとき 
下腹に夕立が流れた 
都市は動いているか 
足許では女が 
横になっただけではなく 
夏を流れている 
腹筋のうえの俺（魂、） 
ひん曲がりながら 
どこに立ってるんだ 
夕焼け　ぎらぎら
<BR><BR><BR><BR><BR>




【薙ぐ】
<BR><BR>

ふくざつを排すのは
なぎゆくこの身だ、
身を文にひたして
百草を編まず狩り倒せば
みなもの地紋が
足からのぼりだして
一身が炭酸の塔
風路ともつながる
そうなれば愛す身は
対象のうえに剰り
接線を崩れてゆく
コンナ愛シカタ
植物の昆虫にあったか
世に八角形のものを
めざとくみつけては
蜂の尾を振る
振って小さすぎる
水滴を頭上に爆ぜる
お前だ蜂角形
部分の植物は薙ぐ
<BR><BR><BR><BR><BR>




【トウキョウサラダ】
<BR><BR>

まものになる
いまのせなかだって
すいめんからはななめだよ
跳ぶかもしれない

ひとびとは藻のようなものを
交換する
セックスのなにが健康か
ひっくりかえしたり
ぶちまけたりしながら
ばらばらになった四肢が
だんだんひかってゆくだけ
こんな港さえもが未来だと

物乞いしてあるいて
あごのしたに嘆きがふえる
こびとになればさらに
眼に映るこびともふえる

光芒のようなものが
全景を通過体にして
垂直の桟橋、きれいだなあ
縦に跳ぶ鳥、破滅のいきおい
割れた音を必死に出すのを
手許に放さずつかまえて
ひしょう――卑小のピエタ
泣くために
死にちかい者を捕獲した
それが、おまえ

ホテルにいたんだ
金貨といっしょに
生き死になぞは財布、とおもうから
消えた者とした貸借だけが気になる
からだを冷やすため頼んだくだものも
とおくに置けばのきなみ砂金となって
食べられない水辺の日々もつづく
川沿いでは　からだ、
「からだ食べたい」（どの次元で？
（はらわたのないかげろう
の次元でだろう、たぶん

さあ、自分を、自分に

ゴーストや記憶や義手など
霊的なものをあつめては
酢と塩と油をかけ攪拌する
くちに運ぼうとすると
そこに帆ではなく
やはりかげろうがいて
わたしのシャツとおなじ模様だった
つくづくこどもだとおもう

ニースふう（『ニースについて』）
笑い方のそよかぜ。
そういう彼岸が着実にあるから
あれこれひかる
トウキョウサラダも
サラダなのに液体だった
泪みたいに液体なのだった
<BR><BR><BR><BR><BR>




【小だらぼっち】
<BR><BR>

眼を閉じた箱として
わたし歩くあるく箱
足許の水溜りの論理で
頭のなかのもやしが
黄色くびしょ濡れになる
わたし歩くあるく箱
（こんなのが給水なんて）
ぜんまいはわたし撫でた
少し湿って寂光土の皺々
蔦が疑問符をひねりだす
風景も鏡だらけに照り返し
皺いがい何事も嗅がない
わたし歩くあるく箱
虹の根がみたいなあ
八幡平から追分山へ
実る青林檎に沓をかけて
点在の愁いと鐘の音
ゆっくりと昇ってゆく
百歩で粥の世など抜け
わたし歩くあるく箱
<BR><BR><BR><BR><BR>




【かまくら】
<BR><BR>

うすい水田を
うきあるく人のはるけさ
うすさとはるけさの融合を
一身にあつめては
空を、並列の孤独で截る。

春隣と秋隣にはさまれて
夏に隣はなかった
ともすれば墜落への天上に
季節外れ、女の琴が
諦念の錦を飾っただけだ

かぜにしき、
天心から頭を引かれて
郵便受のつづくそこを
奥へ奥へと重く訪ねた
地名だろうか――、蔑称？
久しぶり会う人びとの
瞳は白地に紺で描かれる。

稲村ヶ崎、
いちばん海にちかい郵便受が
風に受口をひらくのを
熱せられた夢に幾度も見る
喰われるイチヂク
その総体をおもう以外に
おもしろい物語がない
とおもっていたら　木の電柱が
四つ足で休んでいた。
波が来ている。

カーテンに風が
黒をはこんでくる
白砂として身が暮れて
別の身は希望の減る東に
ぽつねんと残されてゆく
割れた経緯は
それが水でないかぎり
受けるコップもない

もっと休むんだから
最終で帰らんぞお
江ノ島電鉄が海辺をゆき
踏切が最後を鳴る
それを遠く感じながら
人びとは肌の湿りから
ゴールデンジャズを吸いあげる
とうろう、のようだ
真夜中ちかくには
何かが円陣になる　と知る

そんな次第で
不意の集まりもわれわれになる
けれども個体の芯は静かで
夜明けには一枚の板へと
均されてゆくだろう
清潔はうすい、と唄うわれわれは
移動する荷台にひしめきつづける
<BR><BR><BR><BR><BR>




【買おうとしている手袋】
<BR><BR>

生活のセーターを
胸にあるまま胸に戻してゆく
あらゆる棒を
ほどきのもとと捉えて
今日ゆく脚の自らをまぶしむ
わたしは片々たる灰色だが
枯葉の道は渦巻いて
傍らの家々に　窓々に
濡れない海をはこんだ
そんなふうに収まる蟄居がある
多くを往路のおわりに視る

生活。十一月はせりあがり
温みに霜柱を幻覚する
地中から最後の舟が
次つぎ出発しようとして
冷たい火事のただなかにもいる
内側に折れる視線というか
つましい眼底の保持感覚で
第一の生活がつくられるなら
一人であるための漫歩は
木立の切れたあたりで
「生活の中締め」
地中と天上がふきあげ状に通じて
何ごとか後姿の
エロスのようなものも舞うから
晴れわたった透明に
血のにじむ流転を知ってしまう

伸ばさない。生活に準じて
一介の無名となる、手の収め方
買おうとしている手袋は
拳にあるこの虫の息を
ひそかに待っているだろう
ともるや
<BR><BR><BR><BR><BR>




【路傍霊】
<BR><BR>

幾何よ、いくなん
曲学阿世はまがりおもねる
秋は　かどいくつ越えて
路傍霊の淡い拡がり
枯葉を肩に積んでは
もえる銀の実たべた
（陽の痕になってゆく

木のぼり上手が
千年ぶらさがっているなら
へちまと揺れろ以後百年も
泥－警の在世の間に
経済の折れ線グラフを泳ぎ
あなた曲がるぶらさがる

花粉浮く大きな湯船を
巡礼とともに通行する
誰も入っていないのに
すずしい亀頭
その数々だけが見えた

あるく植物たちの秋
炭焼き円のあの寝床まで
<BR><BR><BR><BR><BR>




【脂のきいろいベーコン】
<BR><BR>

犬のうずくまる橋は橋ではない
しょんべんの切なる匂いだろう
川端に柳の似合うのは無論だが
わたしも一身にふともも巻いて
ぺんぺん草の世情をたもとう
しかし頭蓋はどこなのだ

ベーコンの燻製臭が好きだから
生にて椅子をこらしめる
椅子を女にして
その悲鳴も四つ足にする
それだけ、それだけの一人獅子舞
きいろ　いきろ　きいろ

鳥の割れる空は空ではない
あれは六甲颪のえがくpie in the sky
指令：「チキン・パイを負え」
指令：「アリス・イン・パリスを追え」
わめきすぎた。目脂に両目縫われて
あたかも絵空事のブルドッグよだれ
性愛なんざも背後に貼りつく幻影で
きいろ　いきろ　きいろ
<BR><BR><BR><BR><BR>




【いない、】
<BR><BR>

女とはいないものだ
いない秋にいない空にいない
かわりに裸木があって
かわりにある裸木にもいない
道のかたち、枯葉のじゅうたん

いないところに風が吹き
かつてそこに蚊柱があった
とおもうがもう蚊柱もいない
ちいさなうなりもいない
いない蜂がいないひかりに舞って
いない女のおもかげ
なにも吸えない蜜にも
いない女がいない
<BR><BR><BR><BR><BR>




【秋が落ちない】
<BR><BR>

遠い風に眼が胎んで
夢の、海の坂
蜃気楼がみえた

わたし以外を抱くため腕を伸ばすけど
このわたしは散らかせない
こどもの町の飴玉にも
気球が浮いて
ずっと秋が落ちないでいる

ぱりぱり割れる前のそこ、天国
色水がおいしい場所
針山にもゆかず
玻璃だけをずっと踏んで
あゆみもおたまじゃくしのように
自分の影だけは掻く
そうして対幻想になったかな
おとなにならずに

きみがまぶしい眼差しなのは
ぼくが炎えているから？
空にものぼる坂が一杯だ
晩からは漁火もゆれて　魚津
<BR><BR><BR><BR><BR>




【みんなを、屋根に。】
<BR><BR>

葉のような者には
合成と視界がちかく
これからは分け入ってゆく
澱粉と葉脈でいっぱいだ。
渡ることと鳴ることが似て
眼前も濡れだしたまま
おのれを塞ごうとした。
そんな縫合手前をいつもゆく。

粒でできた地上の
より多くなろうとする期待に
背負った魚嚢で
こうしてつながっては
行くたびに世界の水槽が
数として殖えた。
工場につくられるものがある。
ファインダーを覗く姿は
魚でなく鱗でもなく
しずかにとまる瘤なのだが、
内部が一媒質になれば
葉であることもただ雫して
実体でなくなってゆく。
だから何の証書だろう。

わたしら妖なる者、
こうもり傘をもち
長野の田をわたる。
感官が非所有になって
いよいよ境を恋着する。
この歩きは書かれていない。
右あしと左あしの交差は
ゆれつづける固有幅なので
行路を倍数でも数えない。
かぞえなくなって
埠頭に似たものが田に消えてゆく。
路傍もわたしらをただ掃く箒、
ひと日の作業表が去った。

もともとみなが登録でなかった。
だから行くたび野合して
濡れた肌をわらった。
見分けがつかずたのしかった。
空がふいに晴れて
あらためて窓々には
映る雲が湧いていたとも気づく。
迂闊が音楽のように反響した日
ジャングルジムも雫していた。
それを肴に酒をのむと
部屋を花の香がよぎった。
人格でなくなってゆく。
むしろ花格のようなものへ
月殿のようなものへ。

死者の真似をすることは
地方によっては
歩きかたを変えること。
両腕をまえに突きだし
その日たまたまの袖の模様を
歩きの牽引にしてみる。
みんな裂〔ルビ：キレ〕だねって
泣きわらい　確かめあって
個別がただならないとも知った。
一人ひとりのあすだった、
破滅への差異だった。
それでさらに手からあるき
仕種に毒をまぜてゆく、
思考の瘤をみがくために。

だから何の玉ということはある。
いっぱい銀いろが溜まっていたんだ。
そんなことはとうにも承知で
壷からそれぞれが魔法のように
こうもり傘をひきだして
それを天下にかかげながら
長野のまよなか
あおくなった傾斜をおりていった。
作業がおしまいときまり
みらいにも草が降りだして
ぎん梅雨は暦をそれ
何もかもがただ草色になってゆく。
そんななか個々が苦虫をかんで
ゆっくりなら観察できるから
暗転もわるくないとおもった。

弁当箱に草をつめてここに来たんだ、
眺望だけを愉しみに見栄を張ったんだ。
このていどの心のうごきが
生きてきたあかし哀しみになるなんて
ばかやろう、生活は何の瘤だ。
風夜の辞令を容赦なく浴びて
以前よりもっと袖であるいているぞ
わたしら分限者が路上を割っているぞ。

視界にあらわれていた謎を棄ててきたが
行くたびに世界の水槽は
数として殖えていった。
そんな消長に気づいてなすべきこと、
みなでシャッターを押すこと。
待機中はひたすら
かしゃかしゃいわせて
あぶりだす世界をさらにまわす。
まわすことで　そのしかめっつらを
一定の長さへ流してゆく。
やがてはと息を留保するのなら
この先はみんなで屋根にのぼること、
世界の水槽をみおろすことだ。

さてこうもり傘を置くんだ、
ゆっくりという、
みんなを、屋根に。
<BR><BR><BR><BR><BR>




【すいてき】 
<BR><BR>

ごらんよ 

あめでできているみんなは 
いえにかえったとたん 
かじんにはだまって 
ぎんいろをひきながら 
ふろばにいって 
きょうからだにまざった 
ひを　てぬぐいにすわせる 

ふろばのてんじょう 
みあげながら 
ひとすじ　ひの 
じょうはつしてゆく 
なりゆきも　おって 
ごはんだよ　のこえだって 
そこにゆるやかに 
おもいえがくのだ 

このとき 
あめでできているみんなは 
あしもとのすいてきに 
なっている 

けれどごらん 
うつむいてないで 
じぶんのはいごの　ひ　も
<BR><BR><BR><BR><BR>




【富であるかぎり見えない】 
<BR><BR>

僕らが手にしている富は見えないよ 
彼らは奪えないし壊すこともない 
――椎名林檎
<BR><BR><BR><BR>



遠見しながらおもう、 
礼文から利尻から 
わたる風になるために 
みどりのうみどりと 
体温をおんなじにすることは 
もはや「みえない」。 
北だけを羅針に 
世界の方向づけがなって 
体毛を大気でくしけずり 
木彫の流れをえがきながら 
一様なたなびきになることも 
みんなとみんなのあいだでは 
もはや「みえない」。 
われわれをわれわれの内側に向け 
掘りすすめるうごきのなかでは 
もはやなんにもみえなくなって 
まぶたのにおう陸にあがり 
蒸気のようなものにすらなって 
夕暮はただあすのため 
最後の「日を着る」んだ 
それがもう毛皮かもしれないが。 

なぎさではかわいた流木を焚く 
書を焚くかわりの飲食にのぞむ。 
われわれのうちの 
みたことのないわれわれ 
これを感じることは 
もう性交の者となるのとおんなじで 
顔の円にも署名がなくなって 
たがいの欲があげる声を知るかぎり 
四肢交換までもが汚名となった。 
なぎさ、うっすらとした配置と姿、 
たがいの椀のひと吸いごとに 
身のけむりを脱いでゆき 
木彫のはだをあらわにして 
すべて先行の暗くなる流木時には 
なんの泉だろう、鮭の貌だって感じるが 
溯上だけがやどられて 
あれら陸の傷はなんたる木彫状だ、 
とおい、とおすぎる。 
「陸は溯上においてこそ稠密なので」 
その富は水にも奪えないだろう、 
洗いながしてしまうあの水にも 
肌のした薄くひろがる物語が 
もうそれほどに「奪えないだろう」。 

明治がここへ来てしまっては 
がらすよりも透くあたたかみに 
くるまって朝までを眠るだけだよ 
愛しているから　さわれない、 
一斉の時報のような心があるが 
一斉の時計がそこにあるわけでもない 
朝はただ浜辺に起きだして 
前日の罠に女や魚がうずくまっていないか 
たしかめるうち　結果として 
からだに曙光を入れてゆくだけだ。 
こういうのが北海に在ること、 
みどりだったゆびだってこのとき以後は 
かたれない情にするだけだ。 
うみどりのみどりながれる、 
その幅が、幅員が　脳のひと晩だろう 
（ふれないし、鰭でもない、 

はじまったばかりの朝なのに 
「身から出た近代」を 
これらひと続きの 
性愛にたしかめる。 
なぜたしかめるときは 
声ではなく　ただ身をつかうのか 
背骨を縦にして 
考えのいずみのようなところに 
その足までもをあるかせるのか。 
あるきがわれわれを沿っていて 
「われわれが歩いている」のも 
木彫のように「みえなくなる」。 

身の近代ともなれば 
かなしいこともかなしくなく 
かなしくないことだけ　かなしくなる。 
これらがおぼえのならいだとして 
眼のなかのみどりに 
なづきの内側へひらいてゆく 
感情の形容不能を 
負わせられるかが問題だ。 
それにわれわれの手足は 
きたきつねを撫ぜるていどには 
自分にまがりすぎてもいる。 
なにかそれは杖に似てしまった。 

そういうのが肌のしたを 
雲のようにたなびく物語や富で 
われわれは裸身のかわりに着ているので 
彼らはそれを奪えない。 
そっちの涙をこっちの頬に 
奪えないということは 
距たりにも踏みこえ不能があり 
これこそが恩恵ということだ。 
世界は延びているし 
われわれもたんに 
「みどり」といわれるような 
色彩ではない。 
そこには枯れもあるし　ながれもある。 
ただ　ときには水に像をあたえて 
この河原立ちそのものを 
木立にまで同化させ、 
すべて消すこともある、 
ある、ただそれだけのことだろう
<BR><BR><BR><BR><BR>




【海溝】
<BR><BR>

溝はひらかれるけれども
ひらいて海のような
中性が露見するわけでもなく
むしろそれは誰しもの肉が
とりわけ花びらのいろを
生きている間だけ保つにすぎないと、
つまりはひとしなみ普遍なんだと、
しずかにかたりするものだから
さおだって
さすかわりにただ領地をなぜて
溝を泪のふかみへかえてゆくだけだ
だがそれがどんなれきしの川なのか

肉なんて天上の総体にならない
栗のように秋のはずれに落ちるなにか
あい沿いあい離れる、ものみなのつねで
音楽もきっと川の二流となって
このあいだをつなぐ橋も
思想のように
ただ折れてこそ本望だろう

折れる
そんな気で
ひかりに白くなりゆく
輪郭をうれしくなぜて
手が鳥型の叛意もうける
こんなもの泪じゃないか
ああことばのただしい意味での
禁断じゃないか

それで腰下の骨組をたしかめきって
うれしくたがいに泣いたあとは
価値をけむらせるためだけに
きみのおなかのうえにこぼしたものを
まずは霧のようにひろげて
そののちゆっくり拭いてみる

かいこう、
海溝／開口／邂逅――
来年のない
いまはあまい秋が
ぼくらに
ただきていた
<BR><BR><BR><BR><BR>




【ほなみ】 
<BR><BR>

光陰のはざまをすべる翼あり穂波にわが身まぎれゆくとき 
――大塚寅彦 
<BR><BR><BR><BR>



みじかくなり斜めになる 
あらゆる座標を 
さみしさの殖えと 
かんちがいすることもあるだろう 
俯瞰はおくれた 
花は退場した 
いちじは学説のように 
たまりをとどろいていた羽虫も 
透明をたもちながら 
中空のなごりなのか 
ただゆれる線にもどってゆき 
線がやがて消えを必定する 
感情の幾何学もあると 
そうして知った 

こういうのが秋だった 
角から角へぬけて 
おもう単純なこと 
ばけつに水はたたえられているか 
その水が涸れているか 
また枯れているのか（日本語、むずかしい 
赤錆のじかんになって 
いずれにせよ薬箱に 
薬でないむかしも混ざりだし 
包みをとくおもいが 
とおくをみて停まってしまう 
また内崩に罹ったな 
手鏡の像が糸だらけ 

まぎらすものが身で 
まぎらす場所も身で 
枯葉巻く見下ろしのある 
木目の高所にやどかりすれば 
他人の身は林檎汁なみ 
ほどよくひえて 
「ひとひはまぎれ」 
性交でよいとおもう 
携帯にもでない 
ただきえている 
口移ししたいものがあって 
それは物質的にはみるくなのだが 
精神的になにだかがいえない 
ふるい旅館だから 
ふすまをあけしめしながら 
たがいをちかづかすと 
かおが般若になってもいるよね 
くまもと 

穂波というからには 
銀だろう 
消滅の序曲として 
そこをまぎれる歩行が 
すぢでありつつ 
これも銀だろう 
出窓へ窮屈に身をこめて 
遠所は横ざまみられる 
からすがいっぱい 
おちこちいたるところで 
性交のおわりはねじれ 
そこ、幻想のようにしのばれる 
芒ヶ原（くろくなりつつある 

抱き寝のすすき 
抱き寝の光陰 
翅だらけくまもとの 
翌日はひとよしか 
いくつかの空海を感じ 
こうやがふりしく 
葉ではないものによって 
じかんのおくつき 
つまりは秋もふかまってゆき 
ぎんいろの完了 
完了の完了　――みえない 
白内してわたしはふじゆうだが 
おもいはほなみという 
名だったかもしれない 
羽虫とともに 
そのように死んだのは 
やがて身を擦ってゆき 
天使状にもなってゆく 
そのようにして死人とは姦った 
おもいでとも
<BR><BR><BR><BR><BR>




【中断して、ヌードをいれた】
<BR><BR>

煙草や珈琲の香りがすきで
珈琲殻を敷く通路を校内にももとめた
あたえられた制服のくろさを
色でないものに転化する気持だったのか
でもついえてみれば背丈がのびただけだった
ぼくらの鉄路だってあるくためにあり
ことに夕方にはレールのあいだに
みらいを斜めにみせる珈琲殻がただみえた
あしもとはそれで冷たくゆれたのだ
均衡をとる
みんなのみぎうでがすきとおっていたな

まちかどでくろいものを呑む余裕が
自身くろいものとなるまでの猶予でもあること
そんな言い方もたしかに若さのしるしで
あこがれだって千の顔をもつのではなく
千の顔をもつもの自体がただあこがれだと
みんなが持前の律儀さで言い直していたが
けれどなにのためのげんみつだろう
あんみつずきのきのうがたりのようじゃないか
しっぽはたれていた

いずれにせよ珈琲殻の堆積がせかいにあり
無告であっても退席をしいられないその場所で
みんなの音楽は聴かれ奏でられたが
椅子はけして十以上をならばなかった
だから場所がひかっていた
椅子が椅子であるための前提やなにかを
みんなの尻がずっと敷かずにいたのは
ゆいいつの椅子をピアノまえにしたかったから
公平とはそんなかなしさだとあらかじめ了承して
みんなはいちばん歌のうまいやつの
その歌ではなく　その歌の地面を
聴くようにみた
「唄いおわったら珈琲をいかが？」
それだけをどもるようにいいたくて

三々五々さってゆく　明日の授業へだ
臑毛をおがくずていどにはがしてゆけば
みんなのからだも無個性になって
立秋のプールを木材いじょうに小刻みにゆれた
プールだがここが材木座、そんな意見だってでた
性的な秘密としての肌のもくめ
じっとみているとさわりたくなっちゃう
だから水泳後のほてりは
不良を中断して
書物のけんぜんなヌードをいれた
生きるため中断して、ヌードをいれた
まゆみやえつこやるみのひかりを
みんなのくろさと対極する場所
ただの前方に
<BR><BR><BR><BR><BR>




【反れない】
<BR><BR>

光の檻のようにみえる川を沿った
都合十年もう傍らがわからずに
鳥が眉を影さすにまかせた
卑しすぎて秀麗とも呼ばれない
風ぬける菰がわたしを集中して
あらがえずに棒杭の辛酸
十字を切りやがて万字も切った

みぞおちからとりだした影で
さきを四角くなろうとする
あの川面の桝目を埋めれば
約束が用紙で流れるのも知る
わたしの三分の一が拘束だった
きょうはやがて反れないだろう

柱のようなものを追憶する
でもきっとわたしの極のむざん
ふたつの帆のあいだを計算しても
なるものが風や原稿になるか
やわらかさがただ楯となるか
なきくずれてかたまりが笑う

二三の煙がねじあげる天上の道を
ない衣服もつらくなだれて
ふりかえる背骨が平衡のなか
川幅の範囲でただゆれるから
わたしと橋の関係が削られた
ふかい夕暮はそこに
糸くずがでて
<BR><BR><BR><BR><BR>




【あふれるくつ】
<BR><BR>

からだが
鳥籠のようになって
感覚の四ほうを
むだにする
風をくみ入れた
肋骨は
わたしを運ぶわたしを
河原のながい
花束にしている
ひょんなものを
たずさえる心根で
かり
過去のあるじが
ひとすじの線に
なったときは
この短日
彼方の秋へ
のびるもの
を見とおす

なにの森だろう
この詩はなに
秋の眼になっている
ぬれないいろに
なっている
ゆれていて
ひかりのあふれた
そこへも入る
くうきの
さかなたちだ
以前まで
なのやみにいたのに
もうわたしは
あふれるくつ
答のなかをただ
あるきねむりにて
生きているのだ
<BR><BR><BR><BR><BR>




【かたむくもの】
<BR><BR>

ゆっくりと傾くものは
何かをこぼしているはずで
夕方までの箱根には
早くもふと新酒の匂いがした
頬をてらされ透かされながら
どのようにバスで抜けたかもわかる

骨格そのものを可愛いとおもい
対象がしぼれなくなった
骸骨ののちは悲傷もわがこと
移動が水おととともにある誉れを
声の数珠でつないでいっては
そのあとを疲れて眠った

こんな運行の悪事によって
伴侶があまりに星を負うものだから
ふと厳格さを捨て
ただのふたつの性別として
顔の秋を祭り渡ったのだ
くるくるひらめきえたから
もう輪切りでいいよ
影もふえていったもの

途中いくどもこぼれだし
翅のやぶれた秋蝶をみた
模様は翅自体か
さらなる破れか議論もしたが
いまさら希臘人ぶったのが可笑しい
心がキュクロペスなのにね

そういえば願いの一つ目には
尽きる世の天秤もみえた
もう星の時が来ようとして
午後の光をずっと貯めていた薄が
涙をながすように箱根をこぼす
さああのかたむきをはかるんだ
思い出はいつも間遠いのだから
影の歩行に気をくばって
測るものは常に遠くにするんだ
<BR><BR><BR><BR><BR>




【天川】 
<BR><BR>

愛のふかい抱かれかたには 
一定比率として 
周がまばらになった古代円が混ざり 
その枯葉だって門のあるかぎり 
瀧のように 
山坂をくだってくるのだ 
多くは腕、多くはくちづけ 
笛音は互いの 
腕というか枝に沿い木霊した 
ことばがきらいになって 
できあがりつつある森も 
多重の舌で虹を交わすだろう 
瞑目なのに泣き眼に似てしまう 
そうした感情の関節場所には 
来季への日々もかさなってゆく 
後ろからだって横からだって 
「かさなるものはかさなってゆく」 
そんな泪でできた枯葉だろう 
性は奥なのだ、秋のように 
人間考察すると 

表層が迷宮だと知った 
カサノバの恐怖によって 
どだい愛の記載法も変化していた 
からだの奥というものはない 
性の奥だけがある 
おまえはわたしでわたしはおまえ 
それで転位の歌ともいうべき 
無窮の流れもできて 
その楽節の終止予感のために 
接吻単位がくりかえし動員されて 
領域、愛というべきここそこには 
ことさら時間のカデンツァができてゆく 
カメラでるる撮るんだ天川を 
手管の装飾のなかに 
そのからだが霞んでゆく経緯は 
万人の共通にしてまた愛の特異 
加齢しつつ子供のような声を出し 
時間はなお多時間へと惑乱されてゆく 
そんなこうふくのしるしだろう 
久方ぶりにＡＶ画像をみながら 
受像機自体を泣かせたものは 
<BR><BR><BR><BR><BR>




【ゆめ】
<BR><BR>

隧道以上に囲みをえがいた
金木犀の茂みをぬけると
香気が取り巻いて
複数がより複数になった
もうわたしではないのだ
ひかりの層をあてられて
ぴかぴかの○や△に寸断される
はかない獣じみている

火花は秋、この季節にこそ出るだろう

こころは蝋でできてしろく
点火のための線を
空のなか普遍にかんじる
わきばらをつかい
街角をだますように
川辺に出ることも身の誉だが
すでにしておもたい余りを
咎のようにまとっていて

野川の歩みは多重債務を負う
だから芒川原の鷺をみて
身も半減をくりかえしてゆく
そういう元素だろう思考は
金の木の犀の
ゆめだ

香りを出すことにくらんで
ゆめ自らの歩みに
遅れるな
もう粉のように
散るだけなのだから
<BR><BR><BR><BR><BR>




【百かばん百】
<BR><BR>

かばんというものがすきで
建物の線が夕暮に混ざるように
日に日にリストをあつめている
場所は一番星の永楽　そこでは
ランドセル形態のもの　容量ゼロで傾きだけのもの
あおい布をよったもの　油くさいばけもの　（ぐてんぐてん、
そういったもろもろのかばん収集が
音の予感にもなるから
楽譜めいたゆくすえまでめざして
かばんにかばんを入れたこのよろよろが
おもたすぎてまっすぐになれないこのよろよろが
意外に価値転覆的なよろこびともなって
道ゆく埃の同情すら買うだろうよ
（さあわたしはほころびるぞ、
頭上には季節はずれの女黄砂も舞って
あゆみは旧く　ものものしている
ともあれかばんにはやがての「めをと」和合をとりあわすべく
片かげ投げの符だってかくしいれて
ものものがほろびをえがくまで
ものみなのわきをすぎさるだけだ
くすぐりにきずをつけるだけだ
なあわたしのかばんくろいか
マントとみまちがえるなよこうもり

かばんのかくめいは一回だけ起きた
取っ手と鍵をつけ携行可能性と秘密保持性を併せながら
形態としてのかばんをひらくと
なかみは大きくものものしい聖書というだけの
革製の聖書鞄というものがあって
二十世紀おわりまであちらの僧侶たちは
そんなものをもってこうもり線を
西洋梨をかじり　すけべになりながら
ふらふらしてやがったんだ
ものものしてやがったんだ
（護符にならない幸福行の切符とともに、ね
その聖書鞄に脚がはえ
ひかりがはえ菌がはえ　葦や悪しもはえ
義侠的な追従能力がはったつするにおよんで
彼女のはったつのようにエロいかがやきもはえ
かばんがいよいよ形態をうしない
ロボットとのくべつまでなくし女化して
内側と外側すら識別不能
そう世界のようにまるでリバーシブルになって
リバーサイドにうつくしく置かれ
かばん自体はリバービューを誇る山なみに似た何かとも認知され
歌というか歌唱になり　ゆっくりゆっくり　かくめいとまでなった
そうしていよいよ分類できなくなってこうしてフーコー的近代が意外や
こんなに近い九〇年代のかばん援交により無効になったと（宮台が）いう
（そうかかばんのなかに十四歳がいたんだ、
（それじゃ分類なんかもう無理だな、死体結晶だもの、泳げない、
しらなかったしらなったやんぬるかなかな
そうしてかばんをもっている自分にまで確信をもてず
秋の顔のおまわりさんに道をたずねると
返答もきまってる、「秋暮れて露ふかし間遠河原」
川がつづいていないのに一帯がありありともう河原で
（ぐんぐんおもくなってくるくろいかばんだった、
もっていたのも一個のはずがもう百個で
「そういう空間が、「われわれのあるく、「詩なのだ、とまでいう。
いうだけの　ゆうがたの　ひびき。　／ゆうだちない。
そこできつねと遭って、手をさしいれる
かばんにも《手をさしいれる
《それが棄てるってことだよ　（ぼくを、
あれ野にだろうか冬の
かばんがかばんのなかに殖えてゆくのも。
おかげで季節がくろいかさなりでしかなくなって　（ただ奥だ、
学校には水だけを飲みにくるね
ものものしく《折れ曲がったみずからの影
をかばんさげて　みにくるね　それでもっと　みにくくなるね

かばんをつかった性愛
あたまからかぶせて　腹の下は恥毛のルネ・マグリット性
かばんをつかった万国旗のつらなりが如上くろいので
ゆらゆらゆれる世界の諸事でも
何がかばんで何が性交で何が万国旗かがもうわからず
そこにはただ　ものものして　（女だけがいる、
（かさなりの奥の奥の奥だけが「いる」、
なんならとぼけてかたわらをすぎればいいんだ、
そのためかかえるかばんなんだろこうもり、
おのれを百の黒翼にすればいいのさ　かばんだけつかって
<BR><BR><BR><BR>

※詩誌「生麦」所載、近藤弘文「燐の犬」を引用した箇所があります。
詩中、《　の表示でしるしました。
<BR><BR><BR><BR><BR>




【飲食不能】
<BR><BR>

おれのつくるものはうまい
白骨化している
食材のかどとかどとをぶつけ
生じるスパークがスパイス
はらわたのようなものが
透る凝りとなった次の秋に
遠景要素だけを寄せて
おもいでの虚しさを食わせる

音楽に似た何かだという
だから葱なども音符にして
後悔の汁へただ浮かせる
煮凝りは海峡をデザインする
そこに何の素麺なものか
伝聞は葉にして散らすのみだ

噛めない歯も料に映して
音響のぎざぎざを再帰させる
おまえの呑むものは
いつだっておまえの眷属
咀嚼の秋に木実の黄金
考えるための栗鼠の真似だ
乳がしずかに張るのだから
肉叉をもつ構えも慎重に

身の毛皮をなめすように
火の数滴を舐めきったあとは
かんかくがうらがえる
眼にとって対象も遠くなるので
皿には黒マントをかぶせ
女や風にはこばせる
食了のあかしは藁塚にやる
それでも皿をさかさにすると
そこから乳のようなものが
ふたたびこぼれてゆくだろう
この秋の重力として

おれを回転軸にして
食がゆっくりと
駄目になってゆく
むくろみたいだ
食べながら食べずと
収めの茶にもおもう
<BR><BR><BR><BR><BR>




【空のなかを空が奔る】
<BR><BR>

九月尽を経て
地上も迅速になった
その透明国をあきつがわたり
牧牛は立ち寝しつつ
気配の傷を負う
樹々も空へ離れようとする

それ自体が祈りであって
天心に墜落してゆくもの
落葉のまえのそんな気配に
だれかの銀のものかげも
さみしさとして加わる
ふみいれた地帯に
自分をしばろうとして
みるくが足許にこぼされる
そのみるくもとほいしろがね

あらゆる目的地の
フェルナンデスのくぼみ
おもかげの空空しさ
けれどまなざしも姿どうよう
つづいてゆかないだろう
ゆうがたには
空のなかを空が奔る
<BR><BR><BR><BR><BR>




【秋交】
<BR><BR>

昼のおわり秋の捨身は
ジュモンの門にもたれる

まったきが軒下を狙い
褪黄に染まってゆく

すでにして幾重にも
くさむらだろうわたしは

こめかみへ薄荷を擦って
残月の思念もうかべた

家族のひいた銀は
樹下で炭化するかも

人肌を背負い志を売って
ひるがえってゆく裾だ

いずれ透視のつづきで
円が線になるよう歩いた

日常のくらげだって笑む
実山椒の仄かな割れを覗き

女のようなものがひりり
秘密はおのずから盲化する

銀輪が往来する塀向うに
採譜のこころも消えて

その契機で旧知には逢う
一瞥で中心をえぐった

音群の茸に実が落ちる
ような四時の事故後

愛着も糸になりはじめる
被さっては対象田を刈った

数百回の干満があって
形も帆船を逃れられない

われら思想の不恰好は
見様では臨終の羽虫

やがて大団円が水澄む
なかに木霊もなく静かだ
<BR><BR><BR><BR><BR>




【電話ボックス】
<BR><BR>

※「トルタ・ジャイアントブック」所載
<BR><BR><BR><BR><BR>




【馬の海】
<BR><BR>

疾駆する馬のかずだけ
野はらが縦横にながれている
馬上がうまれ馬上がきえる
秋は日に日に
水平におしこまれてゆく
まるめろの位置だけが高い

もうずっと
天でも地でもない領域を
そうして語りつくそうとして
発語を舌でふさいできた
嘔くために白いものが
口腔にはひろがっていて
しかもこのからだへの
なつかしみとなるのはなぜ
それもこれも祈りからだろう
ほのかにひかるものを追う
追うだけの、ゆく足だ

身だって馬性を滅ぼさず
電線と切り結ぶ線となるが
わたしの送信は
わたしが身であるかぎり
すすきの地まで限定してしまう
たれもいない懐旧の場所に
わたしの嘶きがいるか
つむいだ糸が逆算されて
糸ぐるまをそのようにまわすか
ただ、からからからと

馬たちは縦に走りを割って
想像をさいなんでくる
噛む噛む噛む草
走行も咀嚼に似るだろう
世界は機械がうごかしている
だから紙の裏が恋しい
わたしもわたしを
いったんは折ってみせ
内側にくりこんだ矛盾でこそ
この仰角がえられる

天にある馬のかずを
名づけようとはしたのだ
個々に火を吐く馬の表情をみたが
それらは翼を出して走りつづけ
ついには世界となって流れさった
秋にあるのはそんな変色
冬の黒までそれは存続して
とりわけ近眼にとっては
馬の海が沖に集まってくる
なんたる色彩だろう

水平もやがて遠望に変わる
反作用のわたしが倒れる
<BR><BR><BR><BR><BR>




【あけび】
<BR><BR>

くろいはっぱのかげにしずむ
はいいろとあおとむらさき
いろがまだらにもならずとけて
かがみのようにくもっている
くものあさににあうおまえあけびは
かぜになぐられてできたあざ
ゆれなければただけむたいだけだ
みめぐりをしぬるけはいでみたすのも
そのなりがくびつりにみえるためで
くるしみはただみのったことからくる
ひとのからだやおもいでにもにるおまえ
たいねつさえもっているおまえら
かたみにくされをきそいながら
どのあきとつながっているのだろう
しろいにくとみだれのたねの
そのうちがわもすごくみだらで
いつもたねからわれようとしている
それがおんなのかくしどころめいて
おまえはけしてたましいのたとえではない
そんなものはあらかじめないのだ
うえきのふきつなまほうというのか
せかいのしんじゅやとぱあずだって
そのすがたをまえにあざけられる
まずはおまえのまるがゆがんでいる
なにもうつさないあけびはともすると
うらがおもてにもなっているのだ
さかしまがふくろとなりほのあかるむ
やがてくろくなってゆくきせつには
わるいしたしみももうかくさない
せんことなってつらなりたいのだろう
そうすればおまえをただまとに
ひとじにのまねもくりかえされるが
そのまえにおまえはおのずからわれて
くるいなくおちることをおちてゆく
うれいのおまえをゆるりゆらせば
せかいのはんぶんだってゆれるだろう
<BR><BR><BR><BR><BR>




【くらげ】
<BR><BR>

雨ダ、久方ぶりに傘をとりだして
夜のうらぶれをあるく
食べ物屋からは注文された料理の
くらげっぽい匂いがする
ＤＶＤを近所のれんたる屋に
なにものかとして返却するにしても
本当はれんたるしたものと
そうでないものの差など
この資本構造でわかるはずもなく
あるいているはしから疲れ
やまたの路地に踏み入っては
自分と同じ背丈の植生に
ひそかな憎悪をいだいたりする
（そこからは「照りあえ」という
余分な声がするのだ、
うらぶれは縦につらなったまま
まるで浮遊を浮いている
霊が底にあつまらない地上の失調
その果てに一つ目で夜の雨天を突く
気高い一本杉もあるだろうに
あれは三鷹台の、とりわけ高台だろう
ここからはみえないものがあるから
浮浪は大目では楕円をえがいている
ふたつの中心ふたつの衷心
浮浪は離れたものに執着している

夜ダ、点になりたくなっている
花柄のシャツのような予感があって
点になりたいもの同士が
巷に参集したらどうなるだろうか
そんな音楽的な邂逅もおもう
俗に「腹を割る」というが
割れる腹なんてもの、とうにない
集中と拡散が腹のあたり同時にあって
わけへだてなくうらぶれは
夜だからそこに吸いこまれてくる
愛を乞うためあなたのぶれる場所には
はだしで行き交うべきだった
やさしさをこんなものだとしるすために
こどもめくはだしの歩行をすべきだった
なのに可逆はもうありえず
おまけに感覚の青としては
酒をのんだ臓腑のいくつかが
だれかにれんたるされて、もうない
酒臭いからだでれんたる屋に入り
花柄のシャツのような
予感もあるというのに
ふーどでおおわれたこの外見からは
霊を見抜かれるだろう
構造とは無縁だがわたしは下部だ
こころが進展をなくし切株だ
一皿の煮魚のような手で
れんたるしたものが袋からだされる
今日の返却期限に間に合ったものは
このようにけして感情ではない
自分に属するものが減る
<BR><BR><BR><BR><BR>




【未定義昆虫の最期】
<BR><BR>

せかいを殖やそうと
ずっと複眼を凝らしてきたのに
秋のおわりはしぐれて
白いほのおがとおくみえるようだ
さむさによって紐帯がほぐれ
あきどなりの点在も尽き
もっとも熱いほのおが白光だとは
とうに信じられなくなる
どこにいるのか
「身は身を囲む再帰性そのもの」
シタガッテココロナイ虚偽クウカン
そこでは体内の交響だって
もう途切れようとしている
こんこんと雨がふってるなあ
天のあふれダ　けれども
この節足こそが倍音を消していて
わたしハかさかさのまま
部分を分離しだしている
うんこの生成のようだ
きたナい

わたしのめぐりには籠があり
囲繞模様も隙だらけなのに
一体の宿命ということなのか
わたしは籠とともにくさい
そんななか光が減っていて
ただ廃園に忘れられているのだ
身に楽器を帯びた僥倖といわれたが
掠れ破けたかつての翅
あれらの透明は黒色は脈は
何の等高線だったろう
翔べば蝶道のようなものもしめせた
身に小手毬を帯びた細密ともいわれたが
あれらの斑〔ふ〕はどんな毒素だったろう
尾をおりまげ一身のぎもんふをつくる
つくったままでメグリの時を宙吊る
美の連関にはいろうと
いまさら蔓を模ス
この心持が不恰好であればあるほど良い
わらえるでしょう

昆虫であることノ生は
世界の無数と体内の無数を
雑音で釣りあわせることだった
わたしはぶーんにすぎなかった
光に酔ッテ忙しかった
同時に顕在を顕在のまま
秘匿へ封じいれることだった
（昆虫って昆虫？　ソウいわれた）
そんな不恰好で水をのんだ
七本足はメンドクサイ
水に蜜があった
しかしいまは沼沢にもゆかず
ただ靄にうたれている
フタタビナイ
臨終間近をそんな木霊にして
それをも限ろうとしている
まげられたハリガネ
自分で自分と交わった者の罰ダ
係累こみで終始、種を呼ばれず
最後のわたし自身
雨と均衡をとるべく
とうとうと
白炎化する
<BR><BR><BR><BR><BR>]]>
        
    </content>
</entry>
<entry>
    <title>三歌仙・興行報告</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://abecasio.s23.xrea.com/collaboration/post_24.html" />
    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://abecasio.s23.xrea.com/mt/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=1/entry_id=435" title="三歌仙・興行報告" />
    <id>tag:abecasio.s23.xrea.com,2008://1.435</id>
    
    <published>2008-12-30T23:05:16Z</published>
    <updated>2008-12-31T00:20:54Z</updated>
    
    <summary> 【解題】 立教０８年度後期演習のひとつが「連詩連句演習」だった。 連詩について...</summary>
    <author>
        <name>管理者</name>
        <uri>http://abecasio.s23.xrea.com/</uri>
    </author>
            <category term="collaboration" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://abecasio.s23.xrea.com/">
        <![CDATA[<BR><BR>
【解題】
立教０８年度後期演習のひとつが「連詩連句演習」だった。
連詩については先にこの「コラボレーション欄」にアップしたが、
この場所では授業内で巻き、完成したＡ班Ｂ班Ｃ班の歌仙を
それぞれ下にしめしておく。

ちなみに演習の初めに
打越に触れず、遠輪廻も嫌い、
物付から匂付まである連句の「付け」の方法をしめした。
むろん見立てとは何かについても。
それとプリントも配布し、
決め事の多い連句の心得もさらにつたえた。
初折表裏、名残の折表裏、月の座・花の座、
季節原則（春秋は三句以上、夏冬は一句捨てでも可、雑を挟んでの同季禁止）等々。

そのうえでメーリングリストでのやりとりを円滑化させるため
僕（阿部）が宗匠になることもなく
祝言の挙句（３６句）が成立したところで
季節の矛盾、付けの悪さ、句眼のなさの目立つ句をピックアップし、
教室での直しをみな（つまりコンペ方式）でおこなうことにした。
そのことで連句の技術を完全に教示できるともおもったためだ。

たとえばあいだの三句が駄目だ、という判断の場合には、
ＯＫの四句めにつなぐためパズル的思考をしいられることにもなったが、
みなが結構、愉しんで直しにも参じた。

成立句と元句のちがいは多くは季語の設定の有無だが、
このちがいから連句の方法が如実に現れるとおもう。
なので、元句はそのまましめした（つまり「羞恥プレイ」ではない）。

個別の歌仙については、それぞれ別に簡単な評言を下につけておく。
（阿部）
<BR><BR><BR><BR><BR><BR>




三歌仙・興行報告
<BR>
立教０８年後期「連詩連句演習」参加者
<BR><BR><BR><BR>


●Ａ班「歌仙『虫の夜』の巻」
<BR>
【Ａ班解題】
１２３４５６、２１４３６５（以下同）・・の回し。

井澤君の掟破りの月句が発句となってしまい、
五句目「月の座」では「有明」により、
月の語を控えてもらった。
出だしは秋句が連続していないがこれには眼をつむった。
季語がなくても、季節の気分で一応付いている、と判断したため。

それでも名残の折立て（１９句め）くらいから
いい調子が出てきた。
「私」句が多かったものが
僕（阿部）の直しもあり、「私」に限定されない多岐の人事がからみ、
付けにも洒脱さがともなわれてきた。
名残の折裏で四つ連続する春句などはすごくいい。
<BR><BR><BR><BR><BR>

 


ふんわりと虫の夜を這ふ白い月　　　　　　井澤丈敏1 
<BR><BR><BR>


　浮かぶ頬頬風に浮き立つ　　　　　　　　松岡美希2 
<BR><BR><BR>


枡酒に揺れる金色そつとなめ　　　　　　　佐々木綾3 
<BR><BR><BR>


　わが身の雲もはらへよ野分　　　　　　　都野有美4 
<BR><BR><BR>


ひとすぢの有明の灯に誘はれて　　　　　　中村ふみ代（月の座）5 
<BR><BR><BR>


　からだ透きだす石のベランダ　　　　　　大中真慶6 
<BR><BR><BR>


明るみにわたしのかたち置き忘れ　　　　　松岡美希7 
<BR><BR><BR>


　青春といふ汗のトンネル　　　　　　　　井澤丈敏（望月直し）8 
　　元句：冷えた水鏡鳴き出すは影 
<BR><BR><BR>

思ひ出す古い口ぐせ駆け抜けて　　　　　　都野有美9 
<BR><BR><BR>


　天高く飛ぶ声と流るる　　　　　　　　　佐々木綾10 
<BR><BR><BR>


あの女木犀のもと煙草吸ひ　　　　　　　　大中真慶11 
<BR><BR><BR>


　黒髪長くストールを巻く　　　　　　　　中村ふみ代12（中村直し） 
　　元句：こぼれる花のなきがらを待つ 
<BR><BR><BR>

風吹きて空しく流る時の片　　　　　　　　井澤丈敏13 
<BR><BR><BR>


　枯野に擦られ月や羞しむ　　　　　　　　松岡美希（阿部直し）（月の座）14 
　　元句：つきを呼び止めしばしとどめむ 
<BR><BR><BR>

走り去る雲を遠くに眺めやり　　　　　　　佐々木綾15 
<BR><BR><BR>


　しまひを待つて突つ立つてゐる　　　　　都野有美16 
<BR><BR><BR>


振り向けば霞の花も賑やかに　　　　　　　中村ふみ代（中村改作）（花の座）17 
　　元句：振り向けば霞の空も賑やかに 
<BR><BR><BR>

　寄る波の音に蝌蚪休らひぬ　　　　　　　大中真慶（阿部直し）18 
　　元句：串焼き噛みて抜きとる君と 
<BR><BR><BR>

わらわらに歩く一団蜂の山　　　　　　　　松岡美希19 
<BR><BR><BR>


　春の旅人転がり落ちて　　　　　　　　　井澤丈敏20 
<BR><BR><BR>


針穴をとほしてたぐる糸の先　　　　　　　都野有美21 
<BR><BR><BR>


　夜釣りに興ず坊主の籠に　　　　　　　　佐々木綾22 
<BR><BR><BR>


梵鐘にゑがく尼僧のおもかげや　　　　　　大中真慶（阿部直し）23 
　　元句：市場やら近所かまわずベル鳴らし 
<BR><BR><BR>

　性懲りもなく茄子を馳走す　　　　　　　中村ふみ代（阿部直し）24 
　　元句：贈り物には年甲斐もなく 
<BR><BR><BR>

忘却は白風うらしま玉手箱　　　　　　　　井澤丈敏（阿部直し）25 
　　元句：我先と舞を踊りて玉手箱 
<BR><BR><BR>

　など指の間ゆ紅葉散るらん　　　　　　　松岡美希（阿部直し）26 
　　元句：解く指先に紅葉散る 
<BR><BR><BR>

幼子の頬にも似たるあつさみて　　　　　　佐々木綾27 
<BR><BR><BR>


　人肌の湯に蹠を洗ふ　　　　　　　　　　都野有美（阿部直し）28 
　　元句：血のごと流るる小川のゆくえ 
<BR><BR><BR>

祖父母泣く二年経つての初歩き　　　　　　中村ふみ代（阿部直し）29 
　　元句：ぬかるみに取られた足の青ざめて 
<BR><BR><BR>

　笑ふ玉兎も重ね着をして　　　　　　　　大中真慶30（阿部直し）（月の座） 
　　元句：朧月すえにぎる弾丸 
<BR><BR><BR>

知らぬ間にチョコボール溶けピーナッツ　　松岡美希31 
<BR><BR><BR>


　双子二回の春日珍らか　　　　　　　　　井澤丈敏32（阿部直し） 
　　元句：無念を横に鼻歌聞こゆ 
<BR><BR><BR>

長閑にて並び語りて筆運ぶ　　　　　　　　都野有美33（阿部直し） 
　　元句：ギターたてコード起こすも筆の音 
<BR><BR><BR>

　霞む鈴音に覚ゆあかつき　　　　　　　　佐々木綾34（阿部直し） 
　　元句：滑りて覚ゆ春のあかつき 
<BR><BR><BR>

猫目には花白くして大輪に　　　　　　　　大中真慶35（阿部直し）（花の座） 
　　元句：醒めて園かくしの花に爪染めて 
<BR><BR><BR>

　さへづる鳥は姿見えねど　　　　　　　　中村ふみ代36（阿部直し） 
　　元句：さえずる歌も陽気な道中
<BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR>






●Ｂ班「歌仙『開く窓』の巻」
<BR>
【Ｂ班解題】
回しの順はＡ班と同じ。

こちらは最終二回の授業で直す、という時間的余裕があった。
なので直しもできるかぎり本人にしてもらった。
それらこれらで季語上の掟外しが一切ないというアドバンテージもある。

望月君の名吟「バスジャック」（１９）を皮切りに
直し句の連続するそれ以後は、
三村さんの破礼にちかい濃艶句「秋蚊帳」など目覚しい展開で
これは大手を振って、万人に披露できるものとなっただろう。
「膝小僧」→「鮭のレース」などの呼応も素晴しく、
連句で最も大事な、最後の花句と挙句の連関も素晴しかった。

詩人・三角みづ紀がゲスト参加している。
彼女の句はさすがに現代詩っぽく、時に意味不明でもあるのだが、
韻きの良さが抜群で、やっぱり個性だなあ、と感嘆した。
<BR><BR><BR><BR><BR>




肌寒の寄り合ふ声の開く窓に　　　　　　　三村京子1
<BR><BR><BR>


　微光を分けて小鳥の泳ぐ　　　　　　　　望月裕二郎2（望月直し）
　　元句：雲間の微光ガラスを暖む　　　　          
<BR><BR><BR>

満月の形をケーキになぞらへて　　　　　　春木晶子3（月の座）
<BR><BR><BR>


　小宇宙（コスモ）のごとく一呑みにせむ　輿水英里4
<BR><BR><BR>


新海苔を齧りて口も海の香に　　　　　　　水野　桂5（阿部直し）
　　元句：空部屋が凛となる日の陽だまりに　　        
<BR><BR><BR>

  漂ふことすら絹糸の熱　　　　　　　　　三角みづ紀6
<BR><BR><BR>


「冷奴始めました」を見つめゐて　　　　　望月裕二郎7
<BR><BR><BR>


　向きあふ眸の酒に滲むや　　　　　　　　三村京子8
<BR><BR><BR>


さきはひは盃の底きんの砂　　　　　　　　輿水英里9（阿部直し）
　　元句：繋いだ手温い夜風に汗ばみて　　 
<BR><BR><BR>

　考へもせず洗ひ流して　　　　　　　　　春木晶子10（春木直し）
　　元句：でもまだ足りぬと握りなおして
<BR><BR><BR>

連綿と行き交ふひとと芝焼きぬ　　　　　　三角みづ紀11（三角直し）
　　元句：後悔の航海故の波の距離                  
<BR><BR><BR>

　薄氷渡る乱反射の黒　　　　　　　　　　水野　桂12（水野直し）
　　元句：水面に描く乱反射の黒　　
<BR><BR><BR>

屋根低く燕かすめし眼くらみて　　　　　　三村京子13（阿部直し）
　　元句：雛菊や燕かすめし眼くらみて
<BR><BR><BR>

　朧月とふ輪郭かなし　　　　　　　　　　望月裕二郎14（月の座）
<BR><BR><BR>


三椏も雌蘂隠して眠りけり　　　　　　　　春木晶子15（阿部直し）
　　元句：朝顔も花びら萎めて眠りけり             
<BR><BR><BR>

　街の足音固き芽ひらく　　　　　　　　　輿水英里16（松岡直し）
　　元句：明日にならば笑顔戻らむ　　
<BR><BR><BR>

見上ぐれば花の向うの天白し　　　　　　　水野　桂17（花の座）（阿部直し）
　　元句：ソーダ水越しに開ける箱庭
<BR><BR><BR>

　見果てぬ春蝉鳴き足らず鳴く　　　　　　三角みづ紀18（三角直し）
　　元句：あかるみの天わけながら咲く　　　
<BR><BR><BR>

バスジャックせらるることのなき市バス　　望月裕二郎19
<BR><BR><BR>

　少年ひとりが枯野へ下りて　　　　　　　三村京子20（阿部直し）
　　元句：少年が聞くNovember Steps
<BR><BR><BR>

密やかな二輪の白菊つみにけり　　　　　　輿水英里21（輿水直し）
　　元句：天高くぽかぽか陽気に油断して
<BR><BR><BR>

　秋蚊帳ゆれて睦める夫婦　　　　　　　　春木晶子22（三村直し）
　　元句：時雨を吸ひて布団重たし
<BR><BR><BR>

鷺なども吸ひこまれゆく鰯雲　　　　　　　三角みづ紀23（三角直し）
　　元句：湿り気に泣くおとうとの骨の音に
<BR><BR><BR>

　西の彼方は浄土か滝か　　　　　　　　　水野　桂24（阿部直し）
　　元句：共鳴はせぬと母の沈黙
<BR><BR><BR>

寒水に泥鰌掴んで痺れるを　　　　　　　　三村京子25（阿部直し）
　　元句：縁台に蜜柑を突つく朝雀
<BR><BR><BR>

　浪速の巷に皹薬買ふ　　　　　　　　　　望月裕二郎26（阿部直し）
　　元句：ドン・キホーテにて皹薬買ふ　　
<BR><BR><BR>

つるすべになりて落つるは白磁の花瓶　　　春木晶子27
<BR><BR><BR>


　欠片を他所にあやめ咲きたり　　　　　　輿水英里28
<BR><BR><BR>


冴え返る水の粒子が虹をかけ　　　　　　　水野　桂29
<BR><BR><BR>


　雲間をしづかに月渡りけり　　　　　　　三角みづ紀30（月の座）
　　元句：霞月すら明滅さす
<BR><BR><BR>

傷俟てる運動会の膝小僧　　　　　　　　　望月裕二郎31
<BR><BR><BR>


　水を斬りゆく鮭のレースも　　　　　　　三村京子32　
<BR><BR><BR>


塩辛し門出にかはす酒の味　　　　　　　　輿水英里33
　　元句：一面の豆を踏み踏み春立つ日
<BR><BR><BR>

　鶯のいろ声と見分けず　　　　　　　　　春木晶子34（阿部直し）
　　元句：鶯告げし新たかな出会い
<BR><BR><BR>

花衣とうとうと捲り歩めれば　　　　　　　三角みづ紀35（花の座）
<BR><BR><BR>


　孕める馬に朝の光背　　　　　　　　　　水野　桂36（三角直し）
　　元句：朝寝の跡が川と流れる　　　　　　
<BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR>





●Ｃ班「歌仙『藁の王』の巻」
<BR>
【Ｃ班解題】
これは僕（阿部）自身が参加したもの。
Ａ班Ｂ班より人数が少ないのは、
第一回演習欠席者で座がつくられたため。
１２３４、２１４３（以下同）・・の回し順。

半玉の句の前後、季節の決めが狂った瑕疵はあるが、
蟻の季節を春と阿部が錯覚したためだ。

１４から２２の運びが目覚しい。
これは進行の遅れていたＣ班のため授業一回を割き、
その場で阿部の指導のもと各句がつくられた幸運による。

歌仙終結部、３３－３６（挙句）の流れは
直しのゆえもあるが、こちらもすごく良いとおもう。

直しでは「私句」が多出する煩さを嫌った。
それとゲスト参加の石井君は
曖昧句が個性なのかもしれない。
<BR><BR><BR><BR><BR>





しまひまでそぞろ往く日も藁の王　　　　　阿部嘉昭1 
<BR><BR><BR>


　遥かに見ゆる曲がり路の秋　　　　　　　伊藤浩介2 
<BR><BR><BR>


黄金にはなれぬと落つる金木犀　　　　　　石井洋平3 
<BR><BR><BR>


　舞を踊りて服に染み付く　　　　　　　　内堀亮人4 
　　元句：舞を踊りて路に染み付く 
<BR><BR><BR>

一筋の呻きおもはす周波数　　　　　　　　伊藤浩介（阿部直し）5 
　　元句：一筋の呻きに似たる周波数 
<BR><BR><BR>

　ラジオ修理も夏の月下に　　　　　　　　阿部嘉昭6（月の座） 
<BR><BR><BR>


目が覚めて周囲見渡す一匹の蝉　　　　　　内堀亮人7 
<BR><BR><BR>


　蟻に食まれむ末はわが身よ　　　　　　　石井洋平8 
<BR><BR><BR>


半玉の請け先に梅らんまんと　　　　　　　阿部嘉昭9 
<BR><BR><BR>


　そよかに流る沈丁花の香　　　　　　　　伊藤浩介（阿部直し）10 
　　元句：そよかに流る冬の残り香 
<BR><BR><BR>

手荷物の息を潜めし風鈴の　　　　　　　　石井洋平11 
<BR><BR><BR>


　涼しき懸想に我が身を削る　　　　　　　内堀亮人（阿部直し）12 
　　元句：夏の懸想に我が身を削る 
<BR><BR><BR>

月恋し曇天をゆく鐘の哀　　　　　　　　　伊藤浩介13（月の座） 
<BR><BR><BR>


　見えなくなりぬ肥馬の背中も　　　　　　阿部嘉昭（阿部直し）14 
　　元句：見えなくなりぬ馬車の背中も 
<BR><BR><BR>

種をまき芽吹く陽気に走り寄り　　　　　　石井洋平15 
<BR><BR><BR>


　キャベツに似たる脳の数々　　　　　　　伊藤浩介16 
<BR><BR><BR>


たつぷりと花も重たき頭山　　　　　　　　内堀亮人17（花の座） 
<BR><BR><BR>


　寄席の帰りを茶漬けで流す　　　　　　　石井洋平18 
<BR><BR><BR>


粥腹に力を込めて西瓜剪る　　　　　　　　阿部嘉昭19 
<BR><BR><BR>


　研がんとすれば砥石に黴よ　　　　　　　内堀亮人20 
<BR><BR><BR>


五月雨の露滴りし原始の蒼　　　　　　　　伊藤浩介21 
<BR><BR><BR>


　田中の線の縦を横に見　　　　　　　　　阿部嘉昭22 
<BR><BR><BR>


空と地をひつくり返さん手をついて　　　　石井洋平23 
<BR><BR><BR>


　天に張り付く我は蜘蛛なり　　　　　　　伊藤浩介24 
<BR><BR><BR>


汝が髪は憤らずとも愛衝つく　　　　　　　内堀亮人（阿部直し）25 
　　元句：我が髪は怒らずとも天を衝つく 
<BR><BR><BR>

　抜けども抜けぬロックの色素　　　　　　石井洋平26 
<BR><BR><BR>


まぼろしは紺屋と囲む藍の鍋　　　　　　　阿部嘉昭27 
<BR><BR><BR>


　煙と消えて腹満ち足りず　　　　　　　　内堀亮人（阿部直し）28 
　　元句：煙と消えてわが腹満ちず 
<BR><BR><BR>

かすみ目を底まで撃てり冴ゆる月　　　　　伊藤浩介（阿部直し）29（月の座） 
　　元句：かすみ目に朧を纏う月麗し 
<BR><BR><BR>

　すすき野にある馬糞が都　　　　　　　　阿部嘉昭（阿部直し）30 
　　元句：をちこちにある馬糞が都 
<BR><BR><BR>

薄羽の蜻蛉のひかり衣装とぶ　　　　　　　石井洋平（阿部直し）31 
　　元句：薄羽の透ける光の衣装とび　　　　 　 
<BR><BR><BR>

　夜の寒さに足ばたつかす　　　　　　　　伊藤浩介32 
<BR><BR><BR>


明け方や筍を見る土湿り　　　　　　　　　内堀亮人（阿部直し）33 
　　元句：喧噪も無ければひとり夜さみし 
<BR><BR><BR>

　吟行小ぶりに春空ひくし　　　　　　　　石井洋平（阿部直し）34 
　　元句：目覚めの行軍ひとには小さき 
<BR><BR><BR>

菰を茣蓙にしのぎて酌まん花のもと　　　　阿部嘉昭35（花の座） 
<BR><BR><BR>


　琴瑟そろひ歌ごゑ潤む　　　　　　　　　内堀亮人（阿部直し）36 
　　元句：酒に色付く頬と紅梅
<BR><BR><BR><BR>]]>
        
    </content>
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    <title>短篇・道の真ん中のウェデングケーキ</title>
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    <published>2008-12-17T00:15:07Z</published>
    <updated>2008-12-17T00:18:15Z</updated>
    
    <summary> 【解題】 立教０８年度後期の卒論（卒制）予備演習では、小説を卒制で提出したいと...</summary>
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        <![CDATA[<BR><BR><BR><BR><BR>
【解題】
立教０８年度後期の卒論（卒制）予備演習では、小説を卒制で提出したいという受講者が多く、必然的に小説作法の伝授が授業の中心になった（僕の柄でもなく）。
これまでに書いた小説を生徒たちに提出してもらい、その改作を僕自身がつくって、原文と改作を細かく参照しあい、生徒作品の不備を指摘、僕の意図をしめすことで、「小説が小説たる条件」につき、みなで考えてゆく成行ともなった。結果的に高校時代いらい久方ぶりに僕が書いた小説ということにもなるが、もとより僕には物語や人物の性格化につき何の想像力のもちあわせも蓄積もなく、それらについては生徒のオリジナリティに頼った。
うち自分でいちばん出来のいいとおもったものを以下にアップしておきます。文章は整備され、何をどの段階までいわないか、作品のもつ主題系をどこまで自己言及するかなど注意力もましたものの、もしこの小説がおもしろいと感じられるならば、それはすべて元の作者、石倉優希さんの功績である点、いうまでもない。
（阿部）
<BR><BR><BR><BR><BR>





石倉優希『道の真ん中のウェディングケーキ』改作
阿部嘉昭
<BR><BR><BR><BR><BR>




　今度のソファーは、やわらかすぎるように感じた。

　健郎さんにはわるいが、前のソファーなら、安物のうえ随分つかいこまれていたけど、からだには馴染んだ。腰掛けるたびスプリングか留め具が軋んで、なさけない音を立てるのはたしかに難点だったが。

傾きつつある西日が、左の睫毛にひかりの虹をむすんだ。この卵黄色のソファーも、表面にひかりの斑をえがいている。生ぬるくなった自分のからだを感じながら、ソファーが以前と同じ位置にあるのに色がちがう、それを奇異におもった。いつも西日のため、ソファーに身を置いていると午後の気分がみだされる。眼のなかに夕光の補色が円のかたちにおどって、それが花火をみるようにうるさいのだった。

　「カーテン、しめていいですか。レースのほう」

　読んでいた雑誌を閉じて、健郎さんのほうを向く。

　「どうぞ」。向かいの補助テーブルの彼が顔をあげた。彼は文庫を手にもっている。

　立ち上がってベランダ側にゆき、カーテンを引いた。刺繍模様の影が私の顔に落ちたとおもう。やわらかい紗のなかにいる私の姿を、健郎さんは追っているだろうか。

健郎さんは暮らしをきつく縛らない流儀だった。ものの配置がいつもゆるやかだ。雑然とまではゆかないが、構えがやわらかい。だから遮光カーテンもいつも束ねない。だらしなくたゆたっている。ほんとうは律儀な私の信条ともちがうのだが、健郎さんのつくりあげるそうした生活の余裕が、心地よかったりする。

健郎さんのほうをあらためて窺うと、手暗がりになっている。

「電気もつけますね」

「ああ、うん、ありがとう」

基本的に自分に無頓着なのだとおもう。だからもっている奇癖にも頓着しない。健郎さんが文庫本を読んでいるいまの恰好といったら。両肘をついて眼のまん前に文庫をもってゆき、顔を隠すような窮屈な姿だった。あれでは手首と肩と首と背筋に負荷がかかっているはずだ。じっさいその読書の身ぶりを真似したこともあって、手首がすごく疲れた。

ソファーにもどった私は、自分のてのひらがもう眩しくないと確かめて、姉からかすめた雑誌に手を伸ばす。雑誌はいつもどおり膝に。そういえば、いぜん健郎さんは、膝のうえに本を開いて読むと、俯きをしいられて首が痛くなるんだ、といっていたこともあったな。

静かだ。静かだと、時間も連続状で直前直後の区別なく、ただ、とうとうと流れている感慨になる。淀みのなさは読書の進展でもあるし、西日がゆっくりと傾くことで生じる部屋のようすの変化でもある。たしかに平穏な午後がここにつまっている。カーテンで区切られて、何かの内側にいるという充溢感もさらにつよくなった。

私が開いていたのは、ウェディングケーキを紹介する頁だった。部屋の空気が濃くなった気がして、逆に眼に映る写真が稀薄に映る。私はそれでウェディングケーキの写真を、実在を承認するように指でなぞった。なぜか新種を誇るそれらでは赤の配色がこのまれていた。なぞったとき変に新鮮な手触りがあった。印刷インクでも指についたのではないか。私は雑誌から手を離し、指を眺めた。何もついていない、赤くなっていない。

そのようすを、意外にも健郎さんがみていた。

「指でも切った？」

「いえ、大丈夫です。ほら」

自分のしてきたことの説明が面倒だったので、反射的に指をみせてしまった。迂闊にも健郎さんに向け人差し指を立ててみせる恰好となった。「この指とまれ」のようで、自分の滑稽を感じた。それで、てのひらをひらいて、問題ないです、としめすため、手を振る上塗りをしてしまう。今度はバイバイ、のようだ。意志と仕種が奇妙にずれだした。笑うでもなくこちらをじっとみている健郎さんのため、私は具体的な話題で挽回をはかる成行きとなった。それでみていた頁を開いたまま、健郎さんに掲げ、

「この雑誌、姉のもっていたウェディング特集なんですよ。でもこういうウェディングケーキって、衒いすぎておいしそうじゃないでしょ」

健郎さんが身を乗り出して、見てくれる。

「はあ、変というか奇抜だね」

その頁には「たっぷりベリーのケーキで決まり」という見出しがゴシック体で大書されている。正方形、長方形、円形、ハート型と、ケーキのかたちはさまざまだ。

「ハート型のケーキに入刀すると、結婚が壊れるみたいだよね」

健郎さんがすかさず、全体がピンクの多幸で染まったこの雑誌の、浮き足立った滑稽の核心をついた。

「ウェディングケーキっていうと、丈が高くて大きくて、てっぺんに新郎新婦の人形が乗っていて、というのしか、おもいうかばなかったんですが」

「ああ、あれ。あのケーキのうえに乗っている人形って何でできてるっていったっけ」

「マジパンじゃないですか」

「マジパン？」

「アーモンドの粉と……あとはたしか、砂糖か何かでできていたとおもうんですけど」

私自身、記憶をひもといてみようとするが、検索がうまくゆかない。一方の健郎さんは、無意識だろうが、マジパンの語を低く口のなかでつぶやいている。音が奇異なのだろう。真面目なひとの渾名のようだから。そうやってつぶやかれると、マジパンという音の反復がいよいよ呪文めいて、新郎新婦の人形があたまのなかを回転盤にしてまわりはじめる。背景は白い生クリーム、苺、ピンクの花弁。この新郎新婦の人形の顔に、自分たちのそれを置くべきか迷った。

健郎さんが、テーブルに手をつき、身をのりだしていたので、私は次の見開きもしめしてみせた。

「旬のフルーツはいかが」という見出し文字をそのまま健郎さんが読み、「いろいろあるんだ」といったんは感嘆した。この無頓着も演技ではないとおもう。ただ「いろいろあるんだ」という紋切型の言いようが興味の退潮の引き金になったようだ。健郎さんは身をひいて、椅子にまた腰を落とした。

「そういえば、綾子さんの披露宴の招待状、届いたよ。まだ先とおもっていたら、もう来月なんだね」

綾子。姉のことだ。

「さすがに忙しそうにしてますよ」

五つ上の姉の結婚式は来月に迫っていた。日取りは、決定までに、やれジューンブライドだ、誕生月だなどと紛糾もしたが、安価に釣られ、はた迷惑な真夏の結婚式となった。そう決まると心にゆとりも生じたのか、指輪を見せびらかされて、あんたにブーケあげるから早く結婚なさいよ、と権勢風すら送ってきたのだった。

●

「今日もありがとうございました」

肩かけ鞄を提げ、玄関先に私がいる。段差の高いほうに健郎さんが立っているので、見返す私は、渇仰の視線を自分に意識している。見上げてどうするのだ。自分の首が儀礼で酷使されているとおもった。「またね」。私のからだの脇をかすめるように健郎さんの腕が伸びる。取っ手が下げられ、ドアが開かれた。促されるように、私は外へ出る。健郎さんに会釈。もういちど「またね」といわれ、ドアはゆっくりと閉ざされた。暮色の濃くなった通路にとりのこされる。ドアはもう建てつけがわるくなっていて、残忍な金属音をいつも立てる。その音と、健郎さんの「またね」という優しい声音の違和、おそらくその落差に私はとりのこされ、だから玄関の土間と廊下部分の段差にも、神経質になるのだ。

予感を振り払うように、通路をすぎて、階段を急いで下りる。建物から完全に離れたところで、深呼吸を試みた。体調の異変を感じる。呼吸というが、吸気を多く自覚するのに、呼気がおぼつかないのだった。かなわぬことながら、この場に自分をとどめようという意識がはたらいているのか。足がそれで停まってしまう。

暮れ方の空気は、とおいざわめきをふくんでいる。ざわめきのほうに足を向けよという指示もある。私は健郎さんの部屋を振り仰いだ。その扉は瞑目をやめない。その眼がひらいて光を放ったらいいのに。振り仰ぐ視線によって自分の眼がどうしようもなく乾いてゆくような気がした。気づくと、眼瞬きでそれを補おうしている。泣きだすみたいだ。私は自分の動作が、自分に自分を反響させる範囲を出てないとふと反省して、踵で蹴るように歩きだした。

西の地平方向はまだ赤いいろを湛えていた。東空は暗澹としている。街の夜は等間隔を組織しているとおもう。暗くなって存在感をました街灯は、ひかりを吸いとる磁石のようだ。それが整列して並んでいるようすに、未来的なものを感じた。

位置があるから、何かが置かれる。健郎さんの部屋にはそれで新しい卵黄色のソファーが置かれ、雑誌の頁には奇抜なウェディングケーキが置かれ、街路には街灯が置かれる。複数のケーキと、複数の街灯は、それぞれの距離を測れと促すが、あの単数のソファーには周囲の何かからの距離がない。それ自体が身をぼかすように部屋の空間を占めていて、そういう場所にたぶん私はだらしなく安逸していたのかもしれない。ほんとうの私は、健郎さんの座っていた椅子からたえず測定される距離だったかもしれないのに。

埒もないことをおもいめぐらしながら、歩いてゆくと次第にからだはあたたまった。湿り気を不快におもっていた風が心地よさに変わる。街路樹の枝がさわさわ鳴って、東の空の暗さをおもい、一瞬、それを雨音と錯聴した。このとき眼が疲れていたので手をつかい、降りだした雨粒を確認のため、てのひらに受けようともしたのだった。今日の自分は、自分にたいしこの手が分離的だとそこで気づく。今日の手はしかし虚無しか受けとめなかった。

近道の路地に入る。甘い香りが鼻を打った。感覚が誤るはずがない、ケーキの匂いだ。時間が反転して、さっきの健郎さんとのやりとりが、からだの間違った箇所によみがえっているのか。

現状への爆弾を、みた。奇異なことにも、街灯のもと蒼白く照らされて、狭い路地の中央にウェディングケーキが置かれていた。捨てられていたのではない、台座つきで置かれていた。何かの悪意が介在しているのだろうか。その出現に、唐突さと想定内を見分けらなくて、私は自分の喉がひきつるのを感じた。しかしそれはケーキの甘い香りに反応して唾液を分泌する舌の裏を、のどが戒めたということかもしれなかった。

幻想か願望による結像だ、という当然の警戒心が走る。そのあかしのように、そのケーキは、健郎さんの部屋で私がいったんおもいえがいた姿と酷似していた。てっぺんにマジパンの、新郎新婦人形が鎮座していたのだった。段数をかぞえ、立派なケーキだとおもう。１メートルはある。眼が慣れて、細部が詳しく判明するうちに、その香りもあって絶対にサンプルではないという確信が生じた。誰かに拾われることを念願しているのだろうか。そうおもって、たかがケーキに小動物とおなじ意志を幻想するようにもなる。ただしこのケーキは何か決定的な運命を帯びている――「出現している位置」が、まちがっているのだった。

今日一日の体験との符合もあって、私はこのウェディングケーキの路上への配置に、ただ無防備に困惑したとおぼしい。今日のからだなら、私から私の手が伸びて、ケーキを虚無にするため、ケーキが確実に抱えられる。その考えなしの挙動によって、私は災いのなかに入り、もう家に帰れないかもしれない。

それでも私は健郎さんの部屋から離れたときのように、ふたたび自分の脚に力がみなぎってくるのを感じた。「通りすぎるんだ」、私は脚にそう命ずる。通りすぎれば、この巨大なケーキも犬の糞のような無意味へと貶めることができる。

通りうる幅はしかし狭かった。ケーキが区分している道幅の左右を慎重に見極めた。左がすこし広い。左に入ろうと決意した。

ウェディングケーキの縁と塀のあいだに、まず利き足の右を差し込む。次に左足をその先にまわし入れようとして、バランス移行が危うくなって、鞄がゆらいだ。

肩から離れかけた鞄を咄嗟につかむ。一筋たりとも生クリームを掠めてはならない。命法のようなものが作動している。大きな音で打ち出している心臓を注意ぶかく宥めて、ケーキから距離をとるため鞄をもった右手を頭上にあげると、なんと眼路がケーキではなく鞄のほうに向かってしまった。逆光になった鞄の遠い向こうに、金色を帯びた月が優雅に浮かんでいる。三日月と半月の中間くらいの、綺麗というか清潔な月だ。周囲に雲もなく、この女のような月の姿に、なぜか眼が放せなくなってくる。ケーキ脇、中途半端な恰好のまま、私の進退がこうして窮まってゆくのか。

息だ――そう感じた私は、その恰好のまま静かに深呼吸をした。今度は吸気だけが多いということがない。呼気と吸気に均衡がとれているとおもう。そんな深呼吸を幾度かつづけた。それで脚に集中していた精神力が、全身にうまく分散したようだ。細心の注意をはらい、ふたたび足を運びだす。呪縛はもう切れている。右足、左足、右足。髪の毛にも注意。右足、左足。何とかウェディングケーキの脇をとおりぬけるころには、鞄を掲げていた右腕が上腕下腕とも冷たくしびれていた。無意識のうちに、こまかくバランスをとっていたはずの左手のほうは、逆に汗に濡れ身熱をはなっている。

ついに、とおりぬけた。ウェディングケーキを振り返る。前姿・後姿の区別は、てっぺんの人形だけからわかる。彼らは次に近づく者を窺っていて、抜けきったこちらにはもう頓着していなかった。その心情が、悪戯ざかりの小動物のようだ。そうおもった私からは、もう余裕が生じていた。

ケーキが置かれていた、ということではないのかもしれない。逸話が置かれていた、といったほうがいい、ともおもった。私はだからこの奇妙な体験をとうぜん後日、健郎さんに語ることもできるのだが、それを語るには健郎さんが対象として適格を欠いている気がしだした。なぜだろう。振り返るのをやめて歩をすすめ、なぜだろう、なぜたろう、とつぶやいた。このつぶやきもやがて、マジパン、マジパンへと変わっていった。もうウェディングケーキを振り向かないまま、路地を私は出ようとしている。頭のなかにふたたびえがいた路上のウェディングケーキは、どこかあのやわらかすぎたソファーをもおもわせた。
<BR><BR><BR><BR><BR>]]>
        
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    <title>連詩「親指止まって、指紋失う」の巻</title>
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    <published>2008-12-16T22:16:32Z</published>
    <updated>2008-12-16T22:29:30Z</updated>
    
    <summary> 【解題】 さきにアップした【連詩『買えない思想』の巻】のほか、０８年後期の立教...</summary>
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        <![CDATA[<BR><BR><BR><BR><BR>
【解題】
さきにアップした【連詩『買えない思想』の巻】のほか、０８年後期の立教・連詩連句演習にはもうひとつＢ班もあって、こちらも同様に３６篇の連詩を巻いた。運びの原理もＡ班とおなじ。
Ａ班と較べ、より鮮明さに欠ける感触がややある。個々人の詩行（フレーズ）にさらに自己検証性の欠如が目立ち、「付け」の着眼にも「斬新なユーモア」や「転覆の悪戯」といった要素が弱くなるためだ。こちらはもっと差し戻しが必要だったかもしれない。
まあ参加した僕の力量は一定だろうが、特記したいのは松岡美希さんの前半詩篇の鮮やかさと、特別参加した歌手・三村京子さんの後半詩篇の目覚しさ。全体には破壊を目指す心根がＡ班と同じながら、個性の偏差分布がより激しくなって、結果的に運びにジグザグが出て、妙味の薄くなった弱点のあるのが惜しい。
それでも連詩という営みのおもしろさは伝わってくるとおもう。たとえば授業中にまったく覇気のない内堀亮人くんが僕の詩篇に意外な運動神経で付けたりしてくれたのを僕自身喜んだりもした。三角みづ紀さんの友人・石井洋平くんも頑張って「祝言詩篇」を完成させようとしたし。
綜合タイトルは僕の独断で、春木晶子さんと松岡美希さんのそれぞれ最初の詩篇から、【連詩『親指止まって、指紋失う』の巻】としました。
（阿部）
<BR><BR><BR><BR><BR>




立教０８年度後期「連詩連句演習」Ｂ班
【連詩『親指止まって、指紋失う』の巻】

春木晶子／松岡美希／佐々木綾／輿水英里／三村京子／
井澤丈敏／阿部嘉昭／内堀亮人／石井洋平

自：０８年０９月
至：０８年１１月
<BR><BR><BR><BR><BR>



１【午前零時の空模様】
春木晶子


屋根の上の猫の影が月を喰らう夜は
冷めたカフェオレがやけに不味い

曇天の画面は来訪を告げない
いつまでたっても　いつまでたっても

エネルギー不足ではないのですが
ボタンひとつで明転すれど
やっぱり独りきりなのです

震えたのは待ち望んだ来訪のせいじゃない
数打てば当たるかもね、ダイレクトに
押し付けお断り　出会いもいりません

気を紛らわそうと　独り言の更新
その間に来てくれるといいな
呟く言葉もなく親指が止まる

不味いとわかっていてもう一度啜る
夜がこんなに長いのなら眠ってしまえばよかった
でも寝ている時に貴方が来たらと思うと
目が冴えてしまうのです

貴方が私を忘れて
眠ってしまっただけなのだといいな
いつの間にか猫の影が吐き出した月は真ん丸
<BR><BR><BR><BR><BR>




２【パターン１の場合】
松岡美希


タイミングをずらすと
弛緩すらも
とれなくなって
しばらくは
指紋も失った

おとといと昨日が
あまりにも
近接低空
飛行の朝に
ぶくぶくと
うきあがる
夜の黒胆汁
に
眉を汚される
コーヒーのあさに
フォークが清潔に見える人の
からくりを
解くドリルが
虚数回路に逃げ込むのを
見咎めつつ
<BR><BR><BR><BR><BR>




３【定理証明のための仮定法】
佐々木綾

　　　　　　　　　　　　　　　　
余りと言うにはあんまりな
隙間を縫って入り込むそうです　わずかに
覗いた数字は３から７から１１へ　安定しない
カップの底の残った甘さを火にかけて１４０度
こえないようにかたむけて
アイなんてわかんなかったら無視です
それよかナイフがない
理由のほうがきっと近道に
繋がります
急がば回れ
油が売り切れるまでに　後
どれだけ残ってますか？

解答用紙の余白を増やす方法は
どうにかして
三段論法を成立させようと蹂躙
されたとうの昔から
忘れていない　消費された
時間に比例するように
ゆっくりと三原色が乾かす視線
でさえ
<BR><BR><BR><BR><BR>




４【白昼夢】
輿水英里


息詰まったら
息抜きに
一服してはいかが
気ままにイギー・ポップ
聴きながら　奇数
逝きながら　kill you
してみたくて　失敗
スプーンで掬い上げるだけ
貴方の白と
私の黒とを
かき混ぜて　かき混ぜて
砂糖を三杯
銜えて　飲み干す
食後の一杯

事後　眩暈

聴こえてくるのは
In Between Dreams
イン　ベッド　ウィズ　ドリームス
死んだ背中
視線逸らした
<BR><BR><BR><BR><BR>




５【移動】
三村京子


死と人生との
タッチアンドターン
友川さんなら砂糖を、配る速度です。

問題は、ＸＴＣのションベン臭さ
無理みたいな残り時間
二回目に当たった。
以後は奇数月のみの参加でいきます

遠近両用の死角で
裸で死んでる少女
存在が提示するのは恥だけでしょうか

笑う帽子が27000円だった。
これからは洒脱な人生だろう。
脱臼は白いですか

鯉がすれ違う流れのなかで
手が光りながら行き交うようなハイファイヴ
そんなふうになりたい
死んだこともある人たちって、案外、多い
そうでなくても星と星が交換されてる
だから吾らにあるのは
移動のみ
<BR><BR><BR><BR><BR>




６【欠片】
井澤丈敏


急ぎすぎて
体が崩れてきました
友川さんの砂糖も
螺旋状にからころと散らばって
それでも彼はずっと
欠片を拾い続けるのでしょうか

途切れがちな思考さえ
続けるのが困難になってきて
手と足がばらばらに
動き出しそうです

いまあなたはそこにいます

うそがほしいのかな
それは不味いと思う
私だって落下する

いまわたしはここにいます

むつかしいことば
なんてわからないし
追いつけないスピードに
追いつく気もないがたまには
死んでみるのもいいかもしれない
<BR><BR><BR><BR><BR>




７【水が朝にしゃがんで、】
阿部嘉昭


かけら、けらけら
自分を階段に下げる
ただ　もぐりゆくねずみとなって
地下のみどりを
眼やからだに這わせる

もてあました尻尾が
異議のようにポップ
無量の　きるまいせるふで
舌も朝へとはがれてゆき、

会った。
調味料のきらめく通路で。
たがいの眉に塩を盛っては
こわれる固定を交換した
ぼくたちの顔の浮く
街のようなものにも
刻々と色が這って
四つ足が不足になる
その偽の動物誌もかなしい

西口に義体哭く。
水がしゃがんでいる
<BR><BR><BR><BR><BR>




８【限界】
内堀亮人


冷たくて
国境線が
不可視になるような場所
子供達を
待ちわびて
グルタミン酸と
イノシン酸のような夜
けれども
もう賞味期限が過ぎてしまいました

今は
雇用問題
環境破壊
よりも
夢の島か
家の庭か

人生を愉しむ秘訣は
甘いか酸っぱいか
ではなく
逆境が快楽か、
鞭がアメか
<BR><BR><BR><BR><BR>




９【抵抗】
石井洋平


誰にも姿を見られなくなった少女は人知れず赤靴下を脱ぎました
腐ってしまったような気がしたふとももの肉は
ほろほろしていてあるいは食べ頃なのかも知れません
ねぇ

いつでも遠くを眺め続けた少年は人知れず義眼を外しました
時折聞こえていた隣国の炸裂するような音は
からころと笑う声を持ってしてもまだ足りない
ねぇ

生まれてから
これまで一度も聞かれたことが
なかったから
あたし、お母さんがいること知らなかった
ぼくだって、父親になることを忘れていた
誰も聞いてはこなかったもの
ねぇ
妙齢の方に生まれた日を尋ねちゃいけませんよ
ねぇ
ねぇ
そろそろ前、見ませんか

危ない
<BR><BR><BR><BR><BR>




１０【このページは見つかりませんでした】
春木晶子


父という呼び名も
母という呼び名も
僕の固体識別番号ではない
だからどこか
絵空事

故
子供の存在など知覚しなかった

だけど固有名詞だって
だれかと同じなこともあるでしょう
それが
自分で決めたものではなく
組み込まれた
暗号だから

握り締めた赤は
僕の存在の輪郭を示さない
それは君のものだから

窓の外行き
あんなに焦がれたはずなのに

ぽろぽろと零れ落ちたもとの
固体情報が検索にヒットしない
<BR><BR><BR><BR><BR>




１１【保存】
松岡美希


剥がれ落ちた
薄膜とは
もう
決別をしてあるが
透過性は
まだ
選択式で

受け皿的な手触り
にしては
出て行ったものは
もう入ってこられない

同一に出会っても
また
ダブりが
増えていくので
まず
口角を削ってゆく
角質をそぎ落とす
明日は
おがくず
<BR><BR><BR><BR><BR>




１２【しょうひ】
佐々木綾


接がした後からくもりひろがり
ほろほろと飛来しては
総体の中紛れてしまう
辿ったところで違いなど
あり過ぎて返って　さっぱり

隠したくて詰んだのか
詰みたくて接いだのか
おがくず食みだすまで
判りません

削られ残った口は
皿の中身をぺろりほおばり
靴底と床すりつける
音たてて過ぎていく
喉
表面が隆起する
動きに合わせて　ゆっくり

皿の中身が減らないので
そろそろ不安な消費期限
貼りかえられた表示は
皿の中身へ注がれた
<BR><BR><BR><BR><BR>




１３【発酵】
輿水英里


私　また間に合わない
私　また間に合わない

汚した皿の上
深夜２時に
腐りきった
引籠もり共が
蒼白で這いずり回って

打ち揚げられた鮪の
手が
まるで
生き物か
と

まるで
尻に接着剤塗ったか
と

くぁｗせｄｒｆｔｇｙふじこｌｐ；
詰んでなんかない
詰んでなんかない

朝に食べる納豆ご飯だって
腐ってから
<BR><BR><BR><BR><BR>




１４【まな板の蛙】
三村京子


まな板の蛙、
遅れてしまった。
残ったのは、食べ散らかすこと。

汚れた両手で、
彗星の瞼を撫ぜ
痴情の夜をくり返す。

穴は
生き物としてあり、
抜けることすら、地上の痣を踏む。

接着するわたしの、子供、子供、子供
連なる卵も
眠りだせば

警報として時限はあり
濡れた路面が
つゆくさを笑んでいる

接着するわたしの、ひかり、ひかり、ひかり
もう胎児が若葉を
喃語めいてちらつかせる
ここに仰向けて
眠りだせば
<BR><BR><BR><BR><BR>




１５【孵化】
井澤丈敏


孵りそうですよ、
暖かい日射しを浴びたから。
手を当ててみれば
わかりますよ、
ね。
胎児は母親の声を聞いて
黙々と躍り続けています
彼は夢でも見ているのでしょうか
とても
恐ろしい顔をしています。
自分が自分ではないことが
わかりすぎて
怖いのでしょうか
お母さんに食われるのが
楽しみなのでしょうか
自力で殻を破って
出てくる前に
ぱりんと
割ってあげないと
大変なことになりますよ
<BR><BR><BR><BR><BR>




１６【秋が落ちない】
阿部嘉昭


遠い風に眼が胎んで
夢の、海の坂
蜃気楼がみえた

わたし以外を抱くため腕を伸ばすけど
このわたしは散らかせない
こどもの町の飴玉にも
気球が浮いて
ずっと秋が落ちないでいる

ぱりぱり割れる前のそこ、天国
色水がおいしい場所
針山にもゆかず
玻璃だけをずっと踏んで
あゆみもおたまじゃくしのように
自分の影だけは掻く
そうして対幻想になったかな
おとなにならずに

きみがまぶしい眼差しなのは
ぼくが炎えているから？
空にものぼる坂が一杯だ
晩からは漁火もゆれて　魚津
<BR><BR><BR><BR><BR>




１７【履歴】
内堀亮人


真っ黒の紙に
真っ黒な文字
これが僕の履歴書です

そこではきっと
昨日の僕は
海の底から
追い出されて
食べられたのだ

そうして今日は
生まれ変わったので
今のところは
朝日をみるのが
億劫なのです

このようにして
何回生き返れば
もう飽きたよ、と
言い出すのでしょうか。

生まれながらにして
性楽説を唱え続ける
ただひたすらに
<BR><BR><BR><BR><BR>




１８【影を作る会社】
石井洋平


遅ればせながら参上しました
朝食は野菜スティックでしたが、きゅうりの青臭さったら
ないよ
ほうっておいたら
茶っこくなってどん黒くなって腐りおってん

食うなや

若者の貪欲さにはいつもながら驚かされますな
油性マーカで書き込みすぎて読めたもんじゃあありませんな
それに臭い、まっことふかいのにおいですな
それではこいはもう用無しという事でしょうか
ええ、こいはもう即刻、廃棄すると言う事で
異議なし　　　　　　　異議なし　　　　　　　　　
　　　異議なし　　　異議なし　　　　異議なし

満場一致で

おい

食うなや

いやいや素晴らしい

何べんでも吐き散らかしてそれでもまだ飲み込み続けるとは
いつもながら驚かされますな
おやま、あなた、ふかいのようで
<BR><BR><BR><BR><BR>




１９【白昼】
春木晶子


カオスに飛び込みながら
一寸先は白。
何もないともいいますが
あるいはそれも何かなのかもしれません。

喉が渇いて仕方ないのですが
どうやらここには食物しかないようで
気の利かないことですね。

いえいえ、別に異論はございませんよ空腹は
未だ感じますけれど
優先順位としては
やはり潤いの方が高いので

だから、
食用の任務を全うしないでの廃棄は
やはり礼を失すると思いますし

先ほどから注文が多い？
それは
人間だからですよ

幸か不幸か

怒らずに聞いてくださいますか？
トマトは水分に含まれますよ。
<BR><BR><BR><BR><BR>




２０【単複同型】
松岡美希


別段の用意もない
ただ
あるもので
育ってきた
にもかかわらず
いつの間に
みずを持つ

（最近は持ち物に　ジュースがおおいなあ）

食って止まない
口唇は
もう特別に
正論を
敷いているよう
話す速さは
はじめから
手と組んでいて

意外に単独は
与えられて
なにかと与する
いつの間に
<BR><BR><BR><BR><BR>






２１【コミュニケーション】
佐々木綾


液体が六割と固体が四割
黄金比には少し遠いけど
それでもこれがベストだそうで
一時間に100mlと1,2品目がノルマ
ただし科学は含まれません
あ、ダブりも駄目ですよ？

正論に覆われた
その言葉を摂取する
私の耳
いい加減飽きたようで
そろそろ刺激がほしい
いっそ冷や水でいい

手と喉が手を組んでいることなんて
わかりきってた筈
集中砲火を喰らう目と耳
反論を張るのが間に合わない

みそっかすの足は
組む相手も見つからないし
崩れたところで文句もなし
スタンドプレイもたまにはいい
<BR><BR><BR><BR><BR>



２２【響く】
輿水英里


朝まで生テレビを遠目に
逃げ出した私の
耳を坊主が塞いで
ひたすらに歩かせる
躰の奥底に警鐘
この血は緑色なんだ
こんなとき
足は音を頼りに
何処までも行ける

痛い
痛い
いっつも頭が痛いんだよ
どうやら
宇宙人にチップ埋め込まれたな
ありとあらゆる毒を以ってしても
麻痺させてあげられない
過敏な躰

下らない議論はもうやめて
平和を願おうよ
私の為に
<BR><BR><BR><BR><BR>




２３【放課後】
三村京子


おはよう
これが終わったらみんなどこへ行くの
ぼくはこの池のそばにいるよ

教室は色紙
大雨で流される

ぼくらは頭痛になやみ
くだらないギロンになやみ
でも足は何処までも行くんだから
洪水にまけちゃだめだろう

ここで何か交換するのかな？
彼女の痛みを和らげられるかな？

耳を澄ましてる
そこへ流れるのが切断された記号の粒
メロディという鉛ならば

孤り孤りに返される
贈ったはずの葉も水も
それではあんまり寂しく帰るだけ

ぼくの歌なら消えてゆくが
水紋おちる、この池に
少しの声が潤んだら
<BR><BR><BR><BR><BR>





２４【壁をたたく】
井澤丈敏


極彩色の
音の粒が
滝となって
流れ落ちていく

波に飲まれた
ぼくのうたは
釘だけで止められた
時間
剥がれる

ぽかりと開いた穴が
塞がらないから
今日もまた
壁をたたく

隣人と寂しさを
交換しながら
朝の来る日も
来ない日も
世界が
風に乾くまで
ぼくらは
壁をたたく
<BR><BR><BR><BR><BR>




２５【空のよろめき】
阿部嘉昭


ぼくらはすすむ
樹のうろを自在にとおり
一樹を虹にするまで
虫の複眼へしずかに降りて
屍を天のしずくにするまで

「橋の向うに老い先がある」
そういうものを杖でつつく
地虫が焔のように湧いて
悪縁が一斉の朝となる
渡らせすぎている橋、
その湿地回復のかたわらで
あらゆる先行も閃光と感じた

おとといが誕生日、だね
つごう三十の輪っかで
「悲哀は微笑する」を
もう金色に隠せるようにもなって
血流、あるときのある空は
飛行機雲にまったく切られてゆく
（そんなふうに君に先んじていた、

万朶のよろめき、空に。
<BR><BR><BR><BR><BR>




２６【１＋１は２にならない】
内堀亮人


直線を引いてみる
出来るだけ真っ直ぐの線
これによって
この世界を分けてみる
そうして左目と左耳
右目と右耳
別々のものとなっていく

こうやって出来たもの
足してみる
けれどもどうやっても
元には戻らない
１＋１は２にならない

ある人は言う
円が書けなくなったら
もうきっと
絵は書けないという
けれども僕は
生まれながらにして
ただの直線しか
書けない
<BR><BR><BR><BR><BR>




２７【つくばエクスプレスで幾星霜】
石井洋平


図案を提出
何度も提出
先生はまだ出さなきゃ駄目

よりどりみどりのいろどりをまえに
おうむのけいしきをまねるどれいたちの
ねいろは曲線をひたむきにただす彼らのように綺麗
彼らの綺麗をしることができるのは
無機質ながらすの管とゴムチューブの
ような生まれながら声をいうものを持ち合わせていない
お前たちのように
濁れども濁れども
透明なままでありつづける性質のどれい

論文を発表
バッシングの嵐
先生はまだ続けなきゃ駄目

空と人間を等価に
研究対象としてしまったことの
罪の意識におびえる
おびえることすらわすれてしまったせんせい
ぼくらのせんせい
<BR><BR><BR><BR><BR>




２８【シナプス回路は環状線】
春木晶子


どれどれ見せてごらんよ
この濁った水の中には
いったい幾つの罰が眠っているのか
証明せよ

証明のためには
二項定理がふさわしいだろうか
さいんこさいんたんじぇんと
なぜグラフが上下対称に
弧線を描くのか理解できません

この導線を
幾つの夢が駆けめぐったか
おまえは何に震えているのか
夢魔苛みし
学童の
頭の中は常に公定式を否定している

理屈では説明できません
有効な式を導き出せません、だって
そもそもしきってなんですか

論理的な回答にて応答せよ
白紙回答は無効です
<BR><BR><BR><BR><BR>




２９【ほとり】
松岡美希


目前の行動式に
代入する気安さを
ベクトルで
つつく
味
いけの味
と間違える
水面
底のほうで
吊るす目に
たまったにごり
振動で
砂丘が沸いた
渇く
肌の色は
合戦の模様しだいで
潤むことも
あって、
温泉

冬の池
<BR><BR><BR><BR><BR>




３０【汲水】
佐々木綾


池の水を
呑み干したところで
わからない　溶けたもの　
濁ったんじゃなくて
最初から
色がこんなだったんじゃ
だって濾紙にのこらない

ふっとうしたら気化して乾いちゃいますよ
ゆうてんをこえれば液体ができるから大丈夫ですよ

うるおいを
止めたくてゼラチンをまぜた
（寒天は冷たいから却下）

つるべおとしをくりかえせど
波うたずゆれる表面
かわけばのこるだろうか
結晶
ではない
澱り、色つけたものだ
夏になればきっと

沼になれ
<BR><BR><BR><BR><BR>




３１【飽き足らずに呑み耽る友人を尻目に】
輿水英里


飽き足らずに呑み耽る
友人を尻目に
温いベッドを所望している
ゼラチンみたく
でろんでろんな脳みそで
一日の終わり

濁った空気を吸い込んで
浄化してから吐き出す
肺はタールと絶望で真っ黒けなのだ
きっと
人間ドックを受けたら
みんな病気かみんな健康だ
みんないかれてるか私がいかれてるか　だ

悲劇的なことに
私もあなたも
音楽や小説やアートや漫画やらと
恋人になれるわけがなくて
せいぜい友達止まり
ロックに生きるかポップに生きるか
いつも選択を迫られている
<BR><BR><BR><BR><BR>




３２【11月】
三村京子


きらきらしながら
団地の窓辺で
秋の日が暮れるのをみている
熱いゼラチン液を注ぐ
片手鍋
せかいが固まるかもしれない
瞬間というもの

それは、あなたの前で
停まってしまった
小卓に向かいあう
にんげん
小菊も溶けている
何も知らない両足で走って
帰り道、まっ黒に沈んだ夜にいかれた

音の河に包まれて
私があるように
あなたをみつけた

拾い上げた楠葉を揉む
星を摘み取るしぐさで
おしくらまんじゅう
<BR><BR><BR><BR><BR>




３３【茎】
井澤丈敏


ちぎれる音
ぎょっとして
振り返ると
色のない
茎が
揺れていた
向かいあう
わたしたちの
重力を
かき消すためか
いつまでも
光合成を
続けるためか
しあわせそうに走る
あなたの横で
わたしは
口笛を拭きながら
ちぎれた
茎のあとを
追った
<BR><BR><BR><BR><BR>




３４【実と実】
阿部嘉昭


もういちど星期がくるよ
万年のむこうかもしれないが
光によって合成される澱粉には
宮殿の脂粉にもました
華やぎすら入り混じって
ギリシャではイルカを追う百人の少年に
その樹々は揺れながら変わるよ

梨の実の　糖分と水分
はにかみがそのはざまにあった
古人は実を掌上にかたむけては
陽が照ったり翳ったりする
なにごとかでただ白い畑に
いっときを思案しつくした
たぶんおもいでのようなものを
いまや空芯になった
蒼いひとみでも汲もうとして

林檎の実のなかなら
偏西風に押され白鳥が翔んでいる
人の口先にはそうして
吸えないものを吸う永遠もある
<BR><BR><BR><BR><BR>




３５【種と】
内堀亮人


収穫祭が近づいて
この果物の様な球体の上では
陽が当たる方向からいいにおいがしてくる
だからなのであろう、他を引き連れて
柿は平等を唱えつつ
一部を腐らせながらも
梢から離れようと
自転し続ける

周りと同じ、と嘆く時計よ
これが無常迅速なのさ

そうして種として生まれた僕たちの頭の上で
まるで新しい銀河であるかのように
つむじが反時計回りに回っている

転回してしまったこの柿は
きっと自らぶら下がっている命綱を
その諦観によってねじ切り
恍惚と落ちてしまう
こうして下に広がる果物が腐った後には
逆回りの新しい芽が土に生えるだろう
そこからもいいにおいがしてきた
<BR><BR><BR><BR><BR>




３６【ここより】
石井洋平


おめでとう
といった数だけ実る世界が
木々にたわわ
おじいさんの年輪は
それを満足そうに染み渡らせる

森はおじいさんから始まった
ありがとう
といって森に産まれた子供たちが
口先を伸ばし
実った赤い果実が
太陽になりたい

家族が増えました
いくつあってももっとほしくなる
丘の森の家族が

でんぐり返しではしゃぐ子供
どこまでもゆく
おめでとう
といって産まれ続ける世界で
眩いばかりの
太陽
<BR><BR><BR><BR><BR>
畢
<BR><BR><BR><BR><BR>]]>
        
    </content>
</entry>
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    <title>連詩『買えない思想』の巻</title>
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    <published>2008-12-16T21:17:44Z</published>
    <updated>2008-12-16T21:30:04Z</updated>
    
    <summary> 【解題】 ０８年後期、立教での演習授業のひとつは、テーマが「連詩・連句」だった...</summary>
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        <![CDATA[
<BR><BR><BR>
【解題】

０８年後期、立教での演習授業のひとつは、テーマが「連詩・連句」だった。以下にアップするのは、歌仙と同じ全３６篇、受講者の半数でつくったＡ班のものだ。そこに現在的詩作者・三角みづ紀も、縁あって参加した。

連詩法則は前のひとの詩篇の語句・フレーズ・着想などをずらして継いで、ただ先へとつないでゆく、というもの。そこに自分の現在を、隠喩的であれ盛り込んでとも要求した。一応、ひとりトータル２０行という定式をもうけたが、行アキも換算するか否かなどでは不統一もみとめた。

どういうわけか、文法の乱調をそれぞれが目指したとおもう。その乱調に精確さがともなわれているか否かで技量に差がたしかにあるのだけど、前詩篇の何が継がれているか、それをまずゆっくり吟味すれば、一定のおもしろさが伝わってくるとはおもう。ただ、精確さがもっとあれば、と悔やむことはある。僕が宗匠になって差し戻しなどをいわなかったのは、運びが抑圧なしに順調に流れることを、ただ期待したためだ。それと連詩の終わり数篇では、やはり「祝言」の要素もほしかったが、これもまた流産してしまった。

参加者個別でいうと、望月裕二郎くんから都野有美さんへの流れ、それと大中真慶くんから僕への流れが終始、いい感じで実現されているとおもう。望月くんは詩想をいろいろストックしている大変なテクニシャンで、今後も詩作の継続を望みたい。大中くんは詩作に自信なしと公言していたが、この演習を気に新境地に近づいた感触がある。

全体のタイトルは望月くんの第一篇をひねって、『買えない思想』とした。確かに高偏差値の丁々発止とはいかない面もあるが、連詩の可能性を伝えるものだとはおもいます。ゆっくりと咀嚼しながら読んでいただければ――
（阿部）
<BR><BR><BR><BR><BR>



立教０８年度後期「連詩連句演習」Ａ班
【連詩『買えない思想』の巻】

望月裕二郎／都野有美／水野　桂／中村ふみ代／
三角みづ紀／大中真慶／阿部嘉昭／伊藤浩介

自：０８年０９月
至：０８年１１月
<BR><BR><BR><BR><BR>




１【思想買います】
望月裕二郎


思想が必要ですかそうですか売りました
鞄持ってますが
わたしはもう時代です
靴に穴開いてますが
わたしはもうシステムです
下着つけ忘れてますが
わたしはもう政府です

といっても、まあ
わたし最近
朝日に溶けやすい
くきやかなあなた
それ立ってるんですか座ってるんですか
やっぱり輪郭はずるいですよ
そもそも
朝日だっけ夕日だっけってなるはずですよね
勝手に俯瞰しないでください
手、離さないでください
ええ、ええ
わかってます
一つ買います一つください
<BR><BR><BR><BR><BR>




２【痛覚錯誤】
都野有美


ああでも知りません
ネジ穴が合わない
かもしれない
わたしの小指では
そんなことよりも
あなたの肩甲骨にきれいにはめてみせます
人差し指ですが
簡単でしょ
そうじゃなかったらわたし
天上天下　
って叫んでます
分かりませんか

体巡る小さな賭けで
わたしの首はすぐに太くなる
太くなっても二つになれない
そのもどかしさを
直近でかんじつつ
しだいに
朝露に渇いてしまうものだ
<BR><BR><BR><BR><BR>




３【ぶれる】
水野　桂


６時間後には
きっと閉じてしまう
磨かれた歯車ほど
淀むものはない　だから
わたしの頬を操って下さい
同じ記号に飽きるまで
歌留多めくりをしませんか

そういえば、もう
描線も揺れる
８時
お金はあります
ただ誤算が足りません
銀色に誘われて
やってきたわたしは
きっとトレモロの中の一音
だと
分かりません
湿気で奪われてしまう前に
重なり合わせる術が
<BR><BR><BR><BR><BR>




４【駆け水】
中村ふみ代


よどみ水は　はやく
逃がしてほしい
足がはやいから
急がないと
やきがまわる

骨抜きにして
検閲する
傘も
てまえの柳に
落としてしまった
くしは
虫歯のかけらでも
流せなくなってしまう

走ってきた
砂地に
水が
ゆらめく
いいえ
今度のむなら
水は間に合うだろうか
<BR><BR><BR><BR><BR>




５【不眠】
三角みづ紀


ころす、と呟いた、
君の早朝の蛇口にて
したたることばの温度に
負ける気なんて
さらさらないのだ

（わたし無責任になります
太古から連綿とつらなる
わたしたちの産声まで
さかのぼったとしても
わたし無責任になります）

君の絶望をひたすら願う
したたる蛇口から
早朝の白濁液のあじ
ころす、と呟いた
君がふたたび
ころす、と呟いた
ならば
わたし無責任になります
<BR><BR><BR><BR><BR>




６【リリー＆チョキ】
大中真慶


（けっ
隣りのあんたから
昼なき昼はでてくる
せきではなく
だれかが口にしたのだ
左部屋のリリーちゃん（ハムスター）から
犬小屋のチョキちゃん（柴犬）へ
伝わってしまい
明後日には町中が
ザラ、ザラ、ザラ
同じことを
いう

目がよくなく
振り込みができたのか
それから
子どもたち
あんたを合図に
円陣が散って
これは予行演習だと
一頭立て馬車が通りすぎ
<BR><BR><BR><BR><BR>




７【鉛筆Ｈ】
阿部嘉昭


馬車が通りすぎれば
往来が縦横にできる
秋の街路はねむい
透明すぎて眠いというのは
たぶんケダモノのあかし
眼で測るものにも限界あって
「そそくさ」という地上の草を
ほら一身で愛していった

お急ぎですか思想のテキヤ
ちんぽこが真昼の星座なので
橋のうえに座れもしない
殺傷にむけ私を予行するとしても
自分の手からはさらに手が伸びてゆく
バケツをぶちまける
この外延性は何だ
何の讃歌でしょうか
彼岸花が枯れたようなひともいて
そそくさとその肩をつまんでやった

Ｈといわれつづけたが
そんな鉛筆じゃない、この棒状は
<BR><BR><BR><BR><BR>




８【シャープナー】
伊藤浩介


花びらくぐり
肌に潜れば
もう何を獣頭というのか
こっけい　ゆえに堕した吐息は
あい飢えた　もののけのように
欠落した僕の水平を　
あざ笑いにきたのだ

いつもなら　あるいは
無機的な跳ね馬でも
愛でればかたい導体となって
孤独な僕の　誇大な芯を
ただ削るように　撫ぜてくれた。

押しては確かめつつ
言葉枯らして
ただ酔うままに
はぐるまを回し
絡みあう歯は決して逸れず
おどる機械が交差する

ああ、次第に尖っていく
僕の頭は
<BR><BR><BR><BR><BR>




９【僕と相武紗季】
望月裕二郎


僕は首から上が相武紗季だ
健康そうに日焼けした肌
学生時代は部活に打ち込んでましたみたいなえくぼ
（資本主義的には誤っている）
しかし僕は首から下が相武紗季ではない
だから僕は知らない
（芯を失った機械の踊りを）
相武紗季とは結婚できないということを

相武紗季の首から上は相武紗季ではなく僕である
塗料の摩滅した肌
電源スイッチを隠すための人工ぼくろ
（資本主義的に正しいのはこっちだ）
それでいて相武紗季は首から下がしっかりと相武紗季なのである
ゆえに相武紗季は知っている
（馬の延長であるところの言葉を）
ちょっとフライデーされちゃった方がかわいいということを

さて、
僕のあたまか相武紗季のからだか
どちらが先に崩れるか。
さしあたって僕は塩キャラメルをぺろぺろと溶かす
<BR><BR><BR><BR><BR>




１０【ふわふわ】
都野有美


廃れると私は私でない
ヘアメイクには気を遣わなくてはいけない
私は私
主従の関係など
客体には意味をなさないので
外行きの財布にカビが生えたとしても
それはよくあることだ

（時給上げてください店長）
（ミニトマトじゃなくて、蒟蒻ゼリーで隙間埋めたいです）

ふわふわした頭で考え
アルコール除菌するものの
なんとなくで生きている
ゆえに弁当箱を洗い忘れることも
かなりよくあることだ
それから五日後
蓋を開けたときに変異
しているものは
引きこもらない私だ
という
せかんどらいふ
<BR><BR><BR><BR><BR>




１１【動物園】
水野　桂


きっと映画のなかで
生きている人はみんな死んでいる
なめらかに生成された言葉は
どれも私のものではないから

私に帰るのは
ふたがそっと開けられた時
黒インクは
さめざめと決壊する

木曜日という速度で
片づけられた仕事でさえ
私ではない
という感度は
ますます尖っている
視界がある人にはわからない
こめかみを失ったひとならわかる
私が私でないということ

点、という価値観において
気が合うだろう私たちは
青白い背面を散歩する
動物だった
<BR><BR><BR><BR><BR>




１２【チョコレート】
中村ふみ代


私の立っているそこが
フェアであるために
指輪は常に磨かれていた

指輪をはずそうとすれば
指先は赤黒く変色し
力ずくで指は根元から外れても
指輪がはずれることはない
目の奥がまた
じりじりと痛んだ

ハイライトをのせた目頭は
いつもピントが合わない
つま先から熟れた肩上１０センチ
頬は頭までしびれてくる
２人の幻滅は
チョコレートが白い時
指の腹だけでは
混ぜ合えない不安に
机をこする音がして
そっと
どろけいが始まった
<BR><BR><BR><BR><BR>




１３【背骨が痛い】
三角みづ紀


いちばんたいせつな
ゆいいつの指に
のこる、痕
かなしい？
かなしくないよ
うれしい？
うれしくないよ
しとねの欠けた
ころしあいは
あくる朝
からだがいたいの
で
おわらない
おわらせたくない
おわりたくない
平行線で。
しあわせだって彼女がないた
しあわせだって僕がわらった
平行線で。
痕が。
<BR><BR><BR><BR><BR>




１４【二十歳を過ぎて】
大中真慶


肩のあざは生まれつき
二十歳を過ぎて
あざは紅葉するようになり
市道の左右にほぼ等間隔で並ぶ
イチョウと肩を並べる
葉と枝を一時結ぶ茎は
黄色が白と混ざり合っていて
心地よい固さ
細い枝はいくなん学的に駆け巡り
親元の枝に回収される
それらは曲がりながら
斜め下に下降し幹に繋がる
その繋がりにぶら下がっている
二十代男性
（こんな昼間に
（学生だろうか
それが私だ
樹皮は三角形が重なったようで
２cmに達する亀裂にアリを発見した
足をブラブラさせて通行人の邪魔だ
<BR><BR><BR><BR><BR>




１５【路傍霊】
阿部嘉昭


幾何よ、いくなん
曲学阿世はまがりおもねる
秋は　かどいくつ越えて
路傍霊の淡い拡がり
枯葉を肩に積んでは
もえる銀の実たべた
（陽の痕になってゆく

木のぼり上手が
千年ぶらさがっているなら
へちまと揺れろ以後百年も
泥－警の在世の間に
経済の折れ線グラフを泳ぎ
あなた曲がるぶらさがる

花粉浮く大きな湯船を
巡礼とともに通行する
誰も入っていないのに
すずしい亀頭
その数々だけが見えた

あるく植物たちの秋
炭焼き円のあの寝床まで
<BR><BR><BR><BR><BR>




１６【スペクトル】
伊藤浩介


秋山に昇る
ただ一心に昇る
頂上から放射する
風邪のベクトルを目指して

アジアの街角
花咲く電波の季節
「この世は愛に満ちている」と
あの八丁堀で言った君に
手紙を書いた。

拝啓
お元気ですか？
僕は今 風を愛撫しにいっています。
(正しくは死んだふり)
頂上からの景色は
キレイでしょうか？
そこからナニを捨てれば
幸せになれるのですか？

返事はまだない
(そうだ、この受話器は
受信できないんだった！)
<BR><BR><BR><BR><BR>




１７【ハロー新宿】
望月裕二郎


登りつめれば足の裏、
その冷え方はアスファルトだった。
ビルの隙間に見える満月を、
幸せだって云ってわたしたちは出会った。
手をつないで歩きながら、
月を剥く。
一枚二枚と増えていく、
使い捨てのコンタクトレンズ。
その数だけの出勤と、
よそゆきの酩酊。
帰ればあなたはもういない、
その置き手紙が表現だった。
ならば、
この世は歌舞伎町に満ちている、
そう云ってもいい。

（決めた

パンツを下ろして、
便器に跨って、
わたしは、
肛門からアジアを捨てる。
<BR><BR><BR><BR><BR>




１８【焼く】
都野有美


ビルをつつんだ火が
青くないと子供が叫んだ
青くない火、空、血
ならば私達の素粒子は秋の焼畑だ
産業道路の両わきを焼いて
処女の目を乾かす熱気で
地方都市に住む東京の
服を剥く
水に溶かした白い灰を
地に吸わせる
ついでに酪農の乳牛のふんも捧げられる
その快楽は
去勢された猫のレーズンをまねて
もろもろが配送されていった
酸味のきいたシャツと
上野公園あたりで
山桜のように生きればいい
喜悦の少年
<BR><BR><BR><BR><BR>




１９【五反田】
水野　桂


光る劇場は
この世のものとは思えないほど
飛んで闇に響いた
誰のものでもない
猫と一緒に眠る夜を
夢に見ていたから

かきわりの満月に
お誂え向きな黄色

（暗転）

みな死んだら
あの色に落ちるのだと
父が教えてくれました

あの赤いゼラチンを
身に纏うことが出来るなら
仲間外れだってかまわない
拍手だけがともだちさ

神に誓った甘い匂いは
ゆうるりと
少年のボタンひとつ分
外すのにたやすいことだった
<BR><BR><BR><BR><BR>




２０【隣り】
中村ふみ代


約束事のように
窓の数だけ明かりは必ず灯る
鉄のかたまりは
光速で通り過ぎていった
見廻した隣が隣に
ふさわしくはないが
全ては同じリズムで揺れる
一つの箱になっていた

今日もお水には香を
かけておきます
信施として窓から注ぐ
青い祝福に
階段をかじってでも
すがりたいです

目が覚める前には
ここを降りて
血がまだめぐるなら
つま先を思いっきり
サンドイッチを思って
踏みつけよう
<BR><BR><BR><BR><BR>




２１【空白の椅子】
三角みづ紀  


目が覚めて
また朝が訪れ
毎朝、朝が訪れ
呪文をとなえる
そんな
きまりごと
毎朝、朝が訪れるという
事実に
すがらせてください

すがりたいのですが
訪れなくとも
よいものは確かにあり
きまりごと
なんて
踏みにじりたい
この朝。 

この朝の
椅子にて生をこらしめる
（戒め） 

朝でした
<BR><BR><BR><BR><BR>




２２【知事をペンペン】
大中真慶

ペン、ペン、ペン
とハンドクラップ
けつを蹴り上げられる

ワンダーランドの規則では
みんな笑顔でフウコウメイビ
もちろんお触り自由です
地域振興の立て看板をゆく
未成年はこんな所にあった
知事の独断と生へ配慮から
成績不振でつぶれた高校の
元学生たちがそのまま就職して
四つん這いで犬らの橋を作ってる
男たちは女子とふとももで語り合い
女たちは制服のままである悦び

目やにからの招待
シーツ自体の変調までも
にわかに党外へ脱出する
決をくださねばならない

ブログは青い火影をめざし
池袋を即、乾かす
<BR><BR><BR><BR><BR>




２３【脂のきいろいベーコン】
阿部嘉昭


犬のうずくまる橋は橋ではない
しょんべんの切なる匂いだろう
川端に柳の似合うのは無論だが
わたしも一身にふともも巻いて
ぺんぺん草の世情をたもとう
しかし頭蓋はどこなのだ

ベーコンの燻製臭が好きだから
生にて椅子をこらしめる
椅子を女にして
その悲鳴も四つ足にする
それだけ、それだけの一人獅子舞
きいろ　いきろ　きいろ

鳥の割れる空は空ではない
あれは六甲颪のえがくpie in the sky
指令：「チキン・パイを負え」
指令：「アリス・イン・パリスを追え」
わめきすぎた。目脂に両目縫われて
あたかも絵空事のブルドッグよだれ
性愛なんざも背後に貼りつく幻影で
きいろ　いきろ　きいろ
<BR><BR><BR><BR><BR>




２４【π】　　
伊藤浩介

自分で自分を愛していると
カラダが回転してしまう
円周率3.14...
ぼくの体はπしている

ベーコンの皿が
車軸になったとき
ポテトパイの
匂いを放つだろう
それも
僕のカラダが
πしているからに他ならない

回ることは
途切れない螺旋の時間である
まわれども　まわれども
回転の終点は見えない
机上の地平線を
黒点から覗いたとき
初めて気付く収束の悲喜劇である

円周率3.14...
ぼくの体はπしている
<BR><BR><BR><BR><BR>




２５【ウロボロス】
望月裕二郎


そして十一月の風は冷たくなって
サブリミナル効果をもたらすために
ウロボロスのイメージを
あらゆるメディアに潜り込ませることが
生業だった弟の趣味として
ギターを鳴らしながら「こっち」を流れると
さっきまで聴いていた曲のスネアドラムがずっと
頭から離れなくて悲しいなあって
云い始めたのは思い出が
その土地に集中しているからであり
この近所でアルバイトを始めた妹の
金勘定が楽しくてしょうがない時代を
「あっち」と言い習わせば
間をおいてやってくるパトカーの
回転灯がちびちびと廻り終えるその先で
昼食を摂るたび
「デニーズへようこそ」なんて
云われたくなかった街角に
スウィーツの香りを運びながら
十一月の風は冷たくなった
<BR><BR><BR><BR><BR>




２６【クロス】
都野有美


頭の中で、ウリ坊のすこし滲んだ縞々を
指でなぞってみたらなんだか
ぐるりと股下からおなかに掛かった
その産毛がとまらないのを
追っていくと下からウリ坊の鼻に到ったところで
大熊さん家のイルミネーションがはらりと明滅した
霜降り前の点灯式
年の瀬という名の親イノシシが猛進する
いちょうが申し訳なさそうに
煮えたぎる高揚感の中
を、はらり、と一枚泳いだ
私たちは時間から流れてくるエキスを吸っている
大熊さんが電球のボタンを押して
気の早いジングルベルを流して
子どもがトナカイを飾り付けて
そういった力量をすべりこませた
月日のヘビィローテーションから
塩味をしぼるようになめる瞬間
ウリ坊をなぞるように
生き急いでいる
<BR><BR><BR><BR><BR>




２７【革命のまえ】
水野　桂


革命のまえ
三拍子は禁止です
この商店街には
咳きこむ人の音楽
しか許されない
のを知ってか知らずか
私はここに引っ越してきました
素人という風
お隣の人におすそわけしました

巡り巡って
また空白が与えられました
この街に住む人は
ひたすらお辞儀をします
でもわたしときたら
一行埋めるだけで充分で
走る足を止め
親指から絞り出す
空間に広がったのは
目の奥に焼きついた
かつての火傷の痕だけなのです
<BR><BR><BR><BR><BR>




２８【近視】
中村ふみ代


刻々と進むは近視
みかんの皮をむいたら
肌が干からびてしまったが
炊飯器も電子レンジも冷蔵庫も
電子音だけで聞き取れるようになった
私は近視
青葉より紅葉は見えづらいのでうっかり
ひかれてしまいました
自転車を引っ張り出して
けがはありませんか
ブーツだから転んではいません
そのうっかりがあと少しずれていたら
と思うとたまらず
自分の指が１０本あるか確かめた
１０本目をかぞえると
ほっとして
やっぱり目が見えづらかった
なぜなら近視
温かくて見えなくなる
私は近視
<BR><BR><BR><BR><BR>




２９【春かもしれない】
三角みづ紀


一ミリの予断もゆるさない
明確な不明確さを
「僕の眼鏡には曇りがない」

あくむをみました
けつえきのささいなしっぱいにより
いもうとがわらって
おかあさんが
かたことで
ありが　とうあり　がとう
と
れんこして

僕は父と墓参りに行きます午前
隣人とはわかちあいたくなく
僕は境い目の壁を叩きます午後

しあわせだしあわせだと
言葉のみの家庭
満ちあふれる
おかあさんは何処の国の方ですか

「僕の描く線にはブレがない」

めがさめない
<BR><BR><BR><BR><BR>




３０【母線】
大中真慶


てゆうかありがとう
もう全部の指をからめて
壁のなかで待っているよ

でもどのおかあさんですか
おかあさんが満開になってる
いつもいつもいくつもの
あなたのと僕のとみんなのと
（三村さんのおかあさんには会った）

樹のあぶらを煮て茶を回した
ついでに灰汁から煙をつみ
ゆっくりと宇宙をつくる
振りむけ、いない、いない、どこだ
そんな女はいない

まずはリズムからつくる、こっそり
おかあさん座も並べてしまえる
僕だって原子電車かもしれない

でもおかあさんとの恋はやばい
（ていうかやっぱえっちでしょ）
おかあさん、春だよ
石を吸って立ってる
<BR><BR><BR><BR><BR>




３１【いない、】
阿部嘉昭


女とはいないものだ
いない秋にいない空にいない
かわりに裸木があって
かわりにある裸木にもいない
道のかたち、枯葉のじゅうたん

いないところに風が吹き
かつてそこに蚊柱があった
とおもうがもう蚊柱もいない
ちいさなうなりもいない
いない蜂がいないひかりに舞って
いない女のおもかげ
なにも吸えない蜜にも
いない女がいない

てゆうかいるいる
意味のいるねす
のんさんすのさんす
いない線がめのまえを
いるようにいて意味のいるねす
いないがやはりいるいるものだ
道のかたち、枯葉のじゅうたん
<BR><BR><BR><BR><BR>




３２【14歳】
伊藤浩介

醜くもやわらかい　
泥のような「14さい」
底なし沼に沈みたい
魚のような「14さい」

こわくする
むき出しの肌が
病的にくすぐったくて
こわくなる「14さい」
無機質のたなとすが
エロス的に分泌してしまって
爆ぜてしまう「14さい」
飢えたけものが放たれて
胃の内に消えうせた
チキン・ジョージは
今は遠い吉祥寺の彼方

ゆびの紡いだ振動が
心に枯葉を呼んだから
あと6年は「14さい」
青き地軸のさいはてを見上げる
病んでるような「14さい」
<BR><BR><BR><BR><BR>




３３【孫・孫・孫】
望月裕二郎


うるさい
生きると死ぬが近すぎて（困る）うるさい
うるさい（困る）うるさいうるさい

生まれて秋篠
牛乳くさい学校だった
あら、リスの轢死体」
なら、ここでゴミ箱になるのは禁止だ」
どうか給食に食パンを
どうか食パンに人間の耳を
だって
怖くする

歩いて武蔵野
ずいぶん老いた虫だった
おじいちゃんねえセックスしよう」
いけないいけないその枠組みは」
どうか老後に赤いカーテンを
どうか赤いカーテンに孫の心臓を
だって
怖くする

（うるさい）
<BR><BR><BR><BR><BR>




３４【ai】
都野有美


孫が見たいよ孫が見たい
それどころじゃない生きていたい
這って動いたら結婚指輪
みたか、命の栓留めたい
何回やってもできないんだ
四つんばいなんて獣姦だ　なんて
それ、椅子の敵視かい
机がベッドを蹂躙するんだ
ああ、紙がラッシュの環七通り
かつてギリシャの精神が
付与したものは時勢に乗った
男と女の間をとって
道を作ったよねぇ山の手
すこしの谷間があるせいだ
毒をあびてる子どもだ、すみだ
孫の手とりたい命集めたい
集めたいけど集められたい
孫がない
名前はもうある
環七こえたい
<BR><BR><BR><BR><BR>




３５【痒い】
水野　桂


また少し足りない
届かない
もう色鉛筆になりたい
やわらかな骨をもち
藁半紙に砕ける
鋭角は凶器
きっと丸く削り取られて
それでもまだ届かない
ともだちの数、
その分の距離
神話なんて、と笑う
隣の鼻歌が
滑りこむ隙間の鉛色に
眠ってしまいたい
でも届かない
その場所に指一本分

お母さんも隙間に挟まって
無言を楽しむ夜に
私の脈は正常な粒子
３日目の寝どこ
<BR><BR><BR><BR><BR>




３６【小春】
中村ふみ代


はいはいこんばんは
そうはいかない
しくじりまして参ります
下にはシクラメンの大盛り
野辺は春先のことで
レンゲ、とうめんは放棄
花種はあぶらの帯を引いて
すぅっと伸びていきます
パンには
あたりまえ
延べ３０分の郷里は
危なめの屠りから
大森は来ないけど
京急でゆず

青麦のもみから
滑らかな余熱が残って
陽炎が燃え立つのかは
本陽気
やかましい言うて
また目とはなの先
<BR><BR><BR><BR><BR>
畢
<BR><BR><BR><BR><BR>]]>
        
    </content>
</entry>
<entry>
    <title>一人連詩『大玉』</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://abecasio.s23.xrea.com/text/poem/post_16.html" />
    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://abecasio.s23.xrea.com/mt/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=1/entry_id=427" title="一人連詩『大玉』" />
    <id>tag:abecasio.s23.xrea.com,2008://1.427</id>
    
    <published>2008-08-19T23:57:40Z</published>
    <updated>2008-10-09T02:03:20Z</updated>
    
    <summary>大玉 　　　　　　阿部嘉昭 ※ＳＮＳ「ミクシィ」に07年７月20日から 同11月...</summary>
    <author>
        <name>管理者</name>
        <uri>http://abecasio.s23.xrea.com/</uri>
    </author>
            <category term="poem" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://abecasio.s23.xrea.com/">
        <![CDATA[大玉

　　　　　　阿部嘉昭
<BR><BR><BR><BR><BR>

※ＳＮＳ「ミクシィ」に07年７月20日から
同11月10日まで発表した詩篇をまとめました。
あるかどうか不明ですが正式な詩集刊行の際には
部分的に出典註をつけるつもりでもいます。
<BR><BR><BR><BR><BR>

１　失策する眠り
<BR>
２　大玉
<BR>
３　まったく滂沱
<BR>
４　流され星
<BR>
５　女物
<BR>
６　巣穴が多い、
<BR>
７　輪王
<BR>
８　ヘンな風が吹く
<BR>
９　踊らば踊らず
<BR>
10　混浴案内
<BR>
11　辰砂置き、
<BR>
12　キラキラ歩く
<BR>
13　可愛いおばけ
<BR>
14　バス停考
<BR>
15　茎の水を酌み
<BR>
16　鬼ともいう
<BR>
17　手巻き
<BR>
18　梯子語り
<BR>
19　橋の図鑑
<BR>
20　砂下ろし
<BR>
21　身虫
<BR>
22　酔芙蓉
<BR>
23　単飛
<BR>
24　頭山
<BR>
25　尾行
<BR>
26　滝は各処に
<BR>
27　轢死
<BR>
28　金木犀
<BR>
29　てつぶり
<BR>
30　トリガー
<BR>
31  駅舎
<BR>
32　池袋から
<BR>
33　もののけ
<BR>
34　港そだち
<BR>
35　棚を考える
<BR>
36  透かしのもよう
<BR>
<BR><BR><BR><BR><BR>
１【失策する眠り】
<BR><BR><BR>
熱い。
ひとりは熱い。
寝床すべてを水枕と見定め
ガバリこの躯は投身させた
背後にいくらかの抛物を感じて。
<BR>
駢儷していますが
尿を刻々膀胱に溜めているの自覚どおり
すでにして酔眼もビショビショじゃないか
破れつづけた三十年の袋
行く先々を濡らした――ここでも。
眠りは失策、差引いても座礁のかたちをとるが
以後は眠ることでしゅうへんを貪りつづける
私の変化、見て
（ソレハ）（起きてるように）気持悪いよ
<BR>
暗いは暗い」　復路、満てよ」
暗いというのはビショビショということ」
そう、やはり例外的な水を考えている
黒の頭部が私の寝顔を俯きに流す。
かたどおり寝る水路に絶えだえと《浮く》
<BR>
夢では畔の姿を一心に追いあつめて
真ん中に　字のさんぼんがわ
苛烈すぎてもう水分もない　だろう
<BR>
（夢では）、《あふみ》と名のる家出人を
胡坐のうえ後ろ向きに傾けていたかった
（ふたり）でつくる字が放埓に似るように
水の傾斜が　日時計二時の角度に重なる（ように）
<BR>
もう駄目、
暗いというのは遅いということ」　復路、満てよ」
それは華厳？
霰の、くだる、みらいの川は
<BR><BR><BR><BR><BR>
<BR><BR><BR><BR><BR>
２【大玉】
<BR><BR><BR>
こんな日は内側が見たくって、
片目を氷で冷やしてみるんだ、
「竹生島は夕立」「ぶら下がり裸体の腋窩も夕立」
世界の紗がこの眼に　部下のように引き集まっている
大玉――算えはじめた大玉の数　や
るるるるる　「る」のスキャット、
海賊が褒美とする「流」の籤で
流れ鯨にも馳走の固唾がありありだ
<BR>
夢では島囲の姿を一心に追いあつめて
藁のようなものを背後に引き連れてゆく
サーカスみてえ、が少年期のくちぐせでした
<BR>
みんなのポケットに韻を踏んだロケットが。
せんせはいう、《いつまでも・はじめて・みよう》
割れそうで割れなかった地球儀の時代だ
<BR>
（いまどきの）トキオさん、柳亭はご健在ですか
沓掛さんは、あるいはただ一字、窟は。
唐突に　橋づくし　してみる
子供騙しの　びぃだまに飽きて
登校途中の夏を飽きでいってみる
（大玉を祖母に訊いたミノルくん、タエコさん、）
臨終の夏は　茫々の通りは。
「栞紐もって詩集を渡すなって」
「どこまで読んだの、が約束だったじゃないか」
<BR>
せんせは死んでからも繰りかえす、
《いつまでも・はじめて・みよう》
残響を絶つため　伏せるお椀
<BR>
食べ物ばかり考えて卑しい子
朝朝のお椀に三つ葉なんて贅沢を
（柳の葉の流れをおもいたいんだ、）（浮き巣を）
食後の残響を絶つため、はじめて伏せたお椀
<BR><BR><BR><BR><BR>
<BR><BR><BR><BR><BR>
３【まったく滂沱】
<BR><BR><BR>
始めあって、終わりあり
この定式の収まりのよさ
体温の花火もあり　だから
躯の落ち着く汗ばみ同士が
ひっそりとさざめいて
川辺もそぞろ歩くのだが
<BR>
「汗をかく人からいずれ目鼻も消える」
その感慨を　夜空に見ちゃった
俤だけが「流れるかたち」となって、
金魚日本、まったく滂沱じゃないか
<BR>
ああ　成層圏の冥い西風、
ああ　六等星で此世の滲み、
体温にのみ還元された相手と
のこり幾たり連れ添えますか
<BR>
愛恋は。別住の人生は。
<BR>
突貫。ポケットに癇癪球を入れて
石ころだらけの下り坂中年を転げ走る
突貫。手に点火した線香を立てて
水底探査の気分　細窟に跳び回る
上澄みを刺青された祭というなら
不全の僕ら　ゐました　そこに
<BR>
藁のようなものを背後に引き連れては
不意に百回前の季節にも出会うだろう
目の玉や金玉を緑チューブに塗られた無惨か
たった二十五回分で――砂金の身も垢だらけ
アスベストとなり　ポイとなり
手探りの落丁ともなって（ボサボサの紙）
不全の僕ら　ゐました　そこに
<BR>
（裏書して）（ここへ来て話そ）
接吻と同じ、あくまでも口承がルール
<BR><BR><BR><BR><BR>
<BR><BR><BR><BR><BR>
４【流され星】
<BR><BR><BR>
いずれ目鼻が消える、
紙人形のような端正さなら。
恋とはそんなものだし
下流から上流に遡れば
川も淋しさで分岐しているように
見えるだけだ、ただ見えるだけ
<BR>
流され星　「流され蛍」
あくがれいづるものによる空
お化け煙突の見物場所を人は探すが
見ようとすることが
すでに流されることだとは知らない
人世はゆっくりと水になる、閼伽みたいに
<BR>
ユダ温泉を起点に今度の旅（車内多し）。
誕生日を迎え中年の終りの日付にもなった
美祢線に乗り、台風を精一杯逃れ
怖ろしい厚狭川の濁流を見下ろしては
古ぼけた紙に映る字をまたも購ってしまう
中也、西脇、泉谷明。
水面に咲く旧い目鼻流れる、
<BR>
《あれはとほいい処にあるのだけれど》
（ああずっと「そこ」に佇っていたんだね）
でも僕らはもう萩で荻だったから
真下から見上げた花火、潤んで大きかった
<BR>
（潤むものは大きく、大きいものは潤む
<BR>
間近とは海峡で噛みあう下関と門司港
西班牙と葡萄牙、ふたつの大らかな牙のように。
女房の髪も汗に濡れながら風に舞っていたし。
それで憶いだす、どこへ行っても
味噌汁の具が遥かな川海苔だったと。
<BR>
来迎、いつかはわれわれの稚魚時代を）
<BR><BR><BR><BR><BR>
<BR><BR><BR><BR><BR>
５【女物】
<BR><BR><BR>
バカと罵られつづけて「あぁあぁ」する
この夏の日傘にはそれで「女物」を奉じ
路上に投げられる微かな影に見惚れた。
<BR>
七色の頬紅を塗った気分に　一挙になる
少しずつ七〇年代の阿呆を取り戻す
おすましした女の子たちの胸乳の稚魚。
秘密の樹の下闇でその敏感な突端が泳ぐ
よって詩はいつもあさってに打ち水、だ
がお　がお　　（うぁん　うぁん）
<BR>
幸福によろめくわれわれの乱雑な言葉
ギャオスとギャオスのように連れ合う
（朝顔のつづく朝の道で、）
癌告白するメール文に不幸の藍が滲んだ
どうしようもないことにぴかぴかした夏空の称号
是々非々が無慈悲なほど清明かもしれぬ此世で
<BR>
それでも手紙文は一生かけて練習だ
《七〇年代は　闇のなかの光ではなく
光のなかの闇を見てました》
こうやって何事も積載しなければ　（泣くのか？）
<BR>
当たり前のことをいうなら
五階よりも十二階のほうが荘重です
いつかは稀薄な浅草の高層に住んで
地上を十二階下と　むかし馴染んで定めるか
「正面」の花火とも向き合ってしまうだろう
なあどうするんだ、おまえ？
<BR>
京子「バカバカ」「わたし、たくさんの果実」
そうだね、存在は籠から残部があふれでた狼藉。
マンゴーの隣には冷えたアレクサンドリア種が
東空には今しも周囲に溶けようとする城塔が
<BR>
見えるだけだ、ただ見えるだけ
<BR><BR><BR><BR><BR>
<BR><BR><BR><BR><BR>
６【巣穴が多い、】
<BR><BR><BR>
小さなオペラ。
そこからが森になる、
はいり口というべき処がいつも好きで、
涼やかな半袖の袖口のすきまや
「夏の日傘」のなかもいつも好きで。
<BR>
われわれの肉の隙間には
黒い「ましら」、さかしら。
根を鎮めようと四つ這いになり
腕も以て前脚となり、毛深。
黒い虹のようなものになろうとしていた
ひとりではなしえぬ林立へと、ふたりで。
後背位、というのだろうか
<BR>
森は「オルガン」上昇する。
夏に黒鍵が空に沸き立つ。
<BR>
しかし木立や梢を見上げずに
蟠る根へ　模様へ　入ってゆくのだ
昇る動きもいつしか下りへ反った
<BR>
（見晴るかす平地には）
水銀蟻の巣穴あまた、
その内と外を反転させるように
驟雨来たりて
一帯が一挙に毛羽立つ絨毯になる
王が音楽のように座っているが
むろん周りの校庭に何もいない
あれが「遠く」で、あれが「夏」だ
<BR>
肌を鏡にすべく
俗世は互いを擦ればいい
それを見るため　大月、生きよ
ひみつの　このしたやみは
塒にはならない
<BR><BR><BR><BR><BR>
<BR><BR><BR><BR><BR>
７【輪王】
<BR><BR><BR>
乙二号建築では
（火災警報器の誤作動もなく）
焙られきって一日中を除外された
公園の鉄棒群が　見下ろせただけだ
それらをつなぎ白じらとした
夏状の亜空間ができた、としても
<BR>
何事も空白はつくりかえるな
胤のない砂だけがそこを伏していい
<BR>
密議めくことだ、《肌を鏡に》。
材料にはただ水、「水の用意」
歩くことで生じた君の亀裂を
シャワー室でしずかに均し
再び入った部屋の天井からは
輪王の架空をおどろに垂らして
鏡面が熟すのをゆっくりと待つ
<BR>
女の、私の、庭が、縁どられ映ったよ
百日の紅や、ましらの滑り。
物語る夏は退屈に退屈を接がれ
一人連詩も眠るように薄まり
<BR>
入院の具体報ではあったけど
こんなバカみたいに字が不足したメールで
最後なんて嫌に決まっている
<BR>
（「私の犬」を知るひとだから）
俄かに「わおう」。夕方の一斉。
吠え声が坂になって
凹んでゆく闇へのなだらかな傾斜では
サカりと離［さか］りが結ぶ
この中心、しかし
「独楽はその中心だけが回っていない、
数学的にいえば」
<BR><BR><BR><BR><BR>
<BR><BR><BR><BR><BR>
８【ヘンな風が吹く】
<BR><BR><BR>
書くことがなければ
酔眠前の夕飯の話になる。
百日紅の咲く坂を食べました、
先駆けて地を離［さか］ってゆく
犬の吠え声も食べました、
もう胃袋にはおどろな満月
<BR>
わたしに近いもの、
綺羅や松果を不敵に水で炙って
猥らに垂れる肉じるを
詩の髭をかぶった口へ立て続けて容れる。
<BR>
空の反映、そこへ消えてゆくもの
を収める容器（私）、といえば聞こえはいいが
畢竟、食餌と脳のあいだに
オーバードーズの危うさ潜み
わたしは竹薮よりも大きくなったよ
女学生の描いた堤に　八月の晩に
<BR>
（しらーを食べ　びすまるく食べ
腹のくちた少年ヴァルターは
めいぷる・びすけっとに方陣の美しさを見た。
掌に載せると　ヘンな風が吹くね、
――みらいから　かこに渡る、
（壊し続ける玩具の代わりに
世紀伝来のビスケットがあるんだ
<BR>
書くことがなければ、
「三年間食べなかった」話にもなる
畔で消化器官の育つのが待ちきれずに
夕映えの水に無精の卵を産みつづけた
<BR>
不妊の、くだる、蜉蝣川は。
<BR>
八月十六日、卵圧搾機を発明
載せるべきは何やら水っぽいもの
<BR><BR><BR><BR><BR>
<BR><BR><BR><BR><BR>
９【踊らば踊らず】
<BR><BR><BR>
家主を騙す、ペッティングは何度目
失敗した肉じゃがや
シークワーサー割りのあと
夏の全盲闇がおもたく降りてきて
そこで罰当たりたちが無音を味方に
鬼神の「踊らなさ」を舞っている
互いの指先で濡れたり硬くなったりした
言葉のようなものを探りあっているのだ
<BR>
額より小さな庭に累卵を置き
終った宵から下ろす塊の鉛で
殻を割らず中身だけ潰す技
小ささと大きさの境をかえるので
森下の見取図さえ書けないまま
<BR>
窓のそと　竹薮が大きくなって
尻尾の夜が　雨のように焦げた
<BR>
（下天は夢よ、
（「踊らば踊らず」の深意とは、
<BR>
「流れる記憶」を記憶するように
あゆみが自他を混乱する
起きぬけから空回りにまわる朝
肝臓の紫も胆嚢の緑も
それなり体内の火だったが
かげろふたちのよぎる辻をまえに
ジジ、と湿った音漏れもして
身のなかへ縮むだけだわたしの身は。
<BR>
白熱の行く手を
規格外のバイソンが気ままに炎えていた
添うように周辺を掠めれば
胆汁なんかもむかしの草汁
祝ひ・さきはひ、禍ひがみな消える
<BR><BR><BR><BR><BR>
<BR><BR><BR><BR><BR>
10【混浴案内】
<BR><BR><BR>
どうせこの世は混浴と、
演歌めくこの口がいつも禍ひ
《あとはおぼろ》のヤチマタで
巾着覗きもヤッチマッタ
覗けばいまだに背が伸びる
瀬を伸ばそうと　永遠のひとも
川べりに眠たく伏すのだが
<BR>
この世に抒情の地下川、いくつ
（地図をたどるゆびなんて、）
<BR>
規格外の私が気ままに炎えていた
混浴の中心に向け冷えびえ真夏を散歩
着服より着衣が許せない、お脱ぎ
おまへの服こそ閉鎖系だ、お脱ぎ
（うたう、）（言葉ある歌を）
<BR>
①観音の長衣となるまで
この長い脱糞でビホウ策を講じる、
<BR>
②厠こそ観音世界を圧縮するもの
ヤチマタの衣擦れ、ひたひたに聴え、
<BR>
厠を出て泳いでいますね）、ヘイ多分
夏の内部分割を学説しようかと
んで　小ささと大きさの境をかえる？）
ヘイ多分、の３カケル３、
若冲のタイル升目の変てこ象ですわ
あの升目をつうじ
《みえないやつらが［…］
しきりにはいりたがる風呂なのである》、
この世の　この世は　ね
<BR>
おのれを魔擦る
傾きかけの一羽の雁
も見える
<BR><BR><BR><BR><BR>
<BR><BR><BR><BR><BR>
11【辰砂置き、】
<BR><BR><BR>
冥途の皮に辰砂置き
しらほね笑うローチのドラム
<BR>
「朗読」談義なぞおととい置いて
眼からこのバネ取り出して
万物の窪みを低く流し目すると
（これ、未明のヘッドホン装着の喩です）
<BR>
そこ、しらほね高原に
登仙百回の寺院群、連なった
やがての朝露に互いをつなぎ
背後にはニガグスリもかすませて
銀のはしごや、みやこの蜘蛛の巣
<BR>
そこ、くだりはならぬ
からだ潤ませ高みを割れば
ああこれが東南の音だなあ
いざ　あない　せえ
死後燦爛となった
村上昭夫の雁、
<BR>
おのれを魔擦るブラッシング、
傾きかけ　一羽のシンバリング、
ぼくならば天へ墜ちる渡り
あふれる風信をとりだしても
（そんなものは空の芹ですよ、
（たんなる風媒、
<BR>
音が聴えることはもはや変てこだ、
むかし下宿に漏れてきたアヘ声よりも
暁闇はいっときのローチ、小さな悼み
<BR>
やがて食欲のない夏バテ女房と
昨日のかやくで冷えた朝めし
（咀嚼音がパチパチ爆ぜる、）
顔色のわるさ映すほどに朝日も昇って
<BR><BR><BR><BR><BR>
<BR><BR><BR><BR><BR>
12【キラキラ歩く】
<BR><BR><BR>
明けた朝に　ふとしたこころ、
ベランダは　ほとけのてのひら充つ
微光で開かれようとしている
<BR>
去った夜のかわりに
生ぬるく地上におりているのは
おほいなる跛足をもった神の下身だった
その足がキラキラ歩いて家々をこする
人ら微妙にひしめきかたむく気配
歩行は鯰のひと踊りをキラキラ呼びだす
歌のようには　地から　力、
<BR>
越後や能登の三連発
「なゐ」なら欧語の否定形で
地の揺れのあとは虐殺と相場も決まる
昔が聴えるのは
この身の変てこゆえだろう
<BR>
何もない白昼は折る、それが夏
ただエコーを買いにゆき
三六〇度おぼろのなかを
あやかりつつ歩こうとして
たとえば田浦の底にはぐれる
季節外れに人の影が長いと気づく
<BR>
（聴えたのはいつも夕方だろう、
（地軸あるかぎり犬笛が沸く
（男たるを夕闇が立小便にさそう
（構わぬ男なら　犬か幽霊になる
<BR>
空が川のようにみえて
さみしさもこまかく流れるが
あんなものは空の芹、
産卵期も折ったよ
帰順なしだ、この亡命に
<BR><BR><BR><BR><BR>
<BR><BR><BR><BR><BR>
13【可愛いおばけ】
<BR><BR><BR>
《交接に錆びて
やがて詩話となり皺となっても》、
<BR>
そこに「混ざって」あるものが
いつも「おばけ」のたたずまい
（未来函からとりださなかったので
すごい　ぼろぼろだった）
そこからは生も明滅する
たぶんこんなふうに前田英樹が
樹にも託して書いていた
（白昼そんなふうに読んでしまった）
<BR>
縮めばまた膨らむのか
夏の終り知る　ふとしたこころ、
夏の終り知る　ふとした犬の陰嚢、
宇宙大に考えるべきなんだろう
<BR>
とっておきの果実とりだして
割符併せするカタラヒの只今
うってつけの過日とりだして
貝合せするララバヒの只今
悪い生き方の二重国籍も
刻々の突端でシワヤセなのか
<BR>
《アダプタのコード噛んでたら夕方
胃が伏して蝉落ちて死んだ。》
<BR>
斜光世界、聴えないほどの大音響
この身密が四囲にもぼやんと拡がって
すべてが「潜在性と同じなのである」
可愛いおばけといる暮れ方には
色塵や声塵も　ほぼ無限に流れる
なんだこの宇宙の風向き、
十界にひとつ足りない、
九界や旧界かもしれんぞ
<BR><BR><BR><BR><BR>
<BR><BR><BR><BR><BR>
14【バス停考】
<BR><BR><BR>
《立ったまま沈んでゆく塔》
のかわりに、（花弁の流れ）
春先から昨今までの沈みが
ここに猶予されているのか
<BR>
女房とは一日乗車券で
バスの終点から終点を乗り継いだ
城東に乱立する銀の狼藉もみた
南砂町の巨大　商店街はどこ
花売りは　《微笑する井戸》はどこ
見上げれば天心も引き絞られて
疲れた真夏の真夏、
その黒い底心を指針している
<BR>
怒りにもう躯が重たくなって
昨日みた白鷺を微醺にはなち
週末をひたすら寝てすごす
商店街はどこ――自問自答が残響し
《剖かれたウヲかいまみた》《夢のあと》
<BR>
この世のちいさな足溜まりとしては
立て続くバス停も恣意にすぎる
ただ通過の通過を謂うのか
浅草雷門─平井乗り継いで、
平井─東大島乗り継いで、
東大島─門前仲町乗り伏せて、閉じた瞼に
富岡八幡前の古本屋消えている
<BR>
《九界に九官鳥充つ、虚辞ばかり》
たままん句会の題詠をふと考えてしまい
<BR>
もうわたしはアダ　わたしはアザ
天の仇　字十二番地
極点で息を切る、
伸びたつはものの
<BR><BR><BR><BR><BR>
<BR><BR><BR><BR><BR>
15【茎の水を酌み】
<BR><BR><BR>
みたこともない柳が殖えている
そんな途上を櫂でゆく
さいきんは少々、脚を引きはじめたが
この神の証さえ長衣でひた隠す
女だてらに　また　男だてらに
<BR>
夏の日の終り、水洟
それだけで俺の顔、他者。
たくさんの目脂や目脂や目脂
来世をかがやく蓮田の花粉どこだ
<BR>
中年は食生活の貧しさを自慢しあう
「おでん缶食べました」「芋粥缶食べました」
「幼虫缶食べました」　ついつい嘘も出て
ネルヴァルの黒い太陽が深刻癖を解除する
<BR>
「われわれの曇り空だから
七年ぶりの皆既月蝕、見逃しました」とさ
<BR>
（よって）微醺だ、微醺、
茎の水を酌んだ浅酔いで見返すと
いまだにびくんびくん伸びている
ただ縦をなす「世界の背丈」
大事なのは茎だね、それしかない
そこを甘露の魔がいつも昇り
輪郭にも繊毛が極端にふえてゆく
肖像画など不可能とついデリダめき
顔だって黒ヴェールで隠す
（残響残侠）微醺だ、微醺、
<BR>
ご参集の心は意外に平板な　夏の喪
金魚がわれわれに倍して及んでゆく
刃物や兵［つはもの］や約物
<BR>
詩篇の装身具もとりどり、
もって冷やっこく
<BR><BR><BR><BR><BR>
<BR><BR><BR><BR><BR>
16【鬼ともいう】
<BR><BR><BR>
秋になると冷奴のおもてがいよいよ冷える
眼下の遠景をぷるん、といわせて
播州はきっとすすき狩りだろう
「眼の銀」も巻末には一掃されるだろうか
<BR>
ものいわない口がひとりで食べる
誰かの誰か　その食卓を聴く
去年は生き別れの父が死んだ
さよう死後もずっと食べている霊には敬礼だ
<BR>
巨木を隠していた密集の蔦を
毎度の行く道にみていた
鬱陶しいなあ　追慕なんて、
蔦もやがて樹下の草へ自らを禅譲する
<BR>
世界の拠点いよいよ色を薄くして
ひともとの若い、茎だけの茎が
浄土の風にゆらいでいる
五十六億七千の音楽、
今年後半またそれが通るはず
ぞろぞろと　この敏感な鰭をぬるくして
<BR>
「うつせみぃ」「そどみぃ」
応答しあうものが擦過に濡れる
《道にあやなく惑ひぬるかな》
繊かな花のした影を
「鬼」ともいう
《あるにもあらず消ゆる帚木》
それをそれを「鬼」ともいう
<BR>
琉球のあらゆる夏炉、
樺太のあらゆる冬扇、
弧は弧として反り
弓張る力をヒタたくわえて
首席賞の時計を卒業後もねらう
<BR><BR><BR><BR><BR>
<BR><BR><BR><BR><BR>
17【手巻き】
<BR><BR><BR>
鰻と胡瓜、ちいさな寂滅を酢飯に載せて
晩遠もろとも海苔で巻く。
私は海苔で　かく巻いたものを
酒で笹舟にし　躯の彼方に流すが
酒を呑まぬ金柑女房は自ら以上のものを食べ
全身を刻々　海苔で包まれてゆく
<BR>
わひゃあ、（黒いっ、黒いっ、）
わひゃあ、（中年の歓び・オノマトペ）
わひゃあ、（いまだ汝が別物になれるなんて）
<BR>
この「夏炉冬扇」仮面が女房の二の腕に
低い鼻くっつけて犬の息吐く、
女房の肥りじし折り曲げて
弓張る力をヒタたくわえる、
<BR>
聴いたＧＳがひよめきから漏れている
《泣きぬれる太陽の剣で
あなたを　（射止めたい）》
ブルーインパルスなら愛の壮語、
いずれ瞬時にしいられた喪から
病みあがる鰻的［マンテキ］な暑さも抜けない
<BR>
――なあ佐藤さん、あなたの死後
びっくりするほど不快なブログをみたぜ
あなたが最期に駆け上がった団地の階段、
その激甚な視界変化こそを
あなた自身がドキュメントすべきだったって
<BR>
映像にしえないものを守る倫理が
浅はかな言葉でかくも蹂躙されたので、
偶然に黒衣となった女房と　私は
《死ぬまぎわの　海に近いもの》を
これから見にゆきたいのだ
<BR>
そのまえに双つの掌をあわせ、
<BR><BR><BR><BR><BR>
<BR><BR><BR><BR><BR>
18【梯子語り】
<BR><BR><BR>
映像にしえない
「犀と蝶のアイノコ」を
飲み屋で交わす
風説に訪ねる
ひらっ　ひらっ、
いまし　いずれも
われわれの「訪問記」
<BR>
きらめいている輪郭の
ことではないだろうか、
「鰻的」もアイノコも。
改行屋はずんぐりと開陳する
なら「ぽりふぉにぃ、ですよ」
<BR>
《空は行かず　足よ行くな》
<BR>
公共施設ではたらく
奇妙な現代人を眼中に
こっちの睫毛が
古事記になる。
虚詩を燔祭にして
数々のタケルもほうむり
撥音の群をツッツッ、と
跳ねてゆくと、
<BR>
きっと川に渡した梯子だな、
橋になるまえの意味なぞは
<BR>
《日本という島の
原風景を動物化すれば
それは鹿だ、》
<BR>
むろんわれわれは雁のような
カッコいい断言なぞ封じられて
改行屋もいつしか
象の背中に乗り　遠く喋ってる
<BR><BR><BR><BR><BR>
<BR><BR><BR><BR><BR>
19【橋の図鑑】
<BR><BR><BR>
道がなく橋だけのある
葦や「悪し」の一帯で
私は全身を世界の疲労にとかして
千やそこらの橋をゆく
時間がいつかはわからない
<BR>
上こそを水の通る四万十の沈下橋や
大水で壊れた大井の木橋、
Ｖ字に崩落した酒匂の橋
それでも橋に橋がただつながって
歩くここらが、変にもどかしく
<BR>
茶色い虹がつたえて、
カフカの金属的な肉声が響く
ほ　牛腸さんの声に似ているな
《私は橋だった　寝返りを打った
私はバラバラになり　刺しつらぬかれた》
<BR>
保田さんの重厚な咳払い後なら
《さ丹塗りの大橋の上ゆ
くれなゐの赤裳すそひき》
ジンメルの細心なら
《扉はそこから踏み出るとき
橋が与えてくれるような安定感を奪う》
ならば橋が扉の連続状になっている
<BR>
いずれにせよウォタールーでもみられるものは
いつも《眠るまぎわの　夕焼けに近いもの》だ
少年のように私は人などみていない
象なしでも象の背中が通るから
<BR>
橋だけを綴ったここには
さんぼん縦線のあの字ももはやない
濡れていて涸れているそこらを歩きまわったあと
<BR>
立ち方によっては　私が端だろう
<BR><BR><BR><BR><BR>
<BR><BR><BR><BR><BR>
20【砂下ろし】
<BR><BR><BR>
月に一回、オフクロが
「砂下ろし」の日を宣言して
蒟蒻ばかりを喰わせた
表情の憮然はそこで覚えた。
瞰下ろして　眼下の雲古に
灰色の砂絵を感じては
月ごとに背の伸びる自分も怖くなる
花田清輝「砂について」を読む前だ
<BR>
甘泉庭園の端に佇つ
血を巡るものが緑陰、
私と私以外がふれあって
万端がざわざわした、痒い
<BR>
（七面鳥の首を絞めて
悪童が七色に笑う
<BR>
（打擲癖の婆さん登場
《お前と食べ物は
箸で渡されているのさ
いにしえから箸は橋だよ
ちゃんと使えなきゃお前が摩滅する》
――婆さん、与重郎めいた機転を
<BR>
打撲の灰色を愛した
「膚のメダル」と謂っていた
《だがお前、世をずれては
眉間の打撲痕もとれんぞ》
<BR>
そうだ、拭う指あって　だから手偏か
掏って、招いて、拌［かきまぜ］る。
手許ばかりに久遠の根拠、みていたな
地の白に　図の白
レダと白鳥の根拠だ
<BR>
（そこを）装束が通る、人ではなく
<BR><BR><BR><BR><BR>
<BR><BR><BR><BR><BR>
21【身虫】
<BR><BR><BR>
昨日からの
棒を掴まれて
身虫の鬼がぞめく
かくして不機嫌
<BR>
地に地命があり
よって彼岸花が
突然に生える
<BR>
第一に突然ということ
次いで花肉にまるで
面がないということ
<BR>
彼岸花に反意ひるがえり
路傍が路傍でなくなって
見えない傍らの通行が
ひかひか炎える
<BR>
みんな、行った
人ではなく
みんなの身虫、通った
装束ではなく。
（地面とは
地線でした
<BR>
鏡面とひとしい
面
厭気の私は
もう心では
線、
そうして揺らす、揺らされる
<BR>
あなろぐ魚やもーるす信号が聴えて。
《地球の朝焼け揺らす
世界のエンドロール
《遠くても離れていない
<BR><BR><BR><BR><BR>
<BR><BR><BR><BR><BR>
22【酔芙蓉】
<BR><BR><BR>
遠くても離れていないことに
躯のなかの他者の基準がある
そう神谷バーで感じて
いざ酒で肌を桃色にした
若い女の面長の和風を賞玩した
（ショートカットだったな）
<BR>
この女は今朝歩いてきた
酔芙蓉の農道をおもわせる、
そこからの距離を近いともおもわせる、
そんな望遠を身中に置いていた
<BR>
古代音階を放つてのひらのにおい
<BR>
（僕は開きすぎた酔芙蓉に
順に手をかざす奇異な行動をして
後ろをあるく女房に咎められた）
<BR>
季節が巡り　巡りきる酸鼻に
かすかな存在だけが酩酊する。
「酔」の字を接頭辞された花ばなが
世界の輪郭を揺らす、（破線へと）
そんなふうにひらひら歩いて
崖から落ちるなよ、詩的なんぢ
<BR>
肌若く、脳天が古い（遠くても
離れていない）玉川満が莞爾とする
おうよ　そんな鷹揚を前に
赤尾兜子の句が憶いだせなくて
三十年もの遡行がまよう
数ヶ月前の鯉幟も眼底に揺れる
<BR>
今年を釣ろうとする（今年なぞ釣れない）。
また沢下りする水学の授業だな
僕の撒餌も芭蕉の脇に投げられて
べつの水脈を流れに流すだろう
<BR><BR><BR><BR><BR>
<BR><BR><BR><BR><BR>
23【単飛】
<BR><BR><BR>
あんたが見ている白は
俺が裏返している肌
日暮れまで予感していた
あんたの眼底のすべてだ
<BR>
丸め込み、折り
抱き寄せると
あんたは汐い息を吐き
寄せる波も俯瞰させる
今日はまた
極端に折られて
腕許にちいさい。
入り込んできた珠のように
<BR>
物音ならば
ざくり　ざくり
茎を剪る音だ
《十四五本もありぬべし》
<BR>
今日の餞別には、
このロボットの躯から
円いものを出す
「息を抜いた」かも。
<BR>
講義用テープをつくり終え
夜の新宿に繰り出した
単飛の鳥となりゆくも
うすれて、べつの水脈を
<BR>
会うひとごとへのキス
尾花が網膜に光るまで
あらゆる擦過に
乱倫傾向をまぜる
まぜかえす。
<BR>
単飛の鳥となりゆくも
<BR><BR><BR><BR><BR>
<BR><BR><BR><BR><BR>
24【頭山】
<BR><BR><BR>
《曇天の日にかぎって面倒がおこる》
視野に四角く截ろうとした
「前方」が揺らぐから。
ゆっくりと姿を現す「滲むもの」
臆病は足許を見て歩きつづける
<BR>
草の花の青や青を吸い込んで
眼底に滑らせた数十秒
曇天に移動が触れて寂しさよ
眼路に青、生［あ］れては消ゆる寂しさよ
<BR>
陽が雲間で手回し風琴を弾き
風体を冷やしつづけるから
不意に歌の残量が見えてしまう
本格の秋は砂時計よりもくびれる
肌着同士の行き交った今年の部屋ぬちも
過去の前方になり　点に閉じた
<BR>
同じ日　京都の田中宏輔は
場所を換え　場所を換え
詩集のゲラを見直している
移動すると自分の詩がちがって見えるらしい
身の置き場が別なら眼路も別に
ならば宏輔さんが見ているのは
きっと「みんなのバード」だ
最初っから鳥の翔ぶかたちも
鳥ではなく空の残心だろう
<BR>
くもりびの息を円く抜き
五条の橋から転がしてみる
淀へ淀へと　歌を懸けて
<BR>
「頭山」は自我位置の矛盾
だが投身入水すべき山の池は飛び地して
小高さの薄青を眼につなげている
<BR><BR><BR><BR><BR>
<BR><BR><BR><BR><BR>
25【尾行】
<BR><BR><BR>
《この世の果てまで後をつける
その人を殺してしまうために》
女の行く道に沿っては
格子戸が無数に並んでいる
<BR>
木から白糸が噴きでている
あれがかつての花の位置
「空」といわないために、
女の匂いが電線にからんだ。
――長い髪束を懐中にしてゆく
<BR>
電信柱は木製で
ブリキの傘に裸電球、
淀へ淀へと　歌を懸けても
喉仏が暮れるのがかくも早い
《喉仏の代わりに踝》
だから少ない女が嫌いなんだと
夕光の直中　髪束を握り
懐かしい女をずっと尾けてゆく
<BR>
否　女ではないだろう
それは風景の空漠で
厚みすらないのだから
<BR>
たいらに展［の］せない
かげろふな何かなのだ、
<BR>
夕空にこの移動が触れる
僕は晩年のグレタ・ガルボの
「ああ、この家だったのか」の話を
壇上でしました（とっておき、さ）
おかげで切通理作の角がぴくぴく動き
廿楽順治の縦もさわさわ揺れる
<BR>
そいつらだって　やはり
《一人と数えられるかは疑問》だろう
<BR><BR><BR><BR><BR>
<BR><BR><BR><BR><BR>
26【滝は各処に】
<BR><BR><BR>
落ちるところが定まっての滝なのだ
だが女はきょとんとしている
わからない女の少なさを見ぬふりして
眼前では　茛のけむりにかえてみた
<BR>
近さが懐かしさか、遠さがそうか
難問に出会えばひとも歩度を変える
いつかは雲の峰が背後でダアダア落ちていた
<BR>
誰かが北区へ帰宅した
配置だって憂鬱をつよめて換えるだろう
《鏡の前にても脂肪のなき梨よ》
女の泣きそうな顔に梨の素朴をみて
白糸を引いて呼び寄せた、「おいで」
<BR>
《部屋は五階だったから
ぼくよりたくさん沈まなければならなかった》
愛する女は横だが　女友達はいつも縦
縦のものを呪文で横にして
だが「田」の字は脳裡でぐるぐるまわって
自身の姿を点滅のなかに温存する
怒気が梨の香気よりまさって
ちょっとした室内通路を凌辱の畦にしたんだ
<BR>
いつかは雲の峰が背後でダアダア落ちていた。
<BR>
水洗便所で何度も自分を取り替えて
垂れ落ちようとするズボンを引き上げた
ロボットめく前面も設定を更新した
なのにいうなよ、限度のない愛を
「滝もゆっくりと落ちれば川」なんて。
とどこおった泪が汨羅になってしまう
<BR>
ついに後方確認して
夢のなかでのように　凶暴に
投身なき汨に　投身をみた
<BR><BR><BR><BR><BR>
<BR><BR><BR><BR><BR>
27【轢死】
<BR><BR><BR>
もう毛細血管のように
鉄路もろーかるを
はなやかに縫ってはいないのだが
（戦前が消えた、
（猿田彦の最後のあしあとが
<BR>
あそこも汨、
ここも汨と屈原し
くうかんをくるいでゆくべく
食卓へむぞうさに置かれた
ぽいんとおぶ「びゅう」のチラシとる
（朝から　はらくちていた
（それに女房はいつも
この世を出たがっていた
<BR>
どれどれ水郡線　釜石線　左沢線
さすがに血紅がいっぱい
最後の緑からそんなのが噴きだせば
いいしゃしんと網膜も沿わんとするよ
<BR>
ひとが老眼鏡を買うのは秋、
という隣人のことばを
むねから紐ひりだし
水差しに添って憶いだす
<BR>
せつなさや手許の橋を列車が渡った
みにちゅあの座にみちのく収まり
<BR>
チラシ文言、《横丁へ、旅深まる。》
書けんな、こんなくうかんの折込は。
列車も手足だけ運べばいい
秋の真髄を列車と手足でわかち
たましひは野へ置き去りに。
<BR>
この身がばらばらになれば
短日の花もそこに数本が咲くか
<BR><BR><BR><BR><BR>
<BR><BR><BR><BR><BR>
28【金木犀】
<BR>
かどをまがると
べつの秋があらわれる
垣根沿い　ゆくあゆみ
だがときに足なくて
垣根へかくれ
<BR>
ころん、
秋なりのかげも
午後がふえて
片踏みに銀のうつる
いつでも片から方へ
身をとおしたが
<BR>
ひょうたんの鳴るきせつは
明視のそこがぬける
さざんかの垣根も
ひなの蓋どころか
天体へのきざはし
<BR>
ころんころんと何処をあるいて
うすまるよ、秋が
千のからだ並べる白が
<BR>
順番に金木犀見ゆ破滅以後
くうかんの序列が
ふもとまでしるく澄む
くうきも香りにかわり
いまさらすこし死ぬために
いまさらすこしそれを吸う
<BR>
おもいだすなかで
金木犀のかずとおなじ
かぞえればはつ恋も
十指にあまりだす
<BR>
十指の花に
<BR><BR><BR><BR><BR>
<BR><BR><BR><BR><BR>
29【てつぶり】
<BR><BR><BR> 
短歌と映画をやる友衣 
音楽で眼が燦めく大中とで呑む 
いつもの早稲田　モツ焼き屋 
<BR>
店頭の赤提灯のなかに 
丸はだかにされた貴婦人の背中が 
ほろほろ泣いていて、 
取り巻く愛語もいっぱいだ 
《臓物は天からの寄贈物》 
《はらわたの透くまで泪を》など 
<BR>
歯で串を抜く野蛮 
横へ横へ食餌が伸びるから 
しぜん会話が縦になり 
僕の歴代日記が頌められる 
世辞には唐辛子をかけるくらいが 
鱶鱶した地口に合ったりする 
<BR>
つられて友の衣をおもうのか 
手許から滲みだす　秋のはがね 
秋には明視の一点がおもく 
「手瞑り」がまぼろしの鉄鰤にふれる 
泳げない類別が　いろくづにある 
<BR>
それを流しやり　わかめの底にしずめ 
楽をゆきかわせることが 
われらの《八岐に別れゆきし日》 
<BR>
春に野蒜を摘まず 
秋に枯れ蔓をはらって 
十指によごれた幼名の名札を 
古壁にあきらかにする 
この声のあいだに千のからだがある 
<BR>
かえるさ。 
白風に垣根のただしさパウロ来る
<BR><BR><BR><BR><BR>
<BR><BR><BR><BR><BR>
30【トリガー】
<BR><BR><BR>
口髭にしろいものがますますまざり
顔のしゅうへんも白風になってゆく
（なんだかさむいな――パウロの手足が）
研究室でペットボトル緑茶のみつつ
朝のおわりをふと見当てた
<BR>
そうか、廿楽さんは「円」で来たか
《とつぜん晴れわたった　はなれたところ》
ひそかに光の傷みをみてるなんて凄いな
でもその立ち位置がどこなのか
<BR>
来訪は婆沙婆沙、と音がして
ブラインドに天誅が折れこんでくる
なんで一瞬にして事後だろう
鍋底をまわす手のように
塵や霞がくうきにわらっている
<BR>
講義では　毛に毛が馴染むと
けだもの同士の親愛を頌めた
<BR>
セル画に狩りだされた「紅い花」の少年が
結局おんなのこの初潮を見そびれる
だからおんなのこは山猫バスにのって
夕暮れの電線をうぃんうぃん伝った
飛ぶ電気　火花、それでみんなが
電気使用法の間違いをゆめみる
<BR>
至純を自己伝説にして　せるふらぶ完了。
《怪異は子供のころにだけ現れる》
<BR>
みえない蝙蝠のせいか
講義中、教授的な空想に悩む
重なるものの怖ろしさ
《鳥に鳥が。》《鳥に鳥が。》
ひそかにトリガーを引きつつあった
チョークをもっていたはずの指が
<BR><BR><BR><BR><BR>
<BR><BR><BR><BR><BR>
31【駅舎】
<BR><BR><BR>
輪になると
子供たちが消える
もともと気配なのだ
たてもののなかなど
よこぎってはいけない
<BR>
はーめるんの笛音がもう
おーろらのスカート
あたまのなか北極もへこむ
おとなだって鎧をきれば
一瞬にして事後
<BR>
すぽんてぃにあすな
けむり、ばかりの巷に
印刷ずれした鉄路がのびている
まだあけがたなのに
<BR>
おおかたの生きも
うすい髭根を生やして
ぞうりむしよりとうめい
つとめて握手はするけれども
つながる朝がなんと
苦いかんしょくなのか
<BR>
歯科医院に駅舎を感じた
（それが秋のおとない、）
<BR>
ほら口を開けてみて
歯なんてないですただの穴です
電車はしかし口から出る
ぼくら躯のない子供たちと
すこしのびた不全をのせて
<BR>
駅でしょう駅でしょう
輪のかたちに馬のつながれた
きりたちこめるすべての朝も
<BR><BR><BR><BR><BR>
<BR><BR><BR><BR><BR>
32【池袋から】
<BR><BR><BR>
街路の最新で待つが
遭う形式にすでに魔
子供ですら辻を怖れている
池袋、辻だらけ
<BR>
条理なきかさぶたに
発眼の初源を塞がれて
産まれ落ちた
ファッショナブルな柿いろが
標的の盲目になっている
むろん信号にすぎないのだが
<BR>
冷たくてあたたかい
あらゆる中間
人や人が交差した
みな一刻さきを擦れようとして
<BR>
背離のケースに詰められた婦人
のふとうめいな硝子体
（そこも急ぐな、）
去り際ふりかえっておもった
折られても膝枕までだろうと
<BR>
来信アリ「深谷はなにもないです
「空なんてないですただの穴です
<BR>
敗色を片づけ直して
唾液が動くだろうか、舌が。
「点滅の歩く」領域が渚だと
いぜん返信した気もするが
条件が正午からたちこめた
暮色とは打たなかった
絵にも僕にも――全体がないな
<BR>
いわば池袋から鎌倉をどの線で行くか
身に負った旅程を鎮めるために
<BR><BR><BR><BR><BR>
<BR><BR><BR><BR><BR>
33【もののけ】
<BR><BR><BR>
もともと動きとは
こんなものではないかと
ただ動きをみていた
「首が飛んでも動いてみせる」
そうだろう、動きとは
「首が飛んでも笑ってみせる」
そうだろう、笑いとは
<BR>
万象はあるが
いつも全体などない
ひそやかにゆれているだけだ
ゆれるからみなが同じになる
酒場の隅だって同じになる
あくまでも仮だ
全体がここにあふれていることは
<BR>
《ゴーストが川辺の草といっしょに
川の水を覗き込む》
「こちら」の意識なきこの文で
場所がいっきょに非場へつうじた
<BR>
葉裏から魅［もののけ］が湧く
にじりあがるゴーストの通い路
躯の虚数がぞろぞろ動き
むこうの七草にも七種の雨脚が立った
<BR>
益体なき焼きトン屋にて同じ者たちは
同じたくさんのものを食べた
追憶的にすきとおった血管で
かこわれた胃の森にも
秋の同じ　がゆれていた
<BR>
塹壕からわれわれを送るだろう
何かの墨書のおわりへむけ
ひとからげを縦にして
<BR><BR><BR><BR><BR>
<BR><BR><BR><BR><BR>
34【港そだち】
<BR><BR><BR>
港みなとに舟、
それだけで補陀落がかいやぐらする
何柱の塔　おのれに向かう岬を
海岸線によびだし
いやおうなく水面も盛りあがる
たたらふむ　をんな肴に
それらを呑もうじゃないか
<BR>
土がななめになって
水が屋根をふくらみ
骨すかすかの巷ができる
虹をわたったのちは
橋というすきまはすべて爆破した
それが　港そだちということ
<BR>
ともだちを送る　死地へとおくる
<BR>
住む都はゴダール、町の人がいう
情の節は　情の悴は。
死んだ映画館から蕭蕭と
まだ剣戟音がもれている
まなうら疥癬だらけの
しらす腰越、
老婆こゆるぎ
<BR>
兄貴、詩が下手ってことは
心に正義がないゆえかい
（こくりこくりと白河を漕ぎな
<BR>
一空間は他空間を保証しない
無限のひみつもそのあたりにあって
だえきをかためてぬったのちは
橋というすきまはすべて爆破した
うまれたときからけだもの
材木座も侠や福のにぎわい
<BR><BR><BR><BR><BR>
<BR><BR><BR><BR><BR>
35【棚を考える】
<BR><BR><BR>
蜜柑の実るまちだったと
不意に気づいても
思い出は呂律がまわらない
空だって　見たという実感が
終生湧かないままだった
<BR>
物書きには背景が紙と拡がるばかり
皺だらけのそこ、
トリモチでたどられた折れ線にも
奥ふかく鴉一羽が刺さっている
こんにちの、空のきぃきぃ
<BR>
なんにも統べはしない、
愛の形式は　でも手渡しに尽きます
どうぞこの糸車を発煙筒を。
自分を化かさずして何の死後想起か
鏡というすきまもすべて破砕した
<BR>
賑わっている賑わっている
穫られ損ねた糸瓜が霊体となって
庭の棚状をぼんやりとゆれている
（謹啓――昨今、「棚」を考えています）
ゆれるものがやがて線となるから
予感も賑わっているというのだ
王冠をかぶらずして王
が往還音痴のままゆきかうから
<BR>
ありふれる地上の乞食［かたゐ］なのだ、
<BR>
一糸が別糸を待つ、
この緊張で裁縫師の手許も交易も
澄んでゆるがないだろう、秋は。
<BR>
もうじきおわるよ――何が？
暗い白に暗い白をかさねるマラルメ型が。
「白から白へ、に移行なし」（校庭碑文）
<BR><BR><BR><BR><BR>
<BR><BR><BR><BR><BR>
36【透かしのもよう】
<BR><BR><BR>
散歩ごと朝をかさねて
心はいわれぬもの無尽
<BR>
棚も身のなかにあふれ
ひきだしのひきだしが
身をひろがってゆく
田――名？
眼路のたなもただ
青くなりまさった藤が
ぼんやり垂れるだろう
<BR>
無風が万物の
無魂をあかしする
重力だけに統べられた
ものの　かっこたる惨状
<BR>
朝の分割は
分線がうすいので
区分のなかへ
きっとひかりが喚ばれる
やがてうすくして
みな分割でなくなる
<BR>
つるべを借りる
桶から水も借りる
井戸べりにこうこつとして
ほいとになってゆく
<BR>
さいごの棚、おしまいは
みたり笑へりき
この人数の形成を
ずっと待っていた
<BR>
三様の朝を交換すれば
天道の座が　あすからの
透かしのもよう
<BR><BR><BR><BR>]]>
        
    </content>
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<entry>
    <title>不可思議領域・鈴木香奈子</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://abecasio.s23.xrea.com/toukou/post_14.html" />
    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://abecasio.s23.xrea.com/mt/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=1/entry_id=425" title="不可思議領域・鈴木香奈子" />
    <id>tag:abecasio.s23.xrea.com,2008://1.425</id>
    
    <published>2008-06-10T12:30:44Z</published>
    <updated>2008-06-10T12:45:34Z</updated>
    
    <summary> 【解題】 鈴木香奈子の時間は停まっている。 ようにみえて、ゆっくりと動いている...</summary>
    <author>
        <name>管理者</name>
        <uri>http://abecasio.s23.xrea.com/</uri>
    </author>
            <category term="toukou" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://abecasio.s23.xrea.com/">
        <![CDATA[<BR>
【解題】
鈴木香奈子の時間は停まっている。
ようにみえて、ゆっくりと動いている。
その遅々とした進展のなかでは、特有の結晶物が分泌される。
言語遊戯、幾何学志向、精確の魔。
生きにくさが楽天性にスリ変わり、
そのスリ変わりがまた回転毛玉の運動を繰り広げる。
こうして彼女は森のなかで開店する。
その微妙な品揃えは、妖精たちの嗜好にのみ叶う。
<BR><BR>
例えば「不可思議領域」と命名された彼女の小さな文集。
ここにアップされたそれはこんなメニューだった。
・立教０５年前期の演習授業の課題「問と答」のリベンジ提出２篇
（そこにはえらく可愛い「答」が混入されているのに注意。
しかし全体には皮肉の粉がまぶされている）［Ａ］。
・「いろは唄」（下記「あいうえお唄」の発展形だろう。
七五調という言語制約が彼女の好みには合うようだ）。
・「疲労困憊あいうえお」＝立教０４年前期の演習課題に
彼女が「特別参加」したもの――５音分けの精確を堪能せよ）［Ｂ］
・「試し書きの替え歌」＝立教０５年前期演習で
僕（阿部）が岩田宏「感情的な唄」をもとにつくった替え歌、
その抱腹絶倒、悪意の別ヴァージョン［Ｂ］
・まったくのオリジナル形式による、実に無意味な「場合分け」行動示唆案集
［以上、「Ａ」と銘打ったものはこのサイトの「あいうえお唄」詞華集、
「Ｂ」と銘打ったものは同じく「私たちはこんな日常やこんな感情でできています」として
それぞれ「コラボレーション欄」に別の作例が集められている］
<BR><BR>
ま、これらの小文を一覧すると、
この娘のユーモア感覚が厄介で、小爆薬的で、若干自爆的だともわかるだろう。
この娘――鈴木香奈子、立教大学文学部ドイツ文学科２年。
そしてこのサイトのアップ作業を手伝う伝説のメイド嬢。
むろんそのメイドはメイド喫茶などお手軽な場所にはいない。
むしろたとえば、
砂糖菓子でできたキャンパスや魂調整所（？）やゲルマンの森にならいるだろう。
彼女の羽根を蒐めよ。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（阿部）

<BR><BR><BR><BR>
【蛇足】
当初この言葉の塊達は、先生により「鈴木香奈子ワンダーランド」と命名されていました。
先生、いくら何でもそのネーミングセンスはどうかと思いますと私は駄々をこね続け、
「不可思議地帯」と名付けることと相成りました。
そして時は過ぎ、さあアップをしようという段階になり私は思い直し、
この言葉の塊達は「不可思議領域」と改名されたのでした。
漢字の読みは皆様のお好きなようにどうぞ。
<BR><BR>
なお、どうしても言い訳をしたいのは「試し書きの替え歌」です。
阿部先生による『岩田宏「感情的な唄」をもとにつくった替え歌』が教材として立教０５年前期演習授業で取り扱われ、その授業が終わる間際に先生が一言。
<BR><BR>
「誰か、『ギャルが嫌い』ってテーマでやってみない？」
<BR><BR>
先生は何かを期待しているキラキラした瞳で我々を見回し、我々はその言葉を右から左に流したり、微苦笑と共に聞かなかったことにしたり、キラキラした油混じりの瞳から目を逸らしたりしたものです。
<BR><BR>
ギャルという言葉で十人十色の人々の一部を一括りにし、表面的な事柄だけを取り上げ論うことは大変な危険性を孕んでいる行為だと皆無意識のうちに理解していたからに違いありません。その時漂った非常に何とも言えない空気がそう語っていました。
<BR><BR>
私が敢えてそれに挑んだのは、先生に何か替え歌を作ってみてよと言われたこと、当時ネタが無かったこと、ぽーんと放り出されたまま使われていなかったプロットとが相俟ったからに過ぎません。
<BR><BR>
…以上グダグダと述べましたが、要するに『ギャル嫌いではない』という一言に集約されるのでした。
<BR><BR>
何故かメイド嬢と称された私は、安易にそこらのメイド喫茶にいるかもしれません。
もてなされる側として。
<BR><BR>

（鈴木　香奈子）
<BR><BR><BR><BR><BR><BR>
不可思議領域
<BR><BR><BR><BR>
鈴木香奈子
<BR><BR><BR><BR><BR><BR>





　　




問と答
<BR><BR><BR>

あなたが一番いやなことは？　　怒鳴られること
どこに行きたいとお考えですか？　　何処にも行きたくありませぬ
人生の最上の幸福は？　　作ること、造ること、創ること
人生の最大の不幸は？　　破壊されること、潰れてしまうこと
あなたが寛大になれない過ちは？　　キャハハハと笑って誤魔化そうとすること
小説の主人公で好きな人物は？　　指宿青龍
歴史上の男性では？　　歴史に残らなかった善い人全て
歴史上の女性では？　　マリー・アントワネット
好きな画家は？　　私の親友
好きな音楽家は？　　山の小リス
あなたの好きな職業は？　　楽隠居状態の無職
一番楽しいときは？　　思い通りの音を奏でられたとき
あなたが欲しいもの三つ？　　南京錠、ヘアピン、革手袋
誰になれたらいいと思いますか？　　野生のペンギン
あなたの性格の主な特徴は？　　支離滅裂
友人に一番のぞむことは？　　幸せでいて
あなたの主な美点は？　　そんなものはとうに失くした
きらいな色は？　　目を射る蛍光イエロー
好きな花は？　　風に舞い散っているときの桜
好きな動物は？　　モルモット
好きな食物は？　　プチフール
好きな小説家は？　　ポール・ギャリコ
好きな詩人は？　　『千の風になって』を創った誰か
好きな現存の男性は？　　尾田栄一郎
好きな現存の女性は？　　石塚祐子
あなたの癖は？　　長時間何かを見るとき首を右に傾けること
持ちたいと思う能力は？　　記憶操作
現在の心境を一言で？　　砂糖を１００杯ぶち込んだミルクみたい
あなたの現在の文学的信条は？　　不可思議
座右の銘は？　　悪とは常に相対的なもの
<BR><BR><BR><BR><BR><BR>


問と答
<BR><BR><BR>
あなたが一番いやなことは？　　安眠妨害
どこに行きたいとお考えですか？　　ここではないどこかへ
人生の最上の幸福は？　　小さな幸せ発見時
人生の最大の不幸は？　　この年で知ってるわけないでしょう
あなたが寛大になれない過ちは？　　立つ鳥跡を濁すこと
小説の主人公で好きな人物は？　　脇役ラブです
歴史上の男性では？　　…幣原喜重郎？
歴史上の女性では？　　巴御前
好きな画家は？　　いるのですが、名前がわかりません
好きな音楽家は？　　坂本龍一
あなたの好きな職業は？　　私が美しいと感じるものに携わる職、全て
一番楽しいときは？　　無我夢中時
あなたが欲しいもの三つ？　　カメのぬいぐるみ、模造刀、電動マッサージ機
誰になれたらいいと思いますか？　　たられば話は嫌いです
あなたの性格の主な特徴は？　　破天荒
友人に一番のぞむことは？　　望んだらその人はその人でなくなってしまいます
あなたの主な美点は？　　それを自分で言うのはいかがなものかと
きらいな色は？　　果汁１００％葡萄ジュースを飲んだ直後の舌の色
好きな花は？　　曼珠沙華
好きな動物は？　　ミツユビナマケモノ
好きな食物は？　　バニラヨーグルト
好きな小説家は？　　池澤夏樹
好きな詩人は？　　高校時代の友人田中（仮）
好きな現存の男性は？　　レイザーラモンＨＧ
好きな現存の女性は？　　ゴリエ
あなたの癖は？　　リズム取り
持ちたいと思う能力は？　　握力、脚力、腕力
現在の心境を一言で？　　眠いっつーねん
あなたの現在の文学的信条は？　　娯楽
座右の銘は？　　いつまでも　あると思うな　親と金
<BR><BR><BR><BR><BR><BR>


いろは唄
<BR><BR><BR>
い　いかに切望してみれど
ろ　露骨に貴方は否と言う
は　儚く強き我が願い
に　如実に貴方が拒む願い　
ほ　ほら、また渋い顔をする
へ　変でも何でもない思い
と　「時に殺されたくはない」
<BR>
ち　散り果てるときそのときは
り　凛と毅然といたいもの
ぬ　ぬるま湯などに目を向けず　
る　縷々と地獄を歩むこそ
を　をんな冥利に尽きるもの
<BR>
わ　私の命、それこそは
か　かの手で絶って欲しいのです
よ　余生を静かに過ごすより
た　滝の飛沫のようにただ
れ　烈風巻き込みしなやかに
そ　その果てまでを滑り落つ
<BR>
つ　常に湧き出るこの願い
ね　ねぇと呼び掛けねだれども
な　奈落の代わりに得る物は
ら　乱暴な言葉二つ三つ
む　向こうをずっと向いたまま
<BR>
う　浮き世をぼうっと生きるより
ゐ　居住まひ正して生きるより
の　脳天走る快楽を
お　奥まで痺れる高熱を
く　悔いなく駆け抜け止まらずに
や　休むことなく得ていたい
ま　真夏の蝉のようにただ
<BR>
け　喧嘩もかなり好きな方
ふ　沸々と血を滾らせて
こ　声高にされど柔らかに
え　抉り押し込み破壊する
て　手に残るは血の香り
<BR> 
あ　貴方が私を殺したら
さ　歳月いくら過ぎようと
き　きっと私を忘れない
ゆ　夢か現か幻か
め　目と口、大きく開けたまま
み　耳を疑い狂喜する
し　「死なせてやる」の一言に
<BR>
ゑ　笑み止め難しこの恍惚！
ひ　東に背を向け緩やかに
も　毛布を優しく剥いだ後
せ　接吻一つ召しませば
す　澄んだ刃で斬り裂いて
<BR><BR><BR><BR><BR><BR>









疲労困憊あいうえお
<BR><BR><BR>
あいあいさー、と
威勢良く
上っ面だけ
笑顔で
応対
<BR>
肩は
キリキリ痛いまま
首も凝ったし
毛も抜ける
こっくりうたた寝、風邪引いた
<BR>
寒気がするし
湿疹発生
スーツは何だか妙に臭い
背中が痛いし胃も痛い
そろそろ見えるか花畑
<BR>
タオルに穴が開いていた
チョコにカビが生えていた
爪の端っこ欠けていた
手には覚えのない切り傷
とにかく食べたら舌噛んだ
<BR>
無くしたカギが出てこない
煮込んだシチューは失敗作
ヌルッとてらてら光ってる
ネギに這ってるナメクジさん
熨斗にくるんで捨てちまえ
<BR>
はいはいはいはい何ですか？
ひとっ走り行きますよー
フルスロットルで行きますよー
ヘロヘロしようがしてまいが
ホライズンに日は昇る
<BR>
まぁまぁな
未来図だぁ？
無理ありすぎで
目も当てられん
妄想絵図じゃないですか
<BR>
やかましくたって、めげんとこう
ゆっくりする間も無いですね
夜空も今宵、星がない
<BR>
楽をしたい
リラックスしたい
るるる～、なんて歌ってみたい
れれれ～、でもこの際構わん
ろくに眠れん丑三つ時
<BR>
わかっとるわ現実なんて
をーをー呻かれ続けても
んー、と返す気力もない
<BR><BR><BR><BR><BR><BR>


試し書きの替え唄
<BR><BR><BR>
ギャルがきらいだ
極彩色やパサパサの髪やマスカラやヴィトン
かれらの嬌声やナメクジのような唇がきらいだ
メモ用紙や
手帳に付随するボールペンは好きだ
ハンドクリームが好きだ好きだ
鴉
極端な曲芸
壁を介して伝わる隣の家の『エリーゼのために』はきらいだ
目覚まし時計が
綿埃が
結露が皹が生放送がきらいだ
オイルタンクとフィルムと梱包材
伝染と電卓と電信柱
トリ頭と取り残しとトンガリとトリップみんなきらいだ
タラップとトラップとトリックとトラック
畳の部屋に佇む友達とその絵みんな好きだ
うたた寝が好きだ好きだ
元不良の
体験談が好きだ只の知ったかぶりはきらいだ
かれらの眼
あるいは爪先
あるいは黒い腹あるいは白いスーツ
または傷跡や手術跡がきらいだ
今にも噴き出しそうな美形が好きだ
今にも吐き出しそうな罵詈雑言がきらいだ
手抜きの作曲
正真正銘の生真面目さがきらいだきらいだ
午後十一時に抗鬱薬を飲み下し
とりあえずベッドに潜り込んで
結局寝付けず寝返りばかり打つ自分は微妙だ
パソコンは好きだ大根も好きだ説教はきらいだ
雨や月は好きだ
胸も。
<BR><BR><BR><BR><BR><BR>



撃退記
<BR><BR><BR>

前書き
<BR><BR>
この記録は、私が実際に体験した５つの事例を文章化したものです。
うるさい勧誘にお困りの貴方、断れない性格の貴方にとってささやかに役立つ…
なんて保証は全くありませんが、軽く笑い飛ばして楽しんでいただければ幸いです。
<BR><BR><BR>

本文
<BR><BR>
壱．もしかするとナンパ
<BR>
相手：若いあんちゃん
場所：日が落ちた原宿
状況：人でごった返す竹下通りを駅に向かって直進中
対処方法：天然ボケ
<BR>
「ねぇ君、まだ高校生？」
<BR>
「…（この問は私が高校生であることを求めているのか？逆か？）」←振り向いたが歩き続ける
「あれ？もしもーし？？」←斜め前をついてくる
<BR>
「……（高校生だったらナンパの対象になるのか？
…いや待てよ、『まだ』という単語には否定すると大学生以上ということになる響きがある、
それなら大丈夫だねちょっと遊んでいこうよという展開に持ち込むのか？？）」
<BR>
※なんとなく相手の顔に焦点を合わせながら直進続行中
<BR>
「あのー？お、おーい？？」←どう対処していいか困りだした
<BR>
「………（…つまり、これは『まだ』という言葉を加えることにより曖昧さを醸しだし、
どう答えようと幾らでも応用が利く台詞……ってやべっ！考察モードに入って返事して
なかった！！）…あ、えーと、はい？」←無意識だがキョトンとした感じ
<BR>
「…あ、いや…いいよ。声かけてゴメンね。」←心から申し訳なさそうに、かつ爽やかに立ち去る
「？（わけわからんな…まぁいいや、帰ろ。）」
<BR><BR>

反省：まず返事をしよう
考察自分に一言：わけわからんのはお前だ
<BR><BR><BR><BR>


弐．どう見ても怪しいキャッチ系勧誘
<BR><BR>
相手：年齢不詳の女性、白いスーツ姿だが手ぶら
場所：大学にほど近い、シャッターの閉まった某ラーメン屋前
状況：真夏の昼休み、コンビニでお昼を買うべく直進中
対処方法：ドイツ語
<BR>
女性、ラーメン屋の前でボーッとしてたのに獲物の匂いがしたのかいきなり近寄り、
にこやかな笑顔で早口で喋ってついてくる。私は無視してコンビニ一直線。
<BR>
「すいませーん学生の方ですか？ちょっと就職についてのアンケートに御協力お願いしたいんですけどお時間「Ich habe keine Zeit für dich.」」
<BR>
……。
<BR>
「…ありがとうございましたー…」←サーッと引いていく
「…。（お礼言うとこか！？…面白！）」←内心衝撃を受けつつ顔には出さず
<BR><BR>

反省：特になし。大成功。
考察：ドイツ語は今やマイナー言語と化しているため、なかなか使える。
<BR>　　　
因みに今回の台詞は普通に訳すと
　　　「君のための時間はないよ。」
　　　意訳すると
　　　「貴様に割く時間など無い。」
<BR>　　　
つまり、
<BR>
　　「すいませーん学生の方ですか？ちょっと就職についてのアンケートに御協力お願いしたいんですけどお時間「貴様に割く時間など無い。」」
　　「…ありがとうございましたー…」
<BR>　　
　になります。（笑）
<BR><BR><BR><BR>


参．怪しい気配満載の自称『保険の勧誘員』×２
<BR><BR>
相手：若い女性２人組、ニコニコしながら交互に息ピッタリで捲し立ててくる
場所：自宅の最寄り駅近く
状況：テストのため中途半端な時間に大学に行く途中、信号待ち
対処方法：ドイツ語
<BR>
「すいませーん」「私達この近くで保険をやっているんですけれどもー」
「良かったら少しお時間いただけますでしょうかー？」
「Tut mir Leid, ich habe keine Zeit für dich.
Ich habe eine Prüfung, heute.」（訳：すいませんが時間ありません。今日テストあるんです。）
「あ、すいませーん」「失礼しまーす」
<BR>
反省：相手が複数だったので、dichではなくSieを使うべきだった。
ドイツ語は時間を表す言葉が先に来ることが多い（はず）ので、
語順は Heute habe ich eine Prüfung. にするべきだった。
<BR>
考察：すいませんっていう言葉はこの手の勧誘でよく使われると感じた。
　　　私の前には赤ん坊を抱えたおばさんにも声をかけていたので、
　　　おそらく保険の勧誘ではなくこれもキャッチセールス系であろう。
<BR><BR><BR><BR>


肆．ホットペッパーのあんちゃん
<BR>
相手：自称・ホットペッパーのアンケートをしてるあんちゃん（ひょっとすると本物） 
場所：池袋駅周辺
状況：ロッテリアでシェーキを買って飲んだはいいが、ゴミ箱探して迷走中
対処方法：英語
<BR>
「すいませーん、ホットペッパーのアンケートなんですけれども御協力いただけますか？」
「I beg your pardon?」←早口でボソッと
「あいっ！？」←ついてきてる
「I  BEG  YOUR  PARDON ??（…ぷっ…）」←歩き続ける
「っ、ドゥーユースピークイングリッシュ？」←粘る
「…Yes.（中国語に聞こえるか？）（っていうかマズいな、通じてしまった。）」
「あ、アーユー　ア・ジャパニーズウーマン？」
「……。（なんじゃそりゃ）」←ちょうど青信号になったので、肩を竦めて立ち去る
<BR><BR>

反省：疲労と暑さで疲れていたとはいえ、いつも通りドイツ語で対処すべきだった。
<BR>
考察：英語が義務教育に組み込まれているだけあって、言語が通じてしまった。
　　　最近は高学歴の人でもそこら辺でバイトしてることが多いので、英語は使わない方が無難。
<BR><BR><BR><BR><BR><BR>


伍．謎の人物Ｘ
<BR><BR>
相手：今風のカジュアルな着こなしの男性、年齢不詳 
場所：新宿駅、地下鉄の改札へと続く階段
状況：突如休講になり、早く帰れて大ラッキー
対処方法：即答
<BR>
「こんにちはー。」←笑顔
「…（誰だ？こないだいっぺんに沢山の人と知り合ったからそのうちの一人かもしれん…）
こんにちは？」←ややぎこちない
<BR>
「今お時間ありますか？」「無いです。（あ、違うわコレ）」
「すぐ終わりますんで「急いでるんです」
「１０分ぐらいでほんとすぐ終わりま「時間無いんです」
「あの、せめて連絡先だけでも「無理です」
<BR><BR>

反省：特になし。相手は諦めてどっか行った。
<BR>
考察：フレンドリーに接してくる人は要注意。
　　　服装で年齢はかなり誤魔化せるので、見た目で判断してはいけない。
　　　この人も話している間ずっとついてきたので、素早く応対して追い払うべし。
<BR><BR><BR><BR><BR><BR>



結論
<BR>
マイナー言語万歳。
ドイツ語のみならず、フランス語やイタリア語など欧州圏の言語ならまず撃退できるはず。
英語だけではなく、中国語や韓国語は意外に通じてしまう危険性があるので避けた方が良い。
最近のアンケートやら勧誘やらは声をかけるのみならずひっついてくるので、
即座に撃退して身の安全を確保すべし。
<BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR>



【※鈴木香奈子さんは０８年６月９日、
東京医科病院で逝去されました。
この文書はデザイン変更前のサイトには収録されていたのですが
アクシデントで変更字にアップしそこなったようです。
可哀想なことだったとおもいます。
改めてアップしておきます。
なお、僕（阿部）は香奈子さんの文書はこのほかにも蒐集していて
（生前の彼女がメールしてくれた）、
それらも順次、解題つきでアップしてあげようと考えています。
授業などで彼女とつきあいのあったみなさん、
どうか彼女の生前の可愛いあの帽子姿を忘れないであげてください】
<BR>]]>
        
    </content>
</entry>
<entry>
    <title>ネット歌集『ラジオ巍々峨々』</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://abecasio.s23.xrea.com/text/poem/post_13.html" />
    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://abecasio.s23.xrea.com/mt/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=1/entry_id=424" title="ネット歌集『ラジオ巍々峨々』" />
    <id>tag:abecasio.s23.xrea.com,2008://1.424</id>
    
    <published>2008-05-28T19:24:01Z</published>
    <updated>2009-07-06T19:52:00Z</updated>
    
    <summary> ネット歌集『ラジオ巍々峨々』 （発表機会ごとに更新アップ） 阿部嘉昭 １ 【き...</summary>
    <author>
        <name>管理者</name>
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            <category term="poem" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://abecasio.s23.xrea.com/">
        <![CDATA[<BR><BR><BR><BR>
ネット歌集『ラジオ巍々峨々』
<BR><BR><BR><BR>

（発表機会ごとに更新アップ）
<BR><BR><BR><BR>

阿部嘉昭
<BR><BR><BR><BR>

１
<BR><BR><BR><BR>

【きたかみ恋歌】
<BR><BR><BR><BR>

きたかみの夏は薄荷をふくむ君の脱衣の音で眼を醒ましたい
<BR><BR><BR><BR>

億万回セックスをした感慨はたとへば万緑、緑陰の露
<BR><BR><BR><BR>

ブラジャーが乳を包んで女とは贈る水菓子、それかあらぬか
<BR><BR><BR><BR>

指もて髪を梳いたことも　夜の空に冥い銀河を見上げたことも
<BR><BR><BR><BR>

落陽をのがれて着いた崖つぷちの煙のやうだ、今日の騎乗位。
<BR><BR><BR><BR>

桜桃を口移しする日々の恋　種子嚥む役も日々振り替へて
<BR><BR><BR><BR>

セックスの渦中の話題に飛び出したバウムクーヘン、その嗜好歴
<BR><BR><BR><BR>

「月曜」の韻きが好きでその夜は君の背後にこの身を添へた
<BR><BR><BR><BR>

「紫陽花の季節もぢきに終るけど」「あまたの相似が怖すぎたよね」
<BR><BR><BR><BR>

寝息とは潮の干満　いづれまたベッドの岸辺がひとでに埋まる
<BR><BR><BR><BR>

便箋に似たるからだと思ひなし一枚ごとにめくつた　朝まで
<BR><BR><BR><BR>

ひと晩の性に涙のあまたたび憂ひもやがて大悲へ変る
<BR><BR><BR><BR>

星空の真下に置いた汝が肌に点描あらは、火のアンタレス
<BR><BR><BR><BR>

もう指を入れる処のなくなつたからだ一個が火中に白い
<BR><BR><BR><BR>

冷水を髪に注いで寝たあとの朝の雨音ただ寂として
<BR><BR><BR><BR>

キスもさう、食事もさうだ、君の舌は小さな雌か。静かで遅い
<BR><BR><BR><BR>

細魚の頭（づ）、吸ひ狂ふとき我々の代りを神が草笛で吹く
<BR><BR><BR><BR>

一切の音も立てずにフェラチオが終りすべてが夏の夕暮
<BR><BR><BR><BR>

躁の日は歌を唄つて縄を出し何処へともなく君を荷造り
<BR><BR><BR><BR>

きたかみの川面の五時は寝乱れる乙女子の髪、以後は知らない
<BR><BR><BR><BR>

（07年６月、始めの十首を立教入門演習で発表／後半十首は同年十月作成）
<BR><BR><BR><BR>

●
<BR><BR><BR><BR>

かざむきによつてはこんなてもとからをんなとりだしあぶらいためだ 
<BR><BR><BR><BR>

止血して七穴を掘り就眠す起きてこの身は真の渾沌 
<BR><BR><BR><BR>

鏡持ち悪心興る品川の植草某に女生徒の脚
<BR><BR><BR><BR>

遠ざかる九月の城はいふなれば風でつくつたあらぬ虫籠 
<BR><BR><BR><BR>

性愛のまにまに友と呼ぶほどの夕海をゆく帆船の見ゆ 
<BR><BR><BR><BR>

成就なき恋をこの身に引き寄せてわたくしといふ成就なき影
<BR><BR><BR><BR>

瞰下ろせば蝸牛の殻の透明に遊星ゆるりとまはりつつあり
<BR><BR><BR><BR>

地の法に背きて蔦は樹を繃けりつたつたつたと鬼界　音色す
<BR><BR><BR><BR>

石鹸もてこの倦厭を洗ふかな非在非情はけだし桃源 
<BR><BR><BR><BR>

下腹の棒の霞よ春来り心の梁の灰となるまで
<BR><BR><BR><BR>

屈託ない百花のなかに俺がゐて初めに逃れだす魅（もの）を頌む
<BR><BR><BR><BR>

ジミヘンに炎色つづく翻りひるがへりする異界への扉（と）も
<BR><BR><BR><BR>

みづ色に潤む懐紙にとほく書く「花泥棒にしかと咎あり」
<BR><BR><BR><BR>

（枡野浩一の「なにぬねの？」歌日記に書き込んだ「対歌」）
<BR><BR><BR><BR>

（08年１月～２月、ミクシィにアップ）
<BR><BR><BR><BR>

●
<BR><BR><BR><BR>

アニメそも同一性の破壊にて押井論にも「危機」の字あまた
<BR><BR><BR><BR>

草薙や素子の延髄引きいだし梯子伝ひに海へ降りゆく
<BR><BR><BR><BR>

人形は音よりもなほ措定なし択捉に零る絮　など無謬なる 
<BR><BR><BR><BR>

傀儡女が人形となる先行きのいづくにかある白拍子の歌 
<BR><BR><BR><BR>

関節を球体にして身の先を四隅に向ける汝　魔方陣 
<BR><BR><BR><BR>

（押井守アニメに材を採った歌＝近藤弘文の書き込みにより作歌が促がされた）
<BR><BR><BR><BR>

（08年２月、ミクシィにアップ）
<BR><BR><BR><BR>

●
<BR><BR><BR><BR>

蝋梅の黄は他界かな蒐めては手放す盤の声さまざまに
<BR><BR><BR><BR>

（ブログアップした歌に倉田良成が歌を付け、それにさらに返歌した）
<BR><BR><BR><BR>

（08年２月、「なにぬねの？」にアップ）
<BR><BR><BR><BR>

●
<BR><BR><BR><BR>

【詩の朝】
<BR><BR><BR><BR>

をちこちのこの蛙卵状かはづらの無を孵さむと詩がペンをもつ 
<BR><BR><BR><BR>

朝ごとの溶明かなし眼のみによる詩など湖底の波頭にも肖て 
<BR><BR><BR><BR>

をちかたのひかりはつかに詩の朝は凶王の髪まづは刈るべし 
<BR><BR><BR><BR>

訪ね追ふ詩心の先に田鶴ありて羽間の雪に良貨おもほゆ 
<BR><BR><BR><BR>

朝を捏ね顕はしめたるをとめ子の胸乳の平らに平成の詩を
<BR><BR><BR><BR>

（08年２月、ミクシィにアップ）
<BR><BR><BR><BR>

●
<BR><BR><BR><BR>

異界より虹眺めむと瞰下ろせば谷間の霧に千の装束
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曲馬なき汝が卓上のサァカスに手術後の糸ひそと揺れをり 
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黒シャツもて夜へまぎれむ針葉のゲルマン森に無意識の帯 
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ＮＯ　ＦＵＮとのたうちまはる関節が球体だつたイギイばらばら 
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秀徳の念仏ラップやかうもりが婆沙羅婆沙羅と電線に墜つ
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（佐藤友衣のミクシィ日記に書き込んだ歌）
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（08年２月、ミクシィにアップ）
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●
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吉岡やちりぢり実る陽光は女陰に目の玉嵌めるスペイン 
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ドルフィンに乗る児すがしやドルフィのふるうとのごと身も幽けくて 
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喩でもなく湯でもなければ悠々と水風呂で死ぬ湯煙りひとつ 
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低血やをみなに蓋する如月は稚魚も行き交ふ淡き精液 
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夕飯はサイケデリシャス白鳥を泡で煮〆た韃靼古城 
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蒸散をただ旨とする浮かれ女に付きし名、雪を掌上に愛づ 
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帰る者つねに他霊の尾を曳きて開けた扉の外（と）にも闇降る 
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佐渡の母見し白昼の砂浜は盲ひの底よりなほ明かりゐて 
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早乙女の早春の影ふとよぎる野は広くして黄泉へとつづく 
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（玉川満のミクシィ日記に書き込んだ短歌）
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（08年２月、ミクシィにアップ）
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●
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【生活詠の試み】
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白鹿の崖くだる見ゆものみなが遠さとなれる時を愛しむ 
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天領と呼びたき箇処が詩にあれば元寇の徒よ裁きするわれは 
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はだへ奥にしづもる明り千歩後に帰りし人が玄関にゐて 
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をんじきはたえずまがなし蓴菜の類を浮べぬわが食もなし 
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鴨のあぶら鍋に仕込めば観音の黙想のごと円の数かず 
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針山を何とも知らねこの髪もをみなに縁なく擾れ乱れて 
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をんじきとまぐはひ分けず辿り来て一身の老い冬の野明り 
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狭窄と胸郭が似て搾りだす詩歌なべてに雲の峰ある 
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的となる徴を白に美童らの白は散るらむ木の間の冬に 
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そのかみの父のにほひのなき裸ひとつ撓めて昼を湯浴みす
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（08年２月、ミクシィにアップ）
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甲羅にはあまた夢殿池の日のひと日を万に亀泳ぐかな 
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人の生（よ）は炎ゆる夢見の残りにて亀の潜りの消火すがしも 
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水紋の須臾と百年さかしまに月映る夜を亀はただ泛く 
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夢見たり亀の甲羅を観音にひらきて龍の宮ひそかなれ 
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見はろかす亀は愛語の数にして終りの風の起りならむか
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（阿部ミクシィ日記に望月祥世が書き込んだ歌への返歌）
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（08年４月、まとめたかたちで「なにぬねの？」にアップ）
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プロミスト・ランドは千の鶏に千の卵を抱かしめる風
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見し卵の下なる千の卵かな風の爪弾き「カノン」を奏づ
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若きネロよ汝が驕慢の美（は）しければのみどうるほす卵を禁ず
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このひと日卵として生く彼方には風に溶けあふ黄身や白身や
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卵殻の真粗き肌理を憎みゐてこの乱心を磨き温む
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卵料理の卵の香りふるとしは母を火刑に処してほほゑむ
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食べ過ぎし卵のゆゑにはつなつは鶏の貌して泪し死なむ
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割れやすさ吾（あ）にも累卵にもありて恋は錆びたる銀杖振るふ
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箔のごと卵を焼けり薄闇は闇うすくして黄金（こがね）の予感
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熱もたぬ焔のままに卵炎ゆこの眼のなかに殻ちりばめて
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一卵を考へ世界の卵おもふ地上なべても水引きし湖（うみ）
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悪徳は卵形をなす球もちて露ぶかき野を恨み歩けば
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（田中宏輔のミクシィ卵日記の数々、その書き込み欄に書き込んだ歌）
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（08年５月、ENGINE EYEほかにアップ）
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卵とも雛ともつかぬちひささを吉田と呼びて東風のうるうる
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文字どほりエッグヘッドの卵坊が白き脆さを音に割らるる
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生（あ）れてより掌（て）に卵殻を握りきてしかも卵にあらざるを渡す
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数瞬を旋回してのち蒼卵はうれへる人の顔となりたり
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等間隔のしづくのもとに卵を置くその発狂の紅蓮となるまで
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卵生は汝（なれ）五月闇精子より欠けて生れたるホムンクルスわれ
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中庭に卵かがやく中庭は午前を哀しむ孤老の鬼門
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撲殺の代りに夏は歯を欠いた老婆の口に鸞卵（らんらん）を置く
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茹卵を肴に一夏を飲みつづけ弱さへうごく星雲爆発
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（同上）
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●
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赤褌をあまた侍らすわが宮は薔薇窓破れ東風のそよ吹く
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人間をやめるも何ももともとは蛾糞しづめるわが心根が
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したばらのへちま暴走藪知らず囁けるそれ、「にんげんだもの」
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檸檬より幽霊すつぱい幽霊を搾りてのこる檸檬の視像
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依代に異な実体化ありもくもくと旧詩のことば人と生（あ）れたり
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落胆は落雁に似て和三盆少しづつ舐め口も夏風
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少年の背後の瓜に錐まはす六十年後の夏や仏縁
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（同上）
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●
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Ｊ也グズるはつなつに付く王冠は滴のかたちす泣きのやむまで
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（盛田志保子のミクシィ日記に書き込んだ歌）
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（08年５月、ENGINE EYEほかにアップ）
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窓外は霏霏と卵ふる破裂音なくして地には緋絨毯おもほゆ
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青飯を霞みて包むオムレツは孤崖にありし涕泣の月
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くるりんと卵より声聴えきて少女も星も初夏をくるりん
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蝶発てば城楼ひとつ崩れさる卵の夢はいづくに置くべき
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両の掌に卵をもちて風に佇つピサの斜塔となる玉響に
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卓上の卵の立ちも斜めにて世界の斜性はつか忍び来
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一周の択び無限にあるものを卵と呼べり周たしかにて
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捧げもつ卵殖ゆる間の梅雨寒は暗庫にいかなる雛も殖えざる
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（田中宏輔のミクシィ卵日記の数々、その書き込み欄に書き込んだ歌）
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（08年５月、ENGINE EYEほかにアップ）
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青草が青酸に見ゆ星まはる亀の甲羅の上（へ）にわれ佇てば 
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百隅に甲羅干しする亀あふれ曝書もて万巻の真夏はじまる 
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池の虫なべて朧ろとなるなかを亀の泳ぎの語尾掠れたり 
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甲羅裏みせて浮べる亀の死のごとくありたし食事の焉り 
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すつぽんの腑の耐へがたさ青や金　竹生に似たるもの何もなし
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（森川雅美のミクシィ日記＝お題即興詩シリーズの「亀」に書き込んだ歌）
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（08年５月、ENGINE EYEその他にアップ）
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●
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眼鏡を分身としてゆふぐれの冥さにまぎれ光り消ゆるも 
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古眼鏡ほこりを集む明治よりこのゆふぐれに接岸をして 
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恐るべき反射たとへばをとめごの眼鏡に映るサド哲学の文字 
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両の眼に鏡のたぐひ置く梅雨は路傍の白花たよりなくして 
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鏡片をゆふぐれに見き静心（しづごころ）ある眼鏡のにれがみならむ
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（松本秀文のミクシィ日記に書き込んだ歌）
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（08年５月、ENGINE EYEその他にアップ）
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●
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一人（いちにん）となりて浅夏に身を置けりかつての藤棚みどり垂らして
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定死など枕ばなしのひとつにて屍のゑがく飛散のみ思ふ
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（枡野浩一のなにぬねの？短歌日記に書き込んだ対歌）
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（08年５月、ミクシィにアップ）
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蛞蝓に水銀をふる来世には塵のゆきかふ無が近づくも 
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（ミクシィ田中宏輔の「なめくじの夢」日記に書き込んだ歌）
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（08年５月、ミクシィにアップ）
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性暦をいつはりディスプレイの前にあれば全身くらげゆらゆら
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パンドラの開けずの箱をもちきたる汝（いまし）も我も風前の塵
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惑星リゲル夜空に吊られ恋をゆくわが自転車も愛を踰えゆく
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瞼には小人のをどり惜しむべく瞑りもせず事を見てをり
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陽だまりに小人群れゐる消滅を演じむとただそこに群れゐる
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きりぎしより投身つづく身を皿に虚空へ擲げりよみがへるため
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静寂をおのれの睡りに閉ぢこんで犬、円形の初夏の沼なる 
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啼くといはぬ犬ごゑ鳥と遠くして唸りに銀のふるへもちたり 
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すれちがふ瞬を火色に染められて昨日の犬は今日の似すがた 
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犬をもつ手には柔和が生（あ）れそめて刹那ふしぎに栄螺の感触 
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腹這ひの犬の周囲も恐れたり「鬱の起源」は金（きん）に十重せり
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腸（はらわた）を投げつつ死ぬるをとこぎにためらひ傷も白き綿ばな
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表裏なき水母のからだおもひをり空中の水われに展けば
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イメージは孤絶のなかに端坐して個の眺望を締めてうるほす
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本物の詩人おそらく詩のかたちなせる背曲がり杖のたぐひか
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腸（はらわた）を秘め紫陽花の辺をよぎる千々なるものの放射すがしく
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血流はしづかな砂を底に溜むわが眼底のちかくおもへて
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ときをりはわが身を剖く去年（こぞ）呑みしこがね酒の帰趨たどらむとして
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陽光と風の境に身をおいて歌意なき今や無尽の溶媒
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しらほねを初夏の陽が射す透視体として下天を渉りてゆかむ
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無音のアッシュ、アンジュの声にありしかば詩は空をゆく葉月のわたげ
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時と場所ふりさけみれば束をなし音そのものに意味も沁みだす
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傘も黄泉の迅（と）き浮花の移りかなはじめに恋ひしあの俤はや
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(田中宏輔のミクシィ日記に書き込み）
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（08年６月、ほとんどをなにぬねの？にアップ）
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六月は雨夜のみなと鳥籠に無言鳥容れ沖をひた漕ぐ
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ブルーよさらばと言ひ放ちては青の外（と）に囚はれてゆくわたしと窓辺
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夏の駅といふは来世に接がれゐて江差駅に降る北なる陽射
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狂ひだし後ろ歩きのこの梅雨は長歌の円に身が近づくも
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あぢさゐに楽音ひそむ雨中にて円き淡彩ほどけゆくかも
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ワセリンを荒れ喰ふどんらん六月は狂ひくるひて鼠の毛艶す
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高井戸はどこぞと翁その場所は天に水穴穿つ浄域
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(盛田志保子のミクシィ日記に書き込み）
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（08年６月、大部分をミクシィその他にアップ）
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【憂鬱のうた】
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花ぬちに虚のしづもるを剖きゐてそこより北を世は明かりせる
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弁明に数語をもちふその数語ギリシャの丘の繊き花ばな
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スクリーンプロセス好む俳優の外の他界がとほく動くを
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別れゆく大杉もとの地勢にはもとより分離の気配みちゐて
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性交の青野走りにしくじつて記憶が記憶打つを瞰下ろす
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鱗粉を紙に転位すこの生はうすく死んでもなほ生きのこる
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夜を暈かすとほさをもてる蛾の模様いづくの胴に馴染まむとする
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粉を渡し粉を受けとる愛にして交易の外（と）や麦蒼くなる
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たましひの減量損じず睫毛より入りくる初夏も波状のひかり
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透くものをいだし展けばカーテンもにれがむごとく愛ひるがへる
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親不知ならびたつみち平成ゆ父母（ふも）のおもかげ反射の相に
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咲きそめのあぢさゐ野菜に肖たるかも六月の嘴（はし）天に隠るる
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恋蝶の狼藉を見き暖気とは淡きが交むひかりの梯子
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芒野を書見の台に置きし日は兜子たなびく浩司したたる
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幸彦に才（さえ）の尠なさしるくとも乱数表よ獄のにほひす
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（08年６月、ミクシィにアップ）
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妖怪をゆたかな無駄と切り捨てて口に穴あるそれも渾沌
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死後の日は円了として池をゆく浮草うごき夏をゑがくも
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（明道聡子のミクシィ日記に書き込み）
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（08年６月、なにぬねの？にアップ）
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【われたば10首】
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われたばをかぜにほどかせいととなるろくがつぼうじつしんやのまてん
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ものみなにげんけいなくてふざけるなだからわれたばただかぜにゆる
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あしたばのことばのひびきおぞましくわれたばわれたわたしながれた
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やけめいたことばかきたくわれたばのえっくすせくすよるのくすくす
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たばにしてわたしあげたくくろしゃつのこひのしづくのぬれになりたく
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わらであるわらべのころをおもひだすわれたばすこしもみにむすんで
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かぎたばのやうなひらけがないならばわれたばしゃらとかちにおとして
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よるをさくあぢさゐまるくはしきかなわれたばむすぶそとのゑにしも
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あーもんどのくわりんうるはしみつばちのきえたあしたをぬるるわれたば
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われたばがきみたばをだくせっくすはかみをまるめてばさばさとなる
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（08年６月、ミクシィにアップ）
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●
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フイルムに鋏を入れてそれぞれの乙女の時を島嶼になせり 
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島嶼なら南へつづくを佳しとする星の消えみち椰子の消えみち 
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はかなくて霧がみちれば朝のなか乙女のごとく夜がのこるを 
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切り離すもの紙のほかなくてなほクラゲのゆびが国生みを模す
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空白を積載しても荷台には真昼が匂ふやうだ夏来る 
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夏をゆき専（もは）ら二人となる先に河口ふたつの並ぶ奇異あり 
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わが黙（もだ）を繁るにまかせ愛しきを髪消ゆるまで後朝に剃る
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（依田冬派のミクシィ日記に書き込み）
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（08年６月、ミクシィその他にアップ）
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細胞の老化しるくて胞核の位置ひかり吸ふ病葉の群れ
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（松本秀文のミクシィ日記に書き込み）
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（08年６月、ミクシィにアップ）
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書く右手（めて）を左手（ゆんで）が支ふ謂ふなれば私一人に二川流れる 
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（谷口由一のミクシィ日記に書き込み）
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（08年６月、ミクシィその他にアップ）
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【ナンセンス歌】
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YOUくたるワイキキにはぜはまなしてキキモラふふむもんどのすけも
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まどろかしまどかなゑんをくるまきてつるまきにすむででむしがすき
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ぼんのうがぼのぼのかすむへそのしたきのふのきりもきらきらきゆる
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はるはげんげのげんしょうフェノミナみなのしゅうみのにはしりてみさををすくへ
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かながはのあらゆるかはやわうごんをかなたながしてさがみさやさや
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（08年６月、ミクシィその他にアップ）
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●
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光る夏にトロッコをもて侵（い）りゆけばいづこの奥も不一ならざる
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部屋ぬちにきなこを蒔きて幼童の奇しき支配も麹のかをりす
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毎日が乾杯ならば私こそ卓袱台胡坐の私の豚児
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（盛田志保子のミクシィ日記に書き込み）
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（08年７月、ミクシィその他に一首を除きアップ）
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まつらはぬ眼差しのさき石庭は石に還らぬ石あふれたり
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巨き手がやおら現れ犬掴む　犬、保安官バッヂにも似て
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脇腹に小さき帆船痕ありて海坂くらむ夏のおもひで
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わたくしがひとつの場所なら陽光にこの骨の梁、微塵に砕けよ
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あかるくて禾原にいま南風（はえ）が充ち地球をはふる往古を葬る
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葵公園にて蒼愛も発展す人間犬と犬人間と
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少年型サイボーグらが極光を見て凍結後砕いたまなざし
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（田中宏輔のミクシィ日記に書き込み）
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（08年７月、ミクシィその他にアップ）
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【麻綿原】
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麻綿原といふはしづかな炎熱に万の紫陽花顕はす魔の山
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段丘にあまた紫陽花並びゐて揺れひとつなし蜜も感じず
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紫陽花は泛く球なればその万を白く眺めて浄土の心地す
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多く死域の湿地にありて紫陽花は毒葉繞らせ己れ泛ばす
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紫陽花と山蛭の縁ちかきかな紫陽花に血なくて蛭は人待つ
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紫陽花にむしろ嬰児も音楽もなければ虚ろの大群とすべき
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よろづなす白紫陽花が陽を享けて恐鳴のごと色泛べそむ
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（08年７月、ミクシィその他にアップ）
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紫陽花球語るに百の語り方しづかにまはる色幻なれば
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鬱球（うつだま）といふは世外の水ふふみ退転ほかなきあぢさゐの花
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（なにぬねの？倉田良成の食日記に書き込んだ）
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（08年７月、ミクシィその他にアップ）
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●
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午前四時東京の空に摺り手して手を冷やすこのマイナスイオン
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（ミクシィ依田冬派の詩日記に書き込んだ）
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（08年７月、ミクシィその他にアップ）
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【忘却について】
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忘れじよ透写画面に梁なした侠情の色、あふるる異常を
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盲目の日は光ふるそのなかを往年逝きし犬の影狩る
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観念の天使がよぎりふと俗なこの水髭も蒼く火傷す
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ピタゴラスの徒は星間を埋めむとし数みちびくも零に至らず
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嗅覚をもつ指先をうろに挿しひと晩妻と死後を話した
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別段の嘆くに当る今もなく詩友と訣れしのちのひまはり
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夏は鞄に真水を詰めて巷ゆくさや走る声「割れるなら今」
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攪乱の因がもとより躯にあればあを星まはる音も楽とす
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夏などはヴェクサシオンに肖たるかも限定反復ただ嗤ふべし
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年どしに胸乳の蒼く暈けしかば忘れし季節なべて秋いろ
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（08年７月、ミクシィその他にアップ）
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●
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蝉麿とわが名呼ばれり空蝉を着て夏の水消えゆくを視る
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児（こ）を放ち雷鳴の昼まどろめば綿毛とあそぶ蜘蛛の心地す
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炎昼を北上しにゆくうろくづと恋をしに行くそれだけのこと
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（盛田志保子のミクシィ日記に書き込み）
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（08年８月、ミクシィその他にアップ）
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●
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蒸し器には春の焼売咲きみだれあれから消えし瀬の渡し板
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（田中宏輔のミクシィ日記に書き込み）
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（08年８月、ミクシィその他にアップ）
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●
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手詰まりの自己史記述のこの朝もにぶく皺なすあさがほの衰（すゐ）
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シガテラを享く僥倖や神待ちて近江の寺にあきつ喰らへり
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三年を淵に瞰下ろす色恋は離るる白火、薄荷の冷えもつ
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をとこへし風に割れざる百年に急いて着物の柄こぼしゆく
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百年の孤りに配する千年の多勢、眼路みな白草木炎ゆ
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水に泛く円のさみしさ「決」の字のさんずゐのゆゑ民草は知らず 
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おそ夏はいましの膚の螺鈿へと十年の夢きらり漾ふ
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なが雨に甲羅の濡るる気配してわが一年などみだれほぐるる 
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白花をゆびもて挟むあらはれし昔ただ切れわが半減期
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すこしづつ死ぬを常とし色失くすわがうつしみと空の鳶の輪
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常闇の黒かがよひをとほりたり手にもつものも美（は）しき黒とす
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千年の白ともおもふ忌み曇りさくらと霊の境つかめず
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川上に人あるべきを葛の花踏まれもせずに匂ひ古りたり
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千年を耐ふる喩として色もなき鴉ゆきかふ曇り空など
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歴年が艶なるゑみを返すなら一刀のもと寵姫血まみれ
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（「なにぬねの？」コミュ「百年の孤独」「海と毒薬」に投歌）
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（08年８月、ミクシィその他にアップ）
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●
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凶兆は暁闇あるく郵便の赤ポストにして誤配うれしく
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おそ夏のさむさ葡萄を掌（て）に割いて果汁たばしる藍の朝明け
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部屋隅に天狗となりて佇ちてゐき脱分節にけぶるわが身が
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（08年８月、ミクシィにアップ）
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●
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ちちぶさは谷底の花ながるるに壊死なくば乳房とほく流れよ
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（依田冬派のミクシィ詩日記に書き込み）
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（08年８月、「なにぬねの？」にアップ）
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●
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２
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【自身のゆび】 
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瀉血の要感じ次善の排尿を了へて春夜は真闇ふかしも 
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同寸の樹を共依存の的としてそんな木陰を蹲みつくさう 
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膀胱をもつ定めなら人みなも晩鐘として見えずなりたり 
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丘ゆ丘往く高熱の自転車もいつか乗り手を草生に落とす 
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月齢をもつて呼び名を変ふるまの恋や枕に相手散りぢり 
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剥くことを自負しをりしが時々は卓上に散るわが指十本 
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おのれ焼く手立てがことば、持ち重る耳も脳（なづき）へぢかに順ふ 
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消えるべき身の糊代をどこと決め半ばに真夜はわれを折らむか 
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正中の線もて魚は断罪のかぎりをおよぐ我は水飲む 
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幻術のやがての毛野はうすひかる老いのわたげのあまたうかぶも
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（09年05月、ミクシィにアップ）
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●
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【代田物語①】 
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星のよるをひと晩あるいて下駄の歯のあひだにたまつたひかりをあげる 
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眼圧のたかさのままに緑内障、みどりの奥の障りにみとれる 
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数人のをんなはすでにカレー粉で無価値なんかへきいろく絡む 
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目鼻おとすシャワーを浴びて大悲日は肉の嚢となり横たはる 
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三塁打に何か傷ふかいものをみた。その外野にも七福神が 
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禁煙の三つきが経つてもう煙の昇天芸もやらない僕だ 
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だからといふわけでもないが腰に銀の鎖をつけて北をみてゐる 
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しじまつて「肉魔」と書いても良いかもね。ずつと静かな抱き寝がつづく 
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代田あたりのだいだらぼつちの足跡でかつてプラハの学生を抱いた 
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現象に減少はある。それならば軽くなるべく書を読みつくす 
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（09年05月、ミクシィにアップ）
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【ラジオ巍々峨々】 
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俺は鉄のあばらに夕を響かせた。空は断崖、ラジオ巍々峨々。 
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黄金つて停まつてしまつた煙だろ、自慰の遠くに雲として視た。 
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反復に時間単位といふ一定の実質があつて、女のやうだ。 
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滑り台型の詩歌が好きだ。初夏だからか、鉄棒型の文より。 
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風致地区のやうな女だつたから放置自転車の銀波がきれい 
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「にべといふ魚は南方的な鳴き声でうたふ」と漁師の便りに 
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檸檬内螺旋発見、掌にとつてスクイーズのみで視姦に代へる 
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伝言ゲームこそがエンドを育てるのにいまさら何の取材だ埴輪め 
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紳一の書庫から出土した発条をたとへば耳孔にうづめて。レトロ？ 
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裏返す暇あらばこそ胸合はせ肛門性交したら折れてた。。。 
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（09年05月、ミクシィにアップ）
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【連理連理】 
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連理連理、たとへばきみの脇ばらに春告げどりの羽毛あること 
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花烏賊のやうに瞳がうすくなつた。みなわであつて魚でない今。 
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白樺期の終りは長い詠嘆をあげてゴーカートで「？」描くかも 
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最初つから俺はひとつの露天だよ。夏帽といへ、かぶらずに狂ふ。 
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野煮といふ料理をきみと発案し、辛夷とともになくす春ゆび 
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海鳴りの月日をここに招きたく馬刀貝、貽貝、さくらに鳥貝 
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さまよへる足＝肉球を吟味され。富子固有の仏縁…消えた。 
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ほぐれるもの少々詰めてゆくゆくは繭となりたい配送員ぼく。 
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脊柱が百本、アテネの木琴も風を合図に青伊豆で鳴る 
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署月では袖ふれ合つた故人らが身をすりつける百日紅さがす 
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（09年05月、ミクシィにアップ）
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【恋記】 
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後日、以下の数首も「囲ひ」となすならば。ばつくれる西風だ、恋記は。 
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恋記れんき、運転中もフェラチオで環八を。（『ぼくら』／『風の眷属』） 
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髯が焔のいろにぼけるなら陰毛も貴く哀しむむらさきとする 
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寝床を鏡に変へられてのち猥王の俺も電磁として捕まつた。 
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その沖は一氾濫の予感だらう。沖の手前の、開脚を愛す 
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朝露じたい連山となる芋原でおまへはきつとつかへない蔓だ。 
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拠点とは瞳のかずよ思へらく、あやめをほしいままにしていま 
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十人で野をひた流れ十人で裸木に信義の裸形も彫つた 
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その際は近似値的に謬まれる「真」に女性冠詞もつけて 
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肛門をみて哀しむを一会のをはりとなして風の穴穴 
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（09年06月、ミクシィにアップ）
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【尾崎】
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めんたまの球冷えびえと日暮には尾崎が刺した・挿した・鎖した
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羽に似る花そばに身を置いてみて　くづれる尾崎の百や千ほど。
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人文字で書かれた文字などただ忘れ《ゆく春ひと日歩みきつたり》
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鶸でなくみみづくに似た後頭部。愛してあの世の尾行うづまき
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身頃とは身のいつごろか藍色の杉本真維子の耳裏おもふ。
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てのひらに渦なくてきみの裏側を撫でればただの露の秋きみ
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身のなかに身のある初夏を風説がふるへよぎつてこの幽門は。
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盃を傾げるやうにきみの身を斜（はす）にし漏れたひらがなの汁
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肉体の輪郭説は謬見だ。日照雨（そばへ）の京にも妓が千よぎる
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死ぼたるの堆積ほどのわたくしは昔がたりに不可喩をもちふ。
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（09年06月、ミクシィにアップ）
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【辻にしてＹ字路】
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辻にしてＹ字路、俺の形状は。牛車ころがるひと春を泣いた。
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瑞鳥の白い声帯もつゆゑに湖底棚からの弥撒曲にそぞろ
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ハイネックになかば縊死した諦念がきれいだ、鴨の愁ひのゴディヴァ妃
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肺尖のしろき焔を誰に告げむ芒野荒れて、岡井愛あれて
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凍る斜面を否認しつづけいづくにも降りずの三日がひとつの時間。
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行列喩とふもの暗に構想しひとりのみ身ぬちの列なりを解く
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肝に脾が膵もがならぶ充実を春とおぼえて坂を下りきぬ
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眼に鼻が眉もがならぶ淋しさを秋とおぼえて川にわが沿ふ
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など頭（づ）には耳順ひてさまよひの位置刻々と草の中なる
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絞めた鮫かず知れず時に浪恋うた錯誤の俺が――したたる上陸。
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（09年06月、ミクシィにアップ）
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【口遊び】
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不香びと、チンギス・ハンに運ばれつ砂汎域も晩春と思ふ
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そんなとき便り舞ひこむ袖ゆ袂、着物のぼくが怯でふくらむ。
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車中より馬上うかがふ。馬上には衣・かげろふ・人無しの恍
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それほどの淋しい場所にきみと来て同じ地球儀を交換しただけ
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やがて鰈の白い身を食（を）し夕暮は相模ことばに脂まはるも
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車夫にして写譜。楽想のごとき妃を長塀つたひ終春へはこぶ
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若葉萌え澄みわたる世の葉裏には哀ともまごふ銀のいくつか
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春から夏、わたくしのしたことはただ蝶吹き消した口遊びかな
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くちづけもわが口遊びのひとつとてそらごと舞へるゆふつかた美（は）し
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朽ち恋のいつしん桐の樹下に置き夏まへにしてこの青凄し
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（09年06月、ミクシィにアップ）
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【代田物語②】
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水栽培の球根なのか透けつつも腐りへ向かふぼくらの未来
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大著のやうに俺のからだが重たくて抱いた途端のきみも枯葉に
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四畳半期、真四角部屋でした交を文革と呼んだがおまへは消えた。
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女性字を置くべきそこにもつれ果てた蔓ばななのか縞薔薇の乱
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べえごまと同じだ　まはるめのたまのまはり叩いて世界の夕日だ
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性愛に削りがあつておが屑も記憶のために取り合つてゐた
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ぶつ放す一身のための空なくてだからオレらは遠泳をした
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曲目はパープルヘイズ、ヘイズ氏の10秒のため10秒演奏
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一級河川のほとりで二級の性愛をする嬉しさの等々力渓谷
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ライラック何とは知らぬ色彩をむらさきとする磊落きたる！
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（09年06月、ミクシィにアップ）
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【分類】
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円窓に頭部を截られるやうにして俺は浮いてゐた　分類として
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一身にしてなほ分類の俺だから貰つた札（ふだ）で泣くこともある。
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舌下だらう、飢のはじめも。熱誠書の、海と轟く言葉のなかでは。
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冷愛の成就に向かふ道すがら、蕃人の羅に見えた太陰。
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舌のかず殖やさうと嘘を重ねきた汝が口のミルフィーユ型美（は）し
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眼に積もるマロン花粉の黄なるゆゑ《執事の姿で扉を探した》
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眼が醒めた、願望世界は切つ先のかたちが喜色らしいけれども。
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――てのひらにみづうみつくる愛にして数歩で消える水もかがやく
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足もとの星拾はむと撓む汝の――尻間にとほく別星のみゆ。
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重力は権力に似る、野遊びで星斑の馬も五頭潰した。
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（09年06月、ミクシィにアップ）
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【遅速】
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かなしみと遅さに関係ある夕にゆつくり光りだす星ひとつ
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天使性と速さに関係ある朝はからだを蜜がしづんでいつた。
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遅速すらこの天体の相対か。――下火のぼくが来ぬ人を待つ
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につぽんのをみなのはだへ倭文（しづ）みちて森のひるまもたぬしうつくし
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きみの壇ノ浦にしづむ蛍火が　ひと夜で消える源氏のぼくが
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花栗のこがねに揺るるまひるまは臣籍降嫁の譚もただ褪す
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藍いろの性混濁の眼でさへも統計どほりの傾向、惜しい
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女などみんな愉しき菌（きのこ）だろ。その影も僧帽のかたちでひらひら
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男の精しぼり滴する膝下にて短歌の七七、あをく匂ひす
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川からのひかりをもつてゆきかへどたえず蹉跌の短歌球面。
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（09年06月、ミクシィにアップ）
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【自損事故】
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異教邪教、もうぢき桃の季節なら桃もて自損事故をセクスを
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スピードはバイクの先を乗つてゐる　→　※手と手袋の関係参照。
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「夏帽の国」と華南を呼んでみて、そこにも火人がゐないだらうか。
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規定への経路が無限とみえるとき自己外周も夏もきらきら
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「草の人」「流木の人」娶はせて未明は豪奢に手許が趨つた。
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上すなはち政則－絢音をくつつけた。偶然かいま崖、草だらけ
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あきつゆく上尾の川の夢どきは秋にじむ日も牛に耳あれ。
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滞洛し頽落きざすこの狭（けふ）をのちの生（よ）として草になるまで
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インフルエンザ猖獗をもて南球が取沙汰された星のよろこび。
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長谷川を砕いたその日の夕方が藍色だつた肝のごとくに。
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（09年06月、ミクシィにアップ）
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【涙骨】
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涙骨を体内ひそかな鉤として帆につなぎつつ野をゆきしかな
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装丁ミス。薬効と葉に充ち満ちたこの書にあまた「泣き別れ」あり
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俺の骨の水晶部分がふえてゆき掌上じたい消えてしまつた
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鬼没のため神出をした森なかで嚢の人らも泣いてながれた
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ずつと心にのこしておくよ君の水は。肺胞すべてを青もみぢにして
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コギトと樵、その中間のしづけさの林を過ぎて私も小切れ。
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内と肉、たがひに相似る一対の悲哀がたとへば廃藩となる
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奇怪とは自己洗滌のいやはてに　古経のきみを夢にみたこと
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パイプ椅子折りたたまれる一切を音楽として聴く日もあつた。
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あれが君の場所だつたのか　草のなか若草色の傘、閉ぢられた
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（09年06月、ミクシィにアップ）
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【燃えつきる】
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挙止さへも紙の音するこのごろは点火ひとつで燃えつきるかも
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サラダのやうな配合の野に鳥が来て　酢と油もて目をうるませた。
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「通信が木立の手段」「それだから通り抜けては私が九人」
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睡眠のさなか汀といふべきを春潮あふれ貝を巻くかも
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たれよりも黄金のひとたそかれに黄いろく昏れてすがた残さず
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頬杖をみなもととして思惟湧くも耳垂れみどり雨の憂鬱
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十日めに泪となつて下りてゆく。「液体詩なる身を懸想せり」
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群肝に螺鈿ちりばめ想、重し。呪ふかぎりやこの身蓬莱
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おのれ編む血のたくらみに恋落ちて十字星なるきみも織られた
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牧笛（ぼくてき）やこのゆふがたはむらさきの眷属だけを系にあつめる
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（09年06月、ミクシィにアップ）
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【記憶蚤】
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坂のうへ　私ら北を遠望し刻々青い記憶蚤となる
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追放はたぶん肋のごときもの横梁を縦が容赦なく割る
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駄弁状の語りがあつた。病套のひとらが運ぶ黄花のやうな
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ＳといふイニシャルさくらＳさまは光ひきゐて廊をおとなふ
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青舌〔セイゼツ〕とふ病を得ては弔問が蝶紋としか言へなくなつた
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だつて轢〔レキ〕だろ　死なんて死など万分の礫のなかの小宇宙だろ
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是〔ゼ〕の人は区域に草をむすんでは星の落下の場所をつくつた
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是〔ゼ〕の人はあばらに青い電をもち心も雫にした人だつた
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十月の抱擁だけはむらさきの馬群のなかへ紛れたものだ。
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十月は地軸が真水ふふむから　きみとの不明も草底のそこ
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（09年06月、ミクシィにアップ）
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【前方後円墳】
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前方にして後円のきみゆゑに　性愛パズルも墳然とする
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蝶道に往く手きられてゐたりけり。蛾性より来る梯子を待つた。
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風に鳴り焼けば焦げたるかをりする黒レインボウを骨肉といふ
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鯰ひげ抜かれて逐電した先で（なゐなゐ）ある子と地震に遭つた
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かげろふの数時間とは　はらわたの非在が展く無身の迷路
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はなつから湯疲れてゐてアヲやアカの温泉主義で眼路も霞んだ
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蔵〔ざう〕と鳴る乙女を寡黙に仕立てあげ一身鏡のなかは宝界
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指なかの金剛力を、朽ちた葉を割らずに掬ふ風気にもちふ。
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「女流」の語に滔々と天の流れ見て　天、氾濫が女禍の国かな
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一冊を伏せて亡き影さきどつて失の潮目を読むやうな眼だ。
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（09年06月、ミクシィにアップ）
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【華氏摂氏】
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地上には華氏も摂氏もひしめけど木犀の陰、私しろがね
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低原はとりわけ高温なす場所をお前と馬とで奔つて消えた。
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「まほめつ」の見出し語に心ときめいてたまきはるかなこのむらぎもも
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この身には口述の痕、ひそとある。川で擁かれる摩訶止観ぼく
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勾玉の「まが」は曲〔まが〕なり、禍〔まが〕でなし。着飾つて聴くPerfect Dayを
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わたしからわたくし去るを身罷るといへば罷免の生きもさみしゑ
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僕の心、平坦にして非電導。ふるへてる、ホラ、茲の真鰈。
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産道を落下の最中、逼迫し、「曲がれ」と叫んだ。余韻に産まれた。
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千年来、自分を間借りし時々は夕暮のなか家具を展げた
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「まかは」とは瞼なれどもこの夏のわれは総身をながれゆく川
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（09年06月、ミクシィにアップ）
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【方法の疲れ】
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方法の疲れ、夕日に照らされて刃傷〔にんじやう〕なのかさむい草生だ
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水にしづむ夢はだいたい稚なくてわが右派左派も液状をする
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七十年、辛子ガスから黄変した眼路をおもつて鷹がいま泣く。
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まひるまはしろく耀く繭だから　内に青者〔せいじや〕の着衣も要らぬ
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閑文字にしかないひとが邪まを得て火をはこぶ鹿となるかも
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パラシュートの着地こばまれ以後夏は成層圏を流れゆくのみ
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油照りのなかなる茄子の怖しさ。無を映す有の氾濫のこと。
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寝姿の舟に似たるを萍が取り巻いてきて寝のかびくささ
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七分裾ずぼんの跋扈、これにより嚢〔ふくろ〕の奔る像がやぶけた
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照らされぬ側つねにある枇杷の庭で音声の鳥のあそび生まれた
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（09年06月、ミクシィにアップ）
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【霜月築城】
<BR><BR><BR><BR>

霜月の築城さびし脳裡には枯葉めぐらすＭ字開脚
<BR><BR><BR><BR>

さらさらと虹かかりゆく音のして白をけぶらすお前過ぎたり
<BR><BR><BR><BR>

馬上やがてまぼろしとなる戦記かやけふの騎乗位ほのかにしろし
<BR><BR><BR><BR>

嚢のなか枇杷の胤なる哀しみに　をとこの不妊はつか乾くも
<BR><BR><BR><BR>

髭まとふわが有言は有限の色たる朱〔あけ〕もいつしか帯びて
<BR><BR><BR><BR>

「うそ」といふ名の鳥ならば蝋となるまで銀漠の国めぐるかな
<BR><BR><BR><BR>

島じまに流木〔ながれぎ〕ありぬ多島とて樹の通過点、ひとやにあらず
<BR><BR><BR><BR>

破〔や〕れ蝶の泣き萎るさま痛ければそこら辺から梅雨もとけだす
<BR><BR><BR><BR>

わがゐるは梅雨の筆倦〔ひつけん〕、花白の白消えたれば花でさへなく
<BR><BR><BR><BR>

泡吹に似る切口の女〔をみな〕かな泡さびし吾〔あ〕には刺細胞ある
<BR><BR><BR><BR>

（09年07月、ミクシィにアップ）
<BR><BR><BR><BR>

●
<BR><BR><BR><BR>

【あい編むマイン】
<BR><BR><BR><BR>

少しづつ憂ふ非自己となつてゆく――あい編むマイン、錫の鉱脈。
<BR><BR><BR><BR>

撲滅を僕滅と書きたがへてはこころ一所を棒犬とする
<BR><BR><BR><BR>

いづれもどる哀惜か今日の訣別は。「ブーメラン軌動」なべて愛せど
<BR><BR><BR><BR>

極上のゼリーのやうな詩句となり　まがつぼしとて掌上に揺る
<BR><BR><BR><BR>

ダリア玉転がるまひる　斬首などさまざま出あふ改行にすぎぬ
<BR><BR><BR><BR>

「揺ら腸〔わた〕」とわが名呼ばれり　夏夕の器に透きてしづもるまでを
<BR><BR><BR><BR>

お前にも星採があり窓がある、だから昨夜は斜〔はす〕にし　截つた。
<BR><BR><BR><BR>

鳥籠のやうに日影が走るので主のためすこし真青も嘔いて
<BR><BR><BR><BR>

起きだせば茶事に残火を喫しゐて世界もおのれ消ゆるまでの朝焼け
<BR><BR><BR><BR>

楕円転を地球に招〔を〕きし遍力はフーリエとなり沖に感じた。
<BR><BR><BR><BR>

（09年07月、ミクシィにアップ）
<BR><BR><BR><BR>]]>
        
    </content>
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    <title>箴言集181-200</title>
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    <published>2008-05-14T02:45:25Z</published>
    <updated>2008-05-14T02:46:34Z</updated>
    
    <summary> 【181】 「あれ」の領域をつらつら考えてみる。 「あれ」は距離の介在であり ...</summary>
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        <![CDATA[<BR><BR>
【181】

「あれ」の領域をつらつら考えてみる。
「あれ」は距離の介在であり
接触の不能であり、疎隔の哀しみであり…

しかし「あれ」はそれでも
刻々動いていることを感知させる。
「あれ」が音楽であっても歴史であっても。
それを感知する体感は
気象をまえにしたそれにちかいともおもう。

だから「あれ」の領域に
肉体すら置くことができる。
あの肉体に触れないで
（つまり「これ」「それ」という
位置変化を導入しないで）
肉体にある気象変化を
瞬時にして永遠にわたる範囲で見届ける。

そのためには、「あれ」の扉を開きつづける
心の鍵が必要なのだろう。
これによって断片が全体と離反しない
視線の位置も完成する。

「あれ」を要約しない、
「あれ」を動くままにする――

しかし具体論でいうと、あの動きは
細部の変化をそのままにして
「全体」を要約的にこの身へと導くべきだ。
この身体は「あれ」をまえに必ず縮減されるのだから
このようにしかできないし、
また倫理的にもそうすべきなのだろう。



●



【182】

一挙に響くものより
少しずつ聴えるもののほうがいい。
そういうものが私の
生の進行と同調するためだ。
私にとっての私の見た目は
そんな音の輪郭に囲まれてゆく。
私もこうして音とほぼ等しくなる。



●



【183】

自分がいろいろな生活局面で出す音は
自分の本質など決して構成しない。
そんなことは突き出された盗聴テープ、
その確認にあたらなくてもわかることだ。

ただし気を配る必要はあるだろう、
私の影がありきたりに音なのではなく、
音の影こそがむしろ逆に私なのだ――
だから私は音によっては捕まらないのだ、と。



●



【184】

「文字」にとっての「破局」とは
文字以前と文字以後が文字を挟撃し
生じた狭隘をさらに両面から接着して
文字の座を完全に奪ってしまうことだ。
文字がそうして消える。
恨みがましく？　あっさりと？

映画の刻々は
そうした破局の刻々の確認だろう。
しかしなぜ人は画面に像が映っているだけで
恐怖を覚えないのだろう。
それは刻々「動いて」いて、
文字に還元することなどとても不可能なのだが、
そこには同時に
文字の消去も恐怖裡に付帯しているのだった。
女優にゆらめく、瞳の耀きすら怖い。
これが、文字以前と文字以後とが
手を取り合う、死の舞踏だ。



●



【185】

際限なく隈なく見切ったという実感は
疲労よりも先に恐怖の意識を点火させる。
いったい何が「隈なく」なのだろう。

細部がすべて見渡せて
それで全体もすべて感知されて、
傲慢さに自足しだしたこの視覚の専横は
しかし「隈なく」の稠密が主観的仮構であり
（なぜなら対象は自分の位置によって縮率されている）、
「隈なく」の「余剰なし」が
同時に余剰の「隈なく」である点すら予知していて、
結局はその全体すら構成できず破滅的に崩れ、
この眼にも針の尖端が事後的に突きつけられてゆく。

当然ここで「破滅的」と口にしたからには
結局、対象ではなく災厄を
「隈なく」自分が見たというふうに、
この体験が転位するとも実は知っていたのだった。

際限なく見たということが、すでに間違っていた。



●



【186】

詩が身体的なものかどうかは
立場によって異なるだろう。
ただ、身体的なものでなければ
再読の欲求が
起こらないのではないかとおもう。
私はそれらを読み捨てる。

完全な韻律詩の律動には
じつは人智を超えた神性が介在している。
書かれたものには個人名は要らない。
それがのっぺらぼうであることで
むしろその背後の神性が透けてみえる。

その神性を奪取し「個人」が
代入者ではなく主体として書き始めてからは
律動もまた個人固有の徴となった。
この個人性を神性の域にまで戻そうとする者は
野心的にすぎて取り合えない。
だいいち不可能を標的にして何になるのだろう。

ただ、確かに奇妙な事態が生じている。
「吃音」という妙なものが発見されたのだった。
この吃音が詩行を内在的に裁断し
できあがる断片が衝突因子として
感興を内に繰り込むように律動を開始してゆく。

――これは何か。
音楽や映画といった、他の分野からの
神聖な略奪がここに介在しているのではないか。
詩は元々こういうものを想定していなかった。



●



【187】

事故に遭遇するということは
たしかに不思議な体験にちがいない。

生じてきた災厄の鋳型に
自身の存在が突然の合致をしめし、
あらゆる固有性が奪われて
何か自身の全体が
のっぺらぼうめいたものに
変化させられてしまうのだった。

というか、自身にはもともと
固有性などなかったという
衝撃的な認識もここにともなう。

映画はそうして事故を利用し
俳優がのっぺらぼうになる瞬間を
待ち受ける――それしかない。
「恐怖をわかちあおう」という算段だ。

その俳優のその「個性」、
つまり固有性がそれほど重宝なものともおもえず、
だからいつも初めての俳優と
私はスクリーンで接したいのだった。
こういうときは記憶、
あるいは馴染みの親和性にあまり重きを置かない。



●



【188】

現代において「美しさ」は
汎用性の範疇には現れない。
現れていると錯覚されているとすれば
商品の幻影がそこまで
個々の感覚に侵食したということだ。

そうではなく、「美しさ」は
絶対に美しくなりえない局面で
それを分泌してしまう
果敢なずらしの運動から生ずる。

存在が俯いたり躯をひねったり
要求されているとはちがう感情を表出したりする、
そのまにまに、徴候のように滲みだしてくるもの。
つまり、これもまた徹底的に
固有性の問題なのだった。

だから美しさは受容者を介して
その者の内在している銀幕から少しずれた位置に
「創造的に」「瞬時」上映されるもの
――そういうものになっている。
内在的な上映失敗、
「美しさ」はその瞬間を襲う。



●



【189】

旅行慣れしている者は
家のなかで自分に属する事物を
「移動可能なもの」「そうでないもの」に
パート分けしていて、
旅行の直前にそうした「移動可能なもの」を
過たず旅行鞄のなかに組織する。

こうでないと一回一回の旅行が
自分の自分たるゆえんを検証する
大事業となってしまうだろう。
それでは人も疲れ果ててしまう。

移動可能なものには
どこか薄い色彩があり、
流線型に変貌する
「かたちの予感」があるものだ。

普段着とちがう旅装の性質、
移動車中で読むにふさわしい本、
それらを考えてみれば納得されるだろう。

旅行の際には自分の周囲から
薄く、流線型的なものを見出せ。



●



【190】

脇役をタイプキャスティングで
埋め尽くされた映画は
じつに安定的に進展する。
悪辣な顔の者は悪辣なことをおこない、
哀しい顔の者は哀しいことをおこなう。
それらが寸分の狂いなく
物語の主軸に作用して
映画を視覚的に回転させる。

そういう映画を観て、劇場を出る。
さて私はこのような容貌をもつ者として
自分の周囲にどのような映画を回転させ、
何に貢献しようかを考える。

――その答などしかし出るはずがない。
なぜなら俳優でない私には
自分の顔がわかろうはずもないからだ。
それでも役柄さえ自覚しないまま
私は「ある映画」のなかに
翳として確実に存在していて、
誰かの顔に刻印されるエンドマークには
けっきょく触媒的に貢献しようとしている。

私の力の実質は透明で、
しかもなおたとえば腕を振れば
その腕には羽毛のような残像を
ともなっているはずなのだった。
その腕で私は
誰かを羽交い絞めにすることもできるし
これを盗みの道具に活用することもできる。
そうして映画の動性めいたものを
全身をつかい「捏ねあげてゆく」。
しかも私の出演シーンはみじかい。

みんなで、する、捏造の愉しさ。
映画に魅せられた人生はかくも怖ろしい。
つまり相変わらず、五里霧中のまま
「私は役割であろうとする」。
そこではとりわけ偶然が活用される。



●



【191】

孵化直前の卵を充分に茹でたのち
殻を割り、
小さな成鳥のかたちをした鳥を食べる、
そんな残酷な料理が中国にはあるが、
とうてい食べられそうもない。

それに似たものと
私が日々出会っているからだ。

私には創作の刻々で
孵せなかった卵が幾つもあった。
孵せなかった理由は
完成を焦った私が性急な指で
不注意にも殻を割ってしまったから。

そのさい流れでた中身もじつは盗み見ていて
それこそが私だけにはっきり露わになる、
しかも小さな――災厄の徴候だった。
私に固有な、災厄の徴候。
それと似た料理など口にできるわけがない。



●



【192】

正統な作品に接していると
頭のなかに対応思考が続々現れてきて
結局は仕事の遂行が邪魔される。
自分の頭のなかに湧きでる想念は
実際に沸騰にちかい音を立てていて
それが煩くて仕方がないのだった。

これを静かさに復するため、
私は考えたことを書き始める。
このようにして日々は中断だらけだ。
――私はこのようにしてやがて、
自分の職務遂行も不能になるのだろうか。

そういえば――
上ではたしかに「煩い」と書いた。
自分の仕事が中断に移行するこの成行、
これが幸福か不幸かわからず
この判断点滅が本当のところ
「煩い」と自分に感じられている
――こう換言すべきではないのか。

たしかに耳への重圧はある。
けれども幸不幸の弁別からいえば
すべては留保の域にとどまり
いつでも中断の意味など
大したことではないのだった。
そう信じたい。



●



【193】

超俗的態度の利点は文字通り、
才能を比較競争する空間を
遥か下層に瞰下ろすことができるのが第一だが
（そうした層をばさりと切る残酷も愉しめる）、
もっと大切なことは
腑分けした自分の臓器の
どれが綺麗かを思い悩まない点だろう。
私は分解できるが
その分解物を比較することはできない。
この意識を獲得できるのが超俗的態度だ。



●



【194】

人は「ほぼ」救えない。
書かれたものは「ほぼ」救える。
ただこの二つの確信には
平俗以上の
人生上の真実があるわけではない。

「ほぼ」の実際は微差だ。
ほぼ救えない人を救った際の
希望に向けてのわずかなずれ、
ほぼ救える書物を救えなかった際の
絶望に向けてのわずかなずれ、
この二つのずれが
書き手の躯を縦横し、
躯全体が十字架の森となり、
それが重くなって停まってしまうこと
――ここにはたぶん
平俗以上の真実がある。



●



【195】

水をはじくものを
水で洗い流そうとする必死を
愚かと呼ぶことはできないだろう。
石鹸――中和が解決ではないからだ。
一挙に葛藤の痕跡を消すことなど卑劣で、
たえず「何かのある空間」が
尊重されねばならない。

それにむしろ人の世界では
幾度も洗い流そうとする反復、
このほうがいつも暫定的解決となる。

反復の仕種は神のレンズに記載される。
神はダナイスの娘たちやシジュポスから
その者がどのくらい離れているのかを
冷静に計測している。
こういうときには
「神はいない」と言ってはならない。
そうでなければ
反復を見る者がいなくなってしまう。



●



【196】

樹々の分布が不意に途絶えて
円形の大きな陽だまりがただある
――森にはそんな場所が意外と多い。

ただ自分たちを反響させるだけでなく
空間内にその反響を長くとどめおきたい――
樹々の叡智は曲折あったのちに
そんな「無」の場所の確保へと結実したのではないか。

課題：「おまえ」のなかに円い陽だまりを探すこと。

別の課題：「わたし」の反響が幾本によっているかを
できるだけ詳しく探ること
（「わたし」は先に陽だまりのほうを自覚しているので）。



●



【197】

黴が或る基準の湿度・温度の場所に
このんで発生するのなら
あなたは多様な湿度・温度を
自身に導入しなければならない。

窓を開けるだけでは足りない。
率先して外界を歩かなければ。
それも、ふたつの価値基準が
ひしめき噛み合っている苛烈な場所を。



●



【198】

左右どちらの掌中に
胡桃があるかを問う者を
あなたはただ次のような言葉で
粉砕すればいいのだとおもう――
「おまえは手の半分にしか
胡桃をもっていない」。



●



【199】

「理解されなければ
そのまま敗北となる」として
挑発的に書かれる悲壮な書物は、
読者に迎合して低い水準で書かれた書物より
とうぜん遥かに魅力的におもえる。
なぜなら忘却不能の強度と謎は
前者のほうにあるからだ。

――ただよく考えてみると、
そうした書物の「謎」は
その書物自身が予定する敗北のしるし、
この中心から半径を伸ばした小円内だけに
たんに体よく集中しているものだ。
その書物の思考自体に謎があるかどうか、
これはまた全く次元を異にする問題だろう。



●



【200】

「裏返った道を
裏返った足が
歩くとはかぎらない」
――そう呟いてみて、
どんな場合でも
四つの選択肢を
考えねばならないと気づく
――二元論の世界においては。

時間上にうまれる択一項をふたつ
掛け合わせるだけでは足りない
――通りの良い択一項にさらに
奇矯な択一項を掛け合わせるのがコツだ。
ならばさて、上の呟きに潜む
論理の罠を言え。



【つづく】

〔※mixiにて08年５月９日から５月14日まで間歇的にアップ〕
<BR><BR>]]>
        
    </content>
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    <title>箴言集161-180</title>
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    <published>2008-05-08T22:24:52Z</published>
    <updated>2008-05-08T22:29:31Z</updated>
    
    <summary> 【161】 客死なら、パリでだ。 当然、パリの客死者への 崇敬がここにある。 ...</summary>
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        <![CDATA[<BR><BR>
【161】

客死なら、パリでだ。
当然、パリの客死者への
崇敬がここにある。

客死は死体の幻が
自ら馴染まない街を
永遠に彷徨しているような
幻想をあたえる。

想像力においては
客死者は埋葬不能で、
死後も「ともに生きている」。
これは恩寵ではないか。



●



【162】

「しるし」をつけた本を貸せるのは
最愛の者にたいしてだけだ。
そこでは「私の愛する本を読め」と同時に
「私の読んだ軌跡をも読め」という
ふたつの命法が錯綜しだすが、
このような命法の同時性は常に重たすぎて
最愛の者にしか適用されないだろう。

ただしこのことから次のような本を
構想することができる――
私の書いたものに
私の入れた校正の朱筆をも上書きしたもの、
それをそのまま版にした本を出版できないか、と。

そこでは私の「否定」「訂正」「分割」「移行」
「拡大」「縮小」「転位」「増殖」「殺害」
――つまり「自己に関わる技術」が
すべてあらわになっていて、
私は幾層にも読み進められてゆくことになる。
私の「書いた内容」よりも
私に関わる運営法のすべてのほうが読まれるだろう。
その本の読者を
私こそが「最愛の位置」に置いたという
愛の、重たい擬制が生じて、
その本はもはや「只の本」ではなくなるだろう。

いうなれば、真に贈与的な本――。



●



【163】

少しずつ私ではないものに
似てくるとすれば
狙い目は女か、犬だろう。

女ならば
経験しなかった二分の一の生を
以後、満喫することができる。

犬ならば
「似る」ことが畢竟「なる」ことだと
教えられながら
存在の古層の感触を
骨身の奥になお残すことができる。

自分が危うい、とおもうのは
女と「同時に」犬と似るのでは
と予感するためだ。



●



【164】

決められた振付どおりに
踊れと要求され、
即座にそれに応えるのが
映画俳優という人種だ。
つまりそれはロボット演技を
つねに予期させていた。

これで映画が成立した理由はふたつ。

一、	俳優は歩く、掴む、見るなどの
基本的動作をするだけでいい。
カッティングが彼らを
「演技させてくれる」
（詩作品にも適用できる法則だ）。

一、	俳優はそれぞれ物質的肌理をまとっていて、
「ニュアンス」としてそれは
科白の言い回しにすら先行する
（これも詩作品に適用できる法則だ）。

この二つがいま駄目になりかかっている。

しかも救済策として望まれていたはずの
ロボット演技の徹底ではなく、
代わりに人間的演技の復権が叫ばれていて、
この点が媒体の荒廃にさらに拍車をかけている。



●



【165】

「文学」の夜郎自大ぶりは
以前、「文学的映画」「文学的音楽」等の
たたずまいのなかに測定できた。
いまは「文学」内部のなかに
はっきりと測定できる。
「文学」の身売りの先が内部化したのだった。
近親相姦の匂いすら感じる。

「文学フォビア」が映画狂、音楽狂に
強化されているのは
こうした変遷の二段階からだ。
むろん大したことではない。
嫌いな人間の翻心とまったく同じ
心象しか組織しないのだから。



●



【166】

大河が南海にそそぐ河口都市に
なぜ少年男娼が栄えるのかは
考察に値する問題かもしれない。
サイゴン、ニューオーリンズ…
おそらく「大陸の瀉血」ということに
関係しているのだろう。

個体にして個体でないものの美しさ。



●



【167】

おおまかにいえば――

「これ」は「主体が保持しているもの」の指示、
「それ」は「主体と対話者の間にあるもの」の指示だ。

だとすると「あれ」には際限がない。
「これ」「それ」以外のものすべてを包含する。
「あれ」と名指した瞬間、
われわれを取り巻いている
すべての位置関係が崩壊するのではないか。

「あれ」はどんなに希望や憧憬に包まれていても
その正体が「未了」や「幽霊」になるのではないか。
「あれ」を「これ」や「それ」に反射させてはならない。

ところが素晴らしい音楽は、
「これ」や「それ」ではなく
つねに「あれ」に満ちていたりもする。
その音楽に魅了されている。

歴史を構成しているのも「あれ」だろう。



●



【168】

歴史への眼差しは
憤死する者が生前最後に抱く
不可解な感慨を想像することで鍛えられる。
彼の記憶に向けた視野には
社会的因果律と突発的な生成、
たぶんそのふたつの並立があって、
しかもその峻別がままならないことに
感慨が向けられていたはずだ。

これは現在の状況把握の方式と似る。
グローバルスタンダードと
一国内の地域格差を表裏の現象と考えること。
グローバルスタンダードがあるかぎり
人件費の低い国は発展という名の敗北を
人件費の高い国は単なる敗北を――
つまりどの国も敗北をわかちあうこと。

これらが社会的因果律だとすると、
突発的な生成はもっと別の次元にある。
たとえば「ある単語」が発明されたこと。
たとえば「ある形象」が好まれるようになったこと。
それらが規律の上位構造だからだ。

現在では社会的因果律と突発的生成、
その双方をつなぐ領域が「メディア」と呼ばれる。
メディアからメディウムを捌くこと、
歴史哲学の方法はしかしそこにある。
複数化に安住せず、果敢な単数化を「複数」試みること。
手続きは、常にそれだ。



●



【169】

今日、「知識人論」が空ろに響くのは
立脚の問題が民主的に問われているからだろう。
「領導」という態度に潜む傲慢が笑われている。

大体、彼らの「領導」対象は
日に日に疲弊するばかりか
日に日に痴呆化しているのだった。
ならば領導の質も、対象の言語をもちい、
〈先んじて「恐ろしい痴呆」と化すこと〉
〈範例となること〉以外にはないはずなのに、
「知識人」が姑息に自己保持を続けるだろうことは
その領導対象自身が知りつくしている。

だから知識人によりも破滅者のほうに
関心も崇敬も集まってしまう。

「道を開けろ」の叫びはたしかに正当で、
人は一メディアの粉砕ののち「開いた道」を
今日でも熱烈に夢想する。
しかしまずは「お前が・どかなければ・ならない」。
「どきかた」の仕種も考察されるとすれば
事は、身体論の問題とも交錯してくる。

スッと人波をよける者に注意せよ。



●



【170】

世界が還流や還元によって
潤っていたことは誰しもが知っている。
「芸術のパトロネーゼ」がなければ
恐らく現在存在している芸術、
その半分も残っていなかっただろう。

たぶん1980年代に起こった誤謬は決定的だった。
「芸術のパトロネーゼ」を
「企業メセナ」の名のもとに吸収したことを指す。
それで企業の業態が悪化して、
ふたたび利潤追求のマシーンと化したとき
たとえば詩の独占資本といった奇怪なものまで横行しだした。

事はリストラの方法が意識的に整備されて
企業の職場の非人道化が完成したのに似ている。
1980年代から90年代が壊滅的にまずかったのだった。

ならば現在、闘いの方法のひとつは、
「芸術のパトロネーゼ」、その個人化にある。
個人が別の個人を言表によって浮上させねばならない。
しかも金銭を供出することもできないから、
何かの購買運動に導くだけでも至難だ。

多くの者も、自身の名誉向上に汲々とするだけだ。
金銭を得ることが隠された目標になっているとも自覚しない。

芸術の受容態度そのものに倫理が問われる時代になった。
まずは人の受容態度そのものを批判する勇気や教育が必要で、
その次に、金銭、このバケモノを遮断する
「芸術のパトロネーゼ」が考えられねばならない。
「購買」によらない受容――として、
こうして「通信」の価値がますます高まりつつあるだろう。
「資本主義以降」を構想せよ。



●



【171】

手許をゆるやかに保つ。
あとは漫想にまかせ、書く。
するととどまる場所がなくなる。
自身の思考の継続性が
自身の特有性によって保証されている
――この体感が幸福で
終わりのなさを書くことしかできなくなる。

エッセイとはたぶんそんなものだった。
記憶と体験の充実がその原資。
だからある年齢に達しなければ
エッセイなど書かれるべきではない。

エッセイ集も全体で一本のエッセイだ。
だから単独のエッセイが雑誌に載ると
それがすごく貧弱にみえる。
もともと依頼されるべきではなかったのかもしれない。
しかしそのときの書き手の反抗心が
その単独エッセイの唯一の読みどころとはなる。



●



【172】

楽想はつねに焦れている。
演奏練習をすれば
たちまちクリシェが
手許から頭にわたる領域に
形成されてしまう。

楽想はみたことのないやりかたで
時間を切ろうとする。
それでも運動神経の範囲内でしか
終始「時間が切れない」。

楽器特性を考えだす。
たとえばギターを
ピアノのように弾くことはできないか。
たとえばベースを
サックスのように弾くことはできないか。

しかしどれもこれもが
時間上の形象の創造としては
考えうる「ありきたり」にすぎなくなる。
転入の範囲にとどまってしまうためだ。

楽想は最終的に脱力する。
有限性しか人間が生きられないのだから
それはもう当然のことだ。
しかしこの脱力を先取りして
先鋭に時間創造と交差させる。

創造なのにそこからは刻々と力を奪うものが
時間軸に同時に形成されていて、
現れているのはすごく精神的なものだ。
当人だけに感知できることだが、
そこでは現在過去未来も
「私の範囲内」で苛烈に軋んでいる。
ひとつの時間から逃れでた、音楽。

音楽ができた――真の楽想が到来した。



●



【173】

放浪の痕跡をつたえるようなものが
姿や表現にはかならずある。
時間の塵、空間の粉。

それは甘い香りと腐臭が
混ざり合ったような匂いがして、
これが多元的であるがゆえに
ひとつの平面が立体化してみえ、
かならずそこに向けられた視線を
どこか別の場所へといざなってしまう。

「私はたまたまここにいる」
「私はだからむしろここにいない」
「それをみるあなたもそこにいない」

たんなる放浪の痕跡にすぎないものなのに
どうしてそれはこれほど複雑に
時空を惑乱させてしまうのだろう。

「私が旅人であるように
あなたの本質も旅人だ」、
そう語られることは幸福だが、
たえず放浪の痕跡は
「この場所」の否定という契機をふくむ。
「場所を空けろ」という命法にちかい苛烈さ。

流浪芸人の芸には
そうした覚悟をもって接する必要がある。



●



【174】

過去形で語られつづけるときに
報告者はどんな特権をもつのか
という問題系が生じ、
「神の位置」が擬制される。
多くの小説はこの便法を
気楽にまとって自足した。
小説は「小説の枠組」のなかにあり
むしろそのなかにしかないというのは
こうした視点からも摘出できる。

動詞では現在形が問題になるだろう。
それは二人称を主語にすれば
ただちに命令形と境を接するし、
過去の事象を顕微鏡でみた臨場感ともなるし、
「彼は行く」と書いただけで
その動詞は現在のみならず未来にも渡ってしまう。
「彼は行くが」と逆接で結べば
条件法にまで振り子もずれだす。

現在形はこのように動詞のあらゆる集約で
とりようによってはその姿を刻々と変える
可変的な幻というにちかい。
その属性により「動詞」を基軸に
その主語へ読者自身の代入もおこなわれる。

マンガはつねに現在形で描かれている。
映画もフラッシュバック云々の文法を度外視し、
撮られた時期のことも黙殺すれば
常に現前なのだから現在形の現れだ。

詩が小説に似る必要はない。
マンガや映画に似たほうが得策だろう。
詩のばあい私を消去すると
動詞の現在形が猖獗することになるとおもう。
詩の動詞はしかも未了性まで分泌する。



●



【175】

あなたは見る。
あなたはおもう。
あなたはうなだれる。
あなたは泣く。
あなたは去る。

たとえばこう書かれただけで
文の魔圏へと否応なく
人はひきずりこまれるだろう。

詩の単純な同調強要力のひとつ、
悪用は許されないが。



●



【176】

偶然は時間と空間が交錯することで生じる。
あたりまえのことだ。
しかしこの当然の事実は、
私自身もまた一個の偶然にすぎないと告げる。



●



【177】

ひとつの流儀には元手がかかっている。
その元手を崇敬しなければならない。
いやちがう――元手にはすべて眼を瞑り
流儀こそを尊敬をもって対象化しなければならない。
そして――「流派」などという抽象には
まちがっても敬意を抱いてはならない。



●



【178】

多数決は集団にとってひとつも意思決定ではない。
なぜなら成員の誰もが何一つ意見を変えないまま
決定が成立してしまうのが実は多数決の本質なのだった。
これは恐ろしいことだ。

となると集団の意思決定には
説得とか改悛が必須の過程となる。
「傷がついた」証拠こそを、集団は見せなければならない。
これも恐ろしいことだ。

ならば集団の一員として意思決定に関わる場など
すべて早急に辞退すべきだろう。



●



【179】

彼らは移動する、
彼らは風光のなかを軽やかに移動して、
ほぼ痕跡をのこさない、
彼らは移動するためだけに移動し、
「絶望する者は移動する」の格言にも
「絶望的に」関われない、
彼らの足にはヘルメスのように
翼がついているが、
その翼はすごく現代的だ、
だってそれは自動車の車輪にすぎないのだから。

かつて移動する者はその足跡で
国土の実質を固めたのだが、
いま移動は国土に
あるかなきかの薄い傷をつけるだけだ、
その薄さが明るく感じられてしまう。

国土はおもえない、
その代わりに彼らの移動の過程に生じた
光陰の躯への擦過痕を実質としておもう。

しかしその実質は人の数へと倍化されていて
国土よりもぜんぜん分量の多いのが厄介だ。

彼らは移動する、「私」も。



●



【180】

非連続の方式に馴染む、
ということはあるだろう。
「昨日の私と今日の私がちがう」というのなら
精神論に適用される処世訓にすぎないが、
一文と一文のあいだに
すでに非連続の空隙があるというのなら
それは創出の方法論の問題へとずれる。

むろん空隙が真の空隙であるならば
（つまりそれ自体が「無」なので）駆動しない。
虫食い状態の言表は
謎を差しだす趣味でしかなくなる。

空隙を駆動させること――
しかし私はこれを逆説と考えない。
書き物の世界にまだ実現されていないだけだ。

上の空、「放心」中の
ひとの顔を見ればそれがわかる。



【つづく】

〔※mixiにて08年５月５日から５月９日まで間歇的にアップ〕
<BR><BR>]]>
        
    </content>
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    <title>箴言集141-160</title>
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    <published>2008-05-05T06:59:58Z</published>
    <updated>2008-05-05T07:01:39Z</updated>
    
    <summary> 【141】 自己愛は満身に張り巡らされた 同一性や連続性の保証であって、 これ...</summary>
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        <name>管理者</name>
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        <![CDATA[<BR><BR>
【141】

自己愛は満身に張り巡らされた
同一性や連続性の保証であって、
これを断ち切ることは普通できない。
断ち切れば客体どころか
主体すらもが消えてしまうからだ。
しかし秘密の生き方の指標がここにある。



●



【142】

吝嗇とは他人にたいする罪ではない。
刻々と減少すべき自己を怠る罪だ。



●



【143】

敵対関係の攪乱というのは崇高なことのひとつだ。
「敵に塩を送る」というのは将軍の人格よりも
攪乱への親和性によって称えられるべきだろう。
それでいずれは「非戦非攻論」も出る。

墨子「非攻論」の素晴らしい点は折衝のために歩く点だが、
残念なのは、威嚇武器の均衡性によって
最終的な「非攻」を実現した点ではないか。
墨子集団が道教と出会い、やがて任侠化したときは
たぶん「折衝」の原理的な美点が再浮上していたはずだ。

非攻の最も素晴らしい姿は敵性を模倣することだとおもう。
たとえば戦時中、日本は敵性音楽としてジャズを禁止した。
これを逆に大奨励していたらどうなったか。

南島の戦場で、日本兵たちがジャズで踊っている。
そこにアメリカ兵がやってきて唖然とするが、
演奏されるジャズがあまりに素晴らしく、
アメリカ兵たちも武装を解き、踊りの輪に加わってしまう。

このとき無化されたのは敵対関係ではもはやない。
――闘うことそのものだったはずだ。
大地と足と躯と楽器があれば、こういったことは可能だったとおもう。

戦場に必要なのは、楽器だ。



●



【144】

「よく闘う者は怒らない」というのは
広く知られた格言だろう。
これを「冷静さを保たねば勝たない」と
翻訳するのはしかし間違っている。
闘う者は、すでに「感情」に類するものが
闘いの遂行にまったく必要がない、
と考えているはずなのだった。

闘ううちに「心」が消えてしまう。
すべてが機械的な進行になる。
そのときの冷気が戦闘の本質となり、
もはや相手の現前すら意味を失っている。
抽象をただ抽象としてほぐすのみ。
彼は聴き、見るが、そのさいの視覚も聴覚も
物理的なものと知り尽くしている。
闘いはそうでないと、自分を害してしまう。

となると唯一、
おこなってはならない闘いがあるとも気づく。
――自分自身との闘いだ。

「自らと闘え」と公言する者たちの、
なんという浅慮、いぎたなさ。



●



【145】

需要と供給が物の価格を決定する、
という素朴な経済学に
爆弾を落としたのがマルクスだった。
彼は貨幣自体のフェティシズムを論拠にした。

貨幣自体のフェティシズムは脅威だ。
自乗的に価値強化されるものはすべて怪物的で、
貨幣に実体がなくなれば運動もさらに抽象化する。
「電子マネー」のことなどをいっている。
買ったもの、買った道具の姿すらみえないなどとは。

貨幣自体のフェティシズムを意識させるものは
購買行動そのものを疎外している。
あまりに高価なものは
文化や余裕を得るためには金銭が必要だという
反動的見解を補強し、これもやがて自己回転する。
逆にファストフードなどの百円商品は
最小単位の貨幣フェティシズムを
加算的に強化する疎外につながる。
むろんそれが貧困層を支配する思想となる。

たぶん中庸な価格体系をずっと愛すべきなのだろう。
外食の千円、ＣＤの二千円、単行本の二千円――

私はずっとそんな価格体系のなかをほぼ漫歩し、
商品の穏やかな中庸性、
その面差しだけを慈しんできた自負がある。

中庸な値段のものを買え。



●



【146】

煙草を咥えた姿は
最小限の自己延長を表現している。
それが煙を発し、
一本ごとに減ってゆくのだから、
この自己愛はなかなかに複雑だ。
問題は「小ささ」「減少」のなかにあった。

しかも旨い煙を吸いたいという
後発的欲求が
喫煙行為を塗りこめてしまう。

煙草を吸いながら風景や女を見ていると
それらを「吸っている」という
錯覚も生ずる。

何もかもが倒錯だ。
しかもそれが植民地時代にできた
陋習だったのが凄い。

その喫煙が禁じられはじめた。
愛煙家は好機としなければならないだろう。
上の喫煙の本質を考えれば
煙草は一人の場所で
秘密裡に吸われなければならないと
誰もが気づくはずだからだ。

一人で煙草を吸おう。



●



【147】

19世紀末に出現したもののうち、
映画やジャズが終わろうとしているのに
精神分析だけがまだ命脈を保っているのは
たしかに奇異なことだ。
視覚性のなさなら精神分析はジャズと同じだし、
物語の保持なら映画と同じだからだ。

考えられることはひとつ、
この二重の欠落が精神分析に好作用をもたらし、
それが単位化して
諸ジャンルに入りこんだということだろう。
たとえば映画は精神分析にとりこまれた。
以後、それは映画と呼ばれず（だから「死ぬ」）、
視覚的精神分析と呼ばれるだろう。
そこでは「トラウマ」が物語の原因になり、
カッティングが識閾下にじかに作用してゆく。

精神分析とほぼ関われなかったジャズの清潔をおもう
（ポップスはその点でいえば無惨なことになっている）。

19世紀末からの遺習。
もうデカダンスは無意味になったし、
「神は死んだ」も方向性を考えなければ無意味になった。
たんに資本主義が完全蔓延した、ということだ。
だがその息抜きに上の遺習はつかってはならない。
新しいものを用いなければ。



●



【148】

自分を取り出しては並べる。
そこに他人がわずかに混ざり、
それをさらに選んで並べる。
これほど幸福なことはない。

さてここに問題がある。
その際の並べる手つきに
粗雑があったのか
精密があったのか
ということだ。

いずれにせよ、他人が混ざった経緯、
これには誰も応えられないだろう。

詩の読解不能性がここに浮上する。
ただし詩にかんしては、
残されている言葉だけが
ただ読まれればよく、
詩句個々が私に属するのか
他人に属するのかはどうでもいいことだ。

最後に問題が一個だけ残る。
私は私が書き、私に残された詩だけを
原理的に読めないということだ。
他人である幸福感によってそうなる。
そうならなければならない。



●



【149】

ギャンブルがつくりだした設問は
人間の自己統御能力の限界を明示した。

確率予見と運のあいだの領域は
射倖心の必然的な強化をもたらす。
ここに「反復」の問題がからむ。
「取り返そう」という意欲が
反復にたいするだけの意欲に替わる。
負けることすら祈念される。
身体の一部である脳内アドレナリンが
存在全体を逆立させたのだった。
こういうことはしばしば起こる。

本来ならアドレナリンは
踊りや音楽や性交に関係があったもので、
それは躯を動かすことで増大した。
これを最小の躯や眼の動きで増強する逸脱を
ギャンブルが犯し、
最小であることで身体内に直入したといえる。
もうひとつ、交際の場の魅力もあっただろう。
人間はそのように社交的な動物で、
パチンコでさえも社交の事実なき社交なのではないか。

――ここに、悪運に生を支配された者がいる。
彼はギャンブルで勝ったことがない。
彼はギャンブルをいつしか完全に遮断した。
ギャンブルの反復性が
己れの悪運の反復にしかならないから。

当然、その者は人生の勝者の顔つきをしていない。
その顔つきは、彼の内側に潜っている。
そして反復性に支配されないことは
まずは独立の要件なのだった。
この独立は孤立といってもいいのだが。

その者は、孤立性のつよさにより
ギャンブラーよりも勝利に近い領域にいる
――そういってもいい
（だいいちギャンブルは最終的に負ける）。
この悪運は讃えられなければならない。



●



【150】

人は風呂に入らなければ臭気を発し、
髭を当たらなければ見目を失う。
ということは乞食とは「自己への手当て」を欠く
捨て身にして崇高な者だった――以前は。

今日、乞食は決して
「自己への手当て」を欠く者ではない。
むしろ周到に少ない可能性を利用しようとしている。
娼婦が都市を迷宮化するアレゴリーなら
乞食は貨幣と労働と都市を脱色化して
そのあとに残る要約できないアレゴリーとなった。
乞食のつくりだす空間は以前より深い。
乞食に存在の軽さがなくなったということでもある。

乞食の多さはかつてその鄙の豊かさをしめした。
乞食は空間性における神性のしるしだった。
神性は逆転とも通じていたから。

今日、乞食の多さはそれが「世界都市」であると示す。
この世界都市の属性は「混在」だけで、
その「混在」に意味をもたせることがほとんどできない。

「混在」の中心が頭をもたげてきて、
それに名前をつけられないという逆転。
しかしあの眼は、充分に「この」眼なのだった。



●



【151】

「教訓」があり、
読解が一方向をしいられるものは
もうとっくにアレゴリーではなくなった。

今日、それがアレゴリーであるためには
動物的で、細部が刻々動き、
動きと動きのあいだに震撼があり、
「世界のように」要約できないことが
徹底した条件となるだろう。

アレゴリーはあらゆる意味で陰謀的で、
それが元来の文芸上の成立要因でもあるが、
アレゴリー的陰謀の最高形態は、
その陰謀を作り手の受け手の双方が
刻々とつくりあげる点にある。
陰謀が共謀にすりかわる必然性が
アレゴリーには仕込まれているのだった。

誰が誰を読むのか、
アレゴリーはその根本を問う。



●



【152】

主筋と副筋があること――
小説的なものとは、
そうした自らの「生地」を
享受者に保証することによってのみ
ただ成立しているのではないか。

「伏線」とは小説の条件で、
主筋から副筋への転轍はまさにこれによる。
中心がずれ、再中心化や脱中心化が
めまぐるしく起こる、
この体感こそを豊かさと信じる文芸。
小説はたとえば鉄道敷設時代の 
機械的な運動に属している。

それ以前の「物語」とのあいだの径庭とは
まさにそこにあり、
だから口承の温かみではなく
小説は人工的な冷ややかさを志向している。

「筋」は人物の動きを当然利用する。
ただそれでは小説に厚みが出ないので
そこに「描写」も動員される。
この「描写」も人物中心となる。

むろん「人物」だけが特権的になるのではなく、
たとえば言葉自体の展開であっても
そこに主筋と副筋の輻輳をつくりだせる。
音楽自体を展開させる
フリージャズのような小説もありうるのだった。

いずれにせよ小説は一種、体裁のよい文芸だ。
自らの枠を洗練して利用しているからだ。
これを今日的に縮減してゆくとどうなるか。
またぞろアレゴリーという怪物が
そこに生まれるだろう。

緩衝地帯のなくなった裸形にして歪んだ物語が
アレゴリーの感触にちかく、
そこでは小説的解決すら冷笑される。
たんなる「一過」なのに「動く」内実のあるもの。

真のアレゴリーはつねに無媒介的開始で、 
それも「刻々」でしかなくだから暴力だ。

アレゴリーはこのように小説の結晶だが
同時にこのように小説の癌組織でもある。

アレゴリーは「古くも新しくもない」。
小説を採るべきか、アレゴリーを採るべきか
（私にとっては答も自明なのだが）。



●



【153】

世界の「帝国化」が
アメリカを暗示して語られる流儀となったが、
同時に世界の「田舎化＝鄙化」も進行している。
「中国的なもの」が徐々に蔓延するようになっている。

中国は何によって「世界の鄙」なのか。
虚偽、情実、官僚主義、怠惰、
増殖、利己主義、内部流動、文学の消滅。
もともと中国文芸には創造がなく、
旧物の解釈、継承だけがあって
そこに有職故実が猛威をふるっていた。
これは自身の歴史の古さを過信した結果だ。

漢字だけがこのことを保証していた。
その意味と図像の凝縮力、
語増殖を豊かに組織できる特性。
宇宙創造された文字を中国人はつかっていた。

だがそれは今日、略字になった。
宇宙創造の根源を略するようになって
文芸ではなく株価が大切なものに変わる。
蒼纈という漢字の神は泥のなかに倒れた。
その四つ眼がすべて潰れた。
付帯的に中国人に残っていた独眼も
盲目化してしまったのだった。

「われわれ」は何によって「中国フォビア」なのか。
その姿がわれわれの似姿だからではなく、
その「精神」がわれわれの似姿だからだ。
われわれも略漢字を平気で使いつづけ
中国とは同じ頽落を自身に導いている。
何よりも「中国を嗤う」この態度そのものが
ものすごく中国的なのだった。

「世界の帝国」と「世界の鄙」は決して似ない。
だから覇権が競われる。
それぞれが周囲への鏡面化作用を旨としているのだから
これはすごく奇異なことだ。

「世界の帝国」と「世界の鄙」には
姿の質が全然違う乞食があふれだす。
それは図像性のちがい、
アルファベットと簡略漢字のようなちがいだ。



●



【154】

幼い日には世界内にある対象が
自分にとっては伸縮自在だ。
それはその対象が周囲の全体で
どのような連関と秩序をもっているかを
まるで考えないためで、
結局、対象に近づけば、
対象が「ただ大きくなる」。

それを魔法だともおもう。
そしてこの魔法の源泉が自分だとは知らない。
大好きな切手はそのようにして
幼い日には大きくなり、
彼の心のポケットからは
入りきれずにいる
「好きなもの」がこぼれつづける。

ただ「大きくすること」は大切でありつづける。
文庫本など小さな活字の本、
その字を大きく自分に映すために
たとえば私は好きな短詩を
「筆写」しつづけた。
自分の躯に内在している顕微鏡を
青年期にはまだそうして信じていた。

いまはけれども、対象を大きくしようとはしない。
たとえば私は記憶によって
恋人の顔のスケッチを描こうともしない。



●



【155】

あるものを二分の一にし、
分けた半分をさらに二分の一にし、
さらに半分を二分の一にし――
ということを延々と繰り返しても
ずっと手許には
ゼロ以外のものが残りつづけるというのは
論理の希望だろう。

最初に捨て去った残り二分の一も
次に捨て去った残り四分の一も
あるいは捨て去ったものの総和が
次第に「一」に近づいていることも
一顧だにしないというのは
これは情熱の希望に属するだろう。

このふたつの「希望」があって、
たとえば自分の靴紐を引っ張って
自分の躯を空中に浮かす、という
奇蹟も成し遂げられるのではないか。

論理上も情熱上もありえない、
という意見は採らない。
なぜならそれを実現しえた聖人を
私が数多く知っているためだ。



●



【156】

「あいだ」に関する考察は
たしかに映画から得た。
ある好きな女優の「表情Ａ」と「表情Ｂ」、
その二つの変化の起点が
どうしても自分の視覚で捉えられない。
そしてその「あいだ」を真摯に思い起こすと
最終的には「表情Ａ」も「表情Ｂ」も消えてしまう。

「あいだ」こそが実質で、確実な動勢なのに、
「あいだ」がそうであれば
対極する視覚的定着物を簡単に浸潤させ崩壊させ、
全体を不可知的な流動にしてしまうのだった。
「時間」の本質が
もともとそうだったということなのか。

いずれにせよ、私は
女優の顔を憶えていようとはしない。
ただし「あいだ」にあったはずの
その動勢変化のしるしだけは
無意識のなかに深く収蔵している気がする。

映画においてはとくに無にちかいものを
恋慕していたのだった、――ともあれ。



【157】

好きな食べ物はある。
それと自分の日常が契約を結ぶ。
たとえば私には
好きなクリームの質があるし、
豆腐のように色味のないものや
地味な野菜や地味な魚が好きな自覚もある。

それらと私の関係は
「私」をふくんだ一定の語群を
画定するというのに似ている。

私は「食べている」のに、
そうして肉体ではないものに近づきだす。



●



【158】

記憶しているべきことにたいし
「記憶していない」と弁明するとき
社会では道義的非難、追及は
その概ねが手ぬるい。
そうして社会が存続している面も確かにある。

肥満体が死刑求刑に値するなら、
こうした忘却などもっと死刑にふさわしいだろう。
事実、「忘れてしまった」ということは
自分自身にとっては極秘裡に死刑なのだ、
「私」はそうした傷の加算により
やがては失血死してゆく。

飲酒の習慣は明らかに
そうした「忘却能力」を
自身に拡大することと通じている。

酒精を摂取している、たしかに。
だが血が暖かく躯を巡っても
それは存在の失血を先取りしている面がある。
これは何らかの予行にちがいない。
だから飲酒癖を治癒することができない。



●



【159】

私がもちいる称賛の語彙、その中心を
「お洒落だ」という形容が占めることが多い。
手段と効果の関係が近いものを
どうもそう語っているらしい。
近接の美しさはそういうところにしかないという
信念というか諦念もそこにあるのだろう。
いずれにせよ機能美が注意の真ん中にある。

あるいは、称賛は「お洒落だ」と語る以外に
もうないのかもしれない、
――私が疲れているのだとすれば。



●



【160】

分割と増殖は正反物だ。
分割はパーツを画定し、全体を志向する。
いっぽう増殖はパーツ同士を相互に巻き込み、
ひとつの全体と、その一瞬後の全体とに
「不一致」を無慈悲に宣告する。

あるいはこう言うべきかもしれない――
分割は計測可能性を冷静に惹起するが、
増殖は計測不能性を乱神のように生きる。
それは自らを罰し、「同時に」祝福する。

倍音幅を好まれる数「12」で「分割」し、
配剤した諸音によって生じるハーモニーを
律儀に意味化していったような
西洋音楽的な計測可能性が
この東洋全体にたぶんない。
国民個々の顔がたぶん似過ぎていた
（こういう偏見は自ら語ると意義が生ずる）。

計測可能性の効用はもっと違う場所に置かれている。
たとえば国土全体ではなく、
国土から見上げるもののなかに。
ならばなぜ土地の所有という馴染まない陋習が
東洋にまだつづいているのか――。



【つづく】

〔※mixiにて08年５月２日から５月５日まで間歇的にアップ〕
<BR><BR>]]>
        
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<entry>
    <title>三村京子と新盤ができるまで</title>
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    <id>tag:abecasio.s23.xrea.com,2008://1.420</id>
    
    <published>2008-04-29T23:09:26Z</published>
    <updated>2008-04-30T00:29:04Z</updated>
    
    <summary> 【解題】 さきにこのサイトに、新譜『東京では少女歌手なんて』発売を機にした、僕...</summary>
    <author>
        <name>管理者</name>
        <uri>http://abecasio.s23.xrea.com/</uri>
    </author>
            <category term="interview" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://abecasio.s23.xrea.com/">
        <![CDATA[<BR>
【解題】
さきにこのサイトに、新譜『東京では少女歌手なんて』発売を機にした、僕の三村京子に関するインタビューをアップしたが、同じく大中真慶くんのおこなった三村京子へのインタビューも関連でアップしておこう。そうおもったのも、臨席者の僕が、三村さん以上に喋っている気がするので（笑）。この二つのインタビューを総合してもらえれば、三村さんのこれまでや曲共作の全貌が完全につかめるともおもいます。
（阿部嘉昭）
<BR><BR><BR><BR><BR>

三村京子と新盤ができるまで
――三村京子インタビュー
<BR>
（聴き手：大中真慶）
（同席者：阿部嘉昭）
<BR><BR><BR>


＊＊＊（１）＊＊＊
<BR><BR><BR>
――最近はどんな音楽を聴いているんですか？
<BR>
三村京子（以下、三村）
<BR>
クラシックのセゴビアのベスト版とか、この間買った（三輪）二郎さんのアルバムとか。あと昨日、ザ・バンドの『ミュージック・フロム・ビック・ピンク』を改めて聴いて、そしたらまた違って聴こえました。
<BR><BR>
――ザ・バンドはどう違って聴こえたんですか？
<BR><BR>
三村
<BR>
歌詞の読み方が変わってきてますね。
<BR><BR>
――それは音楽活動をして、アルバムを作ってってこともあってでしょうか？
<BR><BR>
三村
<BR>
そうですね。
<BR><BR>
――えっと、音楽を始めたきっかけってなんだったんでしょうか？
<BR><BR>
阿部嘉昭（以下、阿部）
<BR>
なんでそうやって質問が飛ぶんだ（笑）。ザ・バンドのこともっと訊けばいいじゃん。要するにそれはメロディに盛り込まれてゆく、意味（情報）の「速度と展開」を把握したってことでしょ？　例えば「ザ・ウェイト」だったら、とても情報が濃いけども、やはりちゃんと歌になってる。聴き手に分裂的に迫って来る。逆に「ロンサム・スージー」みたいに単純な愛の言葉だけで、しかも「君の味方だよ」っていってるのに、悲しい歌にしか聴こえないみたいな美しい逆説もある。あるいは「怒りの涙」みたいに、あれほどの隠喩を使っても感情が一本通っているから歌として通じる、みたいな。
<BR>
つまり、一つの歌メロに対して言葉がどう乗るかってことを分かったっていうのは、自分が歌を歌っている時に同じことしたからじゃないの？　ザ・バンドはねえ、僕よく鼻歌で歌ってる。あの感覚って独特なんだよね。すごい好きだよ。ああいうのは日本語で出来んの？
<BR><BR>
三村
<BR>
アナログフィッシュとかは近いんじゃないですか。坂本慎太郎の場合はサイケっぽい感じに偏るけど、やはり実現していると思います。
<BR><BR>
（沈黙）
<BR><BR>
――セゴビアを聴いているのは、クラシック・ギター奏法のため、このアルバムでいったら「孤りの炎」とか、ああいうクラシック調の曲を今後も作るつもりなんですか？
<BR><BR>
三村
<BR>
そうですね。アコギでライヴをしていかないといけない期間が当面続くんであれば、曲に変化をつけるためにバリエーション増やしたいとは思ってます。
<BR><BR>
阿部
<BR>
ストロークの曲とアルペジオの曲、あるいはクラシック系の綾がある曲、ラグタイム調の曲というバリエーションがあるとして、その中でストロークを嫌ってます？
<BR><BR>
三村
<BR>
嫌ってますね。それは逃げ道がないというか、歌だけが出てしまう。そうすると存在感だけの勝負になるから、特にライヴで一人の場合は。それは若ければ若いほど楽だったけど。
<BR><BR>
阿部
<BR>
でも普通の日本のフォーク・シンガーとはコード進行が全然違うよ。
<BR><BR>
三村
<BR>
そうですけど。ただこれからストロークでも良いメロディとコード進行に重点を置いて作っていったほうが後々のために良いのだろうか、ということは考えますね。バンドを組むならそうしたほうが良いのだろうけど。
<BR><BR>
阿部
<BR>
ストロークで割と単純なコードで歌った場合には、歌詞が不規則に乗せられる。今度のアルバムだと「もうじきあんたは１人で立てるはずだ」とか。その時に三村さんなら、作曲に綾がないと思って、転調部分を作る。あのアプローチは鋭いと思うよ。冒頭だけ聴くと友部正人調だけど、転調部分で「違う」ってなって、聴き手にも衝撃が走る。自分が二段ロケットだということだよね。
<BR><BR>
三村
<BR>
でも表立って纏っているのが、アコギでフォーキーで緩いというイメージになってしまう。
<BR><BR>
阿部
<BR>
いや、アコギでもフォーキーにならない曲はいくらでもあるよ。ディランの『アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン』ならロックビートを内包してるアコギとか。「マイ・バック・ページズ」はやっぱりみながびびったと思う。でも日本でそれをやっちゃうとゆずになってしまうんだけどさ（笑）。
<BR>
ただしディランの歌として完成されているのはビートのないストロークの方でしょう。『時代は変わる』の「悲しい別れ」なんかは何度も聴ける。僕は三村さんに「悲しい別れ」みたいな曲を歌ってほしいと思うけどな。
<BR><BR>
――ちょっと単純な質問に戻るんですけど、どういう方法で作曲をしてるんですか？
<BR><BR>
三村
<BR>
一番曲を量産したのは07年初頭に「ポップな曲を作ろう」とした時で、「だれだれ風」と特定のミュージシャンをイメージして、その人が作りそうな曲をその人になって作る、ということをしてました。
<BR><BR>
阿部
<BR>
「なって作る」んだけど、独自のフィルターがかかってて、「エイミー・マン風」って本人が解説してても、元歌とは全然似てないんだよね（笑）。この人は模倣をしようとしても、模倣ができない宿命がある。それは実は恵まれてることなんだよね。
<BR><BR>
三村
<BR>
たしかに、似ないだろうな、と自分でも思ってやってますね（笑）。
<BR><BR><BR>
＊＊＊（２）＊＊＊
<BR>
――曲を作る時に、どのような感じにしたいとかの、曲が向かう理想ってありますか。
<BR><BR>
三村
<BR>
それはその時その時で違いますね。その07年の初めの作曲は、フォーキーな曲作りを脱却して、私の聴いていたＪポップの材料を使って脱「３コード」をやろうとしたら、あのようなロック・ポップ調のものになったっていう。
<BR><BR>
阿部
<BR>
ある全体イメージがあって、そこに向けて曲って作れるものなの？　コード全体の印象やメロディの感情全体に向けて、とか？
<BR><BR>
三村
<BR>
そうですね、結果的には作れましたね。十全ではないかもしれませんが。
<BR><BR>
阿部
<BR>
でもギターの人に多いように、ギターをいじくるっていくうちに、「ああこの感じ」って曲が出来てくることもあるんじゃない？
<BR><BR>
三村　
<BR>
はい。07年後半に作った10曲くらいは確かにそういう作りかたでした。阿部先生にトッド・ラングレン的に難しくなっているといわれたんですけど。あれらは手癖で作りましたね。そしたら「曲の要素が多すぎる」って指摘されて。それで例えばメロディがＤメロまであるとしたら、そのＢやＣを削るようにしたんです。そうすると作った時は私の中で繋がっていた（ＡＢＣＤの）流れが、ＡとＤでくっついて曲に飛躍が起こる。去年の末に歌った「春が来た」とかはそういう流れで完成したんですよ。でも曲の分裂感が強い。先生も分裂的な歌詞をつけた。やっぱり07年の初めに作った曲の方がきれいに曲が流れている、メロディが滑らかに展開している、とは思う。
<BR><BR>
阿部
<BR>
「みんなを、屋根に。」という途轍もない名曲もあるけどね。
<BR><BR>
――メロディはどのように作っていくのですか？　コードを鳴らしながら、浮かんでくるんですか？
<BR><BR>
三村
<BR>
いや、メロディを作る時は、まず先にメロディが浮かんで、そのメロディを裏打ちするコードを探すんです。でも阿部先生に言わせると、私のつけていくコードは普通の感覚からいったらずれてるみたいで。たとえば先生がある歌メロに対して、伴奏を付けていると、私はよく「私の感覚とは違うな」と思う。それは先生の影響をうけた時代と私の受けたＪポップの影響の違いかな、と思いますね。
<BR><BR>
――具体的に影響を受けた音楽ってなんだったんですか？
<BR><BR>
三村
<BR>
やっぱりＪポップです。これは環境化してたからしょうがなかった。聴いていたし、YAMAHAの人［※注：三村はYAMAHAのティーンズイベントで入賞して、以後YAMAHAの関係者に曲を送っていた）に対してもＪポップを意識した曲を送らなきゃならなくて、実際にいっぱい作っていたし、あとＪポップのウタ本をみて好きな歌のコードを追って、ギターで歌ってましたね。ＵＡとかもその時弾いていた。それでニール・ヤングを聴かずともニール・ヤング的なコード進行が身に付いていたのかもしれません。
<BR><BR>
――ロック・バンドを結成したこともあるんですよね。この時はロックンロール調の曲だったんですか？
<BR><BR>
三村
<BR>
いやそれは曲作りというよりも、ライヴ馴れ、攻撃性をもってライヴをする訓練だった気がする。自分の曲も３曲くらいだったし、似非ミッシェル・ガン・エレファントみたいな曲をやってました（笑）。私はハンド・マイクで。若い女の子がハーレー・ダウィットソンに乗る歌ですよ（笑）。パンクになりきれてない、、
<BR><BR>
阿部
<BR>
「ロケンロール」だった？（笑）
<BR><BR>
三村
<BR>
そう、「ロケンロール」ですね（笑）。
<BR><BR>
――えっと、ではプロフィールによると、それからだんだんフォーク・ミュージック、三村さんが「いい歌」と思えるものに傾倒していったとあるんですが。
<BR><BR>
三村
<BR>
複合的な要因がありました。一つはデジタルなものよりも肌触りのある音楽を聴くようになった。デジタルなものじゃなければ良かった。だからブランキーも好きだったし。アコースティックとも言えないんですけど、あれも音を加工してない。そういうものの延長にフォークミュージックがあったのかな。
<BR>
あと私は協調性がなかったので、バンドも続かず一人になってしまった。それで一人で出来る音楽が弾き語りだと思ったんです。その時はアコギでＪポップ調のコードの曲を歌ってましたね。
<BR><BR>
阿部
<BR>
その頃の曲ってあるの？
<BR><BR>
三村
<BR>
それが「僕は嘘が嫌いさ」［※原曲「you」、その歌詞を直したものが「僕は嘘が嫌いさ」］なんかですよ。その当時は「you」の歌詞で歌ってました。
<BR><BR>
――その頃って歌詞をどう捉えてたんですか？　メロディを先に作ってから、歌詞を作ってたんですか？
<BR><BR>
三村
<BR>
いや、歌詞が先でしたね。でも歌詞単体では考えてなかった。こういう感じの曲にしようと歌詞を書いて、歌詞が呼び寄せる音感みたいなのからメロディを作っていったのかな。
<BR><BR>
阿部
<BR>
「僕は嘘が嫌いさ」の元の歌詞の部分を聴くと、歌メロと歌詞が同時に出てるような気がする。
<BR><BR>
三村
<BR>
そうですね。そういうものが理想でした。
<BR><BR>
阿部
<BR>
でもＪポップの影響からか、かなりコードの地盤に対して歌メロの音数が不規則になってる。それなのに歌詞が付いちゃってる。その歌が三村さんの肉体じゃないと歌えない、という所がある。あれも独特の身体的なフィルターが入ってて、他の人の歌唱を拒絶する歌なんだよね。今度のアルバム収録曲だと「百億回の愛」なんかもそうで、不規則すぎて他人には歌えない。小節の切れるべき場所で切れてなかったりする。やっぱり、そういうのはＪポップの影響を受けて、三村さんのなかに育まれた傾向だと思う。
<BR><BR>
三村
<BR>
変なミーイズムというか、自分の世界に生きてたんだと思います。
<BR><BR>
阿部
<BR>
この話はそういうとこには落ちないでしょ（笑）。ダウナーになるなって（笑）
<BR><BR><BR>
＊＊＊（３）＊＊＊
<BR>
――その頃の歌詞っていうのは何かテーマとかはありました？
<BR><BR>
三村
<BR>
それは自分の好きな音楽があって、その好きな部分のように自分も表現したかったんです。
<BR><BR>
阿部　
<BR>
自分の好きな音楽を自分もやりたかったってことだね。ただ「you」でも、三村さんの住んでるマンションの住居空間がはっきりみえる。ベランダに立って外を見下ろしてるような。自分の日常感覚を基盤にして、そこに感情を盛り込もうとしていたんだと思う。ただ、まだ技術が稚拙だから、それがうまく出来なかった。詩的な飛躍もない、ということで歌詞が終わっていたんだろうね。歌詞をカード見なければ、歌の中で歌詞がなんとなく聴けてしまうんだけど、やっぱり（歌詞の）一行の独立性が弱い。
<BR>
でも「you」は曲のつくりが違うから、後の『三毛猫』に入ったようなフォーク調の曲とも、歌詞のありようが違っている。
<BR><BR>
三村
<BR>
むしろ『三毛猫』が特殊だったんだと思います。あれは「Hello, west orange」と「雨の日」以外はライヴでやったこともないし、アルバムのために作った、歌詞も覚えていない曲だったから。
<BR><BR>
阿部
<BR>
惜しいと思う曲もあるよ、「ZAZEN BOY SONG」とか。あれなんかちょっと歌詞を直してレゲエ・アレンジにして、みんなでわいのわいの歌ったりとかしたら「決まる」んじゃないかな。こないだ聴き直したら、そういう風にちょっと直したら、成立しそうな曲がいくつかあるとは思った。ただ「Hello, west orange」は自分の見聞に基づいてて、アメリカの空間の中を彷徨ってる三村さんがいて、場所・場所で飛び出して来る固有名詞をそのまんま歌詞に組み込んでいるから、全体が肉体化されてるんだよね。「雨の日」は、僕は買わないけど。
<BR><BR>
――「Hello, west orange」はどのように作ったんですか？
<BR><BR>
三村
<BR>
あのときはルー・リードの「ワイルドサイドを歩け」みたいな曲を作りたいと思って。友部正人への意識もあった。あと、ギター一本で弾けるディラン、という狙いもあったかな。
<BR><BR>
阿部
<BR>
あれは日本語で歌われてるトーキング・ブルース調の曲では、相当良いほうだよ。
<BR><BR>
三村
<BR>
ありがとうございます（笑）。
<BR><BR>
阿部
<BR>
ただ（歌詞中で）「天気がいいのよ」とか言われると、感動する人とへこむ人、両方いると思う。僕なんかは太陽が苦手だから、「うわあ、太陽か」ってなるけど（笑）。
<BR><BR>
――それで歌詞作りを真剣に考え始めたのっていつからですか？　それはやはり阿部先生と出会ってからでしょうか。
<BR><BR>
三村
<BR>
歌詞を単独で、「文学的」にも成立させたいと考えたことは、先生と出会うまではなかったと思います。ただ自分の体の思うように行動して、その場その場に行って感じたことを何かに記すだけでしたね。
<BR><BR>
――動物的に行動していたということでしょうか（笑）。それから自分を対象化し始めたのは、どういう過程ですか？
<BR><BR>
三村
<BR>
いや「対象化」というと微妙なんです。当時でも「自分は、自分は」って過剰な対象化をしてたんじゃないかと。ただそこでは、自分を判断する軸が成立してなかった。それに自分の歌を歌うことがどのような意味を持つかということ対しても認識が甘かったと思う。それで、さっき、「動物的」って言われましたけど、私の10代までの生き方っていうのは動物的でしょうか？
<BR><BR>
阿部
<BR>
そりゃ動物的ですよ（笑）。ただしそれは東浩紀の『動物化するポストモダン』じゃないけども、90年代後半の、全体の大きな潮流だった。その時に日本の若い世代が「瞬間反応をする、皮膚感覚的なコミュニケーションでいい」というように変わっていった。それで欲望だったり、孤独の忌避が前面に出てくる。
<BR>
とうぜんＪポップでも、その傾向が歌詞の作りかたに反映されて、歌詞として自立出来ないものが多くなった。そうやって動物的に語られた歌詞でも、聴き手も動物だから、同調はできるんだよね。
<BR><BR>
三村
<BR>
でも歌詞作りでは、私は相手（聴き手）に伝わるってことは意識していましたね。フォークの人にあるように、聞き取りやすい言葉で歌うってことは、守らなきゃいけないと考えてた。ただし椎名林檎なんかは歌詞が難解でも（聴き手に）入ってくるから、すごいと思ってた。
<BR><BR>
阿部
<BR>
林檎の初期はそうだね。ただしある時期から歌詞が入らなくなってくる。一発性では弱くなってくる。だから彼女は、「ミュージック・ステイション」でのテロップ表示をすごく便利と考えているとおもう。
<BR><BR>
三村
<BR>
私も、最近まで椎名林檎は初期からだんだんシリつぼみに悪くなって行ったと考えていました。ずっと初期の方が好きだったですね。今は最近の出しているものも面白いと思えるけど。
<BR><BR>
阿部
<BR>
ポジショニングを変えたよね、椎名林檎は。
<BR>
それで話を戻すけど、今のフォークの歌詞っていうのは、聴き手の類推が利くように日常生活に隣接することを歌って、しかも大切なところを繰り返す、という堅実なやりかたをする例が多い。難しい語法や漢語を使わない、詩的にも飛ばない、とかね。
<BR><BR>
三村
<BR>
あ、そういうことで言えば、アイテムは飛びますけど、クレイジーケンバンドなんかはどう思います？
<BR><BR>
阿部　
<BR>
やっぱり彼らはある種の「商品」だよ。「タイガー＆ドラゴン」なんかはすごいいい曲なんだけども。あれは「俺の話を聞け、５分だけでもいい」っていう時の「５分だけでもいい」っていうのがいい。あそこに、ツッパっても腰砕けのユーモアになるクレイジーケンバンドの本質が出てる。でも港がどうとか歌っている時は、60年代歌謡曲が使っていた「景物」を歌枕のように連鎖させていってるだけじゃないかな。ああいう歌詞は共通記憶に訴え、しかも了解性が高くて、フォークとは別の意味で、耳で聴いても分かる。曲もかっこいいんだけど。ただし現代的なレベルで、音じゃなくて歌詞が心にガーンと当たるかというと当たらないし、聴いた人間の人生も変わらないと思う。音楽はそういう形で消費されれば良いって考え方があるとしても、本当にそれでいいのか、と。昔はジョン・レノンやディランで人生変わった人がいっぱいいたよ。
<BR><BR>
三村
<BR>
ただそれよりも前、たとえば戦前の日本だと、歌は人々にとってどういう意味があったのかなあ。それは人生を変えるためにあったんじゃなくて、生活のためにあったものなのでは？
<BR><BR>
阿部　
<BR>
いや「おれは河原の枯れすすき」（「船頭小唄」）だって、世の中の厭世観全体を覆ったでしょう。「歌は世につれ、世は歌につれ」ってことでいうと、聴き手の歌に対する親和力も強かったし、歌はたえず（世の中の）深くにまで浸透していたと思う。だから「生活」「人生」両方だね。ただ当時の日本人の音楽教育のレベルを考えてみても分かるけど、歌は音楽的に低いレベルで浸透したの。それが戦前、戦後、60年代、80年代って推移してゆくに従って、高度化して来るんだよね。ところが、歌は美空ひばりの絶頂期なんかが終わると、国民感情的なものから遊離し始める。「分衆」も成立した。その劣勢を意識しつつ一番分かりやすいことを歌おうとして、歌詞のメッセージが必然的にゼロに近づいてくるんだ。浜崎あゆみも小室哲哉もそういう流れとして一括できるだよね。「それじゃいかん」と僕なんかは思うけど。
<BR>
で、話を聞いていると、三村さんがＪポップに疲れたのと、フォークに惹かれていったのは同時期なんでしょう？　その時にはＪポップをどう捉えていたのだろうか？　例えば、GLAYを好きだった小学生のあなたと高校生のあなたではどう変わったのか、とかその辺を自己分析するところから次回を始めようか。
<BR><BR>
（収録時間35分、08年２月28日、立教大学・阿部嘉昭研究室にて）
<BR><BR><BR>
（第二回目、三村インタビュー）
<BR><BR>
＊＊＊（１）＊＊＊
<BR>
――前回の続きです。三村さんがＪポップを聴いていた小・中学生の頃と、高校生の頃とでは、どのように音楽への意識が変化したのですか？
<BR><BR>
三村
<BR>
自分に「掛け合わせる」ものとして、Ｊポップのサウンドや歌詞が違うんじゃないかと思い始めたんだと思います。自分自身の意識が変化した結果、そこに希望が持てなくなったのか、あるいはＪポップ自体が悪くなったのかは分かりませんが。
<BR><BR>
――それでＪポップからどのような音楽を聴くように変わっていったのですか？
<BR><BR>
三村
<BR>
当時も私はライヴをやっていました。その会場で、自分一人で探していたら出会わないような音楽に出会っていったのが大きかったと思います。大磯には「大磯フォーク村」があるんですよ、よく行っていたジャズ喫茶がやっていたイベントの一環なんですが。そこに出ていたおじさんが高田渡を毎回歌っていたので、それで高田渡を知ったり、そこに来ていた三輪二郎さんがランブリング・ジャック・エリオットを歌っているのを聴いて、「こんなのもあるんだ、こういう風にスカシをくらわせる音楽があるんだ」と思った。
<BR><BR>
阿部
<BR>
高田渡の歌をそうやって間接的にであれ聴いて、どこが良かったの？
<BR><BR>
三村
<BR>
「良い」って感じじゃなかったですね。「何だ、これは」と最初は思いました。単純な音楽だから「どうせ」と思って馬鹿にしていていたのに、見透かせそうで見透かせなかった。「鮪の刺身を　喰いたくなったと　人間みたいなことを女房が言った」（「鮪に鰯」）とか聴いてドキっとしたというか、自分に罪がある気が（笑）。
<BR><BR>
阿部
<BR>
あれはシチュエーションが獏さんの詩らしくド貧乏だけど、ビキニでの日本船の被爆事件が背景にある社会派の曲。そこで歌詞の山之口獏には興味が行かなかった？
<BR><BR>
三村
<BR>
行かなかったですねえ。
<BR><BR>
阿部
<BR>
『ごあいさつ』だったら「鮪と鰯」じゃなくて、同じ山之口獏の詩の「生活の柄」はどうだった？
<BR><BR>
三村
<BR>
「生活の柄」は最初わけが分からなかったですね。高校生だった当時は、一体なんなんだろうって、自分だけ取り残された気がしましたね。
<BR><BR>
阿部
<BR>
あれが日本の放浪ソングの最高峰の一つなんじゃないかな。歌うと体が「素晴らしき乞食」にもなれる。日本の季節変化にも鋭敏だし。ジャズコードにもズラせるんだ。僕の弾き語りベスト曲のひとつだよ。
<BR><BR>
三村
<BR>
そうですね。そのうち、頭では「そういうことなんだな」って分かったけど、自分の体と一致して「いいなあ」ってなったのは最近ですね。
<BR><BR>
阿部
<BR>
高田渡の放浪ソングは、三村さんの普段の生活から理解出来るものだったの？
<BR><BR>
三村
<BR>　
いや、とても理解出来ないです。でも歌っている人が出している音の電圧みたいなのがあって、それが「飛んでるな」っという気がして。しかもそれが小さい、地味な形で実現している。そこに惹かれましたね。
<BR><BR>
阿部
<BR>
高田渡の曲ってのは不思議なんだけど、みんなに歌い継がれるような構造になっているんだよね。歌う人はみんな高田渡調になるんだけど、「歌い継がれやすさ」も実は個性のひとつと言えるかもしれない。その個性がフォーク系の中で一番強いってこと。だから再評価の中心にいる。「日本の歌」が考え抜かれていると思う。
<BR><BR>
――そのフォーク村での経験で歌の興味が60～70年代の日本のフォークに向かうんですか？
<BR><BR>
三村
<BR>
高田渡は私にとってはレベルが高くて、すぐに消化していけなかったから、まずはそれを起点に、友部正人とかＵＲＣ関連のレコードを聴くようになりましたね。いや、ちょっと前から知っていたのか。家に友部正人の『にんじん』や遠藤賢司『満足できるかな』がずっと昔からあって、中三か高一で聴いて衝撃を受けた記憶があります。それ以前はＪポップしか知らなかったから、ああいう音も聴いたことがなくて、「こんな風に自分のいる部屋の片隅で歌っているような生々しい歌のあり方もあったんだな」って。中三の時からオリジナル曲を作っていたから、そういった70年代４畳半フォークを消化して自分の曲に反映させていこうってことはあったかな、と今になって思います。
<BR>
でもそういったフォークっぽい曲は私にとっては一線が敷かれていて、実際はうまく作れなかったし、歌うのも「凄みを出す」という意味合いが強かった。そういう意図から友川かずきをカバーで歌ったりもしてました。
<BR><BR>
阿部
<BR>
怖いね（笑）。高校生としては「座敷女」系だったのかも（笑）。ただ、そういうタイムラグっていうのは、デビュー前のディランと実は似てるね。ロックンロール・ブームの後にフォーク・リバイバルが来たってアメリカだけの逆説のなかにディランはいた。ロックンロールが時代の基調となっているなかで、むしろ一番新しい音楽がより出自の古いウディ・ガスリーなどのフォークソングで、そのリバイバルブームに10代のディランが飛びついた。これには、赤狩り、マッカーシー旋風によってフォークソングがそれまでラジオなんかでオンエアを忌避されていたという特殊事情がある。同じように三村さんにも大手をふるっていたＪポップよりも、存在が秘匿されていたフォークのほうが新しかったということだよね。
<BR><BR>
三村
<BR>
そうですね、ギター一本で出来る実現の仕方が新しい、こんなにずうずうしく表現出来るのかと思った。
<BR><BR>
阿部　
<BR>
それは歌い手の身体や声が前に出てる生々しさってことでしょう。女性のフォーク歌手は聴いたの？
<BR><BR>
三村
<BR>
友部さんを聴くのと同時に、女性歌手も調べて、浅川マキ、金延幸子や中山ラビを聴いてました。丁度再発盤が出始めた時で。よりポップスに近いほうでいうと、吉田美奈子は何枚か聴きました。中流家庭風なものも嫌いなわけではなかったけど、初期の荒井由実名義のものはあんまり追いかけなかったですね。それよりもまず自分の表現に即結びつくものを聴いて消化したかったので。
<BR><BR>
阿部
<BR>
アメリカの女性シンガーソングライターには二大潮流があって、うち一つは実はカナダ出身だけどジョニ・ミッチェル、もう一つはキャロル・キングもしくはローラ・ニーロ、っていう理解でいいと思う。そのキャロル・キング型っていうのが70年代の日本では荒井由美から始まって次第に席巻してゆく。吉田美奈子もその流れにあるし、それがポップ化、一発化、俗情化すれば当時の小坂明子にもなる。ビアノという楽器によって簡単に全体性がつくれてしまう欺瞞が問われない弱みがそこにはあると思う。松任谷由実はたしかにそれに抗った。
<BR>
逆に、ジョニ・ミッチェルが好きだって女性の歌い手が世界的に存在してないんだよね。それは身体性の問題があって真似が出来ないんだと思う。キャット・パワーにしても、ジョニ・ミッチェルというよりもむしろニール・ヤングのほうに似てる。でも三村さんの音楽はジョニ・ミッチェル的って言われることもあるでしょう？
<BR><BR>
三村
<BR>
そうですね。その時にフォーク形式の表現方法を自分に取り入れて、それを女として表現することに結び付けちゃったんだと思うんですよね。ジョニ・ミッチェルも聴いていたし、それで身体性で押していく路線に入ったのかも。
<BR><BR><BR>
＊＊＊（２）＊＊＊
<BR>
阿部
<BR>
三村さんは実はピアノも弾けるんだけど、さっき僕がいったような、ありがちなシンガーソングライター系列にはならなかった。それはどういうことからだと思う？
<BR><BR>
三村
<BR>
私はクラシック・ピアノを習っていたけど、その先生も元々ピアノの人じゃなくて、声楽をやってて声が潰れて声楽が出来なくなったという人で、しかも絵も描いている多面的な才能の方でした。だから私は段階的なクラシック教育を受けなかったんです。小学校の途中からＪポップが好きになったので、こういう曲を弾かせてくれって頼み、クラシックから離れて邦洋ポップスのカバーをピアノで弾き語りできるようなことを目標にしてやってました。ただコードを抑えてストロークという感じでしたけど。
<BR><BR>
阿部
<BR>
三村さんの曲はコードが難しいって言われてるけど、ピアノの時はさほどコードのことは追求していなかったの？
<BR><BR>
三村
<BR>
全然。当時は作曲をしてなかったので。高校の時のジャズ喫茶でのライヴでもピアノは使ってましたが、自作曲が少なくて、カバーが多かった。なぜコードを多く知っているかというと、ビアノ的な楽理から得た知識ではなく、Ｊポップのカバーを沢山した経験からだと思いますね。臆面もなくＪポップをカバーしてライヴをやったっていう（笑）。
<BR><BR>
阿部
<BR>
女性でB♭のコードをアコギで抑えられるってなかなかいないんだけど、それはどこで鍛錬したの？
<BR><BR>
三村
<BR>
それは「フォーク村」での賜物ですよ（笑）
<BR><BR>
阿部
<BR>
あれはなかなか出来ないんですよ、僕もロック的に中指を、人差し指と二重にセーハする押さえ方ができず、指を４本使ってしまう。だから弦の高いアコギでそれを易々こなしている三村さんを最初の飲み屋で見て、悔しかった（笑）。「ゲゲッ、指の力が俺よりあるやん」と。
<BR><BR>
三村
<BR>
高校のYAMAHA時代には代々木公園でアコギ一本ライヴをやったりもしましたからね。一応ステージだったけど。ただしお客さんはそんなに集まらなかったですね。
<BR><BR>
――その高校の時、地元の路上で弾き語りもしていたんですか？
<BR><BR>
三村
<BR>
路上が一番最初なんですよ。その時はお金投げてくれた。一回のライヴで6000円くらい儲けた時もありました。でも一回顔を覚えられるともう貰えないんです。哀れだからお恵みっていう可能性が高かったかな、みすぼらしく見えたのかもしれない（笑）。
<BR><BR>
――大学入学前にアメリカに行ったという話を聞かせてもらえますか？
<BR>
三村
<BR>
高校の時はそのソロやバンドで頭が一杯で、受験勉強もしてなくて、将来の見込みも描けなくて、どうすれば良いか分からなかった。そんな風に迷っている時、ジャズ喫茶のオッサンが濃い人物で、「アメリカ行かなきゃダメだよ、アメリカ行ってこいよ。」って、、、
<BR><BR>
阿部　
<BR>
なんでそんなオッサンのいうこと簡単に受け入れるんだ（笑）。あんたの宿命なのか？（笑）
<BR><BR>
三村
<BR>
そうそう、私も馬鹿なんで真に受けちゃったんです。オッサンのいうこと聞き易いのかもしれない（笑）。そのオッサンもカリスマティックなオッサンだと思ったし。それで単身行ったはいいけど、ネズミの糞だらけの部屋で。
<BR><BR>
阿部
<BR>
アメリカではどうしようという胸算用だったの？
<BR><BR>
三村
<BR>
とにかくライヴハウスが日本より一杯あって、そこのどこかで歌わせてくれるだろうと。でもほとんど（出演の）アプローチはかけなかった。まず21歳未満は夜のライヴハウスに入れないという規則があって、さらに私は実際より幼く見えたから。（アメリカ行きでは）英語を上達させようという気もありました。 
<BR>
ジャズ喫茶のオッサンに「このジャズ・ミュージシャンは音楽は素晴らしいけど、そんなに儲かってない。でも音楽留学して英語が出来るから、翻訳をしながら活動を続けてるんだ」って人を紹介されて、そういう生き方が自分にもありうるかなと思いました。
<BR><BR>
阿部
<BR>
それで私も、と。しかしすごく甘っちょろい考えだな（笑）。勉強もたいしてせずに、いきなり飛び込んで（笑）。
<BR><BR>
――じゃあ、高校時代から音楽で食べていくつもりだったんですね？
<BR><BR>
三村
<BR><BR>
迷ってたけどね。「迷いつつ、そのつもり」という感じ。ジャズ喫茶に飛び込んだのも自分を鍛えたいという気持ちだったし、ある程度の自覚もありました、一応ライヴは受けていたから。それは若いし、なんでもやったからだと思う。
<BR><BR>
阿部　
<BR>
恐いもの知らずだったってことね。それでアメリカで結局？
<BR><BR>
三村
<BR>
敗北しましたね（笑）。言葉の壁の問題も大きかったし、あとそこにいる日本人も独立意識が強くて、いままでの日本にいたやり方では友達がなかなか出来なかった。何ヶ月いたかはあんまり言いたくないけど、実はたった２ヶ月で帰りました。その体験が「Hello, west orange」になったから良かったとも思いますけど。ギターは向こうで200ドルで買ったエピフォンのがありましたが、部屋の場所はサンフランシスコのポーク・ストリート、ダウンタウンだったので治安が悪く、恐くて路上で歌うことも出来なかったです。
<BR><BR>
阿部　
<BR>
サンフランシスコは人間味があるの？  ロスは人工的だけど。
<BR><BR>
三村
<BR>
人間味はありますよ。ベイサイドは綺麗な観光地ですが、ダウンタウンは汚くて、色んな人種がいて「セックス、ドラック、変態」という感じ。
<BR><BR>
阿部
<BR>
サンフランシスコに憧れはあったの？　「サンフランシスコ３大バンド」とか言える？（笑）。
<BR><BR>
三村
<BR>
そこら辺は知識がなかったですね。え～と３大バンドは、モビー・グレイプ、ジェファーソン・エアプレイン、ジャニス（・ジョプリン）のバンドかな。
<BR><BR>
阿部
<BR>
モビー・グレイプじゃなくてグレイトフル・デッドだね。「太陽白痴の街」ですよ。アメリカの涯の西海岸で、あとは太陽と青い海しかないのだから、楽天的にみえても実は虚無的。それでサイケが花開いた。ザッパに代表されるロサンゼルス型知性とは大きくちがう。ゆら帝は好きだったんだよね？　ゆら帝はデッドと共通性がある。とくに一枚目は演奏概念がデッドに似てる、まだメンバーが４人だったころのことだけど。
<BR><BR>
三村
<BR>
サイケとは何かは分からなかったけど、憧れはありましたね。何かあるんじゃないかって。まあいまになって冷静に振り返ると、ただのＬＳＤですよね（笑）。ジャニスは好きでしたね。それで一時期、黒っぽい節回しで歌ってみたこともありました。でも自分では持ちこたえられない、声が違うし無理だ、と思ってやめました。阿部先生は上田正樹を、よりオーティス・レディング的に歌えるみたいですが（笑）。
<BR><BR><BR>
＊＊＊（３）＊＊＊
<BR>
――それでその高校時代にＪポップにリアリティを感じなくなったということをもっと具体的に訊きたいです。
<BR><BR>
三村
<BR>
ゆら帝やブランキーのように聴けるバンドと聴かなくなるバンドがだんだん出てきたという感じかな。ブランキーも最後の「不良の森」の入ったアルバムは持っていたけど、あまり聴かなくなった。サニーデイ・サービスはだんだん悪くなっていったと思ったし。もう少しメジャーな所でシングルでいいなと思えるＵＡや元ちとせ、宇多田ヒカルの曲はウタ本でコピーしたりしましたけど、スピッツは最初からピンと来なかった。GLAYは中学で卒業していたし、ラルクは最初から聴いてない。ジュディ・アンド・マリーは解散にかけて悪くなっていったと思った。Coccoは１stはよく聴いたけど、それ以降は壊滅的な自傷系になっていって。
<BR><BR>
阿部
<BR>
Coccoや椎名林檎の一部もそうだけど、自傷系のメッセージってだめだったのか？
<BR><BR>
三村　
<BR>
そうですね、自傷系の「印」が私はダメだった。倫理的な問題だと思います。林檎は１stで信頼したから許した。３rd以降は選んでは聴かなかったですけど。
<BR><BR>
阿部
<BR>
　「モルヒネ」とかすごいでしょう。「どうせ私は取り柄のない女ですので」って所はぞわっとする。あの自己卑下の仕方が。自傷系でも椎名林檎だけは凄みが違うよね。戸川純は聴かなかった？
<BR><BR>
三村
<BR>
聴かなかったですね。というより知らなかった。
<BR><BR>
阿部
<BR>
あなたたちの世代には80年代があんまり知られてないよね。
<BR><BR>
三村
<BR>
だから今思うと、中学の時好きだったバンドが高校の時に悪くなっていって解散したのがＪポップ離れの原因だった気がする。ジュディ・マリ、ブランキー、サニーデイが段々悪くなって、大味になっていく。
<BR><BR>
阿部
<BR>
それは僕の「74年の絶望」と似ている（笑）。
<BR><BR>
三村
<BR>
そうですね。ディラン、ニール・ヤング、ザ・バンド、ルー・リード、ジョン・レノン、リトル・フィートなど、大好きだったロックアーティストが、出すアルバム出すアルバム、そのころに調子を揃えたように作曲能力を失い、悪くなっていって、ロックへの興味を急速に失い、パンクが登場するまでは60年代ロックやザッパやジャズに走っていったっていう阿部先生の経験は、「そうなのか」と私も思いました。『精解サブカルチャー講義』のニール・ヤングの章に書かれてましたね。先生の74年というと・・
<BR><BR>
阿部
<BR>
高校生だったかな。
<BR><BR>
――それで三村さんは大学に入って音楽サークルに入ったんでしたっけ？
<BR><BR>
三村
<BR>
いや入ろうとしたけど、失敗して入れなかったんです（笑）。
<BR><BR>
阿部　
<BR>
三村さんの内気な性格とか他者に弱いこととかが出てるよね（笑）。
<BR><BR>
三村
<BR>
一応知りあいの子のサークルで遊ばせてもらった時もありましたよ。でも、そこは「ブラジル音楽」だったんです（笑）。フォーク系のサークルがあるといっても「ゆず系」なので、そこだと私とは関係ないので。
<BR><BR>
――それで大学２年の時には『三毛猫』を録るし、一緒にライヴをするミュージシャンもフォーク系の人が多かったんですか？
<BR><BR>
三村
<BR>
最初は三輪二郎さんに東京に連れて行ってもらって（笑）、そこから知り合いの輪を広げていったという感じかな。だからフォーク系というよりも中央線系のサイケ畑の人達が多かった。フォーク系をやるようになったのはモナでアルバムを出してからかな。モナは西海岸のフォークというニオイがあるから。逆に中央線、例えば無力無善寺とかで対バンする人なんかはもっとダークな世界観の人が多い。灰野敬二フォロワーとかも住んでて、そうした文化が根付いてる。楽器もエレキ、演奏もディレイ系の方が多いと思う。
<BR><BR>
阿部
<BR>
対バンする人たちの歌詞はどうだったの？
<BR><BR>
三村　
<BR>
歌詞がいいと思えるバンドはあまりいなかったかな。良いと思うバンドはむしろインストの、音が面白いと思う人たちでした。
<BR><BR>
――その中で共感出来る人っていましたか？
<BR><BR>
三村
<BR>
同世代の「おれはこんなもんじゃない」の人たちにはとくに感じました。「おれはこんなもんじゃない」の狩生さんが「日本ロックフェスティバル」っていうのも無善寺で開いて、サイケ～アングラの人を沢山集めてライヴをやって盛り上げてた。そこにはマジカルパワー・マコ、中川五郎や豊田道倫さんも出てて、そういうのも見てすごいなって。そういったサイケの人たちのほうに、自分とのジャンルの垣根のなさを感じていたというのはあったかな。
<BR> 
あ。それで二郎さんや私はフォークの形をとっていたけど、「これが私のロックだ」って勝負出来る場所が欲しかったから、自由にバンドをやっている人たちのなかでやりたかった。
<BR><BR>
阿部
<BR>
フォーク的な音でアプローチしていても、精神性をそこに置いていない、という自覚があったんだ。『三毛猫』でもアナーキーなものに対する指向っていうのは感じないでもないんだよ。出来はともかくとしても、「ZAZEN BOY SONG」とかは歌詞もそういう風にしようとしてる。
<BR><BR><BR>
＊＊＊（４）＊＊＊
<BR>
――それで阿部先生には前回出会いの経緯は聞いたのですが、三村さんのほうからの阿部先生の第一印象ってどうだったんですか？
<BR><BR>
三村
<BR>
なんだか悪辣そうな（笑）、それでいて鋭い人という印象です。サブカル全般に詳しいなとも思った。授業の前に『ユリイカ』のＪポップ特集での文章（03年６月号、『椎名林檎vsＪポップ』に再度所収）を読んでいて「なんでこんなに詳しいんだろう、こんな人がいるんだ」ってすでに思っていたんだけど、私はトロくてシラバスを読んだときにはつながっていなかった（笑）。最初の授業を受けてから名前を思い出して、やっと顔と名前が一致したんです。その原稿で「さかな」なんかを採りあげているのにはびっくりしましたね。文章だけだと、ベンヤミンを引用したりして、おじいさんっぽい人だと思っていたので、授業で外見に触れ、そこでも驚きました。そのジャズや現代音楽と繋げて太陽肛門スパパーンを論じた最初の授業も実は驚きで、、、
<BR><BR>
阿部
<BR>
（スパパーンのリーダーの）花咲（政之輔）も驚いてたよ。あれは現代音楽をバルトーク系とシェーンベルク系に分けて、その系列のうえにフリージャズのエリック・ドルフィとセシル・テイラーを載せ分けた。それでスパパーンはドビュッシー～バルトーク～ドルフィ系だって話だったよね。むろんザッパ音楽との親縁も語ったけど。ザッパも同じ系列。
<BR><BR>
三村
<BR>
花咲さんが授業の技術顧問になってギターを弾いていたのもスペクタクル的に面白かった。
<BR><BR>
阿部　
<BR>
アナログフィッシュのときだっけ、僕が「ハーメルン」はビートルズ・コードだという指摘をした。それでビートルズ・コードの話になったとき、花咲が「マイナーコードとメジャーコードを楽理を外してテンション的に入れかえるのがコツですよ」っていいながら例示として「ミッシェル」を、コード説明付きで噛み砕くように弾いたりしていた。そういえば三村さん、ビートルズはどうだったの？
<BR><BR>
三村
<BR>
GLAYのTakuroがインタビューでビートルズに影響を受けたと言っていたので（笑）、それですぐに聴いたのが、親のもっていた編集版。それだと良い曲があまりなくてピンと来なかったけど、そのあとに『ホワイト・アルバム』を聴いてすごいと思って、それで自分で曲作りたいなって思いましたね。
<BR><BR>
阿部
<BR>
コード進行の幅や発想力でいうと、いまだにポップミュージックの中ではビートルズが一番ってところもあるからね。一時期、三村さんはジョン・レノン・コードを目標に曲作りしていた時もあって、今回のアルバムには入ってないけど、「私は終らない」とかは「セクシー・サディ」のコード進行をスケール理論で広げていったものだった。あれにはびっくりした。すごい作曲能力だと思った。さっきからお互いにびっくりしあっているなあ、ヤラセみたいだ（笑）。
<BR><BR>
――話は戻りますが、それで阿部先生にＣＤを渡す時はどういう気分だったんですか？
<BR><BR>
三村
<BR>
すごい恐かったですね。この人は容赦があるタイプの人ではないし、相手が若いからってマイルドな返事がある人じゃないとも思ってましたから（笑）。私はそれまでそういう人を避けていたので、意を決して渡しました。そしたら、メールが来た。
<BR><BR>
阿部
<BR>
書いた本人が忘れてるんだけど、どういう内容だったの？（笑）
<BR><BR>
三村
<BR>
「いま酔っぱらって試写から帰ってきて、メールを開きました」から始まって（笑）、それで「一曲目はコードを拡張概念的に使っているのは良いけど、メロディに綾がない」って書いてあって、その通りだなって思いましたね。あと「女の子は20代ちょっと前に天才期間があって、それで二階堂和美はそれ以後をどう対処するかで曲を作っている」とかいうことや、それぞれの曲がどういう影響下で作られたのかという指摘もあって、それらにすべて納得して、千里眼だと驚嘆しましたね。
<BR><BR>
阿部
<BR>
全然覚えてねえや（笑）。
<BR><BR><BR>
＊＊＊（５）＊＊＊
<BR>
――阿部先生へのインタビューでは二人の共作のきっかけも阿部先生は覚えていなかったのですが（笑）、実際はどういうきっかけだったんですか？
<BR><BR>
三村
<BR>
最初の「ラララ」を先生に渡して出来たのは「自画像が消えだす」ですね。でもその前にYAMAHAの時に作っていたＪポップ形式の歌に歌詞をはめ直しくださいって渡したのかな。フォークを身につけた後は、Ｊポップ形式の歌を歌えなくなってて、ストックのあったそういう曲を直してもらった。「すべておしまい」や「Cooking Song」がそう。あれ、それよりも前に、阿部先生が先に曲を書き始めたのか。あっ、「ＡＶに捧ぐ」を私に宛てがって来たんだ（笑）。
<BR><BR>
阿部
<BR>
とんでもないやつだ（笑）。しかもあれは自著の『ＡＶ原論』の宣伝にもなっているっていう（笑）。
<BR><BR>
三村
<BR>
（笑）その一環でピストルズ『アナーキー・イン・ザ・ＵＫ』の異様な訳詞もありました。あっ、それよりも「水の方へ」という曲がさらに先ですね。阿部先生が「転調をもっとしなさい」ってアドバイスして、「例えば」って作ってきたのが「水の方へ」ですね。あれはアクロバティックに転調を繋ぐことで曲を作っていって、それでいてフォーキーな曲で。それを先生と教え子たちが見に来るってライヴの時に、「やれよ」ってもらったんです。「しあわせなおんなのこ」もそのときですね。こっちは４度転調。だから共作の前に先生が曲をくれていたんですね。
<BR><BR>
阿部
<BR>
そっか、僕がなにげに曲を作り始めて、三村さんに宛てがってたんだね（笑）。急に面白くなったのかな。芝居で劇中歌をつくって以来だ。三村さんと会う前は２～３年ギターすら弾いてなかったんだけど。
<BR><BR>
三村
<BR>
曲ではないけど、それよりも前に阿部先生の詩を即興演奏と共に朗読したのもありましたね。先生のサイトに載っている未刊詩集『壊滅的な私とは誰か』からパーツを選びました。それでフォーキーな曲作りから脱却し、曲から同定性を奪うために「転調をしろ」という指示があって、転調楽理――４度、５度転調、メジャー／マイナー転調、ドミナント転調とかをビートルズの曲を実例に示してもらうなどして学んで、自分の音楽を理論化しようとしたんです。それと、ライヴで阿部先生の作った曲、「ＡＶに捧ぐ」や「しあわせなおんなのこ」を歌ったのは、いままでの曲のイメージを壊す、ショック療法の意味合いもありました。フォークのイメージが自分についていたので、「私はもうフォークじゃない」ってアナーキーに表明したかったというか。セックス系の歌をステージで歌って、違いを表現したかったんです。
<BR><BR>
阿部
<BR>
そういう歌を歌い始めて、それまで三村さんの周りにいた人はびっくりしたでしょう。あの時は、三村さん変わったって、みんな言ってたんだよね。「エロ親父の影響受けて、アタマが炭酸になった」って（笑）。
<BR><BR>
三村
<BR>
自分でウケないでください（笑）。でも「どう間違ってこうなったのか」とみんな思っていたと思う。私も歌い切っていなかったから、とりわけ違和感がつよかったと思います。
<BR><BR>
阿部
<BR>
そういう経緯だったんだよな、たしかに。それに前のインタビューでも言ったけど、僕の作る曲は声域が合わなくて三村さんは歌えなかった。そういうことがあったから「岸辺のうた」は最初に歌詞を作って、曲を付けるように言ったんだけど、三村さんが作ってきた曲がさとう宗幸の「青葉城恋唄」みたいな曲だった（笑）。
<BR><BR>
三村
<BR>
いえ中島みゆきのポップな曲というつもりでしたけど。でも先生はイージー・メイドだって、自分で曲を作ってしまって、それで先生のが良いってなったんです。あれはザ・バンドを意識したコード進行と転調で。最初はキーが高すぎて歌えなかった、阿部先生の作る曲は自分が歌えるからかキーがいつも高くて、下手したらＧから始まるくらいだから（笑）。
<BR>
その頃は阿部先生にレコードを借りて、80年代ユーロ・ニューウェイブとか自分の聴いたことがないジャンルの音楽に触れて刺激を受けたのも大きかった。自分で自分に対して決めていた決まり事がそれで解けたんだと思う。ああこういう風にも曲作っていいんだって。それで「ラララ」の曲を渡し始めたんですよ。
<BR><BR>
阿部
<BR>
最初の「自画像が消えだす」にしても、それまでそういうコード進行の曲を作れると思ってなかったから、びっくりしたもんね。あれはヘンリー・カウとスラップ・ハッピーの「ストレイド」と同じコード進行が瞬間的にある。それからはもっと大胆になって、ロック・ビートを刻みながら「ラララ」を歌い始めて、そうすると歌メロの飛びがさらに大きくなってった。
<BR><BR>
三村
<BR>
そうなんですよ。歌詞を付けなくていいっていうアドバンテージがあると、こんなに自由に作れるんだって思いましたね。
<BR><BR>
阿部　
<BR>
僕自身も、そうやってメロディが飛んだり、リズムが激しかったり、音数が不規則だったりすると喜んだんだよね。歌詞をはめこむときの難度が高まる。挑戦意識が湧いてくるんだ。結果的に無理無理の音数とリズムによって歌詞世界が壊れるっていう所を楽しんだ。それは僕自身が変態だからかもしれない（笑）。
<BR><BR>
三村
<BR>
このころ同時に、前に阿部先生が言ったように、詩集を読み始めようと、とりあえず現代詩文庫の詩集を集めて一通り読ましたね。堀川正美や鷲巣繁男がきれいだなって思いました。稲川方人や吉岡実は難しくて分からなかったですね。
<BR><BR><BR>
＊＊＊（６）＊＊＊
<BR>
――それでエイプリルフールの元メンバーで、キーボードの柳田ヒロさん（数々のジャズロックのソロやコラボアルバムもある）と組んでいた時もあったんですよね？
<BR><BR>
三村
<BR>
渡辺勝さんたちと演ったライヴにヒロさんがお客さんとして来ていらっしゃっていて、そのときに話して、一緒にやろうってことになったんです。阿部先生も『七人の老人天国』とかをフォローしていて、ヒロさんの音楽性の高さを理解し、賛成してくれた。ヒロさんとの最初のライヴのときに阿部先生も来て、ライヴ後の飲み屋さんで、ヒロさんに先生がプロデュースをすぐ依頼してしまった（笑）。
<BR>
ヒロさんはコード進行が面白い曲を評価してくれましたね。弾き語りで完成度があるかというのではなくて、曲を大きな視点から見てた。バランスがいい人でした。キーを無理矢理あわせようとしないで歌メロを変えること、ピッチをまず大切にすること、プロとしての心構えとか基本的なことを次々に丁寧に教えてもらいました。すごく感謝してるんです。紳士ですし。
<BR><BR>
阿部
<BR>
でもヒロさんと組むのには実は難しい問題があった。やがて判明していったことなんだけど。三村さんの曲は不定形な感じがした方が面白いっていうのが基本的にある。ところがヒロさんはピアノだから演奏が構築的になってしまう。ヒロさんはタッチが抜群で、うまいから音数を少なくしてくれ、ってことも言えないし。それと三村さんの個々の曲にどのルーツ演奏が適用できるかってことをまずヒロさんは考える。ある意味で徹底的な実践派だった。
<BR><BR>
三村
<BR>
だから船戸さんのようなタイプのミュージシャンが私にはちょうど良かった。音は女性的にふんわりしているけど、音楽的知識の引き出しも多くて、プロディースの力量もある。
<BR>
阿部　
<BR>
ヒロさんとの違いで大きいのは、ヒロさんはロック出身だからバンド音的な指向があって、全体を「固める」。でも船戸さんはジャズだから個々の楽器演奏が粒だっていて、その限りであとは自由に戯れればいいというように、不定形さを許すんだよね。ただしもし、ヒロさんのプロディースでアルバムを作っていたら、カチッとしたサウンドのポップ・アルバムになってたかもしれない。ヒロさんはクリックを打って、ギターも誰か名手を調達して、ダビングを重ねようって方向だった。何しろ耳が精確だから、相当ポップな実現域にアルバム全体をもっていったとは思う。ただしそれだと、三村さん自身が窒息しちゃう危険も伴っていただろうけど。
<BR><BR>
――船戸さんとの出会いはどのようなものだったんですか？
<BR><BR>
三村
<BR>
大学３年の時に円盤でoff noteのイベントがあって、そこでそのoff noteのミュージシャンたちと共演をさせてもらい、そこのマスターに次の年（06年）の年末のツアーに誘ってもらって、そのツアーで出会ったんです。そのツアーの前には荻窪でもoff noteのミュージシャンと共演させてもらったこともありました。その時はバックはフリー・ジャズで、イメージとしてはアート・アンサンブル・オブ・シカゴとブリジット・フォンテーヌというような（名コラボレートアルバム『ラジオのように』を指す）。
<BR>
このライヴ共演が基盤になって、次のツアーではoff noteの数人のミュージシャンと現地のミュージシャンとで演奏するという方向でライヴをやった。それで関西や名古屋に私自身、遠征していったんです。このとき船戸さんは、京都での当日に楽譜を渡して、演奏に入ってもらったんです。
<BR><BR>
阿部
<BR>
off noteのミュージシャンたちは、例えば歌姫をポーンと中心において、それを周囲で自由に支えていくという集団性音楽の精神なんだよね。祝祭性もある。ライヴでは、楽器もジャズ的にズレてく、例えばベースレスで、代わりをチューバがブワブワ吹くとかさ。それも面白かったんだけど、そのように三村さんの音楽を作ると、聴き手が限定されてしまうという意識が僕にはあって、船戸さんと一緒にやったライヴの音源も当初、真剣に聴いてなかった。
<BR>
でも三村さんのアルバム制作が難航していた時に、プロデュースを船戸さんにお願いする案を三村さんが出して、その参考にそのライヴ音源をもらって、これはすごいと思った。当日初めて知った曲なのに、音が読めて演奏にもソリッドな感覚がある。ただ祝祭的に広がるんじゃなしに、曲を解析してそこに切り込んでいく感じもあった。それでこの人とやればいいって話になったんですよ。
<BR>
その前、アルバム制作が難航していた時に、デモ・テープを作ろうってことで、僕がデモの録音に立ち会って、歌い方とかをもう一度考え直すということもしていた。あれがデカかったよね。
<BR><BR>
三村
<BR>
そうですね。改めて歌い方と演奏を先生に指導してもらいましたね。そこで私はそれまでのフォーク唱法を改めなくちゃいけない、それで楽曲を歌うんだって所に来てた。だから発声練習をしたり走ったりして体を変えようってなっていましたね。それで今度は失敗しちゃいけない、私は言葉の説明が下手だから、絶対にデモで船戸さんの気持ちを掴まなきゃいけないって思ってました。
<BR><BR>
阿部
<BR>
あのデモ音源制作で、たとえば「岸辺のうた」の新しいアルペジオ奏法が確定したりした。その前に一緒に作ろうとした人の時も、やはりヒロさんと同じ手堅いアプローチだった。つまり、クリックでリズムを刻んで仮ギターを録って、ピッチを定めたあとにダビングで伴奏を重ねていくということをしていたんだけど、不器用な三村さんにはそれが結局出来なかった。それでその録音が失敗したので、ギターも歌も一緒に録るということは考えてたよね。この前言ったことだけども、三村さんはギターと一緒に歌わないと自己再帰が出来ない。気合いを入れて歌うとギターがうまくなって、ギターがうまくなると歌がうまくなってという再帰性の中でしか出来ないんだよね。
<BR>
船戸さんは最初会った時から、そういう一発録りのやり方もあるって言ってくれていた。まあそのやり方は直し（切り貼り）が利かないから危険ではあるんだけど。
<BR><BR><BR>
＊＊＊（７）＊＊＊
<BR>
＊＊＊「深夜の猫」＊＊＊
<BR>
――じゃあアルバムの話に入りましょう。一曲目の「深夜の猫」はどうやって作ったんですか？
<BR><BR>
三村
<BR>
これは七尾旅人さんを意識しましたね（笑）。それで自分で歌詞を作ってみた。相変わらず「不思議ちゃんの歌詞」って先生に言われましたけど。それでも所々歌詞が埋まっていない箇所があって、そこは阿部先生が、曲がイギリスっぽいからレノンの「マザー・グース」のように「heaven」と「seven」で韻を踏んだらってアイデアを出してきて。「ああイギリスの猫か」って曲になりましたね。
<BR><BR>
――これは歌詞はひと繋がりに出てきたんですか？
<BR><BR>
三村
<BR>
「にゃー」が出てきて、「ああ全体像が見えた」って感じでしたね。最初は英語で曲から見えてきた風景を書いていったのだけど、「にゃー」が出てきて、そこから猫をコンセプトに言葉を揃えていったんです。体裁を整えるために韻を踏んでいったり。この「塀（hey）」という書き方も旅人さんの影響です。
<BR><BR>
阿部　
<BR>
「Seven Curse」っていうのが映画であって、その『七つの呪い』が起こらない（「will not do」）っていう。これはコードが不思議で、上の音に対してベース音が微妙にズレたりするでしょう。
<BR><BR>
三村
<BR>
これは旅人さんのライヴを観た後に作ったので、指使いを適当に真似て作ったんですよ。これは分散コードだから、理論的に説明は出来ない。
<BR><BR>
阿部
<BR>
船戸さんはよくこれにバックを付けたよね。船戸さんは「ふちがみとふなと」だとシンプルなコードを弾いているから、たまに変なコードで暴れたいっていうのもあるかもしれない。この曲で船戸さんがピチカートで弾いた音はデタラメのようで、実は合ってる。音の構成音を使って弾いているんだよね。天才的だった。
<BR><BR>
三村
<BR>
それと歌詞の「にゃー」音をベースでユニゾンしてほしいって頼んだら、ああいう風に面白いペースの「弾き換え」にもなったんですよね。
<BR><BR>
阿部　
<BR>
船戸さんは弓の持ち替えが神業のように速い。ブルースマンがハープをとって歌うくらい速いよね。
<BR><BR>
――これを録音したときは、三村さんとの一発録りだったんですか？
<BR><BR>
三村
<BR>
そう、「せいの」で。すごい楽しかったですよ。
<BR><BR>
阿部
<BR>
船戸さんもどちらかというと一発録りの方が気合が乗る人なんだよね。
<BR><BR><BR>
＊＊＊「CRAZY TUNE」＊＊＊
<BR>
三村　
<BR>
これは柳田ヒロさんと組んでいた時に、ヒロさんが「ポップな曲を作るには良いコンビだね」って先生と私のことを評してくれて、その時に気を良くした阿部先生が作ってきたんです。ヒロさんがとても感心した曲ですね。私のチューニングがいつも狂っているってヒロさんに叱られていた矢先に、この曲が提出されて、ヒロさんがすごい笑ったっていう（笑）。
<BR><BR>
阿部
<BR>
そんなことあったっけ（笑）。またこれが本気で作ったのか、適当に作ったのか、全然分からないみたいな歌詞で。安直に見えるんだけど。これは小池（昌代）さんも褒めてくれたよね、「サン」の字が全部違っててびっくりしたって。
<BR><BR>
三村
<BR>
ニ胡の吉田（悠樹）君も気に入ってた。これは先生がギターをいじくってたら出て来たんでしょう？
<BR><BR>
阿部　
<BR>
ウン、ふにゃふにゃ歌いながらギターでつくった。しかも音数が四音連鎖にしかならず、擬態語を連打せざるを得なかった。内情は実は苦しかったという曲（笑）。曲をつくっている最中に、女房がそれとなく聴いていて、あとで女房が散歩のとき鼻歌で歌ってた（笑）。それでこれはポップな曲だ、歌詞を完成しなければ、って気合が入ったんだよね。一部、ストーンズというか初期マリアンヌ・フェイスフルのパクリも入ってる。「As tears go by」ね。
<BR><BR><BR>
＊＊＊「母親を取り返しに」＊＊＊
<BR>
三村
<BR>
この曲は07年の初めに曲を作っていた時に、もっと違う曲は出来ないかと考えて作った曲。阿部先生にニール・ヤングの「オールド・マン」みたいな曲を作ってほしいってリクエスト貰っていて、最初はう～んって感じだったけど、あっアイリッシュだ、と気付いて作ったんです。
<BR><BR>
阿部
<BR>
ニール・ヤング・コードは日本では使われていない。遠藤賢司さえそうだ。「ラララ」が出来上がって、これもコードに驚いた。ニール・ヤング・コードを超えている。僕はこういうコードの型があるって知らなかった。
<BR><BR>
三村
<BR>
それがアイリッシュ・コードで、ニール・ヤングの「オールド・マン」はそれを不完全に使用していたんだと思います。
<BR><BR>
――この歌詞の内容はどういうものなんですか？
<BR><BR>
三村
<BR>
たぶん、私が「母のない子のように」なっていたから、先生が母親を取り返させようとしたんだと思う（笑）。
<BR><BR>
阿部
<BR>
寺山修司かって（笑）。ニール・ヤングの「アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ」中の「マザー・ネイチャー」っていうのが発想に入ってる。それとはっきりさせてないけど、ネイティブ・アメリカンの娘っていうイメージも使ったね。
<BR><BR>
三村
<BR>
そうそう。アイリッシュの移民がアメリカの田舎でアメリカ先住民と歌ってる感じかな。
<BR><BR>
阿部
<BR>
西部劇だな（笑）。ともあれ、どうとでも解釈出来る寓意型の歌詞。で、フェミニズムが全体をつないでいる。
<BR><BR><BR>
＊＊＊（８）＊＊＊
<BR>
＊＊＊「月が赤く満ちる時」＊＊＊
<BR>
三村
<BR>
これは前からあった曲で、あとから歌詞を変えたんです。最初は太陽讃歌だったのが逆になって月光讃歌になった。これはトリン・T・ミンハのフェミニズム思想書のタイトルをそのまま貰ったんですよね。
<BR><BR>
阿部
<BR>
当然、月は太陽に照らされてのみ可視的になるのだから、二義的存在。だから神話時代から月が女性性を引き受けてきた。それゆえに、平塚らいてうの「元始、女性は太陽であった」の逆説もある。ところが月の光は太陽光に較べて柔らかい。夢想に人を誘う神秘性もあって、月なくしては人間の思念に循環も起こらない。一方で「月光は水を悪くする」など、月の魔性をバシュラールのように指摘する例もある。月光が狂気の要因だとは、ラフォルグの詩などにもあるし。当時、三村さんはフェミニズムによって自分の音楽を理論構築する必要もあるかな、と思って、僕がミンハの『月が赤く満ちる時』を三村さんに貸したんだよね。それでこの曲ができた。
<BR><BR>
――１番・２番のあとの「恋に刺され、笑う」とか、いい歌詞ですよね。
<BR><BR><BR>
＊＊＊「孤りの炎」＊＊＊
<BR>
三村
<BR>
「孤りの炎」は関西でのライヴの前に自信がなくて、それで気合を入れる意味で、いままでと違う奏法の曲を作ったんです。
<BR><BR>
阿部
<BR>
船戸さんも「あれが一緒にやった時にすごい印象に残った」って言ってたよね。
<BR><BR>
三村
<BR>
あれは「レント」っていう古典派の曲を貼ったからね。パクリですね（笑）。でも古典のパブリック・ドメインの曲だから。それで私が最初に作った歌詞を先生が直した。歌詞発想についてはこないだ先生が充分に解説されています。
<BR><BR><BR>
＊＊＊（８）＊＊＊
<BR>
＊＊＊「しあわせなおんなのこ」＊＊＊
<BR>
三村　
<BR>
これは初期に出来た曲ですね。阿部先生が教え子に送ったメールが歌詞になったようです。よく見ると罰当たりな歌詞ですよね（笑）。曲は転調の見本として作ったよう。
<BR><BR>
阿部　
<BR>
テニスコーツのパクリのつもりなんだけど、全然似てない（笑）。ただ歌い方をウィスパーにすることは最初から決めてた。ライヴではエコーをかけて歌おうと。みんな綺麗な曲っていうんだけど、歌詞の内容を考えてないよね（笑）。
<BR><BR>
三村　
<BR>
先生の作る曲は曲調が優しいですよね。船戸さんも褒めてた。
<BR><BR><BR>
＊＊＊（９）＊＊＊
<BR>
＊＊＊「もうじきあんたは１人で立てるはずだ」＊＊＊
<BR>
三村　
<BR>
これは柳田ヒロさんと組んでポップな曲を作ろうとしていた時に出来た曲。またフォーキーな曲を作ってみるのも良いかなと思って作ったんです。でもフォークになりすぎていると思って、途中で転調を入れた。この転調はブランキーの「15才」の展開の感じをイメージして作りましたね。
<BR><BR>
阿部　
<BR>
歌詞に混乱があってそれが僕は最初ダメかなと思ったんだけど、下北沢のleteでライヴした時に杉本真維子も来てて、この曲がすごい良かったって言っていたから、「ああそうやってライヴでは響くのか」と思って、この混乱もこれで良いなと考えるようになった。
<BR><BR>
――こういうトーキング・ブルース調の曲って「Hello, west orange」以来ですよね。
<BR><BR>
三村　
<BR>
そう。でもまあこれは韻も踏んでないし、ただ混乱を吐き出しているだけなんで。コードは「ミスター・ボージャングル」［※ジェリー・ジェフ・ウォーカーというホーボー歌手のヒット曲＝ニッティ・グリティ・ダート・バンドのカヴァーで流行った＝デヴィッド・ブログバーグのカヴァーが最高］と同じようなんだけど、転調部分では工夫したと思う。自分がいままでやってきたフォークっていうのをまだ消化出来てないけど、アリバイ的に出していかないと、という気持ちもあったかな。
<BR><BR>
――こういう曲を聴くと僕はよく思うんだけど、三村さんは朗読も巧いじゃない？　そういう言葉を発することが巧いっていうのは何でなんだろうか。
<BR><BR>
三村　
<BR>
私は小学校の頃から巧かったんですよ（笑）。授業で模範として読まされて、それをテープに録られたりしてた（笑）。
<BR><BR>
阿部　
<BR>
確かに巧い。ライヴで僕の詩を読んでいるのを聴いても、これは相当なものだと思うよね。
<BR><BR>
三村　
<BR>
いま思えば、それが私の自己再帰性の原点というか、そうやって声を出すことで自己形成してたってことじゃないかな。
<BR><BR>
阿部　
<BR>
象徴的なことだよね。朗読をすることで自己形成を覚えたとしたら、結果的にそれが三村さんの人生を規定したってことになる。この曲はアルバムの中でも良いテイクを残したよね。
<BR><BR>
――そうですね。アルバム中でも一つの山場になっていると思います。
<BR><BR><BR>
＊＊＊「自殺のシャンソン」＊＊＊
<BR>
三村　
<BR>
そうだ、これが二人の曲交換の最初でした。「これ昔作った曲だから歌ってみ」って先生が下さったんです。劇中歌の候補だったらしい。どんなヒロインの歌唱を想定してたんでしょうか。実はもともとこの曲は中森明菜に歌ってほしかったみたいですけど（笑）。
<BR><BR>
阿部
<BR>
「少女Ａ」「セカンドラブ」の次はこの曲だ、って勝手に決めてた（笑）。あの当時の明菜は凄かったの。大ファンだった。
<BR><BR>
三村
<BR>
この曲を演奏し始めたのは、ライヴでのパフォーマンス的な仕掛け、はったり的な意味合いもありましたね。
<BR><BR>
阿部　
<BR>
ただ最初、三村さんはこれを友川かずき調に「自殺なのよ」の部分でギターをかき鳴らして歌ってて、曲を歌いきれてなかった。それでシャンソン唱法を身につけろってシャンソンのＣＤを貸したりしたんだけど、結局出来なくてさ（笑）。ワンラインごとに演劇的感情を加え、溜息とか強がりとかを示しつつ、総体を物語化してゆくっていう唱法だね。語尾の問題かもしれない。僕なら歌えるんだけど（笑）。そういう芝居的発声が出来ないなら、いっそフラットに歌ってしまえっていうように路線を変えて、その路線でアルバムも録音した。
<BR>
びっくりしたのは、船戸さんがこの曲はベース・ソロでやりたいってアイデアを出してきたこと。そう言った限りはこれをどういう演奏や音形にするかがちゃんと船戸さんの頭に入ってた。ドキドキしたのはこれも（三村さんと船戸さんの）一発録りなんだよ。でもむしろ一発録りじゃなく、先にベースを録音して三村さんが歌うというようなことだと三村さんが歌えなかった。三村さんがこう歌うだろうってことを予想して伴奏をしたんだよね。僕はアルバム中でこの曲が船戸さんのベストテイクだと思う。とんでもないベース弾いてる。とりわけベースのボディがゴーン、と共鳴するところとか、二音弾きのところが好き。最大のサックスプレイのように鬼気迫っているんだけど、４ビートの切り方などは実は幾何学美だね。
<BR><BR><BR>
＊＊＊「有為転変ブルース」＊＊＊
<BR>
三村　
<BR>
これはさっきの「女子高生ブルース」と同時に出来た曲ですね。
<BR><BR>
阿部　
<BR>
このことは声を大にして言いたいんだけど、僕は録音の時に怒った。最後の「安穏を得（う）る」は「売る、売る、売る、得る」で「うる」の韻を踏んだつもりだったのに、「える」って歌ったっていう（笑）。「歌い直せ」って言ったのに、三村さんは「時間的余裕が、、」とか言って突っぱねた（笑）。船戸さんも「これは二人の問題だから」って相手にしてくれなくて、結局「馬鹿やろう、ちくしょう」って僕が許したの（笑）。まあ曲の狙いとしては高田渡の「靴にありついてほっとしたかと思うと　ズボンがボロになってる」っていう有為転変を歌った「年齢・歯車」へのアンサー・ソングかな。
<BR><BR><BR>
＊＊＊（１０）＊＊＊
<BR>
＊＊＊「ジプシーのとき」＊＊＊
<BR>
三村　
<BR>
これは古くからやってる曲ですね。エミール・クストリッツァ監督の同名映画を観て作りました。
<BR><BR>
阿部　
<BR>
コード進行がすごい好きだね。ＡメロとＢメロの間で微妙に転調してて、不安定なんだけども、ジプシー音楽的なものもある。曲からは情景が見える。
<BR><BR>
三村　
<BR>
フォーク的なものからどうやってずれるかを意識しました。歌詞中の「小人」っていうテーマがベンヤミンに論じられているとかは知らなかったのですが。
<BR><BR>
阿部　
<BR>
ベンヤミンの小人はベンヤミンの「不器用」を見つめる象徴存在で、カフカの鴉の転位かもしれない。事あるごとに出てきて、象徴的な使い方をされる。自動機械に入った小人、というイメージもそこに関わるから。小人自体はヨーロッパの芸術表現には多いんだよ。ベルイマンやフェリーニの映画にも小人が出てくることが多い。小人の存在が人間の全体を祝祭的にするということ。色んな類型のあるほうが世界像も豊かになるってことだ。神の造型の幅が大きく認められているんだよね。だから小人に対しては身体的な意味での蔑視や差別っていう視点がない。日本はおかしいんだよ。アメリカではいまでも小人（ミゼット）プロレスをやってて、それをみんな面白いから笑ってみてる。日本にもミゼット・プロレスってあったんだけど、テレビでオンエア出来なくなったから、どんどん活動が縮小していった。僕が小学校の頃はやってたよ、小人プロレス。みんなそれに鷹揚だった。そういうことでいうと、この「ジプシー」っていうのも、エスキモーがイヌイットに変わったように、いまでは差別用語ってことになって、それを「ロマ人」って言い換えてるんだけど。
<BR>
差別語っていうのは意識の問題でしょう。だから「言い換え」もやがて差別的になってしまう。「眼の不自由なひと」という言葉がどれほど官僚的に不恰好かも考えられていない。
<BR><BR><BR>
＊＊＊「平行四辺形」＊＊＊
<BR>
三村　
<BR>
これも昔にアシッド・フォークを聴いていた頃の曲で、それらのような、「淡いんだけど翳っている」というような世界観をギターで出すことを目指しました。これはコードが理論的に難しいって言われるんだけど、作り方としては『三毛猫』の一曲目（「春の庭」）と同じで、拡張的に指でコードを創作してる。
<BR><BR>
阿部　
<BR>
開放音も入るから、指ではフレットを上下しているだけでも譜面化するとすごい複雑になる。
<BR><BR>
三村　
<BR>
まあギターならではですよ。しかも一音一音に意味を持たせてしまっているから余計難しくなっているのかもしれない。普通ギターはそうやって曲を作らないから。
<BR><BR>
――この曲はアルバム中一番演奏者の多い曲ですが、録音前にアレンジのイメージってあったんですか？
<BR><BR>
三村　
<BR>
それは船戸さんの指示ですね。というかアルバムのアレンジの最終判断は全部船戸さんが下したんです。船戸さんはこの曲はギターが難しいから、ダビングでやろうって言って、この曲だけダビングで作っていきました。船戸さんは作業効率やアルバム中のバランスも考えて、録音の仕方や演奏楽器を判断したんだと思う。
<BR><BR>
阿部　
<BR>
そうだよね。だから逆に「ジプシーのとき」なんかはサビの部分でみんなが演奏するかと思ったら、三村さんのギターをただ三回重ねて作った。
<BR>
僕の改作した歌詞は、三村さんの元歌詞の延長路線だけど、曲に合わせた夢幻調と透明な切なさを出そうとはしました。《ゴルゴダの丘／人のしずく》なんて、イエス・キリストの磔刑とマンドラゴラの伝説［※ギロチンによる斬首の瞬間、受刑者が射精し、精液が飛び散ったあとから、毒草マンドラゴラが生えるという伝説］のアブナいパッチーワークなんだけど、誰も指摘してくれないね（笑）。
<BR><BR><BR>
＊＊＊「ダラスについて」＊＊＊
<BR>
三村　
<BR>
これは07年の初めにまとめて出来た曲のうちの一つ。色んなバリエーションを考えていた時に、阿部先生がキンクス・コードの曲はどうかって作り始めたんです。
<BR><BR>
阿部
<BR>　
キンクスの『プリザベーション第一幕』に入ってる「クリケット」だよね。でも「物蔭に男！」の所まで作ったあと、展開が分からないって放り出しちゃった（笑）。それで三村さんが完成まで持ってったんだよね。
<BR><BR>
三村
<BR>　
それで私はあんまりキンクスを聴いてなかったから、ポール・マッカートニーの「マクスウェルズ・シルバー・ハンマー」をイメージして作りましたね。
<BR><BR>
――ああ、確かにあの曲の感じがありますね。歌詞のことはこのあいだ阿部先生に聞いたからよいとして、この録音では二人でギターを弾いているんですよね。そのことを聞かせてもらえますか？
<BR><BR>
三村　
<BR>
そんなに大した話じゃないですけど（笑）。これは船戸さんがアレンジに困ってて、最初は私がラグタイムっぽいギターを重ねるってことだったんです。その演奏の指導を阿部先生にしてもらったんだけど、録音当日に弾いてみても阿部先生には「まったくダメだ」ってダメ出しを受けてしまった。そしたら船戸さんが「阿部さんも弾いてみて下さいよ」ってことで先生が弾いたら、先生、めちゃくちゃ緊張して（笑）。
<BR><BR>
阿部　
<BR>
俺、音楽の本番ってアガるんだよね。講義やトークショーとはちがう。以前、三村さんの演奏をギターサポートした江古田でのライヴもそうだった。もうピックを持つ指が汗で滑りそうで（笑）。このときは「もう一回弾かせてくれ」ってお願いしてまた弾いたんだけど、まだたどたどしかった（笑）。演奏指導したときとは全然ちがう。そしたら船戸さんは僕と三村さんのギターの音量を同じにしちゃった。そうすると酔っぱらったラグタイム・ギグみたいだってことで意外と良くなった。それでオモチャも入れちゃえってなったんだよね。僕は右のギターです。謙遜したけど（笑）三村さんよりもフレーズは歌いながらつながってアドリブ線形もはっきりしているし、部分的にはラグタイム以上のジャズアプローチも入ってます。右のギターのほうが絶対に巧い。聴くべし、です（笑）。ただ音が一瞬外れる箇所があって、ピッキングミスも若干ある。
<BR><BR><BR>
＊＊＊（１１）＊＊＊
<BR>
＊＊＊「別の肉になるまで」＊＊＊
<BR>
三村　
<BR>
これは『三毛猫』の頃からある曲ですね。この成立過程は前の阿部先生のインタビューでいったから良いか。
<BR><BR><BR>
＊＊＊「岸辺のうた」＊＊＊
<BR>
三村　
<BR>
これも話に出ましたね。転調を考えて気合い入れて阿部先生が作った。
<BR><BR><BR>
＊＊＊「昔みたいに」＊＊＊
<BR>
三村　
<BR>
これも出来たのは07年の初頭。Ａメロは優しい感じなんだけど、サビはロックというか。アルバムは最初、14か15曲の予定のはずだったんだけど、船戸さんが「まだ曲ない？」って言って、急遽デモに録音したんです。それがこの曲と「CRAZY TUNE」と「月が赤く満ちる時」。それらをアルバムに足したんです。船戸さんが暴れられる、リズミックな曲が入っていた方が良いっていうみんなの判断だった。
<BR><BR>
阿部
<BR>　
これは急遽録音が決定した曲だからキーが低く直されなかった。それに三村さんが録音直前にポリープになりかかったとか当日の状態も加わり、不思議な作用が起こってる。声がメタリックになってるんだよね。
<BR><BR>
三村　
<BR>
そう、薬で抑えていたからメタリックになったんですよ（笑）。
<BR><BR>
阿部　
<BR>
そこに変な色気があって、すごい良いテイクになってる。とりわけ声が高音に移る瞬間、翻るところがゾクゾクするほどエロい。曲のラスト、機関車が停止するみたいに次第にゆっくり「ズチャ・チャ・・チャ・・・チャ」と終わるのは、最初曲ができたときからの僕のアイデア。そのエンディングが二人の演奏に踏襲されている。デモ音源がそうだったんだよね。実際その終わるタイミングは一発録りの中で二人の呼吸で決めてるんだけど、すごいいい感じで行った。３テイクあったうち、一番短いテイクだったんだけど。
<BR>
これも杉本真維子が褒めてた。「今でもまだ　見つからない　昔みたいな座り方が。」って所がすごい良い歌詞だって。女の子の琴線に触れたんだと思う。なんでそういう歌詞が書けるかというと、女の子の座り方を僕が昔から割と注意して見てたからだ（笑）。
<BR><BR>
三村　
<BR>
そうなんですか（笑）。
<BR><BR>
阿部　
<BR>
例えば自転車に乗る時にパンツをじかにサドルに当ててるか、スカートを挟んで乗ってるかっていうことに注意してたね（笑）。それと膝から下が腿の横に来て、お尻を地面に完全にペタッと付けて座る、「おばあちゃん座り」ができる子も好きだったし、単なる「女子の体育座り」も好きだった（笑）。「座りフェチ」だったのよ。
<BR><BR>
三村　
<BR>
これは歌うのが難しかったですよ。「百億回の愛」とかの方が歌いやすい。
<BR><BR>
――でも「百億回の愛」は歌えないけどね。
<BR><BR>
阿部　
<BR>
そう、あれは歌えないんだよ。一見気づきにくいけど、途轍もなく不規則な言葉の配置で、実はすごく三村個人の身体性の強い作曲なんだ。
<BR><BR><BR>
＊＊＊「百億回の愛」＊＊＊
<BR>
阿部　
<BR>
これは宮川泰作曲、園まりの「逢いたくて逢いたくて」とかにコード進行が似てる。細野さんと清志郎と坂本冬美のユニット、ＨＩＳがラグタイムっぽくカヴァーしてたこともある。このアルバムのなかでは、一番「レトロ」「昭和歌謡」の色彩の濃い曲。歌詞は壮大だけど。
<BR><BR>
三村　
<BR>
先生は宮川風っていうけど、私はどの曲が宮川作曲って言えないくらいだからなあ。でもどこかで聴いたのが耳に残ってたのかもしれない。ジャズ・コードで作りたいなと思って、適当にデミニッシュとかフラット・ナインスとかを入れてフレットをいじってたら出来たという感じかな。
<BR><BR>
阿部　
<BR>
いい曲だよね、これは。最初からアルバムの最後に入るかなと思っていたし、テイクを聴いてもそう思った。
<BR><BR>
三村　
<BR>
最初から歌えていた曲ですね。歌詞にすっと入っていけたというか。
<BR><BR>
――三村さんの体の中で無理なく出来ているって曲だと思う。でもさっき話に出たように三村さん以外の人はこれを歌えない。三村さんが自分で思っている普遍と他の人の思ってる普遍がずれてる。それが三村さんの個性だと思う。
<BR><BR>
阿部
<BR>
カヴァーの申し込みのありそうな曲なんですけどね。
<BR><BR><BR>
（収録時間１０５分、０８年３月４日、立教大学・阿部嘉昭研究室にて）
<BR>

]]>
        
    </content>
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    <title>箴言集121-140</title>
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    <published>2008-04-29T20:58:06Z</published>
    <updated>2008-04-29T20:59:40Z</updated>
    
    <summary> 【121】 死刑判決を受けて それに甘んじるどころか もっと積極的に 「死にた...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://abecasio.s23.xrea.com/">
        <![CDATA[<BR><BR>
【121】

死刑判決を受けて
それに甘んじるどころか
もっと積極的に
「死にたがる」死刑囚、
これが意味をもつのは
以下の要件をみたしたときだろう。

一、	彼の犯した罪が
国家を組成している価値体系の
根本的な転覆になっている
一、	それでも彼は自身の主張に拘泥せず
今では「たんに死にたがっている」

主張の永続を祈願することで
主張を投げかける対象の温存を付帯させてしまう
――それすらもを拒絶し、
むしろ自己と国家の対立構造を消すことで
相手方の国家をも消滅させるこの蛮勇が真に怖い。

自分が死にたいがために
死刑制度を利用し犯罪をおこなう者は
決して追慕の対象とはならないだろう。
だから忘れればいい。



●



【122】

硫化水素自殺の方法の学習は
それによる巻き添え殺人の意図をも
最終的にともなってくるのではないか。
自分が死ぬことによるテロリズム。

「私の屍体を見て（発見して）」、
この誘惑が家族をはじめたとした
他人への殺人道具にもなれば
それはもう「最終状態」と呼べるだろう。

逆にいうと
自身の躯を爆心地にして
その屍体までも自己粉砕する自爆テロは
聖戦意識と同時に
潔癖な偶像崇拝禁止意識にも
貫かれているのだろう。
見られるか否かが大きな問題なのだった。

――そう、自身の屍体を永遠に隠す
象たちの死に方はひとの生の見本だった。
見られないようにしなければならない。

屍体から視覚性を奪う方法が
何かないものか。
あるいは実質を奪う方法が。
電話の充電が切れるような、
単純な中断による死のために
この方法が錬成される必要がある。



●



【123】

徴候的犠牲はいつも
祝われなくてはならない。
それこそが阻止のしるしだからだ。
こうして犬の死も嘉される。

先んじて死ぬあらゆるものを
むしろ犬と名づけてもよいくらいだ。
「犬死」だなんてとんでもない。



●



【124】

機能美の最大が
球だったとおもうと
何だかつまらなくなる。

そうして不意に
「無駄」が
好きだったのだと気づく。



●



【125】

子供が世界の腐敗に
まだ加担していない未知数だから
それが無媒介にこそ
救われなければならない、
われわれはそうして世界に
希望をつなぐというのは至当だ
（魯迅の論理）。

だが子供がそうした必要以上に
なぜ愛されてしまうのか。
それはわれわれがたえず
本体よりも気配が好きだからだ
としかいえない。
これは希望でも倫理でもなく
実は動物磁気的な感覚だとおもう。



●



【126】

失敗が失敗であるがゆえに
自らにも必ず蹉跌する（幸福劇）とするなら、
卑劣漢は言説に救いがたいズレを生ずるがゆえに
自らをも必ず卑劣に損なう（悲劇）。
これらの自己再帰的な炎上は
実は面積のうえには起こらない。
それですべて「なかったこと」になってしまう。
むろんこれは「縮減の美学」とも関わりない。
ただし失敗の話ならば有効な教訓とはなるだろう。



●



【127】

生き急ぐ、
まるで明日に死の期日が
定められているみたいに。
ただ、生の価値はそれしかない、
それこそが生を峻烈化する方法だから。

むろん留保もある。
まず人にたいする礼儀として
「自分は急いでいる」とは
決していわないことだ。
それは人にたいする強制と
不要な自己弁明しか結果しない。

もうひとつの留保。
「生き急ぐ」だけでは
「疲労」の価値も顧みられないだろう。
疲労時にこそ、感覚が正しくなるのだから。



●



【128】

盛りの藤棚をみると
いつも戦慄する。
なぜだろう。

滴として
落下してゆくべき「時間」が
そこだけ不当に停止して
別の門を開いている――
それであられもない禁止に
接した感触が生ずるのだろう。

藤棚の「門」状の開き、
その向こうには反世界が
みえる気がいつもするのだが
実は不当性など何もみえはしない。
この阻喪感も怖い。

華やかなのだけども
庭のなかに逆説的に開いた虚無。
入れ子を生ずることで企まれた
遠近感の変換装置。
悪意――自然と人工のからまった。

草木の揺れは時間軸上に
像を刻々と散乱させていって
それが彫刻的な全体と
捉えられることが多い。

ところが藤棚から垂れる藤が
枝垂れ桜や柳のように
揺れているのを見たことがない。
記憶のなかではいつも
藤棚は「静止」している。
「静止」を「静止」している。
きっと花房が重いのだろう。

（一方で柳が理由なく
揺れているのも怖いのだが）



●



【129】

ブッキッシュな人間は
景物や人も書物だとみなす
逸脱を平気で犯す。

それらにはみな外装があり、
目次があり、章立てがあり、
物語や論旨の展開があって、
さらにはあとがきまであると
考えたがるのだった。

奥付を見ようとする欲望、
これもまずいし、
その書物の法則が
見開き起こしか片起こしか
そんな些細なことに
真剣に拘泥したりもする。
「文体」などには
決して眼を瞑ってはいられない。

世界が書物の分布・重畳だとして
それで世界が殖えたことに
なるのだろうか。
ともあれ「それ自体」が減少し、
「翻訳された」電気的なものが
あふれ返っているように錯覚されて
そこでは細部の総和を
全体に持ち込めない
事態も起こるだろう。
――それは幸福なのか。

もし幸福だとすれば、
書物が決してその論旨や細部を
完全には掴み得ないという
そんな諦観が
そこに作用するからにちがいない。
この諦観は諦観にみえて
きっと崇敬だということだ。
書物の本質もそこにある。
創造的に読むしかないのだった。

つまりあらゆるものの書物視は
通常性からの逸脱ではあるが
禁忌侵犯ではないという結語となる。

最後に。
ブッキッシュな人間の愛は
どこかで古色を発し、
しかしどこかで受動的なものだ。
愛に、自己への侵入を許しているのだから。



●



【130】

閲覧――。
躯のなかで
眼と手だけをつなぐ仕種。
躯は無防備になり
上の空で佇むだけだ、
書棚のまえに。

しかもその躯は全体では
束の間の「通過体」を
印象させもする。
とりあえずそこにある躯として。

そんな躯の分離と全体の状態が
見るにつけても
自覚するにつけても
美しいとおもう。

書棚の筒、躯の筒。
窓からは光が差し込んでいる。



●



【131】

火や灯りを絶やさないようにするのは
愛や信頼にとっての基本的な心得だ、
それはわかっている――わかっているが、
これもけっきょく不可能だろう、
なぜなら「この」手では
灯心も伸ばせないし
灯油や蝋の補給もできないからだ。

「この」手でないものが必要になる、
――喫緊の問題だ。
ひとつは「別の」手。
もうひとつをあえていうならば
「この」心かもしれない。
「この」心では願いや記憶によって
火や灯りを永続的に点すことができる。

しかし「別の手」と「この心」が
そのような対蹠関係を結ぶことは
宥和的配置なのか、あるいは、
恐怖の照りあいなのか。
ふたつには次元のちがう
ねじれを感じるのだが。



●



【132】

午前のひかりの差し込むしたで
亀が数多く泳ぐ池がある。
それらが自分よりみな
後に死ぬと考える。
この意気阻喪は華やかで、
世界の多様性に信頼も灯す。

ところで「犬の死」は
みな実感的に捉えることができるが
「亀の死」ならそうはゆかない。
「亀の死」という言葉すら
実在するのか心もとなくなる。

ふとそこで「神の死」に発語がずれる。



●



【133】

「逆を考える」、
これが数学的発想の鉄則だそうだ。
ジャズなど音楽にも適用できるだろう。

乗算にたいする除算、
実数にたいするゼロや虚数。

男を考えれば女が想像を代補する事態は
しかし意外に少ないのではないか。
男でも女でもないものがそこに現れて
それまでの思考体系こそをむしろ無効にする、
その意味での「逆」も含まれているのではないか。

ジャズにあるジャズではないもの、
恋愛中にある恋愛ではないもの、
詩中にある詩ではないもの、
「非実質」で豊かにされる、
悪戯っぽい世界が確かにある。



●



【134】

信仰はそこから冗談（世俗）臭を消そうとするなら
偶像崇拝禁止的にならざるをえないだろう。
そこから否定神学を定位するかは措き、
自己崇拝禁止だけを祈りとともに
当面の生の態度としてまず考えてみる。

神の幸福とともに自身の幸福があると
信仰が考えることは虚偽的というよりつまらない。
ただ自分と神は、死において「一致」するという予見は
戦慄に値することだが重要なものだろう。

その前にすることはならばすべて猶予の段階にある。
だから神の存在を「暗示」する喜捨が有効な手段となる。
殻の外側から孵化前の鳥を撫でるようなものだ。
神は試されてはならないが、
神とともにいる「私」や「あなた」なら
こうして苛烈に試してもいい。
ともあれ祈りを度外視するなら
喜捨だけを宗教的な振舞といっていいのではないか。

喜捨をしない信仰者なんて――



●



【135】

「熱中」から
「熱中している自分への熱中」という
再帰的要素を奪ってしまう。
すると「熱中の不可能」という問題が
真に立ち上がってくる。
恐ろしいことだ。

これを逃れる手段はあるのか。
一、	熱中しない自分を
この生のなかに組織化する（ダンディズム）。
一、	あらゆるものに
軽薄を装い、「仮に」熱中してみせる（キャンプ）。

しかし第三の方法がある。
自分を再帰的主体と一切考えないことだ。
となって、神の傀儡糸を
この躯の関節それぞれに感じることになる。
自分にたいする冷気・阻喪・笑い――
「熱中」に関わる問題系を
「神と一緒に」すべて取り払う。
「掟」には精確にその権能しかあたえない
（そしてそのことに少し「熱中」する）。
この第三の方法を、「カフカ主義」と呼んでもいい。



●



【136】

瀉血の必要とは何か。
ともあれ自分の中身を
減少させたいという
闇雲な欲求なのではないか。

狂気じみてはいない、
減量を希釈ではなく
本当にただの減量と考えるなら。
間違っても減った量が
「場所」として確保され
そこに渦が魔法的に
巻いているなどとも
考えてはならないだろう。



●



【137】

平方根的なものが
そこには多々ある。
それらは二乗を待ち望む潜勢だが
その待つことの本性からして
必ず無理数的なのだった。



●



【138】

逆元命題の真、
「ＡならばＢであるが真ならば
ＢでなければＡでないも真である」は
実生活においては無意識裡に
つかわれているだけだろう。
――なぜか。

否定がすでに幻で、
その幻の数を殖やすことが厄介だと
おもわれているからではないか。

しかし一語を剖けば
即座にその内部に「逆」が現れる。
つまり文では
剖かない語が表面的に連接しているのと同時に
その「逆」が逆順でも連接している。
このことに気づかないようにしているのが
実は感覚の縮減だといえるだろう。
ひとは縮減に守られている。

いっぽう気づいてしまった者は
たえず面倒のなかにいる。



●



【139】

地震でも噴火でも何でもいいのだが、
異変を感じた鳥が
一斉に飛びたってゆき
「私」だけが地上に残されるときを
真の別れの光景として夢想する。
本当の別れとは
それしかないのではないか、と。

だから川に溺れている犬を
演じてはならないのだ。
その演技は、
犬である私を棒でつつく感興を
人らに導く。
その人らは迫りくる異変を感じることもできず、
犬に似た私とともに滅びてしまうだろう。



●



【140】

自分の眼が
何かを見ていると確信することは
案外困難だとおもう。
視線を自己確信するのは
欲望が生じているときが多く、
そのときは脳内の欲望が
眼を通り越して対象を見ていて、
実は「この」眼が無化されていると
考えるべきだからだ。

眼は見ることでぼろぼろになる。
眼への信頼などあるのか。
間近で見交わす視線が有効になるだろう。

相手の眼を見る。
そこに千秋（せんしゅう）を感じる。
だがそれはむしろ反射を介して露わになった
自分の眼の属性なのだった。



【つづく】

〔※mixiにて08年４月25日から４月30日まで間歇的にアップ〕
<BR><BR>
]]>
        
    </content>
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    <title>箴言集101-120</title>
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    <published>2008-04-24T01:37:57Z</published>
    <updated>2008-04-24T01:39:25Z</updated>
    
    <summary> 【101】 前夜の深酒や睡眠不足などがたたり 起きたときに体調不良の朝。 これ...</summary>
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        <name>管理者</name>
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        <![CDATA[<BR><BR>
【101】

前夜の深酒や睡眠不足などがたたり
起きたときに体調不良の朝。
これが意外に幸福感を導く。

体調不良は、読書、書くこと、
音楽を聴くこと、あるいは昼寝など
とりどりの方法で治めてゆかねばならないが、
そんな選択肢が自分の眼前に拡がっているのが
単純に「この」時空に
幸福な感触をもたらす、ということだ。

いっぽう朝起きたときに「体調万全」だと
その日を「突っ走って」しまう。
一日の最後には予想だにしなかった
徒労感や疲弊がのこる場合も多い。

曇りの日にものがよくみえる、
というのと似ているかもしれない。



●



【102】

自分の頭部から自分の躯に向けた俯瞰視線。
そこでふと「それ自体」が見えなくなり、
透明なものの重畳を幻覚するときがある。
それは一種の「海」状で、
最近読んだ言葉がこの表面を漂っているが、
静かな波の翻りをつうじては
忘れていた古い言葉がふと透視されることもある。

自分が言葉でできているという感慨に導かれる数瞬。
逆説ではなく、このときが
自分が「誰でもない者」へと変貌できる好機だ。

自己再帰性が系を強固に閉じたとき、
その者はもはやその者ではないが、
言葉の性質こそがその導入材となる。



●



【103】

自分はバラードなのか
ロックンロールなのか。

言葉が間歇的にちりばめられ、
各語間に余白をふくみながら
なおかつその余白に
とりどりの情動が埋っている点では
バラードの一種として捉えることもある。

この余白を除外する。
すると語と語がぶつかりだす。
そのときの衝突を律動性にまで連続させれば
たちまち自分はロックンロールともなる。

とすると、おおかたの自分は
バラードでもロックンロールでもない、
音楽的な未完成、できそこない、
ということにどうもなりそうだ。
ねじの巻きのゆるい、
シンバル叩きの仔熊人形。

こうした類型のときの「奇妙さ」、
停止に近づいている姿が
たぶん自分の個性だ。
つまりバラードの自分も
ロックンロールの自分も信用していない。



●



【104】

「わからない」とは
通常、以下のものに直面して起きる。

複雑なもの、速すぎるもの、
成立できている理由におもいいたらないもの、
連関が論理的に辿れないもの、
言葉など細部に理解不能性がちりばめられたもの。

要は対象と自分のあいだに
理路整然とした対応が結べないということだが、
対象が「着々と」進行していて
その律動だけ体感できるものも
このなかには確実にある。
これについては上記、
「複雑なもの」以下の否定的性質が除外される。

「わからない」真の要因はたえず
対象ではなく自分自身にある。
自分のなかに生起している律動が不整で、
これに手を拱きはじめたとき
「わからない」が生動していると考えるべきだろう。

この「わからない」は実際は否定価値などではない。
対象が得意気に展覧する理解剥奪の蛮勇は
とうぜんに否定価値だが。



●



【105】

意外性のある言葉同士を
衝突させるのはむろん愉しい。
だが詩に恐怖があるとするなら
それらの言葉同士のあいだにも
一瞬にして宥和が起こり
要約できない何かの中間域が
できあがってしまうことだ。
それが物質性なのか
非物質性かも名指せず、
しかもそれにたいし「美しい」という讃嘆が
ふと口を突いて出そうにもなって、
そう、つくりだしたそのものが
「とりあえず」恐怖だった点だけが
明らかになるのだった。



●



【106】

「この手足は七つの海を
泳ぎ渡ってきたのだ」と
ふと呟いてみる。
自分の手足を瞰下ろす。
こうして嘘の領域から
「ないもの」の感慨が
はるかに湧きあがってくる。

自己再帰性によって
自分を閉じない魔法として
嘘が妙薬になるのも
こうして確かだ。

だがこの魔法は他人に通じない。
このたぐいの処世術は
他人に秘されなければならない
（といいながら自己処方が
こうして明るみに出される）。

この書法は何か。箴言なのか。



●



【107】

悪のひとつは価値体系の組み換えだ。
たとえば糞便と聖性を接木してキメラをつくる
――ジュネが夢想する悪などは例えばこう要約できる。

このジュネ的悪にたいし、
悪がある者に取り巻いて
自己から自己への疎隔の構図をつくりだし、
結果、悪が自身の行為を占有してしまうことで
固有行為の喪失が惹起されるカフカ的悪がどう関連するのか。

悪と自己の合体がキメラとなっていること。
自己対自己の内在的関係に組み換えが起こっていること。
――説明はおよそこのようなかたちでなされるだろう。

ただそこには根本的な共約不能性も否応なく存在する。
たとえばジュネ的悪は言葉の多産を導くだろうが、
カフカによって規定された悪は人を失語に向かわせる。



●



【108】

最も単純な真実をおもいだすべきだ。
たとえば散歩。
そこではただ歩くことだけで
自らへの成功事例が蓄積されてゆく。
こんなに楽天的なことはあまりない。
むろん散歩は道に迷えば迷うほど
そこでの成功の色彩も濃くなってゆく。



●



【109】

けれどもわれわれに真に要請されているのは
成功ではなく実は失敗だろう。
失敗――自分自身を最終地点へと運び損なうこと。

たとえばわれわれは自分自身のなかを
ついに歩くことなどできやしない。
つまり自己の縮小化が万全になることがない。
これなくして清潔に消えることもできないだろう。

――われわれは残像をのこすしかないが、
既にここに「失敗」の様相が滲んでいる。
ところがそれこそが望まれている。



●



【110】

自己愛は自己懲罰に似ているのに
それに気づかせないことが
自己愛の最大の自己懲罰だろう。



●



【111】

一瞬前の「私」と一瞬後の「私」は
いつでも非連続だとおもうことがある。
「私」はそのようにして
空隙を刻々に挟み込んでいるのだった。
そして天使の本質が空隙な点も様々に立証されていて、
「私」はつまり天使性によって
この空隙性を組成されていることになる。
このことはもう
「私」自身が天使性によってつくりなされていると
見なしても構わない次元にまで行き着いている。
非連続、天使――。
この二つがベンヤミンによって結びつくのは
だから当然だともいえるだろう。

――さて「天使性」とは現在において何か。
「役立たず」だが予見性がある、ということではないか。



●



【112】

ドゥルーズが「マイナー文学」の要件として
「地域性」を掲げているのはとても重要だ。
「ある具体的な地域がある」と示されるだけで
それがもう属性的な転覆力をもってしまう。
世界文学が壮大な抽象だという前提があって
そういう事態が起こるのだろう。

地域の総和が、国土や世界の面積の総和を超える
という予見がそこには働いているはずだ。
そうして空間が空間自身を統御しきれなくなって
そのパーツが遊牧化してゆくとするなら
ドゥルーズの特有の空間讃美がここにも働いている。

精神の地域性というものがある。
商品の地域性というものもある。
このふたつが合体して「新しい転覆」ができる。
「新しさ」は消滅容易性とつうじあう。
ともあれ世界がもう古びていて、
その世界よりも地域がさらに古いというのは
だから誤りなのだった。

構想する――亜熱帯左翼、東北記号論、
内海型フェミニズム、首都ディアスポラ、等々を。



●



【113】

全体は分割可能だという思考が
たぶん編集意識の前提となるだろう。
そして編集意識は同時に、
細部の総和が全体と一致しないとも知る。
それはたえず
「超える」か「足りない」かを結果する。

なぜなら分割された細部に衝突が起こり、
どこかで画定された表現面に
脱同定性の亀裂が入るためだ。
それが編集の最大の「痕跡」となる。
つくられた傷が、
並置を根拠にするという秘儀は
単純な魔法であるゆえによろしい。

詩作には自己編集がつきまとう。
編集には詩精神が入り込む。
ならばとりあえずは
詩と編集が同じだと考えるべきだろう。

そうした詩の詩行数を算えるのは困難だ。
やはりそこでも加算が少なくとも乗算、
場合によっては
減算や除算にさえ変貌してしまっているためだ
（つまり「足りない」ことは否定されない）。



●



【114】

「愛」を「編集」する――。
ここではＡＶ的な作品の完成ではなく
日常生活の局面を考えてみる。

編集される愛は、まずその様相が
多元的であるという前提が必要になる。
対象の複数性、言葉と行為のズレ、
現在と過去の齟齬、対象の細部の浮上、
行為細部（たとえば体位）の展開。

それら多局面をつなげ、折りあわせ、
逆行させ、総合の意図をもちはじめると
その愛には編集の属性が乗り移る。

ここでも僥倖の型は
編集特有の形式で決定されてゆく。
つまり展開のもとになった細部は
それを総和すると、
必ず「超える」か「足りない」を結果する。

「この」愛が遂に「この」愛に一致しない
――そんな確認への希求なくして
果たしてどのような愛が可能なのか。



●



【115】

「発祥」を導いた動勢は
実際には微細だろうけれども
いつでもそこには
想像力の敬意を払うべきだ。

むろん真の発祥は
起源を期日化できない。
たとえば詩の発祥がそうだろう。

予想はできる。
言葉が世界にたいし
真の規定力をもてない。
世界も言葉にたいし
真の規定力をもてない。
このふたつの不能が
いわば場所化できない余白で融合し、
以後、それが世界と言葉を猖獗した。
発祥の意味がすりかわり、
世界や言葉が発症した、といってもいい。
あらゆる病菌と同じく
熱帯が最初の場所だっただろう。

感情を言葉で規定できない不能感が最初。
次が外界を言葉で規定できない不能感。
最後が歴史記述を言葉で規定できない不能感。
とうぜん命名には限度があった。
このみっつの不能感が融合を果たしたり
背離を遂げたりした成行が畢竟あらゆる詩史で、
ここから離れては詩もない。

詩の命題は簡単だ。
「文」と「詩」の争闘では
たえず無媒介に「詩」に加担せよ、
という点に尽きる。

なぜならば後天的・恣意的に規定された
近代の要件にたいし
詩ではそれとは次元のちがう
発祥や発症が問題となっているからだ。
身体を規定するものと
身体から遊離するものとでは
畏怖の度合が異なる、といってもいい。

そして身体から遊離したもので
真の世界が形成されている。



●



【116】

「見えること」が知覚の第一原理ならば、
日常のあらゆる局面で、
警句的に「それは見えない」と語られるべきだ。

「ノスタルジーは見えない」「女は見えない」
「愛の映像は見えない」「音は見えない」
「全体は見えない」「空それ自体は見えない」
「意図はいつも見えない」等々と。

これらは意気軒昂な否定言辞なのではない。
世界が不可視性で織りあげられている保証、
それを与えていると、むしろいうべきで、
世界はみえない部分をもつことでざわめく。
視覚を知覚の第一原理にした虚偽そのものが
ざわついて人に到来している。
そんなことは自分の感覚と正対すれば
ただちにわかることだ。
それが生きていることだ、と。

一旦語られた「見えない」は
「しかし見える」を即座に後置し、
その途端に「だがやはり見えない」をも連続させる。
そして「点滅的なものはついに見えない」を決定する。
そのことだけで視覚が豊饒になる。

その視線を自分の鏡像に注いだだけで
「世界」では好き勝手に泥棒もできるのだし、
見えない事物の代表、女性の愛し方も
複雑化や自己反映化を付帯する。

さあ、練習だ――「見えない」といってみよう。



●



【117】

たとえば輸入牛肉が
冷凍された肉塊として
空輸されること（Ａ）の
物質的恐怖をおもってみるべきだろう。
船で牛が数頭ずつ
運ばれてくる（Ｂ）わけではないのだった。

交易の物質性が錯誤や蹉跌に陥っている。
――これは「犬の意見」だろうか。

詩人の意見とはいうべきかもしれない。
Ａのような詩の蔓延を嫌う
Ｂのような詩を書く者のほうに
一般的信頼がまだ寄せられているだろうから。

本当の是非はわからない。
だが空をゆく飛行機を
漫然とは見上げられなくなった。
――犬でさえも。



●



【118】

幸福感を最終規定するものが信心だ、という
人類に落とされた古い認識の爆弾に
簡単に抗えるものではない。

ブルカを自明としブルカに守られてきた女たちも
自己価値を押し付けるフェミニストの傲慢を
一瞬にして粉砕した。

自然物の背後に超越的な連絡があり、
物が融即にふさわしい二重性を帯びている
――そういう世界観こそ宥和的で
感覚本来の恐怖を無化する。
熊と話す狩人はやはり幸福だ。

だから無神論かつ祈りの必要を唱えた者は
常に苦しい闘いをしいられてきた。
彼らの世界観は
「ものの内部には内部が満ちている」という
単純な信念が虚偽だという点から導き出される。
そして最初の段階で
自らが空隙で織り成されていると
自己証明しなければならなくなる。
そうして言葉が素朴に喋れなくなる。

いまこそ空隙に伴う幸福論が
発明されなければならない。
これは、「それは見えない」から始まるのではないか。



●



【119】

「速度の愛」といえば、
通信機器の発達する以前までの相場では
単純にも強姦だった。

だがいまや相手の徴候に気づいたときの
返答の速さが愛の実質へと変化してきている。
この文明上の流動に無頓着ではいられないだろう。

今日、機会や速度を失うということは
自らが注ぐべき愛を失うということなのだった。

そして最も速度ある者に悲劇性の刻印がなされる。

「詩人たち」よ、
悲劇性を顕彰するのがあなたたちの仕事だったはずだ。
とするなら、速度が速度を自乗する、
現代的な愛の様相にも、
あなたたちが巻き込まれているというべきで、
こうなると速度なしにあなたたちは
「詩人」と呼ばれないことにもなる。
詩も返答も、速書きの時代になった。

――ひとつだけ逆証の方法があるかもしれない。
依然として速度がその属性に
強姦的なつよさをもっていると語ることだ。
だが通信機器の輻輳のなかで淋しさを感じている者に
その意見で説得するには
相等の困難が伴うと覚悟すべきかもしれない。

だが説得の価値はやはりある。道はふたつだ。
というか、つねに「道はふたつだ」。



●



【120】

演奏を残す、映像を残す、会話を残す――
そのための録るものが技術的に発達していったが、
再生すると、いま示した順番で
一旦経験したものの再生の遅さに
耐え難いものが混ざりだすと気づくはずだ。
どうしてこれほど人が性急になったのかは別問題。

再生装置としては実は文字がいちばん速い。
一瞥範囲が大きいし、
要約的で文脈形成的で、
なおかつそこには身体性も残存する。
となったとき
ネット環境で会話が「書かれる」意味も自明となる。
それらが瓦礫かどうかは実は技術の問題にすぎない。

「文字」は間違いなくネット環境によって
その特性を利されている。
稀用漢字変換の困難があったとしても、だ。
アルファベット圏ではそんなことは問題にもされない。

ネット詩を詩壇が軽視する姿はもはや醜悪に映る。
既得権の主張が垣間見えるからというのは当たり前で、
文字が書かれることの
尊厳にみちた可能性が脱倫理的に閑却されているから
詩壇がおそろしく醜悪に映るのだとおもう。

――いまこそ「文字」を考えよ。



【つづく】

〔※mixiにて08年４月22日から４月24日まで間歇的にアップ〕
<BR><BR> 
]]>
        
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    <title>再帰性と再帰性が反射する--三村京子について</title>
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    <id>tag:abecasio.s23.xrea.com,2008://1.417</id>
    
    <published>2008-04-20T20:47:43Z</published>
    <updated>2008-04-20T21:36:59Z</updated>
    
    <summary> 【解題】 早稲田二文での僕の教え子・三村京子さんが、とうとう船戸博史さん（ふち...</summary>
    <author>
        <name>管理者</name>
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    </author>
            <category term="interview" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://abecasio.s23.xrea.com/">
        <![CDATA[<BR><BR>
【解題】
早稲田二文での僕の教え子・三村京子さんが、とうとう船戸博史さん（ふちがみとふなと、ウッドベースの名プレイヤー、長谷川健一のプロデュースでもお馴染み）のプロデュースを得て、待望の新譜『東京では少女歌手なんて』をリリースした。現在、タワーレコードなどのメガＣＤショップなみならず、彼女が運営する「三村京子オフィシャルサイト」でもこの新譜の注文ができる。ファンも待っていたとみえて出足は快調だ。
<BR>
僕の書いたものをチェックしているひとにはご存知だろうが、僕はアルバム収録曲中14曲で、作詞、もしくは作曲を手伝っている。三村さんはすごく身体的にリアルな声をもつ歌手で、作曲にみられるコード進行にもものすごく才能を感じる。「歌」がこれほど可能性をもつものとして聴き手に迫ってくるのは、歌が衰退している昨今では、非常に稀有なことと映るのではないだろうか。
<BR>
むろん僕の詞は、彼女の歌の流れのなかで、刺戟的な「綺羅」をちりばめることに貢献したとおもう。文化論的な仕掛も数多くある。ニール・ヤングなど、70年代初期までの最良のロック歌曲・歌唱をも髣髴とさせる彼女の音楽は、しかしＪポップを身体的に経由している「新しさ」がある。ＣＤオビの惹句では、そのジャンルは「フォーキィなアヴァンポップ」と規定された。やさしい。不安定。笑い、ときに悲哀が胸に迫ってくる。ロー・トウェンティーズの多元的な精神地図が浮上してくる。
<BR>
以下は、同じく早稲田二文の大中真慶くんによる僕のインタビュー。アルバムが完パケ間近の時期におこなわれた。ご当人・三村京子さんも同席し、途中、いくつかの発言をしている。
（阿部）
<BR><BR><BR><BR><BR>




再帰性と再帰性が反射する
――三村京子について
<BR>
●阿部嘉昭インタビュー
（聴き手・大中真慶）
<BR><BR><BR>

＊＊＊（１）＊＊＊
<BR><BR>
――三村さんとの出会いのきっかけはどのようなものだったのですか？
<BR><BR><BR>
阿部嘉昭（以下、阿部）<BR><BR>
05年の早稲田二文の後期授業で、Ｊポップをアーティスト別に検証する授業をやっていたんだけど、その受講者のなかに三村さんがいて、あるとき授業後、彼女に「アルバムを作ったんですけど」といわれて『三毛猫』を渡されたのが最初の出会いでした。授業中には「こういう子がいる」という意識は全然なかったので、いきなり暗い子がもぞもぞっとＣＤを渡しにやってきて、嵐のように去っていったという（笑）、すごく唐突な印象でしたね。
<BR><BR>
そのＣＤにメアドが書いてあったので、感想をメールで送ったんですよ。歯に衣着せぬ文面だったと記憶しています。最後に、「来週、説教するから、授業後の飲み会に来るように」と綴りました。
<BR><BR><BR>

――『三毛猫』を最初に聴いた感想は、あまり芳しいものではなかったんですね？
<BR><BR><BR>

阿部<BR><BR>
はい。ついこないだ、２年ぶりくらい聴き返してたんだけど、そのときの反応がどうだったか、ふと思い出しました。まあ１つは音的に非常に粗いというか。それと歌詞が幼い。それから歌唱も幼い。なんだけども、ガーリーな、しかもフォーキーな音楽という枠組は確かにあって、「ああ、こういうことをやりたいんだな」ってことは分かった。ただし、曲の粒もバラバラだし、何もかもが不安定だし、やはり評価ができない。同時に、そういう不安定さを当時の僕は少女性の発露として、面白いと捉えてたんだなあと思った。
<BR><BR>
メロディラインが優しい曲がいくつかあって、作曲能力はあるのかなという気がした。ギターは結構本気で弾いていて、三輪二郎さんの好サポートもあるんだけど、彼女自身のギターを聴いてみてもスリーフィンガー・ピッキングが力強くて、女の子にしてはきちんと弾いているなという感覚を持った。
<BR><BR>
ただ繰り返すけど歌詞が、まだ子供の歌詞っていうか。三村さんと同じ年齢の学生たちと僕はやりとりをしているものだから、そういう判断からしても「幼いかな」と。でもそういう所で逆にアナーキーなざわめきも出ていて、それが面白かったから、彼女にさっきのメールを送ったのです。
<BR><BR><BR>

――飲み屋ではどうなりました？
<BR><BR><BR>

阿部<BR><BR>
その飲み屋にちょうどギターがあって、それで僕が「ギター弾いてみ」と言ったら、三村さん、覚悟したように一所懸命弾くんだよね（笑）。指使いの面倒くさいラグタイムとか、オープンＤチューニングでアドリブを弾いてみるとか。スティーヴ・グッドマンとジョニ・ミッチェルとバート・ヤンシュが手を携えたような（笑）。それで「やっぱギターフリークだ。思った通りだった」と一種の感銘を受けた。フレットのうえを忙しく動く指をエロいものとしてみていた（笑）。その時の、フレッドの高い所で弾くラグタイムとかは『三毛猫』に入ってなかったから、アルバム制作後もギターの鍛錬をしているんだなと思った。友部正人の「一本道」をそこで一緒に歌った記憶もある。年齢差があるのに、音楽的記憶に共通部分が多いのも嬉しかった。
<BR><BR>
実はその前の週、アルバムを渡された段階のことだけど、三村さん抜きの飲み屋で、まだ聴いてない段階で歌詞カードだけをみて、他のみんなと大笑いしたっていう後ろめたさもあって（笑）。ＣＤの外見だけを対象にした欠席裁判。「ああ、不思議ちゃんだよ」と。残酷なことをしたと思っています。歌詞カードを一瞥しただけで、収録されているどの曲も焦点がぼやけているとわかる。歌詞の一行で聴き手を「もって行かせる」曲がなくって、「ああ効率の悪い音楽してるな」と思ったんですね。
<BR><BR>
翌週のその飲み屋ではその辺の説教をした気がする。メールでもそのようなことを書いたし。それで当人が「自分のことが正確に言い当てられているので、びっくりした」と言っていた記憶がある。
<BR><BR><BR>

――それでいつから三村さんの曲の歌詞を書くということになったのですか？
<BR><BR><BR>

阿部<BR><BR>記憶がはっきりしない（笑）。すでに彼女がライヴで歌っていた曲の歌詞を直したというのもあるのだけど、ある段階から彼女がギターをコードストロークで鳴らしながら歌メロを「ラララ」と歌っているデモ音源を、やりとりするようになった。「曲を作りました！」って彼女がいうから、「イッセイのセッで、歌詞を作ろう」と。一種のコンペ状態。そのとき実は不思議なことが起こりました。まず三村さんが当時ライヴで歌っていたような３コードの中心のコード進行を変え始めた。『三毛猫』の印象とはちがい、実はコードをたくさん知っている。あとで彼女にそのことを訊くと、Ｊポップの黄金期、GLAYを中心にした、バンド音楽をよく聴いていて、コード的な解析もしていたことが分かった。
<BR><BR>
僕はよく言うんだけども、歌メロに対して、Ｊポップは第一観でそれに則するコードとは違ったコード、代用コードをよく使っていて、聴いている時にコード進行がふっと陰ったりする。そういうことが、僕がポップを聴いていて面白いと思った理由のひとつなんだけど、三村さんにもそういう代用コードが多くて、「ああ、作曲能力あるわ」と思い直した。
<BR><BR>
そのことを最初は知らなかった。この人はフォークのままやっていて、歌詞の力がつけば少しは良い方向に進むんじゃないかと思っただけだった。友部正人の初期とかを僕はモデルとして考えていたんですね。だから「どうしたらいいですか」と彼女がいうと、「やっぱり現代詩とか読んだ方がいいんじゃない」ってことになって、彼女と授業前に早稲田の古本屋街を回って、「この本買いなさい、この本買いなさい」ってなことを言ってたりしたんだけどさ。
<BR><BR>
でも作曲能力に気付いてしまった。同時に僕の方にも異変が起こった。その「ラララ」のデモ音源を聴くと、ふと歌詞発想が湧いてくる。僕の歌詞の作り方っていうのは、その音源を繰り返し何度も聴く、という単純なところからはじまる。10分ほどすると、パッと一行目が出てきちゃう。「ラララ」がそのような言葉に「聞こえる」んだよね。その一行目を書くと、二行目三行目もスルスルスルっと出てきて、連がかわったらこういう展開をしようというのも出てきて、一番が出来たらその対称形とか物語進展で二番も出来てきて、大体３０分くらいで全体を作っちゃう（笑）。あまりの即製に自分でもちょっと不安になった（笑）。まあ、作った歌詞は一応、もう一度「ラララ」音源を聴きながら、歌いにくいと思われるようなところを直してもゆくんだけど。
<BR><BR>
一曲が出来たら彼女にメールを送る、「作っちゃった」と。で、彼女のほうに、歌詞を作る余地がなくなっちゃって。僕はそういう作業が好きだから作るんだけど、彼女のほうはお母さんに「先生、私の曲の歌詞をすべて作っちゃう。私の作業より異常に速い」って言って泣いてたらしい（笑）。ただ、僕は楽しかった。僕はそういう瞬間的発想を強いられるものが好きなんだよね。レスポンスが速いとかそういうのが好きで。だからそんなに変わんないね、ミクシィなんかの書き込みと。そんな感じで作っていった。
<BR><BR><BR>

――じゃあ、歌詞はメロディから発想しているんですね。
<BR><BR><BR>

阿部<BR><BR>
はい。音数を合せるのはそれは基本だけど、メロディラインが歌詞の質や文法やジャンルを規定しますね。ただし単純な照応関係としては捉えない。たとえばメロディラインがポップものだとか悲しい感じの歌詞を求めているとか第一印象でそう考えても、どちらかというと僕はメロディラインの持っている感情に対して、それをはずすとかズラすような歌詞をつけることが割と多いんじゃないかと思う。
<BR><BR><BR>

――そうですね。
<BR><BR><BR>

阿部<BR><BR>
そういう風にすべきだと確信犯的に思っていたと思う。というのも、『三毛猫』の歌詞が「一色」すぎてつまらないという批判意識があった。言い回しの幼さを抜きにしても、『三毛猫』の歌詞はワンラインの独立の仕方も悪い。同じような語彙が並んで、全体がぼやあっとした世界を作っている。僕が作るのは一行一行異質なものを置いていくとか、あるいは単純加算するにしても、その加算がはっきりするものだけにしようと考えていた。その加算が反転したりするとシニカルな歌詞になったりとか。
<BR><BR>
ただし、そういうシニカルなのだけを表だって出すと三村さんのキャラに会わないから、よくよく聴くと「実はシニカルだ」みたいな意地悪な構造を考えていったよね。それは僕の好きな音楽の質とも関わっていた。日本のフォーク音楽は基本的に好きじゃないんだけど、例えば高田渡のようなシニカルさならすごく尊敬していた。彼の場合はどっかから歌詞を持ってくる。ラングストン・ヒューズを訳したりとか、金子光晴とか山之口獏とか、既存の日本の詩を持ってくるとか。そのように歌い手が自分の歌詞に対して、一種他者の関係になっている。もともと高田渡という存在の同一性には亀裂が入っているんだね。そこが彼のシニカルさと関連していると思う。だから三村さんの個性と半分乖離するような歌詞を挑発的に作っちゃえという所もあった。
<BR><BR>
ただ、なによりも大きいのは「ラララ」と歌われると、歌詞が出てきてしまうということなんだよね。これは一体なんなんだろう、と。コラボレーションする相手として三村さんが相性が良いんじゃないかと思って、僕も嬉しくなった。実は、他にも「先生に歌詞を作ってもらいたい」という人がいたんだけども、その人には結局歌詞が作れなかった。三村さんに感じていた相性みたいなものが成立しなかったんですね。
<BR><BR>
ってことは、歌メロやコード進行があらかじめ持っている感情の大きさってのが、三村さんの場合あったのかなあ。ただそれは段階的に発見していったんだけども。
<BR><BR>
感情を盛り込めるのならばと、今回のアルバムでは僕自身が作詞作曲した曲もあります。例えば「自殺のシャンソン」は僕が20歳すぎのとき芝居の劇中歌用に作った曲で、「これ歌ってみる？」って曲を渡した。ただ僕が曲を作ると、声域の問題が生じてしまう。僕のほうが声域が広いんですよ、下手したら３オクターブくらい出る（笑）。三村さんはもしかすると１オクターブくらいだから（笑）。だから僕が作ると三村さんが歌えないってことが多いんだよね。それでだんだん曲を作らなくなってしまったけど。
<BR><BR>
まあ僕が歌ってもさまにならないから。でも、僕も「女の子になって」女の子の曲を作りたいっていう倒錯的な欲望があって（笑）、その場合に三村さんの不安定さが積極的な価値をもった。言葉を換えると、なんでも彼女には許容されるんじゃないかっていうことが、創作意欲を湧かせたよね。
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＊＊＊（２）＊＊＊
<BR><BR><BR>

――今回のアルバムの中で三村さんが作曲、阿部先生が作詞という配分の曲で、一番古いのはどの曲なんでしょうか。
<BR><BR><BR>

阿部<BR><BR>
う～ん。クレジット上で「作詞＝三村＋阿部」となっているのは三村さんが作った歌詞を僕が直したもので、それだと「平行四辺形」が最初に作ったものかな。この曲の場合はコード還元出来ないような複雑なアルペジオを三村さんが弾いていて、主調和音が何処かも途中不安定になる。綺麗かつ脆い曲で、三村さんの作った「字を書く　宙に」や「シロツメ草」という歌詞に対して、「あなたは」と呼びかけがあった方が良いんじゃないかとか、そんな提案をして僕の作詞がはじまった記憶があります。それから「蛇イチゴ」とかの不可思議なイメージや、聖書的なものを持ってきたりとかして世界を膨らませた。「屋上」っていうのは一種、引用のつもりだった。これは宮台真司の屋上論があったり、ブランキー・ジェット・シティーが屋上を歌っている歌があったりしたことを意識してます。松本大洋－豊田利晃『青い春』の感じとかね。「十月」っていう歌詞があるけど、これは直したのがもろに十月だったんだと思うけど、遠い時代のフォークの記憶がそこに作用してたんだと思う。「十月の国」？　ちがうかなあ（笑）。
<BR><BR>
そのような（歌詞共作の）タイプの曲には「孤りの炎」もあります。これはロック調の曲を作っていた時期（その時に出来たのが「昔みたいに」など）の後、またフォーク調のものを三村さんが作りだした時に、三村さんの作ったものを生かして、僕が直した。
<BR><BR>
瞬間的にワンラインで歌詞が聴き手に刺さるということと一緒に、歌詞っていうのは時間の流れのなかで「刻々」聴かれるわけじゃない？　そうすると、その刻々の判別性を眼目にする、という手法もあるんだよね。で、「孤りの炎」の場合は、異質なものを加算していった。一、ニ連の三村さんの歌詞を部分的に残しながら、普通では連想出来ないイメージを入れたりしていて。例えばカフカから「オドラデク」を持ってきたりとか。イメージをジャンプさせた。ふと「北の幻」という言葉が出てきて、ならばエイやっと「八戸」も出てきてしまう（笑）。出鱈目もいいとこ。だから歌詞上のジャンルがはっきりしない。「演歌っぽいのかな」と思うと「いや、これはシュールな歌だ」と反転するでしょう？　一つを導いたら、それをステップボードにして次に飛べる。僕の発想がそのように飛んじゃうんだよね。ただし、この歌の場合は、三村さんが最初に作った、歌い手としての気概を歌いながら、そこに日常生活を絡めるという枠組はちゃんと残した。「なんで八戸なんですか？」って三村さんに訊かれけど、僕は「分からない」って答えた。「いいやん」って（笑）。まあ綺麗な曲ですよ、これは（笑）。バロックだし、冒険的ユニゾンだし、転調だし。
<BR><BR><BR>

――阿部先生は歌詞を作る時と詩を作る時に意識の違いはありますか？
<BR><BR><BR>

阿部<BR><BR>
基本的には同じです。たとえば発想でポンポン書いていく、速書きするという点では同じなんだけど、歌詞の場合は先にメロディをもらっているというのが多いから、そのメロディの感情に対してどう出るかというのがある。詩の場合は、自分の体内にあるリズムを土台に言葉を出してくるから、ちょっと発想が違うかもしれない。もう一個は語彙の問題で、実際に耳で聴いた時に通じるか、通じないかということ。歌詞には当然、そんな要請がある。だから漢語とかも減らしているし。
<BR><BR>
ライヴで三村さんが歌いきらないと重たい歌詞に聴こえてしまう惧れがある。解釈力や体力がついてきて歌いきった時に、「いい歌詞だ」と感想をもたれることも実際に多いし。
<BR><BR>
歌詞そのものは僕のために作っているわけじゃないんですよ。それは三村さんが歌うってことを前提にしている歌詞だから、その歌詞が三村さんの身体や声にどう乗っかってくるかってことが主眼です。これは要するに「可能態としての三村京子」が作っている歌詞だ、と。僕が詩を書いている時も、僕が書いてるんじゃないって感覚はあります。非人称的に飛ぶというか。ただ三村さんへの場合は女の子に変装するというか、ネカマになったような後ろめたさ・犯罪感覚が少しありますね（笑）。「嬉し恥かし」。だから自己解説でも照れる（もちろん、自己解説というのは、いつもそんなものだけど）。それで「オドラデク」って書いた時に、彼女が「何ですか？」って訊いてきて、「カフカの短編に出てくる糸巻の怪物だよ」「それって啼くんですか？」「いや啼かない（笑）」ってなアホみたいなやりとりになってしまう。まあ当人はその短編をいずれ読むかだろうから勉強になっていいや、とそこで割り切る。つまりポーンとほうりだして、彼女がそこに到達すると、彼女に何か大きなものが増えているような、そんな作り方をしているんだと思います。
<BR><BR>
彼女の一歩か一歩半先をリードする歌詞。逆に言うと、「身の丈」の歌詞を作らない。身の丈だけにしていると、一致感がつよくて聴く人が逼塞して疲れる。そうすると好き放題をいわれることにもなりかねない。「もっと単純な感情を切々と歌うような歌詞はないのか」とかね。それで事前にそういう（単純な）歌詞も作っておいて、リスクを分散するということもありうる。
<BR><BR>
「百億回の愛」なんかは、大分あとの方、むしろ最近出来た曲で、これも歌詞を直した。「ズレ続けて　はぐれ続け」は「自信のある所だから、残して下さい」と言われて残した所。で、「銀河」や「死海」をもってきたのは僕だね。ものすごい綺麗なメロディなんだけど、最後に余韻で気持ち悪いものを付けたかった。結果、終わりが「死んでる」だからね。しかもこの曲はアルバム最後の曲になってしまった。アルバム全体も「死んでる」で終わるっていう。不吉って言えば不吉なのだけど。「そばにいて　光になりたいから　眠るとこ　さあ見ていて」とか、「からだが一つにならないから　共に眠る場所を探そう」というのは「岸辺のうた」にあるイメージを入れた。しかも一行だけでぐっと泣かせる愛の言葉が入ったと、気持ちがよかった。
<BR><BR>
最初に「百億回の愛をくれたのは　あなた一人だけ」って三村さんはテスト音源で歌ってた。「なんじゃ、この歌」と思ったんだ、実際（笑）。でも、まあこういう気持ちなのねと。宇宙大に広いなら、こっちの心も一種ジョン・レノン、オノ・ヨーコ的になって、誇大妄想的なデカい歌詞を作ろうと（笑）。
<BR><BR><BR>

――やはりそういう意図はあったんですね（笑）。
<BR><BR><BR>
阿部<BR><BR>
そうね。それと「百億回」っていうのは良い言葉だと思ったよ。でも「百億回」も愛をもらったら大変だよ。もう体壊れちゃう（笑）。
<BR><BR><BR>

――でもこれって一人が一人に対して百億回の愛を持っているわけではないですよね？
<BR><BR><BR>
阿部<BR><BR>
そう？「百億回の愛をくれたのは　あなた一人だけ」って女の子が歌ったら、普通ちょっとやばいんじゃないか。愛が回数で数えられているってことは、アレでしかないんだから、「百億回もしたのか」ってことになる（笑）。でも人間には無理だからね、それは。「一万回の愛をくれた」だったら、「ちょっと待てよ」って話になるけど（笑）。だから「百億回」って抽象性として良いな、と。あと「百億回」っていうと、これは漢音で堅いんだけど、通じる言葉だから、僕は生かした。響きが締まっていて、僕はそこに「銀色」を感じた。
<BR><BR>
そのように誇大妄想的にデカい歌詞を引き延ばそうと「銀河」や「死海」を持ってきた。「死海」が出てきた時は自分でもびっくりしたけど。一番が出来て二番という時に、一番の反転をしたかったんだと思う。「銀河」という上に見上げるものに対して、下に水平に広がるもの。海だな、しかもやっぱり「死海」だと。死海には波があるんだよ、でも「死海」だから魚がいない、塩分が多すぎて。だから波があっても、それは魚を潤す波じゃないから、「波が死んでる」。地図上で見ると小さく見えるけど、琵琶湖より断然大きいわけだから、その場で見たらぱあっと海が広がって見えるだろう。だから歌詞に矛盾もないだろうって。
<BR><BR>
こういうとき「死海」が出るっていうのは、発想力の問題でもあるけど、それを呼び込むようなメロディがあらかじめあるんだよね。この曲は子守唄メロディだと思った。あと宮川泰が作ったような60年代ポップスの甘さもあって、その甘さにノスタルジックにもたれかかっていながらも、クッとそこに棘を入れたいって気持ちだった。ノスタルジックなメロディでもコード進行に綾がある。それと歌詞として予定される言葉の分布はどうも小節で区切る普通のやり方じゃない。音符が五線譜上の時間に配置された時にすごく不規則な構成だと感じて。その不規則さが歌詞に出ればというのもあったかな。言葉数が少ないなかで、それらを実現してやろうと。まあ名曲ですよ。愛を歌ってるからジワーときつつ、ちょっと鳥肌がたつ。
<BR><BR><BR>

三村京子（以下、三村）　<BR><BR>
なんでそのような歌詞にしたんですか？
<BR><BR><BR>

阿部<BR><BR>
こうしたのは自分のその時の感情だけど、さっきから言っているように僕の感情ではなくて、「可能態としての三村京子」が持っている感情に僕が行き着こうとしたためだと思う。
<BR><BR><BR>

三村<BR><BR>
あたしが破壊的な感情持っていたということですか？
<BR><BR><BR>

阿部<BR><BR>
破壊的な感情ってのでもないな。あんたの感情は綺麗だと思うよ。というか実作レベルでは、縁語でふっふっと来るのよ。「百億回の愛」があって、その「百億」の星が「銀河」にあって、その星それぞれが涙を流して、それが海の裏側で光っている。それでその海はなんだというと、「死海」だって発想の飛躍になる。
<BR><BR><BR>

三村<BR><BR>
死海って別に不吉なものなんじゃないじゃないですか？
<BR><BR><BR>

阿部<BR><BR>
死海はやっぱり不吉だよ、魚が住めなんだから。聖書でもそんな扱いになってる。まあ捉え方は色々あって、塩分が多いから比重からいって人がやたらプカプカ浮くんだよね。ただ泳げないでしょ？　塩分きつすぎて。エライしょっぱい。だから周辺の住民には何ももたらさない。だから死海って名が付いたんだよ。でも「人が浮きやすい」から一種の両義性を帯びてて、人間が浮遊する場所ってことも言える。だからそうだ、不吉なイメージっていうよりも、複合的なイメージを足したいから、海が「死海」になったんだね。こじつけかも（笑）。
<BR><BR><BR>

三村<BR><BR>
じゃあ、不吉さにはこだわっていないんですね。
<BR><BR><BR>

阿部<BR><BR>
こだわってはいないなあ、考えてみたら。でもそこで「琵琶湖」って言っちゃったらダメでしょうってこと。
<BR><BR><BR>

三村<BR><BR>
私の可能態から受け取ったものが破壊的なものだったということ？
<BR><BR><BR>

――そんなに破壊的なものじゃないと思うよ。
<BR><BR><BR>

阿部<BR><BR>
破壊的じゃないね。でも暗さはある。何故こういう収束のかたちになるかというと、そのほうが余韻が出て、しかも三村さんの個性にあっていると思ったってことだね。
<BR><BR><BR>

――そうですね。それにこの曲は愛と波が「百億」という数字で繋がる。
<BR><BR><BR>

阿部<BR><BR>
そう。狙いだと「アクロス・ザ・ユニヴァース」くらいの宇宙大の歌詞を作ろうとしたけど、言葉数が少ないから、ああいうかたちへ収束した。
<BR><BR><BR>



＊＊＊（３）＊＊＊
<BR><BR><BR>

――じゃあ作詞家として作っているというよりも、可能態としての三村さんとして作っているというのが大きいんですね。
<BR><BR><BR>

阿部<BR><BR>
うん。でも三村さん以外には歌詞作ってないからさ。例えば僕が阿久悠みたいに戦略的になって、「これこれこう売ろう」と歌詞を作ることもありうるかもしれないけど、三村さんはそういう個性じゃないから。そんな形での作詞もしてみたいと思うけど、実際はね。阿久悠は代理店出身だっていうことで、企画書に書けるような歌詞でしょ。僕の三村さんに作っている歌詞っていうのは、こういう歌詞ですってスポーンと言えない。阿久悠ならこうなる――これこれの時代の要請があります、王貞治のホームラン数がハンク・アーロンを超えるカウントダウン状態に入っている今だからこそ、今度の歌の対象は王貞治にして、その王貞治に対して恋の球を女の子が投げよう、そのときのユニフォームはピンクだ、投球はサウスポーだ、と。そういう発想でしょ？
<BR><BR><BR>

――あの、意味が分かりません。
<BR><BR><BR>

阿部<BR><BR>
あっ分からない？（笑）ピンクレディの「サウスポー」のこと言っているんだけどさ。まあいいや（笑）、そのように代理店的な発想なんだ。それで振付の土居甫がいてさ、それでピンクレディー二人にはホットパンツ型の、ピンクの野球ユニフォーム着せよう、その時に球を投げるアクションを入れようってなっていくわけ。そうやって作られている。これは全く商業的。
<BR><BR>
僕はフォークよりも歌謡曲の方をよく聴いてきた、もっというと70年代よりも60年代歌謡曲が好きなんだよね。60年代の歌謡曲は演歌があって、それとの対比性によって歌謡曲は自分をふっとずらす身振りを選択している。例えば演歌だと「港」を歌う所を「街」と歌う。あるいはなかにし礼の黛ジュンの作詞だと、メルヘンチックな、実際にはないような場所を恋の舞台にするというのがある。当時はまだ日本人の耳が「演歌」を土台にしてたから歌詞の音数が少なかった。だから60年代ポップス歌謡っていうのは言葉の凝縮が高くて好きだった。でもフォークが出てきて、例えば吉田拓郎になると音数が多い、しかも字余りになってメロディに乗っからなくなる。そうすると所謂トーキング・ブルース調にダダダダっと言葉を捲し立てるようになってくる。それも嫌いじゃないし、拓郎の歌詞の作り方っていうのも発想が面白いんだけど、言葉の流れとしてはルーズな所がある。そのルーズさを受けていると思った70年代、特に後半は、日本の歌謡曲の歌詞がフォーク化してくる。
<BR><BR><BR>

――それは字余りしてくるってことですか？
<BR><BR><BR>
阿部<BR><BR>
字余りそのものというよりも、字余り的な歌詞を乗せていた。野口五郎の「私鉄沿線」にしてもそう。内容的にはミーイズムになってくるとか、かぐや姫的にチマくなってくるとか。それがきつかった。僕が中学・高校の頃か。それで80年代になるとユーミンでも陽水でもたとえばepoでも、グーッとポップな発想になって、ちょっと気分が楽になったかな。さらに90年代に入ってＪポップが出てくる中でリズムが強くなって、言葉数が完全に多くなって、しかも音楽性も高くなったから、複雑かつ完全に歌詞をちゃんとメロディに乗せられている楽曲が目白押しとなる。それは職業作曲家じゃなしに、バンドのメンバーが作ってる。特徴は圧力の強さです。代表例がミスチルだと思う。彼らが最初流行った時に歌詞カード見て聴いていたら、目眩が起こったもんね。独特の歌い回しで、よく歌っているし、韻を踏むとか技法的にもそれまでにないものもあった。電圧が高かったんだ。
<BR><BR>
三村さんの歌は、そういう高電圧な音楽から先祖帰りしている。つまり、歌詞のうえではそんなにＪポップ的な感覚を持たないで、もっと純粋に、ポエトリックな衝動で歌詞が作れるから、そういう所で相性良かったんだろうね。ところが、途中から三村さんが、今度のアルバムでいうと「昔みたいに」のようなポップでロック指向が強い曲を「ラララ」で作り始めて、それがもう「どうすんだ」って感じだった（笑）。この曲は四音連鎖なの。これ、だれでも四音をはめてみれば分かるけど、普通、日本語では歌詞がはまらない。この冒頭の「雨かな？　夢かな？」ってのは、えっと映画の引用で・・
<BR><BR><BR>
――『シェルブールの雨傘』？
<BR><BR><BR>

阿部<BR><BR>
違う違う。フランソワ・トリフォーの『突然炎のごとく』。
<BR><BR><BR>

三村<BR><BR>
ごめん、間違えて伝えてた（笑）。
<BR><BR><BR>

阿部<BR><BR>
『突然炎のごとく』の字幕で、実際に出てくんだよ、「雨かな？　夢かな？」って。ジュールとジム、それに男の子の恰好をしたカトリーナ（ジャンヌ・モロー）が歩道橋を走りだす場面で。それをふと思い出して。そこからはそれの連鎖でやっていった。それでもネタが足らないから、寸言みたいなのをタジャレでやろうとした。それが、「蘭でもランデブー　犀（さい）でもSigh Magic」なんかだね。こういう時に音楽的素養が出る。「magic of your sigh」っていうのがキャロル・キングの「Will you love me tomorrow?」に出てくるとかさ。「Gay Science」なんてニーチェだし。「So many cry」ってのは『ホワイト・アルバム』に入ってるジョージ・ハリスンの「Long, Long, Long」に出てくるとか（注：歌詞中の「so many tears」と同アルバムのジョン作「so baby cry」が混ざっている）。「may you long run」はニール・ヤングとスティーブン・スティルスがやったアルバムだし（注：『Long may you run』、邦題『太陽への旅路』）。
<BR><BR>
まあこれはしょうがなかった、出来れば英語の歌詞は使いたくないんだけど、音数に対してより情報がのせられるのは英語歌詞だから。この頃に作った曲は割と英語を使ってんだよね。繰り返すけど、このラララ音源が来たときは「曲出来ると思ってんのか」（笑）って感じの四音連鎖だった。もうこの辺になると、三村さんも僕にもう歌詞作りを丸投げしてた（笑）。それで僕も燃えるからさ。まあこれも「雨かな？」って出てきちゃったから。
<BR><BR><BR>


＊＊＊（４）＊＊＊
<BR><BR><BR>

――曲から歌詞を発想していることがよく分かりました。それで阿部先生は『椎名林檎vsJポップ』でも曲の中で歌われるときに歌詞がどう聴こえるか、ということを重要視してますよね。
<BR><BR><BR>

阿部<BR><BR>
そうだね。で、椎名林檎の名前が出たからいうけども、椎名林檎さんの登場というのは「ええ、ここまで来たか」という衝撃だった。それと僕が大学で教えていて、「詩が好きだ」って子はみんな椎名林檎好きなんだよね。椎名林檎から詩に入っちゃってる。歌詞がこんなに難しくなっていいんだってことを思ったのも椎名林檎で。それで最初は三村さんが僕の歌詞をライヴで歌った時にどの程度（聴き手に）通じるか、よく分からなかった。とくに、歌いきっていないと通じないのね、でも歌いきれると通じる。
<BR><BR>
例えば、よく三村さんと対バンするようなフォーク系の人たちの歌詞は、耳で聴いてはっきりと分かりやすい。繰り返しもあって、ちゃんと歌詞を聞き逃さないでくださいってこともやっている。しかも歌詞世界への同調も起きやすい、聴き手のそれぞれと地続きのような歌詞を作っているから。僕はそういうものが割と苦手なんだけども、そのように歌詞を伝わりやすくするという見識もあるでしょう。でも、僕は歌われている世界がすぐに聴き手に分からなくてもいいと思った。ただ瞬間、瞬間で「ざわめいた」っていう体感だけ残ればいい。その体感をもとに「じゃあ曲全体の歌詞はどうだったんだ？」って、ＣＤを買ってもらう。曲を10回くらい聴いた後に、歌詞カードをみて「ああ、全体はこんなんだったんだ、こんなストーリー・ラインだったんだ」というほうが面白いと思う。そういうことが、アルバムを買ってもらう原動力になるんではないか。椎名林檎は明らかにそうしてる。
<BR><BR><BR>

――そのような歌で聴こえる歌詞と歌詞カードの関係が理想ですか？
<BR><BR><BR>

阿部<BR><BR>
どのように歌が聴き手の体の中で完成するかっていうと、たぶんこういう順序だと思う――その歌を何度も聴いて、歌詞カード見てもいいのだけど、何となく記憶する。それでふっとある時に思わず口ずさんでいる。その時にその歌のメロディ・リズム・歌詞がその人の体を通して生き返ったみたいな感じがあるでしょう。歌の運命はそうして完成する、成就する。
<BR><BR>
難しい言葉を使うと歌には「再帰性」があるんです。例えば三村さんが歌を歌う、その歌が三村さんの体に反映する。それでその反映した体によって歌がさらに歌われるという。グルグル回るような、自転車を漕ぐような感じの「再帰性」。そういうのは聴き手にもあるんだよね。歌を聴く、憶える、歌う、また聴くというように回っていく。そうした再帰性が歌い手にも聴き手にもあって、この再帰性同士が対応する。反応する、照り合うというか。という時に、そういう表れをする表現っていうのが他には実際ないでしょう？　受け手が完全にそれを肉化するような。例えば絵画を観る、でもその絵画を肉化することが出来るかといえば、出来ない。あるいは映画を観る、それを完璧に記憶のなかによみがえらすことが出来るかといえば、ほとんどの人が出来ない。ごく一部、出来る人がいるかもしれないけど。
<BR><BR>
歌っていうのは、通常一曲３分の世界だったりする。その３分の枠だから、それ（肉化）が可能になるんだよね。短歌とか俳句もそうだね。僕は記憶力が悪いけども、短歌や俳句なら憶える。憶えるのだけど、その歌が結局どうやって自分の中に生かされるかといったら、それはやっぱりボソボソっと口ずさんだ時、記憶しきった時だね。短歌なら短歌、和歌なら和歌の独特の声の質があるんだよね。それを自分の中でよみがえらせたことによって、自分が他人になる。だから僕は割とおんな歌が好きで、その理由は自分の性別がその歌を口ずさんだ時に変わるからだよね。一種、歌は身体を変容させるような一つのきっかけ、契機なのではないかというのがあって。
<BR><BR>
あらゆる表現のなかで、歌はものすごく古いものだし、同時にずっと先まで生き残るものだという気がしている。それでいうとＪポップのような歌の作られ方は違うと思った。電圧が高い、カラオケで歌う時に一所懸命練習しないといけない、歌詞数が多くて息継ぎも出来ない、高音が多すぎてキツい、要するに苦しい。ではなしに、もっと自然体で、という。だから三村さんには、例えば広瀬香美のように「３オクターブ出ます」みたいな曲が作れないかもしれない。でも１オクターブの人だったから逆に自然体がはっきりしていて面白いと思ったんだよね。限界が魅力になるということはあるんだ。
<BR><BR>
それとＪポップの場合は歌詞作りの鍛錬がなされてないから、実はよくよく聴くと歌詞に一杯矛盾があるとか、名前出さないけど表現がかなりヤバいとか、日本語としておかしいとかいろいろ症例がある（笑）。そういう歌詞もまかり通ってて。僕は教育者でもあるし、歌詞カードとしてみた場合きちんとしたものを出したい、ということは考えてる。ただトータリティーを読まれることは予定しているけど、僕はやはり一行一行の瞬発力の方を大事にしている。
<BR><BR>
ライヴで三村さんが歌う。お客はいい曲だと思う、そうしたら歌っている三村さん「すごい」ってなる。そういう循環があるとすると、その「すごい」っていうのは、全体性を見通してではなしに、ロック的な考え方かもしれないけど、瞬間瞬間で聴き手の体を打つ、刺激の体感から生じていると思う。その刺激ををＪポップのようにリズムや楽音で作るのではなしに、歌詞の力で導きだすってことを考えてたね。
<BR><BR><BR>

――その体感で理想になるっていうのは？　やはりディランとかですか？
<BR><BR><BR>

阿部<BR><BR>
いやディランじゃない。やはり英語と日本語の構造の問題があって、それは違うと思う。僕が割とイメージしたのは、ニール・ヤング。ニール・ヤングはディランに比べると言葉数が少ない。それと歌詞が曖昧。一行一行の立脚点が変にずれてる場合すらある。映画のカッティングみたいにずれるっていう。昔、本にも書いたけど、「ハーヴェスト」なんかそうなんだよね。歌の視点がふっとずれているんじゃないか。代名詞が出てくるのだけど、「dream up dream up, let me fill your cup」って時の「me」と「you」がその前の私とあなたとは違うんじゃないか、みたいなのがあってさ。ずれていいのよ、その代名詞のずれが面白いというのがあって。あれは歌詞をちゃんと憶えて歌ってみるといいんだけど、そうして歌うとすごく良い感じになる。
<BR><BR>
あの感じは日本語の曲だとほとんどない。ＵＡがちょっと似てると思ったことがあった、「ミルクティー」とか。だから歌詞を同じ軸で展開させるような律儀なことをしないで、ワンライン・ワンラインが即興的な閃きのように聴き手に舞い込んで来るようなことをしていいんだと思う。
<BR><BR>
そういうことをしてもいいんだって思うような素養っていうのは、僕が現代詩から恩恵をこうむったからでもあります。例えばの話、西脇順三郎の詩篇だったら、音数をそろえて適当に詩行を拾ったら、すぐ歌詞になると思う。あれも散歩している西脇順三郎の体があって、しかも想像力で見聞するものがポンポン飛ぶんだけどね。ひどい場合は東京の三多摩地方からポーンとイタリアへ飛んだりとか。それでも構わないっていうのは、すべての言葉に一種、隣りあっている力、隣接性があって、その隣接性が保証されているから、言葉が安穏に飛べるってことだよね。
<BR><BR>
ひとつのイメージ系列の中で言葉を使おうとすると、似た語彙が一杯出てくる。たとえば松本隆はそうやって「今度の松田聖子のコンセプトはこうだから」という要請に従い、まずそのコンセプトに合う言葉を採集してくる。で、それをモザイクのように組み合わせる。確かにその中で柔らかなストーリーラインを作るようなこともするのだけど、それって商業性、マーケティング・リサーチの手つきでしょう？　そうじゃないんだ、と。衝動がやはりほしい。その衝動の中で、言葉が言葉、歌メロなら歌メロが自立してポーンと響く。そのように響かせるために、むしろ歌詞のワンラインずつを飛ばすのだけど、飛ばしつつも、例えば三村さんが歌っていることによって身体的な同一性が保証されている。それから今言った言葉の隣接性によって、言葉が飛んでもラインが隣りあっているということだけで、そこに親密なスパークも起きるんだよね。むしろそのスパークこそがそれぞれのラインを繋げていく。
<BR><BR><BR>

――じゃあ、三村さんがよく歌えると聴き手によく伝わるというのは、そういう所（言葉の隣接性と身体的保証性、それと歌の再帰性）から来ているんですね。
<BR><BR><BR>

阿部<BR><BR>
そうね。三村さんは歌唱が基本的に不安定だし、歌詞を自分の体に叩き込んで歌えるようになるまでに時間もかかる。最初、ライヴの出来が悪い時なんかは、「え～、作った歌詞違ってたかなあ、彼女に重圧を与えたかなあ」って思っていたけど、ここの所、ライヴの出来がよくなって。というのは、今度のアルバムを作るに際して、デモ音源を一杯作ってた。それに対して僕はけっこうダメ出しをしてて、歌うツボを二人で考えてた時に、急に去年の秋くらいかな、表現力がばっと増したなという感じがあった。その辺りにやったライヴで「歌詞が良い」って、みんなが言い出した。それまでは、中年のオヤジが三村京子という商品を好き勝手に操って、自分が印税で儲けようとしてるんじゃないか、と疑惑が囁かれた。だから儲かんないって、印税なんか（笑）。いろいろあらぬ噂も立ったけども、そうなった時（ライヴで歌詞の評判が良くなった時）に、可能態に向けて歌詞を作って良かったとつくづく思った。身の丈で作ると実は危険なんだよね。三村さんは若い女の子だけど、一年一年、齢くうし。たとえば22歳の三村さんに対して、ぴったりの歌詞を作っていったら、もう25歳の時には歌えなくなってる、そんなことがあり得る。僕は最初訊いたんだよね、「どうしたいんだ」って、そうすると「一生歌を歌いたいんです」って三村さん言うから、「じゃあそうしよう」ってことで、そのときから可能態路線でやりました。
<BR><BR><BR>
三村<BR><BR>
そう言いましたっけ。
<BR><BR><BR>

阿部<BR><BR>
言いました（笑）。それでコラボレーションを始めた。で、そのうち僕の作る歌詞の割合が減ってくればいい。僕の歌詞によって彼女の身体が変われば、その身体によって自身のオリジナルの歌詞も出てくるだろうって気がしたんだ。
<BR><BR><BR>



＊＊＊（５）＊＊＊
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――身の丈にあった歌詞を作っていると、あとになって歌えなくなるっていうのは面白いですね。
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阿部<BR><BR>
現状、『三毛猫』の曲を三村さんはほとんど歌えないでしょ？　曲が幼すぎて、三村さんの見た目とも違っちゃってる。ただし、挑発的なことはするよね。言ってみると、今の若手の女の子のなかでは三村さんはセックス・ソング的なものを多く歌っているじゃない？　その代表曲が「岸辺のうた」なんだけども。ラブホテルに入り浸ってる、セックスばっかりしている女の子の歌だよね、表面的にみたら。そういうイメージがついても、そういう歌詞を歌っても平気だっていうのは、三村さん自身が一種清楚なイメージを持っているからです。その清楚なイメージがあるからこそ、そういう歌詞を歌った時に、聴き手がドキッとする。そういうショック醸成は狙ってるんだ。「岸辺のうた」は、セックスをするとえらく発汗する女の子の話。それで「ベットが川になった」っていってる。種明かしすると、発想源は、安永知澄の『やさしいからだ』っていうマンガ連作のなかの一篇だった。そこに汗っかきのセックス好きの女の子が出てくるんだよね。それを頂いちゃったっていう（笑）。
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わざと危ない橋を渡るというのは、女子高生に敵対するような歌詞を意図的に作るというのもそうだね。「女子高生ブルース」なんかはすごく女子高生を蔑視的に扱ってたりする。でもあれを彼女たちが聴くと、「私たちのお姉さんの世代が私たちのことをいっている、しかも真実をついてる」ってなるんじゃないか。「何だこのオバン」って怒るやつもいるかもしれないけど、「こいつ私たちのこと分かってんじゃん」って言われるんじゃないかってことだよね。資本特有のごまかしが歌詞にない。そういうイメージ形成上の挑発を狙ってたりする。
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そのようなキャラクターが三村さんに合うと思ったのは、いつだったか江ノ島で三村さん以外が全部パンクバンドっていうオールナイトライヴがあって、下手すると耳にジャラジャラ安全ピン付けているような、夏なのに革ジャン着てたり剃りが入ってるような人たちが一杯いて、その中にも眼光するどい女の子がたくさん紛れてて。それで夜中の２時か３時頃、三村さんの出番になって、みんなの耳にキーンと残響があったときに、いきなりアコギで歌い始めた。その時はもう「パンクだから」ってセックス・ソングのオンパレードだった。
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いま歌ってない曲も演奏していて、オール・セックス、オール・ヤバいみたいな歌詞の曲を、三村さんはフォーキーにシレっと歌ったんだよ。そうしたら、客席の女の子、パンク傾性の高い女の子たちが、みんなシーンとしてる。（演奏中は）分からなかった、ただじっとおとなしく聴いてるなとだけ思ってた。で、終わってから、三村さんがピョコンとお辞儀したら、万雷の拍手。よく見たらみんな涙ぐんでるみたいな感じ。ほんとかなあ（笑）
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――嘘だと思いますよ（笑）
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阿部<BR><BR>
でもウケはすごいよかった。フォークなのにパンキッシュっていう認知を持たれたと思う。それで、これは面白いなって思ったんだよね。だから危ない歌詞というか、そのような細部をその後も僕は意図して入れたよね。僕が作詞作曲した「Crazy Tune」なんかにしても。
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――その女の子がセックス・ソングを歌うっていうのは所謂キャンディーズとかの、商業的に男を狙った手法ではなくてってことですよね。
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阿部<BR><BR>
うん。椎名林檎の「本能」とかを見ると、モロのメッセージだけど、それでもみんなが付いて来る時代になったという感慨があった。キャンディーズがセックスに関わるようなことを歌っていたとしても、「年下の男の子」は（男女の）カプリングの取り合わせが斬新だったんだけども、ソフトフォーカスにして、砂糖菓子まぶして、社会的になんにも問題ない所に着地させるようにしてた。今はタブーがなくなったと表面的にはいえる。真摯に歌えば、受け止めてもらえる時代になったんだよね。「みんながしてることでしょう」という共通理解が先に来て、ヴィクトリア朝的な欺瞞が消えた。それも椎名林檎が大きかったと思うよ。ああいう「本能」みたいな歌詞はこれから無限にありうると思った。
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ただし向こう（海外）だとその手の歌詞はすでにいくらでもあるでしょう。とくにブルースがそう。メタファーまで使われている。「俺の連結器、おまえのワイヤーに絡ませたい」とか平気で言うわけ。ロバート・ジョンソンだったら、そういう詩的な表現になるけど、もっと露骨だと「俺の黒蛇がうめいてる、どうしてくれるんだ」っていう「ブラック・スネイク・モーン」みたいにもなるし。
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――ブラインド・レモン・ジェファーソンですね。
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阿部<BR><BR>
昔ね、そういうブルースの隠語使いを、初期シーナ＆ロケッツで柴山俊之が歌詞作っていた時に引用していたけど。ただ今ならもっと出来る。びっくりしたよ、「本能」で「奥」って言葉が出てきて。つまり「本気度」の問題でしょう？　歌謡曲の分業体制で作詞家がいて、作曲家がいて、そのように共同で何かをやろうとするときは「低きに流れる」というか、「最大公約数」になる。そういう了解を阿久悠なんかは攻撃的に攻めるわけ。ゴツッとした言葉、キーになる言葉を散りばめていくんだけどもあれは例外ですね。シブがき隊の「スシ食いねえ」なんかの例外もあるけど。一般には、分業体制のなかで全体のレベルが下がって、より安全な方に、より「みんな」が好きになるように流れてゆく。
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こういう悪弊をヒットチャートＪポップが結構なぞってたでしょ？　僕はよくいうけど、「頑張ろう」とか「私はさびしいけど、みんなも同じよね」とかになるっていうのは、「低きに流れた」ってことなんだ。共通感情だけを考えれば、歌詞もそういう所に落ち着くのが無難だろう。例えば浜崎あゆみでも倉木麻衣でも、自分で歌詞作ってるっていうシンガーでさえ共通感情の方へ向かってしまって、その共通性ってのはみんな持っているものだから、取り立てて個人個人に当たらないんだよね。でも今の子たちはベタだから、「これは私のこと歌ってる」ってなるわけ。
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99年に立教で教え始めてサブカルの授業やった時に、期末レポートでは椎名林檎論と浜崎あゆみ論がものすごい多かった。で、椎名林檎論の場合は一所懸命、歌詞の世界と格闘している、音すら表現しようとしているというのがあらわだった。でも浜崎あゆみ論の場合は自己同一化するんだよね。「これは私のことを歌ってる」「びっくりした」とかみんな書いてるわけ。体感的なことを書いていて、「それは私が高校何年の時でした」から始まったりする。「知らないよ、お前の物語なんか」って思うんだけどさ（笑）。それでみんな似てるんだ、誰にも似てないような抽象的な手触りしかないようなものを、「これは私のこと歌ってる」ってやる。その時の椎名林檎と浜崎あゆみの偏差は僕のなかにすごく残ってる。だとすると、三村さんの歌の歌詞っていうのは、振れるんだったら絶対林檎の方に振れなきゃいけないって考えた。それが歌い手として立つことだと。浜崎あゆみはよく分からない、本当に肉体があるのかさえ。単に商品なんじゃないか、抽象なんじゃないかって気もする。具体性のある体を持っている歌手っていうのは、多分歌詞のメッセージが違うんじゃないかと思った。
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――具体的な言葉や光景が出てくるのが良いということですね。
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阿部<BR><BR>
そう。それで商品か作品かでいったら作品の方に絶対シフトするんだっていうことを考えた。ただ売れるものは今はもう商品だから、そうするとより狭い、隘路の方へ自ら進むことになるんだけど、そういう苦労も要るだろうって。それは歌の世界を変えてほしいからだよね。今は聴かれているあり方、例えばi-Podで曲が聴かれるとかで、どんどんアルバムの中での文脈が断ち切られ、耳に心地よいもの、メッセージ性の弱いものの方に聴き手の指向が動き出している。それは間違いないんだよね。でもそれらは歌手の肉体が必要じゃない音楽だから。そうじゃなくて、例えば三村さんの場合は、ライヴを基盤に手売りを志す。そういう、「hand to hand」でやってゆくとすると、その三村さんには肉体がなくちゃいけない。だから肉体がある歌詞も必要になる。
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＊＊＊（６）＊＊＊

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――メジャーに流通している曲が、浜崎あゆみに代表されるように、（歌い手と聴き手が）曖昧な共感によって成り立つようになったのはいつ頃からだと思いますか？　それは昔からそうだったですか？
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阿部<BR><BR>
いや、昔は僕も子供だったけど（笑）、60年代歌謡でもけっこう響いたよ。花や蝶を歌ってても響いた。僕の考えでは、90年代に入ってガクッと日本のポップシーンが力を落とす。80年代でもその時々でけっこう好きな曲はあって、シングル盤を借りてきて、編集テープ作ったりしてた。いつも元凶扱いされるのはおニャン子クラブでしょう。秋元康が全部作詞して曲もすべて全部マーケティングの産物だった。マーケティング自体は秋元さん天才的にうまいから、それでＴＢＳの「ザ・ベストテン」がおニャン子ばっかりになっちゃったこともある。あれは公平な番組だから、アルバム・セールスとかリクエストを足していくと全部ベストテンがおニャン子になっちゃったんだよね。それであの番組が潰れた。そうやって瞬間的に、ばっと売れるのはいいよ。でも売れなくなった時に、そこに草木も生えてないようなことをしちゃいけないってことはある。小室哲哉もその意味で似てた。小室の場合は、おニャン子ほどパフォーマーに共通性がなかったから、偏差を味わいたいという聴き手の欲求に乗り、もっとうまく環境化したんだけど。コンビニに行ってもどこに行っても小室の曲しか流れてなくて、国民全体が小室漬けだった。
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Ｊポップのポテンシャルが80年代からどんどん下がっていって、90年代前半になると「がんばろうソング」が売れ始めた。その反動で出てくるんだよね、Ｊポップの一番良かった時っていうのが。95、６、７、８年はびっくりするくらいに良くなって。でも99年になってまたがくっと落ちちゃう。やっぱり、ヒット法則を狙ってマーケティングが飽和するというのがあって、みんな同じ穴の狢、百匹目の泥鰌を狙い始めたりするわけ。そうすると個々の楽曲から個性差がなくなっていく。ちょうどその時、90年代終わりには歌姫ブームがあって、そののちラップが出てくる。それで日本のチャートは壊滅状態になった、